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フランス・ギャル《Babacar》 [音楽]

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フランス・ギャル (France Gall, 1947-2018) が彼の地に旅立ってから1年が過ぎた。彼女のPhilips盤でリリースされた初期の作品はゲンズブールによって彩られた毒を秘めたボンボンであったが、その後の彼女がそうした曲を肯定していたのかそれとも否定したのか、それについての真実がどこにあるのかはよくわからない。
だが、その時期のフランス・ギャルがあまりにロリータ・アイコンであったために、どうしてもそこだけに視点が集まってしまいがちであり、それは少し違うのではないかと思っていた。それ以降の彼女がどのような軌跡をたどったのかをトレースしてみたいと思った。具体的にいえば1976年の《France Gall》以降の、ミシェル・ベルジェ (Michel Berger, 1947-1992) がプロディースしていた時代である。参照したCDは《France Gall / Intégrale des albums studio》(Warner Music France) である (尚、Comment lui direから始まるアルバム《France Gall》はwikiに拠ればsortie: 6 janvier 1976とあるが、Warner盤のパンフレットでは1975年と記されている)。

時代を追って聴いてみると、たとえば前記の《France Gall》(1976) のtr02〈Ce soir je ne dors pas〉の冒頭のコード進行はホテル・カリフォルニアのようなのだけれど、でもイーグルスの同名アルバムがリリースされたのは1976年12月なので、ちょっとした謎である (つまりこの曲のほうがイーグルスより前)。他にもフィリップス盤との声質の変化とか、いろいろ注目すべき点があるのだが、とりあえずこれ1枚といったら、まず《Babacar》(1987) だろう。

〈Papillon de nuit〉という比較的無難な曲から始まるが、タイトル曲でもある〈Babacar〉あたりからそれぞれの曲は沈潜し、そして音がとてもクリアで、しんとして存在している。音だけでなく、言葉が、歌詞のひとつひとつの発音が澄んでいて、若い頃のいわゆるベタベタした歌唱の面影がときどき過ぎるが、でも今はもっと伝えたいことがあるというような、毅然とした表情がそれぞれの曲を支配する。
ババカーというのはセネガルの子どもの名前で、セネガルに行ったとき、ギャルはその子の母親から、貧しくて育てられないから自分の子どもを預かってくれないかと懇願されたのだが、そのことをギャルはずっと気にかけていた。そしてやがて再訪し、彼女へ資金援助をしたのである。

〈Babacar〉に続く〈J’irai où tu iras〉〈Ella, elle l’a〉〈Évidemment〉〈La Chanson d’Azima〉の連なりがこのアルバムのピークである。そしてこの透明感はゲンズブール時代のきゃぴきゃぴした歌唱とは遠く無縁である。〈J’irai où tu iras〉は一種のダンス・ミュージックなのだが、ごくシンプルなシンセに伴われて執拗なルフラン、それはジレウテュイラという決め台詞によって断ち切られたような印象となって残る。
〈Ella, elle l’a〉はエラ・フィッツジェラルドへのオマージュであるが、エラエラという語呂合わせのような歌詞の繰り返しとその裏側のコーラスによって一度聴いたら忘れられない曲だ。〈J’irai où tu iras〉も〈Ella, elle l’a〉も、ルフランのしつこさギリギリの積み重ねがリスナーに幻想のように作用する。

少ししっとりとした〈Évidemment〉をはさんでから始まる〈La Chanson d’Azima〉はミディアムのシンセが刻むリズムがだんだんと広がる、そのシンプルな乾いた憂鬱が風のように悲しみの向こう側に過ぎてゆく。リズミックな〈Urgent d’attendre〉を挟んで終曲の〈C’est bon que tu sois là〉はピアノと、掠れた声のようなシンセがリスナーを〈La Chanson d’Azima〉の世界に引き戻し、その後の発展形をしめす。そして唐突にそれは終わる。そして1992年、ミシェル・ベルジェとのコラボレーションも彼の死によって終わってしまう。

1987年がどういう時代だったかを見てみると、それはトーキング・ヘッズの最後の頃 (《Naked》が1988年) であり、ブライアン・フェリーなら《Bête Noire》(1987) であり、フランスはミレーヌ・ファルメールが1stアルバム《Cendres de lune》(1986) をリリースした頃である。

YouTubeを見ていたらフランス・ギャルがリオと〈Be My Baby〉を歌っている動画を見つけた。1984年と記されているが、リオとのデュエットというのが意外で、画面もアナクロで面白い。


France Gall/Intégrale des albums studio
(Warner Music France)
Integrale Albums Studios + Live




France Gall/Babacar (Warner Music France)
Babacar




France Gall/La chanson d'Azima
https://www.youtube.com/watch?v=fdW0rbaUroY

France Gall/C’est bon que tu sois là
https://www.youtube.com/watch?v=Zv8mam99bvU

France Gall et Lio/Be My Baby
(French TV 1984)
https://www.youtube.com/watch?v=9m3yELhPvrI
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末尾ルコ(アルベール)

ミシェル・ルグランが亡くなりましたね。
しかし、というわけでもないですが、クロード・ルルーシュは、『男と女』の続編を今年(フランスで)公開するようです。
主演はやはりアヌーク・エーメとジャン-ルイ・トランティニャン。
二人とも80歳を超えています。
『男と女』は2作目で既に1作目とはかけ離れた内容になっていたのですが、80超えの2大スターで3作目となれば、逆に凄いことのように思えてきます。

フランス・ギャルは系統立てて聴いたことなかったですので、いろいろと興味深く拝読させていただけます。
そう言えばわたしのフランス好きは中学くらいから始まったのですが、高知のローティーンがフランス好きを通すのはなかなかにハードルが高く、まず情報がない、そして周囲にフランスに興味を持っている同世代がいないとか、我ながらよくぞ当時からフランス好きを貫いたものだと自画自賛したくなります(笑)。
フランス好きでいながら、スノッブ的にはならないというのも大きなテーマですしね。
フレンチポップスですが、フランス・ギャルは断片的に聴いておりました。
当時はまだセルジュ・ゲンズブールを知らなかったのだから、いかにも情報が不足しておりました。
フランスワーズ・アルディのアルバムは、カセットで購入しまして、けっこう気に入って、しょっちゅう聴いておりました。

さて、リンクくださっている、France Gall/La chanson d'Azima、France Gall/C’est bon que tu sois là、 France Gall et Lio/Be My Baby (French TV 1984)、視聴させていただきました。
Be My Babyは別として、確かに若い時期のギャルとかなり違いますね。
これはつまり、表現者としての自覚が育ち、表現したいことを表現できる力がついたということなのでしょうか。
あるいはもともとその自覚も力もあったけれど、若い時期はまず名を売る必要から「フランス・ギャル」のキャラクターを作っていたのか・・・各国歌手や俳優の売り出し方が違う中、フランス独特の事情がどう変遷しているかも興味があります。
できるだけ毎週、フランスの映画興行ランキング、ヒットチャートなどをチェックするようにしているのですが、チェックすべき情報は他にもいろいろあり、ついつい忘れてしまうことも多いです。

それにしても、こうしてトーキング・ヘッズやブライアン・フェリーなどと並べていただくと、(あ、あの時代か・・・)という実感が湧きますね。

> アガサ・クリスティのアクロイド

それは凄いですね。
歴史的傑作に比肩するインパクトだったのですね。
クリスティも10代の頃に読んだきりなので、また紐解きたくなります。

> まさにはびこる雑草のようなたくましさ

その境地、憧れます。
なにせ我が家の庭、(この雑草をどうしよう・・・)という状況ですが、「雑草」に対するイメージを変えねばなりませんね。
まず雑草をどうにかして・・・なんて考えは捨て、「この雑草とともに、どう生きるか」という取り組みに変えていこうと、たった今(笑)思い至りました。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-01-28 17:46) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ミシェル・ルグランも亡くなり
橋本治先生も亡くなりました。
ご冥福をお祈り致します。

シェルブールはルグランの代表作と言われていますが、
日本では結局どういう見方をされているんでしょうか。
まぁ無理なんでしょうね、ああいうノリは。
これは以前にも書いたことですが、
シェルブール、ローマの休日、道が私の3大偏愛映画です。

クロード・ルルーシュには期待したいです。(^^)

フレンチポップスはやはり今でも情報量が少ないです。
そしてマイナーっぽい感じがして、実際にそうなんですけど、
やはり英語の歌に較べて入りにくいのかもしれません。
私はリオとかロベールとかも聴いていましたし、
最近だとラファエル・ラナデールですが、
こういうのCDショップでもあまり見かけません。

Babacarのリリースされた1987年というのは
日本だとバブル真っ盛りの頃ですから、
当時の日本の曲と並べると、もう言葉もないです。
冷静に見ると日本のバブルの時期は音楽的には最低です。
何も中身がないからバブルなんでしょうが。
ですからトーキング・ヘッズがどのように聴かれていたか
というのを考えると、今、私がCDボックスになった
アーカイヴから引っ張り出して聴くトーキング・ヘッズと
その当時のトーキング・ヘッズは同じではない
という可能性があります。

ベルジェの頃のギャルも、その頃の時代の風潮で、
つまり日本と違ってフランスはバブルではないですけれど
世界的な音楽のトレンドにも影響されているために
リズム的にいかにもな古さを感じることもあるのですが、
でもそれほど深入りしなかったためにかえって新鮮に聴けます。

フランソワーズ・アルディもフランス・ギャルと同様に
初期の作品がどうしても重く見られがちですが、
それ以降の作品もそれはそれで聴くべきなのではないか、
というふうに考えています。

きまって言われるのがゲンズブール期のギャルは
ダブルミーニングな歌詞を歌わされていて、
ベルジェ期になって初めて自己を確立することができた、
ゲンズブール期は恥すべき時だったなどという論調ですが、
ことはそんなに簡単ではないと思います。
白か黒かでしか区別できないのはごく幼稚な視点でしかありません。

いや、アクロイドは要するにやってはいけないとされていた禁忌を
破ってしまったということにおいてすごいので、
二度目はないと言われながらそうしたジャンルが確立していて
信頼できない語り手 unreliable narrator といわれます。
それとはちょっと違いますが、こういうテクニックってあるんだ
ということです。あくまでテクニック上のことです。

雑草というのは人間が勝手に決めた分類ですから、
実際の生命力はその種類によって違うのかもしれません。
たとえばモッコウバラはその生命力の強さからいったら
どうみても雑草だと私は思っています。
ちなみに秋篠宮眞子様のおしるしがモッコウバラです。
by lequiche (2019-01-30 00:41) 

MONSTER ZERO

「夢見るシャンソン人形」の日本語バージョンがたまらなく懐かしいです!(^^;
by MONSTER ZERO (2019-02-05 11:33) 

sig

こんにちは。
「Be My Baby」は歌手名も知らずに、気に入って聴いていた曲です。
70年代後半から80年代前半まで、プロモーションビデオを見るのが楽しくて、もっぱら画づくりを楽しんでいたので歌手はほとんど知らないのですが、私にとっては楽しい時代でした。マイケル・ジャクソンがいなくなってその興味はついえました。
by sig (2019-02-06 10:18) 

lequiche

>> MONSTER ZERO 様

昔はヒット曲を、本人がたどたどしい日本語で歌う
ということがあったようですね。
今から考えるとちょっとすごいです。
by lequiche (2019-02-07 03:26) 

lequiche

>> sig 様

Be My Babyのオリジナルは
ザ・ロネッツというグループで1963年の大ヒット曲です。
リンクしたフランス・ギャルとリオのデュエットは
いわゆるお遊びというかシャレですが、
ギャルとリオは世代も曲の傾向もやや違いますので、
面白いと思ってリンクしてみたものです。
(松田聖子と安室奈美恵がデュエットしている
みたいな映像なのです。例えがよくないですが)
私はリオは1枚しかCDを持っていませんので
よく知らない人なのですが、
フレンチ・ポップスではかなり有名な歌手です。

PVの興隆に貢献したのはやはりマイケルですね。
by lequiche (2019-02-07 03:50) 

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