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I’ve Been Waiting for You ― Beatniks《Exitentialist a Xie Xie》を聴く [音楽]

Beatniks_180908.jpg

The Beatniksのアルバム《Exitentialist a Xie Xie》のラストトラック、〈シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya〉は (曲名、長過ぎるゎ) ライヴ向きのキャッチーな曲で、早い話がポリスなのだが、YouTubeのライヴを見ると好々爺然とした鈴木慶一が、でも曲はジジィじゃないぜ、というふうに言ってるようで、まぁそうですよね、と思ってしまう。
アルバムの冒頭曲〈Crepuscular Rays〉は尖っているし。

ざっと聴いていくと、最初は地味かなと思うんだけど、だんだんと滋味あふれるというか、いやそれは形容としてちょっと違って、たとえば8曲目の〈Unfinished Love〉なんてあいかわらずの幸宏節で、音と音の隙間の一瞬の空白が心地よい。わざとアンティーク風なインストゥルメンタル。

 君の心のドア 無理に 開けたら
 創り付けの愛が ずっと あるよね

と歌った後に予定調和のようなチェロが入って来る。その後の曲〈Speckled Bandages〉への柔らかなつながりが、相変わらずの懐かしさのような翳りを見せて、そしてピコピコなイントロの上記の終曲に突入する。

でもYouTubeを探すと〈シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya〉ばかりが出て来て、後半のこうした佳曲の動画は見つからないのだ。そうやって見ているうちに、これ、確かNHKの番組だったようなYMOヴァージョンの〈Hello, Goodbye〉とか、探す曲からどんどんズレていってしまうのが面白い (のかもしれない)。そして本家の〈Hello, Goodbye〉を探すと、ダルいPVが出て来てちょっと笑う。

で、《Exitentialist a Xie Xie》に戻るわけですが、インストな冒頭曲に続いて、結構古風なギターを配して始まるニール・ヤングのカヴァー〈I’ve Been Waiting for You〉、このへんがビートニクスらしいともいえるし、新しい音と古い音がうまくミックスされているのが光る。

でもYouTubeには〈I’ve Been Waiting for You〉だったらデヴィッド・ボウイのライヴの動画があって、ベルリンの2002年のライヴは秀逸だ。嵐のように曲が立つとき、それはオリジナルとは別の様相を見せる。
でも最後は、元気なポリスもいいけどさ、スティングならやっぱり〈Shape Of My Heart〉とか、そうしたインティメイトな方向に還っていってしまう私のだらしなさを嗤う。つまりナタリー・ポートマンは、私の中では〈LEON〉のあの時ですべてが止まっているように思えてしまうのだ。


The Beatniks/ Exitentialist a Xie Xie (日本コロムビア)
EXITENTIALIST A XIE XIE




The Beatniks/シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・
Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya
live 2017
https://www.youtube.com/watch?v=WitgRPRLHvo

YMO/Hello, Goodbye
live in Studio 2010
Yellow Magic Orchestra+Keigo Oyamada+Tomohiko Gondo
https://www.youtube.com/watch?v=a384_UTLgi0

The Beatles/Hello, Goodbye
https://www.youtube.com/watch?v=rblYSKz_VnI

David Bowie/I’ve Been Wainting for You
live 2002, Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=uzEqZlMIf_U

Sting/Shape of My Heart
https://www.youtube.com/watch?v=ZuI61cTNbAk
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Speakeasy

YMOの「Hello, Goodbye」は、NHK Eテレの『schola(スコラ) 坂本龍一 音楽の学校』で放送された演奏ですね。私は再放送で気付いて、全話観たのですが、録画に失敗して保存出来ず、大変悔しい思いをしたものです。

ビートルズの「Hello, Goodbye」で特筆すべきは、リンゴのドラムセットがめっちゃ小さい事です・・・って、有名なんですけどね・・・(笑)

「Hello, Goodbye」のPVは少なくとも3つ以上のバリエーションがあるのですが、他のバージョンには、大き目のドラムセットも出てきます。

https://www.bilibili.com/video/av3303013/

by Speakeasy (2018-09-08 17:57) 

末尾ルコ(アルベール)

ありましたね、The Beatniks。当時は高橋幸宏の趣味的なバンドというイメージでした。よかれ悪しかれユキヒロ先生には常に趣味的な印象はつき纏っておりました。
と言いますか、The Beatniksってしょっちゅう活動再開しているのですね。
YMO関係の中ではやはり坂本龍一を中心に聴いておりまして、高橋幸宏はさほど熱心に聴いては来ませんでした。ある意味若気の至りだったのかもしれません。高橋幸宏の持つ「軽さ」が鼻についていたのは事実ですし、「鼻」ついでに申しますと(笑)、あの鼻にかかった声もあまり好きではありませんでした。
今回、The Beatniksを視聴させていただき、(あ、高橋幸宏、カッコいいじゃないか)と思いましたね。今こそ折に触れ、聴いてみるのもいいのではと。
リンクしてくださっている動画、すべて氏著いさせていただきました。
2002年辺りのデヴィッド・ボウイはあまり観てませんでした。しかし、いいですね。またいろいろ視聴してみます。この時期のボウイの創作力についてはどうお考えでしょうか?

松尾レミは古着が好きだというお話・・・結局自分を知り、服を知り、そしてセンス・オブ・ビューティのある人にとっては、古いも新しいもないのではないかと思います。
声の出し方も張り過ぎないところがとてもいいですね。

>J-popではないと松尾は考えているでしょうが。

次のライブを視聴したのですが、冒頭から「ロック」という言葉に対するこだわりが炸裂しています。
ご覧になっているかと思いますが・・・。

GLIM SPANKY グリムスパンキー
https://www.youtube.com/watch?v=ovLB6R-fZjg

わたしはこのような言葉に対するこだわりはとても大切だと思いますし、特に以前は「ロック」というものは「ロックをやるべき人間にしかできないもの」という認識がありまして、例えばフォークや演歌やアイドルの人が、「今回のアルバムではロックに挑戦してみました」というのはまったく違うものだと確信しておりました。
現在は、(ひょっとしたら、必ずしもそうではないのか)という気持ちもありますが、でも原則さほど間違っていないという気持ちもあります。

>なにより松尾の強い声が

分かります。あのような声は日本では稀少でしょうね。そして声と歌詞の相乗効果によってロックの、他のジャンルではまず味わえないカッコよさが生まれるのでしょうね。
その意味ではわたしは、これまたあまりにメジャーで恐縮ですが、ジミヘン、ジム・モリソンにも常に魅了されます。全盛期のモリソンの雰囲気は、当時の映像を見ると、いかにも怪物的です。

「Parlez-moi d’amour」はリュシエンヌ・ボワイエも、そして案外誰が歌うものも好きなのです。例えば美輪明宏のものは日本語訳詞の中に一部フランス語が混じるのですが、これもとても好きですし、そもそもあのメロディが琴線に触れまくり(笑)なのです。

>宇多田ヒカルのニューアルバム

なるほど、それは興味深いです。ぜひじっくりと聴いてみたいと思います。

>でもそれを拒否している作家だっているはずです。

確かに!よく考えれば、テレビに出てない人の方がずっと多いですよね(笑)。どうしても出ている人が目につくと言いますか、目障り(笑)なので気になってしまいます。

>政治家にとっては理想の政治形態なのかもしれません。

どんんどん「人間性に対する一元管理」が進んでいるのに、それを歓迎している人があまりに多く、分かって歓迎しているのか、分かってないから歓迎しているのか・・・いずれにしても、(アホだなあ)と思ってしまいます。

『限りなく透明に近いブルー』、わたしも久々に紐解いておりますが、やはりずっと前に読んだ時の印象と違います。前は感じなかったのですが、凄く詩的な感覚の作品ですね。とてもおもしろく読んでおります。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-09-08 23:44) 

lequiche

>> Speakeasy 様

そうですか。なかなかイイ感じの演奏ですね。
さすがYMOです。

小さいドラムセットというのは、よく見かけますね。
音としてはたぶん貧弱なんでしょうが、オシャレに見えます。
PVなんかに使用するのには最適なセットなのかもしれません。
それよりこの当時のサージェントっぽいカラフルな衣裳に
ちょっと感激しました。
by lequiche (2018-09-09 22:27) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

高橋幸宏は大林宣彦の《四月の魚》の主演で、
この、しょーもない映画をどう評価するかが、
高橋幸宏をどう評価するのかということに通じるような気がします。
私はこの映画、すごく好きなんですが。

それとYMOの最も当たったアルバム、
《Solid State Survivor》の最も有名な曲だと思われる
〈Rydeen〉は高橋作曲であることも考え併せるべきです。
インストゥルメンタル曲であるのにもかかわらず、
歌謡曲の伝統が息づいていると私は思います。
その軽みが幸宏さんなんです。

ただ、コメント欄でこっそりと書いてしまう正直な感想ですが、
デヴィッド・ボウイの2002年ベルリン・ライヴの
I’ve Been Waiting for Youで全ては飛んでしまいました。
このベルリン・ライヴはすごいです。
ボウイがいかにすごいかが、このライヴから分かりますし、
ニール・ヤングを超えて、ボウイのパフォーマンスは超絶的です。

グリム・スパンキーのライヴ動画のリンクありがとうございます。
舞台後方の文字のレイアウトがサイケデリックですね。
ファッションも音楽も、そうしたものは何でもそうですが、
日本ではともすると消費財として用いられ、
それによって消費されつくされればおしまいという風潮があります。
しかし本来のロックはそうしたコマーシャルなものではありません。
それを気づかせてくれたのがグリムだと私は思います。
ある意味、シンプルで無骨です。
でも私はオシャレなフュージョンとはもともと縁がありません。
音楽とはもっと根源的な意識に基づいている何かです。
それは必ずしもロックという音楽ジャンルに限られるわけでなく、
心に響くものがあればそれはロックですし、
それが無ければロックに分類されていてもロックではないのです。
もしかするとこれはローカルなロックかもしれません。
でもローカルでも良いのです。
実は村上龍の処女作も福生的なローカルな領域での出来事で、
でもそれは一般的な感傷に敷衍して実感できうるものです。
それはアナロジーです。
共感できそうに見えても心の痛みを伴わないものは虚偽であり、
それは私の生活とは無縁のものでしかありません。

TVというメディアはそれほど重要なメディアではありませんし、
それはインターネットも同じです。少なくとも私にとって。
影響力が強過ぎるので人はそれについて意見を持ちますが、
その価値をもっと過小に考えてもよいはずです。

そしてグリム・スパンキーのわかりやすさとへ対極として、
宇多田ヒカルの最新アルバムはcomplexitéな面を持っていて、
これは迂闊に言えないなというのが現在の感想です。
by lequiche (2018-09-09 22:40) 

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