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Come Rain or Come Shine ― ソニー・スティットとビル・エヴァンス [音楽]

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Ornette Coleman Quartet (1959)

最近、何枚かの廉価盤ジャズを聴いている。
まず1枚はワーナーから発売されているソニー・スティットのルースト盤《Pen of Quincy》だが (このディスクについては先日のブログでも少しだけ触れた) クインシー・ジョーンズのアレンジメントをバックにスティットが吹く1955年のアルバム。Jazz Masters Collection 1200というシリーズで、SHM-CDとのこと。〈My Funny Valentine〉〈Stardust〉という2つの超有名曲のバラード演奏がここちよい。

tr7の〈Stardust〉は別テイク (tr11) も収録されているが、本テイクの0’36”あたりからの一瞬のブロウが断然優れていること、また0'51"からテーマとなるが、1'25"から1'39"あたりまでの構築性が素晴らしく、別テイクと較べると雲泥の差であるので (別テイクにはこうしたひらめきが無い)、こちらのテイクが選ばれたのだろう。
tr3の〈Come Rain or Come Shine〉(降っても晴れても) も別テイク (tr9) があり、同様に本テイクのほうがまとまっているが、インプロヴィゼーションになってからはtr9のほうが良いと思われる部分もあり、そんなに本テイク/別テイクの差はない。

ただ、この曲でスティットの弱みがちょっと見える。それは同じ高さの音が続いたりした場合、あまりにも直情過ぎる吹き方で色気が無いのだ。爽やかという形容もできるが、のっぺりと同じで飽きるというふうにもとらえられる。スティットはメカニカルな音のつなげかただったらパーカーを越える部分もあるが、こうした光と影の落差に乏しい。
バップは情感よりもメカニカルな技術を優先する傾向にあったため、テクニックはすごいけれど皆同じという危険性を常に備えていて、それは埋もれてしまったデルフトの数多くの画家に似ている。

次にリヴァーサイドの廉価盤でビル・エヴァンスの《Portrait in Jazz》である。スコット・ラファロの加わっているトリオの1枚で1959年12月28日の録音。キープニュースの監修している24bit Keepnews Collectionである。これはあきらかに音が良い。上記スティット盤のSHM-CDだと、ちょっと音がクリアかな程度なのだが、このKeepnews Collection盤はリマスターだから当然、ということなのだろう。

tr1がスティットのアルバムにも入っている〈Come Rain or Come Shine〉なのだが、スティットの後にこのエヴァンスを聴くと、いかに彼の音のつくりかたがトリッキーであるかがよくわかる。スティットはとても素直、でもエヴァンスは 「降っても晴れてもなの?」 と言ってしまえるくらいに屈折している。それは1955年と1959年という4年間の差なだけでなく、音楽性が異なっているためである。スウィングがバップに代わって行く頃、「何てわかりにくい」 と言われたバップが、このエヴァンスの前ではすでに過去のものになりつつあるのだ。
このアルバムにも別テイクが収録されていて、tr1の〈Come Rain or Come Shine〉はtake 5、そして追加されているのはtake 4であるが、このtake 4とtake 5は時間が1秒しか違わないのに、アプローチは全然違う。私の好みはむしろalt takeであるtake 4であるが、これだけ異なる曲想を瞬時に構築できるこの時期のエヴァンスの好調さをあらためて知るのである。

《Portrait in Jazz》というアルバムのなかでのキーとなっている曲は〈Autumn Leaves〉(枯葉) であるが、これもtr2が本テイクで、tr11がモノラルの別テイク (take 9) である。この2つのテイクはそんなに違わないが、ふたたび私見を言わせてもらうのなら私の好みはやはり別テイクである。ただ、なぜこれらの別テイクが採用されなかったかの理由は大体わかる。
私が〈Autumn Leaves〉の本テイクをなぜ嫌うかというと、ピアノにややとげとげしたものを感じていたからなのだが、このKeepnews Collection盤にはそれがない。ないしは、和らげられている。どこが違うのかというのがわからないのだが、とても聴きやすくそして魅力が倍増している枯葉なのである。

もう1枚は、Jazz Masters Collection 1200のなかからオーネット・コールマンのアトランティック盤《The Shape of Jazz to Come》である。彼のアルバムのなかで最も有名な1枚であるが、録音は1959年5月22日。つまり《Portrait in Jazz》の7カ月ほど前である。1959年にはマイルス・デイヴィスの《Kind of Blue》が3月2日と4月22日に録音されており、ジャズにとって特異な年である。
マイルスはオーネットのアプローチを嫌ったらしいが、全然音楽性が異なるように思えて、コード (ないしはコード・プログレッション) ではなく、スケールということを主眼においたことにおいては、2人とも、ある意味同じである。だがマイルスは正統派のお殿様、オーネットは下剋上を狙う野武士であった。

ところがこのアルバムは、同じJazz Masters Collection 1200でありながらスティット盤と違って明らかに音が良い。音が良いというようりは空間性が鋭く生きている。既発のCDと較べたわけではないが、オーネットが以前のディスクより上手く聞こえるし、というか、今までそれに気がついていなかっただけでいままでの印象ほどアヴァンギャルドではない。
野武士という比喩がよくなかったのかもしれないが、雑で感性優先のように思えて、この《The Shape of Jazz to Come》はとてもよく考えられているアルバムである。tr1の〈Lonely Woman〉からtr3の〈Peace〉までの連なりは完璧といってよい。
だが、オリジナルの6曲の後に追加されている2つのテイクは、オーネット節のようではあるが、tr7は本テイクのtr6と同工異曲な変形されたバップ、tr8は (表現がうまく浮かばないのだが) もっとずっと変形されたムードミュージックのようであり、これらが本テイクになりえなかったのは仕方がないと思われる。
このアルバムは極端にいえばtr1の〈Lonely Woman〉のためだけに聴くという動機でもよい作品であり、その〈Lonely Woman〉という曲のオリジナリティさは揺るぎない。


Sonny Stitt/plays arrangements from the pen of Quincy Jones
(ワーナーミュージック・ジャパン)
ペン・オブ・クインシー<SHM-CD>




Bill Evans/Portrait in Jazz (Riverside)
Bill Evans Trio - Portrait In Jazz(REMASTERED) [KEEPNEWS COLLECTION]




Ornette Coleman/The Shape of Jazz to Come
(ワーナーミュージック・ジャパン)
ジャズ来るべきもの<SHM-CD>




Sonny Stitt, Quincy Jones/Stardust
https://www.youtube.com/watch?v=ZybL636dcW8

Ornette Coleman/Lonely Woman
https://www.youtube.com/watch?v=OIIyCOAByDU

     *

Sonny Stitt/Come Rain or Come Shine
https://www.youtube.com/watch?v=rrFaRO_lAfM

Bill Evans/Come Rain or Come Shine (bass: Scott LaFaro)
https://www.youtube.com/watch?v=rDSXk0fWCN8

Norah Jones/Come Rain or Come Shine
https://www.youtube.com/watch?v=MCj96k1A95g

こちらは比較的オーソドクスに弾かれているテーマ
Bill Evans/Come Rain or Come Shine (bass: Chuck Israels)
https://www.youtube.com/watch?v=67WyBSZ_3d4
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NO14Ruggerman

ビル・エヴァンスの<Autumn Leaves>を何度も聴いてきた
私にとって彼の演奏がトリッキーと言うのは目からウロコです。
〈Come Rain or Come Shine〉ですね。
YouTobeで拾って聴き較べてみようと思います。
by NO14Ruggerman (2017-11-23 21:42) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

申し訳ありません。
肝心の〈Come Rain or Come Shine〉を
リンクしていませんでしたので、ブログ本文に追加しました。
エヴァンスのコード解釈が如何に異なるかがわかります。
ノラ・ジョーンズのリンクは
歌が入っているほうが、メロディがよくわかるからです。
ご参考にされてください。
by lequiche (2017-11-23 22:15) 

えーちゃん

ぁっ、12/17はヨロシクです。
少人数の方がいいかもね?5~6人
話が全員に伝わるからね。
まぁ、これから国分寺近辺の方たちにお知らせするから人数は分からないけどね。

by えーちゃん (2017-11-24 01:22) 

末尾ルコ(アルベール)

凄い聴き込み方ですね~。もちろん以前から存じてはおりますが、本日のお記事を拝読し、またしてもつくづく素晴らしいなと。いや本当に、刺激になります。
リンクしてくださっている動画視聴しました。ソニー・スティットはほとんど聴いたことがなかったのでとても新鮮です。コールマンが「野武士」という比喩もおもしろいですね。「Lonely Woman」、気持ちいいです。「Come Rain or Come Shine」の比較、それぞれの演奏の「違い」は分かるのですが、その「違い」に対して何らかの言葉を発するほどには、わたしはジャズを聴き込んでないのです(クラシックもですが 笑)。ちなみに、ジャズやクラシックの批評家などでお好きな人はいらっしゃいますか?考えてみればわたしは、文学、映画、美術、音楽ならロック批評などはよく読んできたのですが、ジャズやクラシックは批評そのものをほとんど読んでこなかったというのありまして。批評も読めばいいというものでもないのでしょうが。ただ現在は、ネットですぐに海外の批評も読めるのがおもしろいですね。ずっと過去のアルバムですが、ストラングラーズの『ブラック・アンド・ホワイト』って、日本のロック誌では「パンク時代の傑作」という評価が定着していたと思いますが、英国ではけっこう低評価で驚きました。
ところで最近、コチシュの動画はわたしの定番の一つになっております。若い頃のコチシュはまた美形ですね。すぐに「見た目」に注目するのがわたしの悪い癖でもありますが。それと『アマデウス』の影響はやはり大きかったのですね。確かにオスカーなんか獲ると、ほぼ半永久的に世界中で鑑賞されますからね。私もあの作品、とても愉しんで鑑賞しましたが、あの俳優が演じたモーツァルトというのはどうなんだろうと、まあわたしがモーツァルトという人物に明るくないからというのもありますが、(この人物造形でいいのだろうか)と当時は思ったものです。

>それがかえってがっかりみたいな面もあって。(笑)
 ↑
これ、lequiche様の感覚の本領だという気がいたします。

>その区別を知らないしどうでもいいのです。

ファッションに限らず、万事に関してそうですね。そしてその傾向は近年ますます深刻化している感が。

マラルメ・・・一遍一遍、極めて高い集中力を要しますね。でもその時間が今、一日の中のとても大きな悦びとなっております。ランボーやボードレールなどともまた違う硬度の高い刺激です。

RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2017-11-24 01:28) 

lequiche

>> えーちゃん様

こちらこそよろしくお願いします。
少人数いいですね。
話が伝わる範囲のほうが楽しめますし。
今年は珍しく忘年会が重なっていますので
身体に注意していきたいと思ってます。(^^)
by lequiche (2017-11-24 05:17) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

いえいえ、ジャズの場合は音が大きく違いますから、
そんなに聴き込まなくてもすぐわかります。
クラシックだと微妙な違いで聴き逃したりすることがありますが。

ソニー・スティットはパーカーのフォロワーですが、
フォロワーというよりエピゴーネン的だとする意見/批判もあります。
日本人は情感の強い表現を高く評価する傾向があって、
つまりいわゆる 「浪花節」 が好きなのですが、
音楽は必ずしもウェットならよいわけでもないので、
スティットはもう少し評価されてもよいと思います。

マイルスにはモードという理論的な裏付けがありますが、
オーネットの場合はよくわからなくて、
よくわからないから低級と決めつける評価もされたようです。
でもたとえば増補された捨てテイクなどを聴くと、
あきらかにそのルーツはビ・バップです。

批評家の好き嫌いというのはあまり考えなくて、
批評はそのときそのときですね。
この人はこういう傾向には甘いとか、
こういうジャンルはあまり知らないんじゃないかとか、
そういう予備知識はある程度必要ですが。
日本と海外とで評価が異なるというのはよくありますが
(たとえばソニー・クラークは日本でのみウケているとか)、
それはそれで仕方がないと思います。
チープ・トリックのように、
日本での人気がだんだん海外に及んだという例もありますから。

コチシュは晩年は太ってしまいましたが、
若い頃、コチシュ、ラーンキ、シフという3人で
ハンガリー三羽烏と呼ばれていた時期もありました。
その中で祖国の作曲家バルトークに最も沈潜したのがコチシュです。

クラシックでも最近は見た目が重要視されているみたいで、
先日のカティア・ブニアティシヴィリのコンサートなど
行った人から聞いたら、男性客が圧倒的に多かったとのことで、
そういうのも集客の下支えになっているんだと思います。
日本のオーケストラで女性ヴァイオリニストがやたらに多いのも
単純に女性奏者の比率が高くなったからというだけでは
説明できないなにかがあります。
まして女性ジャズサックス奏者など、
このブログにも書いた矢野沙織をはじめとして、
誰もが超ミニスカートみたいな時期がありました。

《アマデウス》は当時、本当はどうだったのかということは
誰にもわかりませんが、極端にいってしまえば、
モーツァルト役の演技はコロッケのモノマネみたいなもので、
誇張している部分はあると思います。
でもおそらく当時のコンサートの形態はそんなに上品でなく、
現代の見世物小屋的なイメージがあったのではないでしょうか。

ゴルチエだけでなく、
たとえばヴィヴィアン・ウエストウッドだって
最初はパンクとか言われていましたが基礎がありましたからね。
つまり上記のブニアティシヴィリと同じで、
どういうインパクトで売るかというのも戦略のひとつです。

合皮の例でいいますと、ファッションはますます使い捨てです。
1シーズン持てばいいので、だからリアルレザーはいらない
という考え方で石油製品を湯水のように消費しています。
しかも事後は不燃ゴミとなります。
これはエコといわれている世界的情勢がまやかしである
ということに他なりません。

ピエール・ブーレーズの《pli selon pli》などの作品は
マラルメと深い関係性があります。
でもその深いところまではよくわかりません。
マラルメ全集は第1巻だけ持っていますがむずかしいですね。
by lequiche (2017-11-24 05:17) 

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