SSブログ

この書を持ちて その町を捨てよ ―『文藝別冊 寺山修司』を読む [シアター]

tenjosajiki_poster_190706.jpg

推理小説の記述法の分類のひとつに 「信用できない語り手」 というのがある。クリスティにその具体例があるが、愉しみの読書の中でそうした文章上のテクニックに翻弄されるのならともかく、それが現実世界における 「信用できない語り手」 だったり、「信用できない語り手による信用できない情報」 だったりすると、精神的な疲労は甚だしい。そのような悪意の語り手は何も失わず、聞き手のみが深刻なダメージを受けてしまう。そうした環境からは (信じられないかもしれないが、知性の存在しない世界というものがこの世界には存在していて、そこには魑魅魍魎が跋扈しているものなので) 逃げ去るべきだと考えている今日この頃なのだ。

これもまた推理小説の比喩で言えば、いや、推理小説よりもTVの刑事ドラマを連想したほうがわかりやすいが、刑事は何人もの目撃者や関係者にあたり、証拠を積み上げてゆくもので、それは多角的な視点を構築することとも言える。
このブログ記事は文藝別冊というムックの寺山修司特集のつづきだが、こうした本の編集方針も、何人もの語り手から複数の証言を聞き出し、それによってひとりの作家のプロフィールを描き出そうとする意図であるはずだ。つまり刑事の証拠集めに似ている。だがそれが必ずしも多角的で普遍的な視線を持ちうるかどうかはわからない。かえって曖昧な海に沈んでしまうことがあるかもしれない。これはひとつの仮定であって、このムックがそうだと言っているわけではない。しかし最終的に信じられるのは自分の直感だけである。

ざっと読んだ中で最も示唆に富んでいるように思えたのは、高取英と安藤礼二の対談であった。二人の会話によれば、寺山は名も無い市井の人、無名の人に注目したのだという。たとえば有名人の記念写真があると、有名人Aさん、有名人Bさん、一人おいて……のこの 「一人おかれてしまう人」 に興味があるのだという (p.109)。だからシロウトの詩集を作ったし、シロウトで芝居をしようとした。その無名性へのこだわりが胸を打つ。だが新劇のセオリーはシロウトを舞台に上げるなという時代だったので、寺山の手法は顰蹙をかった。
寺山は『家出のすすめ』を書き、そうして家出をした少年少女たちが集まって演劇をやってしまうというプロセスを夢想し、そしてある意味ではそれを現実のものともしていった。シロウトの詩で本を作ってしまうという行為、シロウトに芝居をさせてしまう行為、そうしたすべての流れは、ともすると 「弱い者の味方」 的な見方をされてしまう可能性もある。
寺山が演劇的な 「わざとらしさ」 を嫌ったのは、方法論的にはロベール・ブレッソンを連想させるが、単なる 「わざとらしさ」 の排除だけでなく、それによって生成するステロタイプな演劇の美学に対するアンチテーゼでもあったのではないかと感じる。

高取英は言う。

 寺山さんはよく私探しの元祖とか誤解されるんですよ。私探しの人とい
 うよりは、「私」 なんかないんだと 「私」 は解体した方がいいと言った人
 です。(p.108)

そして、

 『星の王子さま』でもラストで屋台が崩れて、点子ちゃんというヒロイ
 ンが現実であるかのようにモノローグをする。この手法が寺山さんは大
 好きで、『青ひげ』でももう一度やっていて、舞台が崩壊した中でヒロ
 インがモノローグを現実に語りつづける。(p.109)

「私探し」 とか、昔流行した自分の 「ルーツ」 とは何かとか、そうした卑俗なものへのシンパシィやセンチメンタリズムは、寺山修司には一見存在するように見えて、実は無いのだと私も思う。センチメンタリズムを標榜しているからといってセンチメンタリストとは限らない。寺山の演劇における『星の王子さま』でも『青ひげ』でも舞台が崩壊して、演劇が現実と同一線上になっても継続するというその手法は、演劇というシステム自体の崩壊を意味していて、それは 「私」 を敷衍させた無名の人々であり、芝居を演じていたはずの人々はいつの間にか現実の人々になってしまう。
寺山の夢想する 「私」 は、たとえば 「がんばった私をほめてあげたい」 というような 「私」 とは最も遠い地点にいる 「私」 である。

 だから寺山さんは芝居が終わった後にカーテンコールをするのを嫌がっ
 た。(p.109)

というのも当然であり、寺山はそうしたメソッドの演劇を目指していたのではなかったということがわかる。「子どもだまし」 「機械仕掛けマニア」 といった批評は的外れであり、なぜならそれらはメタファーであり、それ自体の真贋、優劣を意図していないからだ。能舞台に出てくる作り物を、リアリティが無いと言って貶す人がどこにいるだろうか。

安藤礼二の寺山と唐十郎の比較も面白い。

 ただ寺山さんは非常に頭脳的な人で、唐さんは肉体的な人だと捉えられ
 ている向きがあります。しかしその理解はまったく逆なのかもしれない。
 唐さんの方が論理的、知的であり、寺山さんのほうがより偶然に開かれ
 ている。(p.111)

唐十郎や野田秀樹の戯曲が、戯曲という形態として確立されているのだとするのならば、寺山の戯曲は単なるレシピに過ぎない。レシピだからどんな料理人にも提供され得るのだが、肝心な部分を寺山は書いていない。だから永遠に不完全なのである。
one and onlyな点で、寺山とアストル・ピアソラは似ている。誰でもトレースできるが、トレースしたものはすべてイミテーションでしかない。何かが欠けているのである。お役所の書類のように、コピーすると 「これはコピーです」 という文字が浮き出てしまう。

その他にも私が今まで知らなかったことが語られていて興味深い。
高取によれば、寺山は沼正三の『家畜人ヤプー』をそれが連載されている頃から高く評価していたという。また、団鬼六を評価していて、彼の紹介で新高恵子が天井桟敷に来たことなど。(p.112)
安藤は、中井英夫の働きについて述べる。折口信夫の最後の短歌があり、そして寺山の最初の短歌があり、これらを取り上げたのが短歌雑誌の編集者であった中井だったこと。そして折口の小説『身毒丸』と寺山の戯曲『身毒丸』は重なる (身毒丸は俊徳丸伝説がその元であり、謡曲の『弱法師』、説教節の『しんとく丸』はそこから派生したものである)。ただ、寺山の『身毒丸』は主人公が柳田國夫になっていて、これは折口と柳田がごっちゃになっていたのかもしれない、ということだが、わざとしたのだと思えなくもない (似た人をわざと間違えるのも諧謔の一手法である)。そして、折口、柳田と最も親交のあった泉鏡花の『草迷宮』へと寺山の作品がつながる (p.115)。
1953年晩夏に折口信夫が亡くなり、1954年末に寺山修司がデビュー。そして中井の『虚無への供物』の連載が開始されたのが1955年だとのこと。連載されたのはゲイの同人誌『アドニス』なのだそうである。登場人物の氷沼藍司に、安藤は寺山との相似性を見る (尚、安藤礼二は折口信夫のオーソリティである)。

足立正生が映画『椀』を撮った頃のこと。山野浩一は『デルタ』を撮り、二人の作品がTVで学生映画として紹介されたとき、批評家として出演していたのが松本俊夫と寺山修司だったこと。山野浩一の原点というのを今まで知らないでいたので納得した。

そしてこのムックの中で最も私の心に突き刺さったのは橋本治である。河出文庫の『書を捨てよ、町へ出よう』の解説として1993年に書かれたものである。
言葉は何度もリフレインして、そして鋭い。解説であるようでいて、解説でない。あまりにすご過ぎるので全文を引用したいところだがそれはアンフェアであり、思考の放棄でしかないので思いとどまることにする。

 寺山修司は、日本の近代文学の外にいた。(p.132)

 寺山修司は、紛れもなく詩人である。

 だから理性とは、普通、「肉体に由来する混乱を排除する力」 だと解され
 ている。理性する哲学者にとって肉体は邪魔で、人間の論理は肉体の論
 理を排除することによって完成され、そのように完成させられた論理は、
 常にそこからの逸脱を渇仰する方向にしか動かない。(p.133)

この、精神と肉体との比較は、先にあげた安藤礼二の寺山と唐の本質の比較に通底する思考である。特に演劇において、というか舞台芸術において、肉体と精神をどのようにコントロールするのかは最も重要な課題である。

 寺山修司とは肉体を持った青年で、詩とは、肉体からしか生まれて来な
 い言葉の論理である。(p.133)

橋本は、寺山が詩人として発した言葉にはそれを発する肉体が伴っているから詩なのであり、それは書斎から発せられる、文学が文学であるというだけの 「正統日本近代文学」 の言葉とは異なっているのだ、だから理解ができないのだとする。正統というのはもちろん皮肉であり揶揄である。そして既存の詩人についての疑問を提出する。

 寺山修司の文章は、すべて詩人の文章である。だがしかし、「詩人」 と
 いう肩書を持った者の文章の中から詩が聞こえてくるということは、稀
 でもある。寺山修司の文章は、しかしそれとは違って、明らかに詩であ
 る。何故そうなるのかというと、それは寺山修司が、言葉と言葉のつな
 ぎ目を接続詞でつながなかったからだ。(p.134)

何という比喩であろうか。このめちゃくちゃさが、めちゃくちゃカッコイイ。でも橋本はきっと、どこがめちゃくちゃなんだ? と言うだろうが。
橋本は、寺山の美学をひとりの少女の美についてを例にとって語る。少女は美しいけれど、同時に美しくない。「ドラマとは、美しい少女が所詮ただの一人の少女に過ぎないという発見をする」 ことなのだという。このシュレディンガーの猫的な形容の果てに橋本は決めゼリフを放つ。

 寺山修司は、肉体を排斥する理性の産物である書を 「捨てよ」 と言った。
 そして、肉体が肉体のままで存在しうる場である筈の町へ 「出よう」 と
 言った。そう言った瞬間、そこには 「それを言う書」 があった。そして
 町は 「それを言わない書」 に侵された人間達で一杯になっていた。だか
 ら今ここで言う ―― 「この書を持ちて その町を捨てよ」 と。(p.135)

「書を捨てよ」 というためには、そもそも書がなければならない。でも最初から捨てるべき書がそもそもないのではないか。それが橋本の提示する問いである。かつて町は、書を捨ててまで出かけて行くことに魅力のある場所であったのかもしれない。しかし今、そうした町は幻想なのかもしれない。いや、幻想なのだと橋本は断言しているのだ。これは橋本らしいアイロニーである。書と町は並列して比べられるものではない。しかし今、このたった1冊の書のほうが、町よりも有益であるのかもしれない。それは町の退廃であり、そして腐敗である。寺山の描く町はもはや書の中にしか存在しない。それほどにこの町は爛れてしまったのだ。それが橋本の遺言のように私にまとわりつく。


文藝別冊 総特集 寺山修司 増補新版 (河出書房新社)
総特集 寺山修司 増補新版 (文藝別冊)




寺山修司/書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)
書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

nice!(85)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 85

コメント 4

うりくま

前々回の野田さんのエッセイに関する御記事と
共に、とても興味深く拝読させて頂きました。
自分が持っているのは2003年発行の文藝別冊
で、増補版が出版された事を知りませんでした。
>「刑事の証拠集め」!まさにそんな感じです
ね。証言が正しいかどうかはともかく、関わり
の深かった人の話を集めてみました、というか。
生前の寺山には何をやらかすかわからない危ない
人という印象があり、活動の多彩さ、エネルギー、
求心力、影響力の大きさ等は、亡くなられてから
安心して語れるようになった所もあるのかと。

橋本治氏の文章は突出していて、解説というより
1つの作品のようだと感じました。
「言葉と言葉の間から、真実という名の美しい揚羽
の蝶が飛び出してこない文章になんか、なんの意味
もない。」・・さすが作家さんです。
が、その後に続く文章はぼんくらな自分は煙に巻か
れるようで読解できなかったので、御記事を拝読し
理解が深まったように思います(m^^m)。

大学生の頃F・フェリーニの「そして舟は行く」と
寺山の「さらば箱舟」が前後して封切られたのを
見て、共通点のある両者の舟繋がりが面白かったの
を思い出しました。(内容は全然違いますが。)
(※誤字が多かったのでコメントを書き直しました。
 いつも注意が足りず、申し訳ありません。)
by うりくま (2019-07-07 09:33) 

末尾ルコ(アルベール)

> 何人もの語り手から複数の証言を聞き出し

おもしろい試みであることは間違いありませんね。
しかも対象が寺山修司のように巨大な存在であれば、試みが対象へ近づくか、どんどん遠ざかっていくか、その度合いを感じてみるのも愉しいものです。
と言いますか、それはこのお記事を拝読させていただきながら自分の中で明確になったものでして、(なるほど、この種の試みにはそんな楽しみ方があるのか!)と教えていただけた次第です。

> 方法論的にはロベール・ブレッソンを連想させる

おもしろいですね。
わたしはふとピエル・パオロ・パゾリーニを連想しました。
『奇跡の丘』で素人ばかりを使い、それこそ奇跡的傑作を生み、また本国では詩人として知られていたのですよね。
パゾリーニの詩はほとんど目にしたことないので、ぜひ読んでみたいものです。

> 実は無いのだと私も思う。

寺山修司についてはさほど知らないので何とも言えないのですが、「自分探し」という言葉は好きではないです。
高知で文学やっている父の友人の方に町でばったり出くわした時、当時わたしはいろいろあって世間的にはプラプラしている状態でしたが、その人に「自分探ししてるんでしょ」とか言われてがっくり来たことをよ~く覚えてます。
自分の現状をそんな(当時の)流行語的表現でまとめられたということ、そしてずっと文学をやっていたその人が軽々にそんな言葉を使うことにがっくり来ましたね。

> 沼正三の『家畜人ヤプー』

読みましたよ~(笑)。高校時代。
惜しくも現在『ヤプー』、家にないのです。
お好きでしたか?

> 団鬼六を評価していて

わたしも好きでしたよ~(笑)。
でもSM的世界は、ハード路線はあまり好みでなくて、団鬼六がややソフトに日本的羞恥を中心として書いた作品が好きでした。
あくまで「普通の人が陥るSM的世界」が好きであって、タトゥとかふんどしとか出てくると興味を失うのです。
どちらにしても自分でプレイしていたのではありませんよ(笑)。

寺山修司についてはまた後日、コメントさせていただく機会があるかと思います。

・・・

『獄門島』はですね、わたしが読みたかったのも大きいですし、母は温いお話にあまり興味なく、殺人事件とかヴァイオレンスとか、映画でもそのようなものを好みまして、しかも何やらこの作品はいまだ日本ミステリ小説ランキングでよく1位になっているではありませんか。
この際、読んでしまおうというところです。
映画版は観ておりましたが、原作は読んでなかったもので。
以前はよく『本陣殺人事件』が1位になっていたと思いますが、『獄門島』がすごく評価を上げてるんですね。

> 最も有名なデュエットの動画があります。

視聴させていただきました。
確かに呆気にとられますね。
そしてあらゆる意味でゴージャス。
同時に米国音楽界の底の深さも感じます。

> でももっと音楽だけで純粋に気持ちのいいサウンド

確かにそうですね。
わたしもムード音楽的なものは馬鹿にしているところがありました。
しかし考えてみれば、かつて人口に膾炙した映画音楽の名曲も、多くはムード音楽的な要素がありますよね。
そういうものでわたしもいまだ涙腺を緩ませておりますから、スッと心に入ってくる音楽や、リラックスさせてくれる音楽などもしっかり聴き、時に賛辞を贈るべきなのでしょうね。

> その前のロシアが最もすぐれていたことは確かです。

そうでしょうね。
逆に、「今のロシアの文化は?」と問われても、もちろんいろいろあるのでしょうが、すぐには出てきません。
バレエのレベルはもちろん高いですが、新しいものがどんどん出てきているわけではありませんし、映画もどうもハリウッドもどきをよく見かけるんです。

> そしてこのへんがまさにアメリカの黄金時代という気がします。

そうなのですね~。
またいろいろじっくり聴いてみます。
やはり10代ではその辺りのことを理解して愉しむのは、少なくともわたしには難しかったです。
デビー・ブーンに入れ上げていた割には、パット・ブーンを聴こうとは思わなかったし。
もちろん当時は自覚的かつ能動的に音楽を聴くにはレコードを買う必要があって、僅かな手持ちのお金の中で選びに選んで買ってましたから、なかなかシナトラとかキング・コールとかまでは辿り着きませんでした。
オリビア・ニュートン・ジョンのLPは3枚ほど持っておりましたが(笑)。

> 歌詞がきれいに発音されていて美しいです。

つくづくそう感じます。
よい歌詞を力のある歌い手がしっかりした発音で歌うと、自然と心まで届いてくるんですよね。
そのような歌い方が「古臭い」と見做された時代があって、しかし今後はまた再評価されていくのだと思います。
本物は残るべきだし、後の世代が残るように頑張らなばなりませんよね。

> 現実にそういう寺山監修ものがかなり売れたのだそうです。

セールス的にも極めてタフな芸術家だったのですね。
「清濁併せ持つ」という表現がとてもしっくり来る感もあります。
わたし以前からついつい三島派なのですが、寺山の仕事ももっといろいろ知りたくなりました。

> 作者本人ではないのです。

そのようなお話をうかがうと、クラシック音楽がさらにミステリアスにして魅惑的なものに感じてきます。
いつも思うのですが、例えばショパン本人の演奏を聴いた人たちって凄いですよね。
どんな風に見えたでしょうね。
本物が弾いている姿は、それこそオルフェウスの顕現のように感じはしなかったかと、想像します。
ランボー本人の朗読とか、そりゃあこの世のものとは思えなかったでしょうね。

> 大坂なおみはコーチを変えなければよかったとすでに喧しいですね。(^^)

現在世界トップの一人ですから(ランキングは少し落ちましたが、これは誰しもあることです)、成績が落ちた時の批判は甘んじて受けねばならないところはありますね。
ただそれ以前に、テニスの世界でトップにいるという凄さを日本のメディアも多くの日本人もまだまだ理解してないです。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-07-07 14:27) 

lequiche

>> うりくま様

文藝別冊2003年版をお持ちとは素晴らしいです!
と書こうと思ったのですが、
書架を探してみたらウチにもありました。(^^;)
文藝別冊は下記3冊です。
 寺山修司 (2003)
 寺山修司の時代 (2009)
 寺山修司 [増補新版] (2019)
ということは買ったとき、よく読んでいなかったか、
それとも忘れちゃったのか、です。
較べてみましたが2003年版のほうが良い部分もあります。

> 生前の寺山には何をやらかすかわからない危ない
> 人という印象があり

あぁなるほど、確かにそうですね。
タモリがよく真似をしていましたけれど、
それ自体、今から見るとトンガッていました。

橋本治はこれ自体が一種の散文詩のように思えます。
揚羽蝶の部分は何かの本歌取りのような気がするのですが、
それが何だったか思い出せません。
橋本は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』という
秀逸な少女マンガ論を書き、
それについても私はこのブログにも書きましたが、
それ以後、彼は少女マンガを捨てました。
もう少女マンガについて書くことはない、
ということだったのだそうです。

フェリーニと寺山、確かに両方とも船ですね。
でも撮影は寺山のほうが少し早いようですから、
たまたまだとは思いますが。
《そして船は行く》は観たような記憶だけはありますが、
どんな映画だったか全然覚えていません。
フェリーニという監督がどういう人か、
まだ私が知らなかった頃ですので。
今、ちょっとYouTubeで観てみましたが
美しい映像でした。やっぱり観ていないのかなぁ……。

《さらば箱舟》はもともとは《百年の孤独》だったのですが、
ガルシア=マルケスからクレームがついて
改題されたんですよね。
ファッションブランドにもガルシアマルケスというのがあって
そこも確かブランド名が変わったのを記憶しています。
高橋尚子さんがお好きだったブランドです。
by lequiche (2019-07-08 01:32) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

近づいているようでもあり、遠ざかっているようでもある、
という印象があります。
でも、「身近にいた誰々さんの言葉がないからダメ」、
というような見方を私は採りません。
近くにいた人が必ずしもその人をわかっているとは
限らないからです。

パゾリーニは重要な映画監督ですが、
私は全く知りませんので何とも言えません。
どうしてもそのスキャンダラスな死を考えてしまいます。

「自分探し」 のような流行語はそのときはいいですが、
色褪せるの早いと思います。
当てはめやすい言葉だから流行語なのです。
でも使った人は使ったことさえ覚えていないのでしょう。

『家畜人ヤプー』の最初の版は活字が緑で、
とても読みにくかったのを覚えています。
私も誰かに借りて読みました。
『ある夢想家の手帖から』は持っています。
wikiでは太田出版となっていますがこれは再出版で、
最初の版は都市出版社の3巻本のはずです。

団鬼六は一度読んだことがありますが、
この人の文章は構造がしっかりしていて
小説作法の見本のような書き方をしていますね。
試験問題用に好適な文章のように思いました。(^^)

『獄門島』とは、そういう作品なんですか。
私は『本陣殺人事件』しか読んでいないので
横溝はほとんど知りません。
どの作品もタイトルがカッコイイですね。
でも『蝶々殺人事件』というタイトルがありますが、
ヴァン・ダインの『甲虫殺人事件』を連想させます。
「神の矢」 はエラリー・クイーンの 「神の灯」 を連想させます。
どちらも内容的には関係ないと思いますが。

コール親娘のデュエット、どういうふうに音を合わせているのか
よくわかりませんがすごい技術ですね。
それに、まさにゴージャスで音楽ビジネスという感じがします。

音楽はやさしく聞こえるから演奏も構造もやさしいか、
というと必ずしもそうではないときがあります。
そこが面白いんです。

ロシアのバレエのレヴェルは高いかも知れませんが、
それはロシア帝国の遺産がいまだにあるからだと感じます。
音楽でも同じです。皆、遺産のような気がします。
KGBの人が宰相である限り、遺産はそのうち食い尽くされます。

アメリカのこの当時のスタンダード・ナンバーは
必ずジャズとの関連性がありますが、
なにより商業音楽でありながら非常に高いクォリティがありました。
今もそうしたシステムは残っていますが、
メロディそのもののクォリティがないように思います。
そして曲だけでなく、それをどのように音にするか、
それが歌手や演奏家の仕事なわけで、
そういう面が一番噛み合っていたのがこの時代だったのです。

寺山は三島由紀夫と違って、
常にフェイクの様相を帯びていました。
それは今に至るまで変わっていません。
橋本治が 「寺山修司は、日本の近代文学の外にいた」
というのはまさにそのことを指しています。
あいつは贋物、パクリ、剽窃、といった視点があり、
それはずっと変わっていないように思います。
寺山は日本の正統的文学の系列の中に
入れられてしまってはいけないのかもしれません。

ショパン本人とかパガニーニ本人とか、
果たしてどういう演奏だったのでしょうね。
私はあまり期待できないのではないか、
という仮説を持っています。
テクニックとは常に進歩して行くもので、
それから逆算すると、う~ん、だと思うのですが。
ランボーとは違うのではないかと思います。
もっともランボーもダメダメだったという可能性も
全く捨てきれません。

日本のメディアは短絡的ですから。
この前の100m走の大騒ぎのときもよくわかりました。
by lequiche (2019-07-08 01:33) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。