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Sangre Flamenco ー マニタス・デ・プラタ [音楽]

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Manitas de Plata (independent.co.ukより)

エリック・ドルフィーの後年見出されたライヴ盤にウプサラ・コンサートという録音があるが、ウプサラとはスウェーデンの街の名前であり、長い歴史を持つウプサラ大学がある。そしてイングマール・ベルィマンはこの街の出身である。実は今日、トリッキーとも思える造形のストランドバーグを見る機会があって、ストランドバーグもウプサラに本社があることを思い出した。クラヴィアDMIもストランドバーグも、そのユニークさがスウェーデンという国を象徴しているように思える。

だが今日書こうとしているのはそうしたメカニックさとは対極の音楽のことである。それはマニタス・デ・プラタのことである。
フラメンコのギタリスト、マニタス・デ・プラタ (Manitas de Plata, 1921−2014) について私は多くのことを知らない。だがその名前は呪文のようにずっと以前から存在していたような気がする。何枚かレコードを見たこともあったが、その頃、私はまだ若過ぎてレコードを購入するだけのお金がなかった。
さらに後になって、何かの機会に《ジプシーは空に消える》という映画を観た。これはマニタスとは直接関係はない。ただロマについて、なんとなく気になっていた時期があって、この映画を観てみたら? と言ってくれた人もいたので、何かヒントになるのではと思ったのだが、私にとってはなんだかよくわからない映画だった。あまりにも知識がなさ過ぎたのだろう。それは普通の映画館での上映ではなくて、たまたまそういう映画をやるという企画を聞いて出かけたのだが、映画の内容も、それをどこで観たのかも忘れてしまった。

それからもっとしばらくして、ジプシーキングスというグループの音楽が評判になった。その頃、ワールドミュージックという括りで、いかにもノスタルジックでプリミティヴな音楽が流行ったときがあって、その一環として出現してきた音楽だったと思う。だが私にとってジプシーキングスの音は、一時、東京の駅頭で繰り返し演奏されていた集客目当て (つまりご祝儀目当て) のフォルクローレの演奏に似ていて、これって純粋な音楽とはちょっと違うのではないかというような違和感があった。
ジプシーキングスのメンバーがマニタスの子どもや親戚によって構成されていたということは知らなかった。ただ、もしそうだとしても、私の印象はそんなに変わらなかったような気がする。他にもワールドミュージックというすごくルーズで曖昧で大きな括りの中で、いろいろな泡沫的グループも存在していて、具体的にどんなのかさえ忘れてしまったが、イントロだけ特殊な民族的テイストの旋法を使って、曲に入ってしまうと純粋西洋ポップスみたいな付け焼き刃的ワールドミュージックもあって、そうしたシーンから、私はむしろ離れようとしていたのかもしれない。

もう少し経ってからCDとなって発売されていたマニタス・デ・プラタを何枚か買った。それはConnoisseur Societyから出されていた再発盤で、でもそのCDは行方不明だし、何と何を買ったのかも覚えていない。《No2 aux saintes maries de la mer》だけジャケットの記憶がある程度だ。つまりその時点でも私にとって、彼の音楽はあまりピンと来なかったのではないかと思う。

今、彼の演奏を聴いてみるとそうした昔よりは理解が深まっているような気がする。あくまで気がするだけなのであって、もしかするとそうではないのかもしれない。たとえば〈Por el camino de Ronda〉という曲。マニタスが若かった頃、彼の演奏をコクトーやピカソが激賞したとかいう話はあまり、というか、ほとんどどうでもいい話に過ぎない。下にリンクした〈Por el camino de Ronda〉はある程度年齢を経てからの演奏だが、ヘヴィーでやや雑とも思える演奏の中にプリミティヴなフラメンコの心が宿る。ロンダとはスペインのアンダルシア州の町の名前である。それが本来の、精製されていない色合いのフラメンコなのではないかと思う。
さらに後年、フラメンコというと名前のあがるのがパコ・デ・ルシアであるが、彼の演奏はリズムのキープもしっかりとしているし、そのテクニックについてはいうまでもなく、そしてジャズ畑との人たちと交流したプレイもあって、そうした演奏と較べてしまうと、すでにマニタスの音楽は古いのかもしれない。でも音楽とはそのようにしてテクニックとかリズムだけが絶対の尺度なのではない。

ギターテクニックだけを見れば、私のかつてのアイドル、トミー・エマニュエルの奏法は、人によってはワイルド過ぎると感じるのかもしれない。だがそれは計算されたワイルド感であって、より現代的であり、マニタスから感じるワイルド感の源泉であるプリミティヴな情感とはかなり違う。マニタスから感じるプリミティヴさは、土俗的であり、伝統的西洋音楽の持つ正統性やその整合性と無縁なところで成立していた音楽なのだと思う。
近くのホームセンターの売り場に、小泉文夫の監修 (だったと思う) した世界の民族音楽のCDが捨て値で並んでいてそれを買ったことがあるが、それらの音楽のクォリティはさまざまであり、単純に比較することはできない。テクニックが無いからプアな音楽であるとは限らないのである。
というようなことを最近考えていたということに過ぎないのだが、これは一種の独り言なのに違いない。ストランドバーグの造形を見ながら、私の意識は同時に、使い込まれた傷だらけのマニタスのギターを幻視していたように思う。


Manitas de Plata/Por el camino de Ronda
https://www.youtube.com/watch?v=Eex1aqbfP08

Gipsy Kings/Bamboléo (Live US Tour '90)
https://www.youtube.com/watch?v=659fYhZcmKk

Tommy Emmanuel/Tall Fiddler | Songs
https://www.youtube.com/watch?v=XCmXbH5X3Ys

Paco De Lucia/Flamenco - Alegrias
https://www.youtube.com/watch?v=jGfx_e4Dhk8
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末尾ルコ(アルベール)

ウプサラっていいですよね。
こういう古いヨーロッパの都市名は何ともグッと来るものがあります。
あとライデンとかもわたしの心を掻き乱します(笑)。
アラン・ポウの作品にライデンが出て来たと思いますが、いたくイマジネーションを刺激されました。
エマニュエル・スウエデンボリはウプサラ大学だったと思います。
ユトレヒトとかキエフとかもいいですね~。
欧州以外でも、サマルカンドとかイスファハーンとかダマスカスとか、大好きな地名です。
ダマスカスやバグダッドが現在のような状況であるのは残念なことです。

Manitas de Plataについては知りませんでしたが、まず音色が綺麗だなと感じました。
それと顔がいいですね。
このような面構え、大好きです。
余談ですが、ファルフ・ルジマートフというバレエダンサー、現在ではかなりの年齢となっておりますが、若き日から中年以降まで、日本の女性バレエファンの間で圧倒的人気があって、それはバレエファンの間では老若男女問わない人気でした。
「美しく、異常なまでにセクシー」と言われてました。
ところがある日(笑)、20代の知人女性にルジマートフの写真を見せたら、「こんな爺さんのどこがいいんですか?」とか言うんです(笑)。
確かにルジマートフは鷲鼻で非常に濃い顔立ちですが、バレエファンの間で髪のように崇められているこのダンサーを「爺さん」とは。
もちろんルジマートフが若き日の写真です。
日本人には日本人独特の美的感覚があっていいけれど、昨今の若手人気俳優なんかを見てみても、非常に一元化しているのかなとは思います。
Manitas de Plataとルジマートフの顔立ちが少し似ているからこんな連想をしてしまいました。

ジプシーキングスについてはわたしも同じような印象でした。
まあしっかり聴き込んではいないので軽々なことは言えませんが、いかにも「商品」っぽい印象でしたね。

> プリミティヴなフラメンコの心が宿る

本物のフラメンコって、確かに心に刺さってきます。
日本の一部民謡と共通するものを感じますが、新たなファンを獲得していくにはソフィスティケートも必要なのでしょうかね。
一時カルロス・サウラの映画が好きで、『カルメン』とかよかったです~。
でももちろんその音楽やダンスは本来のフラメンコからすればかなりソフィスティケートされたもので、その辺りをどう考えるかでしょうね。
カルロス・サウラ作品のラウラ・デル・ソルとか、大好きでした。
「ラウラ・デル・ソル」とか、こちらも名前だけでカッコいいです。
この名前、繰り返し発音したくなります(笑)。
最近の女優で言えば、「アナ・デ・アルマス」とか、音がいいですね、この人は顔もいいけれど(笑)。

> 世界の民族音楽のCDが捨て値で並んでいて

こういう中から凄い掘り出し物があるのでは・・・と、そんな想像はずっと持っていたいものです。

・・・

『サウンドストリート』の遠藤ミチロウは放送時に聴いておりました(笑)。
だから「ジャックス」の名前に記憶があったんでしょうね。
それにしてもベルベット・アンダーグラウンドとは凄い評価ですね。
よもやその場のノリで適当なことを言ったわけではないと思いますが(笑)、ジャックスも今後いろいろ聴けるものは聴いていきたいと思います。

歌詞というのはどうなんでしょう、普通はまず「歌の言葉」として耳に入って来ますよね。
ただ、聴くだけでは何を歌っているのか分からないこともあり、時に聴き取れない言葉も珍しくありません。
やはり文字になったものを吟味する時間が必要なものでしょうか。

最近『この道』という北原白秋(大森南朋演じる)を題材にした映画を観ましたが、さほど素晴らしい内容ではなかったけれど(笑)、「歌詞」というものを考える上で、それなりのインスピレーションはもらえたと思います。    RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-02-01 17:53) 

johncomeback

明日「オッサン一人旅Ⅲ」スタートします。
ご覧いただけたら幸いです(^▽^)/

https://blog.ss-blog.jp/_pages/user/auth/article/index?blog_name=johncomeback3-3&id=111469998

by johncomeback (2020-02-02 20:03) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

土地の名前というのは単純にエキゾチックとか
ノスタルジックな情感というだけでなく、
その土地その土地の言葉の音韻から発せられる何かがありますね。
まさにビュトールが Le Génie du lieu と名付けたような
その土地特有のいわゆる磁場のようなものがあるのではないか
と思います。

ファルフ・ルジマートフは知りませんでしたが、
画像を見ますと、確かに骨格が似ているかもしれません。
マニタス・デ・プラタはもともとはロマ、つまりジプシーであり、
定住者とwanderer、つまりvagabondでもいいのですが
そうした人々は大変な生活をしているのにもかかわらず
青春のある時期にはそうした流浪の民みたいなのに憧れる
ということがあると思うのです。私はそうでした。
それは単なるセンチメンタリズムに過ぎないのかもしれません。
そうした頃に私はマニタスの名前を知りました。
ですから若気の至りみたいな恥ずかしさも当然あります。
音楽よりも先にマニタス・デ・プラタという名前が
まず先に存在していたような気がします。

日本の俳優のことについてもよくわかりませんが、
その時代の流行というのはやはりありますから、
そのうちにまた変化していくのではないでしょうか。

ジプシーキングスについては今回、
YouTubeなどで改めて聴いてみたのですが、
以前よりは内容的に把握はできましたけれど、
でもこれで感動できるのかというとちょっと微妙です。
つまりファーストインプレッションというのはやはり大事で、
私のその当時の感覚は間違っていなかったと思います。
というか、一時のワールドミュージックの流行というのは
エキゾチシズムさえあればなんでもいいみたいな
かなりアバウトなものだったのではないかと思います。
今でもCDショップのワールドミュージックの分類の中に
シャンソンやカンツォーネが入っているのが良い例です。

カルロス・サウラもラウラ・デル・ソルも
寡聞にしてほとんど知らないのですが、
カルロス・サウラは大監督ですよね。
ガルシア・ロルカの Bodas de sangre を映画化したのには
興味があります。

小泉文夫のCDというのは、
その元の音源というのが不明なのですが、
wikiによればCD70枚となっていますけれど
それ全部が揃っていたわけではなく、つまり売れ残りなのです。
でも興味深い録音も数多くありました。
こうしたフィールドワークというのに対しての私の憧憬は
ロマへのシンパシーなどと重なる部分があると思うのです。
つまり私の音楽に対する興味のコアな部分には
小泉文夫とバルトークというのがあるのです。

サウンドストリート、お聴きになっていたんですか。
さすがです。
ジャックスとヴェルヴェッツというのは
渋谷陽一が適当なことを言ったというわけではないでしょう。
ただ比喩としての適切なバンドがなかったから、
とも言えますが、
でもヴェルヴェッツというのはそんなに外れていません。
私はルー・リードも体系的に聴いたのですが、
ヴェルヴェッツとルー・リードはやはり違いますし、
それはウォーホルの影響というのもありますが
バンドとしてのヴェルヴェッツといういわゆるユニットに
何かプラスアルファがあったのではないかと思います。
ジャックスの後期にはつのだ☆ひろがメンバーなのですが、
この時期のテンションというのはまた違っていて、
それはおそらく、つのだによって生じたもので、
早川義夫にとって、つのだ☆ひろの存在はどうだったのか
ということにも興味があるのです。

歌詞というのはむずかしいです。
それに私は元々そんなに歌詞というのを聴いていません。
でも最近はそれではいけないなと思ってきて、
ただあくまでも歌詞だけでなく、
それらの言葉が音楽に乗ったときにどうなるのか
というのが大切なのではないかと思います。
by lequiche (2020-02-03 02:22) 

lequiche

>> johncomeback 様

IIIなのですね。
また新たなフィールド、
新たな記事でがんばってください。(^^)
by lequiche (2020-02-03 02:23) 

NO14Ruggerman

私はジプシーキングスと言えば、キリン端麗・生よりも
ついタモリ倶楽部を連想してしまいますw
by NO14Ruggerman (2020-02-05 00:52) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

タモリ倶楽部、そうなんですか?
早速検索してみました。これなんかそうですね。

https://www.youtube.com/watch?v=tS0R_n1WJHM
の3:30あたりから。
笑えます。(^^)
by lequiche (2020-02-05 15:02) 

kome

小泉文夫さんの「世界の民族音楽(だったかな)」というFMラジオの番組聞いていました。
著書もよく読んでいましたが、この頃は本屋さんにも図書館でも見かけないです。
多少の影響で、民族楽器持っています。
by kome (2020-02-09 18:05) 

lequiche

>> kome 様

コメントありがとうございます。
FM番組をお聞きになっていたんですか。
どんな内容だったのかとても興味があります。
さすがに少し昔の人ですし、内容的にも特殊ですから、
あまり需要はないのかもしれません。
『日本伝統音楽の研究』は何度も読み返しました。
いまだに色褪せてはいない内容だと思います。
by lequiche (2020-02-09 18:56) 

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