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大村憲司を聴く [音楽]

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大村憲司 (KENJI OMURA best live tracksより)

ソニーミュージックから大貫妙子のアルバムが次々にアナログで再発されているが、大貫はそれについて、アナログで録音された音はアナログで再生すべきだと言っていた。そうした意向でこのアナログ盤再発が継続されているのに違いないと思う。

1987年のアルバム《A Slice of Life》は私にとって特別な作品で、それは大村憲司の全面プロデュースによるところが大きい。スプートニクスに代表されるような当時のエレキサウンド的な深いリヴァーブの中のギターサウンドはその時点ですでにアナクロな雰囲気があり、郷愁の対象のような佇まいを持っていた。そのことはすでに以前の記事に書いた (→2014年08月19日ブログ)。最初の曲〈あなたに似た人〉からリヴァーブ全開である。

YouTubeを見ていたらその大村憲司と石田長生によるKnockin’on Heaven’s Doorの映像を見つけた。1996年の演奏だが、大村はその2年後に亡くなる。大村はなぜこの曲を選んだのだろうか。自分の未来を予感したようにというような形容はあまりに陳腐で、そのような記述も多くみられるがそれは違うと私は思う。何よりもクラプトンカラーの黒のストラトから奏でられる音が強い。
そしてそれから10年後、Charと石田長生による同じ曲の演奏が同じ場所で行われた映像も初めて観た。Charのギターに胸が詰まる。そしてこの時は元気だった石田長生もすでにこの世にはいない。

大村憲司はYMOのワールドツアーでサポート・ギタリストをつとめ、その後、数々のセッションに参加している。だが、そうした彼のギターの原点がヴェンチャーズなどのいわゆるエレキブームから発していたことはちょっと意外で、でもそうなのかもしれないとは思う。そうした懐旧イヴェントに参加した映像も以前にリンクしたが、また同じものをリンクしておく。萩原健太の司会によるこのイヴェントの映像は以前ほどYouTubeに残っていないが、全体的なレヴェルは高い。そしてこのイヴェントは1997年、つまり大村の亡くなる前年なのだ。
〈Surf Rider〉はもともとはin Spece系の曲だったらしいが、タイトルを変えてサーフィン曲としたことにより、独特の哀愁を生み出した名曲である。大村憲司はジャズマスターでかなり忠実にコピーをしていて、だが今回、オリジナルを聴いてみたらやはりノーキー・エドワーズの音はすごい。アタック感が違う。この時期はフェンダーかそれともモズライトか、という境界線上の頃だと私は以前に書いたが、だからジャズマスターという選択でいいのかと思っていたのだが、今聴くとこの音はやはりモズライトだと思う。
ちなみにこの時期のヴェンチャーズでもっとも好きな演奏は1965年のイギリス・ライヴにおける〈Pedal Pusher〉だと思う。前のめりのリズムとアドリブパートがシンプルだが心地よい。だがこの音源は手に入りにくい。

最後にシュガーベイブの〈いつも通り〉のインストゥルメンタルを聴く。〈いつも通り〉はもちろん、大貫妙子の作曲である。タイトなリズムが快い。そうした時代がすでに過ぎてしまったこと、過ぎてしまった時代はもう還らないことが悲しい。


大貫妙子/A Slice of Life 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=1XIQ3RpZAbM

大村憲司・石田長生/Knockin’on Heaven’s Door
https://www.youtube.com/watch?v=i7Zkz4g2kQA

Char・石田長生/Knockin’on Heaven’s Door
https://www.youtube.com/watch?v=IUrlXTl-WQE

Bob Dylan/Knockin’on Heaven’s Door (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=cCV84dTevX0

大村憲司/サーフライダー、春がいっぱい
1997.09.02《僕らはエレキにしびれてる》
https://www.youtube.com/watch?v=yh5N7BxSyi4

The Ventures/Surf Rider
https://www.youtube.com/watch?v=soUdI9wynm4

The Ventures/Pedal Pusher (live in England, 1965)
https://www.youtube.com/watch?v=GUUt8_b2tVk

MASTER’S BAND/いつも通り
https://www.youtube.com/watch?v=OBIja_v-4xk
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末尾ルコ(アルベール)

諸事情でと言いますか、昨夜早く寝てしまいましたものでこんな時間にコメントさせていただいておりますが、特に大貫妙子はこの時間にとてもいいです。
そして『A Slice of Life』はあまり聴いたことなかったのでとても新鮮です。
と思ってあらためてチェックしてみると、わたし、大貫妙子のアルバムを買ってしっかり聴いていたのって、『クリシェ』で一旦止まってました。
(なるほどな・・・)という感じです。
ここで止まってしまったのは大貫妙子がどうこうではなく、わたし自身の精神状態にいろいろあったからなのですが、だから今『A Slice of Life』を新鮮に聴いているのだと思うとちょっとした感慨があります。
ちょっとお話がずれますが、大貫妙子のトークがけっこう好きでして、とてもバランスのいいお話しぶりが心地いいんです。
もうず~っと前ですが、確かU2に関して、音楽はけっこう好きなようだけれど(←この辺記憶曖昧)、「腕なんか太いし」と、腕の太い男性があまりお好みでない旨語っておりまして、おもしろいなあと感じたことがありました。

大村憲司のプロフィールを見てみると、大貫妙子はもちろん、矢野顕子、YMO、加藤和樹など、よく聴いていたアルバムにかかわっていると、今この瞬間に知りました。
> 自分の未来を予感したようにというような形容

こうした形容を軽々にする御仁、いやですね。
人それぞれの人生をしっかり見つめる努力を放棄している感じです。

> Charのギターに胸が詰まる。

これは本当に素晴らしい。
そしてこちらは日本語で歌われてますね。
実はたまたま現在、日本人が英語で欧米の曲を意味を考えていたところでして、別に何ら結論は出ていないのですが、もちろん大村憲司・石田長生の「Knockin’on Heaven’s Door」もとてもいいのですけれど、日本語の訳詞で歌われるChar・石田長生がまた素晴らしく、「訳詞」に関してももっと考えてみたいなと思いました。

ヴェンチャーズはかつてはまったく守備範囲ではなかったのですが、昨今多くの人たちの話を読んだり聴いたりしていると、かつての自分の守備範囲、そして心の狭さについて想いを馳せてしまいます。

・・・

> 簡単にプリミティヴな霊的場面を作りだすことができる

昨今の日本のハロウィン騒ぎはいかがなものかと思いますが、フランス人の友人が、「そりゃあ普段日本人は自分を出せないから、あの日だけ仮面をつけて違う自分になりたいんだろう」とシンプルに解釈してました。
この解釈はシンプルに過ぎるとは思いますが、仮面をつけることでアッという間に「別人感覚を味わえる」ということも間違ってはおらず、仮面を付ける人に仮面の形態が持つ意味が付託されると同時に、仮面の中の人間性が別の意味を帯びてくるという効果が即席に現出するということが起こっていると考えると、ますます興味が湧いてきます。

> 記録を呼び覚ますための資料と考えたほうがいいです。

なるほどです。
だから舞台を映像で初見するとよく悲劇(笑)となってしまうのですね。
そして、「記録」としての価値はある・・・とても納得させていただけるお話です。
舞台の凄みというのは、映像よりも写真でより強烈に再現できる感がありますが、舞台だけではないですけれど、写真だけだと過剰になってしまう場合も多いですね。
写真では凄いのに、本物は(あれっ?)ということも舞台に限らずありまして、映像も含め、この辺りの兼ね合いもおもしろいです。

> vagabondなどという概念とはおそらく無縁な人で、そうした概念さえ知りません。

海外旅行にしょっちゅう行っている人で、(どうにも、何も見てないな)と感じること、けっこう多いのです。
そんなことも思い出しました。

> プロレタリア演劇と同じで、その芸術本来から逸脱してしまう傾向があります。

あります、あります。
(何のための創造か?)という大きなテーマで、簡単に言えば、不純さを感じざるを得ません。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-02-17 03:14) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

Clichéはごく初期のアルバムですね。
romantique、AVENTURE、Clichéと続く3枚は
初期の傑作だと思いますが、
A SLICE OF LIFE、そしてPURISSIMAという
1987年〜1988年の2枚が私は一番好きです。
PURISSIMAの2曲目、Monochrome & Coloursは
超高難度の曲です。
これ↓がカラオケで歌えたらプロ歌手になれます。(笑)

PURISSIMA
https://www.youtube.com/watch?v=x_UNZu-WGcM
「もっと見る」 でトラックリストを広げれば、
時間表示をクリックすることで各トラックを選択できます。

そのあとのアルバムが問題のNEW MOONですが、
このへんが現在はどのように評価されているのか……
まぁそのあたりについて突き詰めるのは、
今回は大貫さんの話題ではないので。

大貫さんは歌声だけでなく
普通の会話の声もその内容も良いですね。
「そうなんですよ」 という言い方が
「そうなんでしゅよ」 と聞こえるときがあって、
サ行の発音がコケティッシュです。
そして文章も優れています。

大村憲司の音楽歴は〈赤い鳥〉が最初なんですが、
〈赤い鳥〉がどういうグループで
どういう変遷を経たのかは音楽史的にしか知らないので、
やはりYMOからと考えたほうが理解しやすいです。
スタジオミュージシャンおよび
サポートギタリストとして彼は超一流です。
大村憲司のHeaven’s Doorのソロもとても良いのですが、
Charのソロはねぇ〜……この人あらためてすごいな、
と思います。とんでもないギタリストですね。
そして石田長生の歌詞もいいです。
音楽とはまさにそういうことなのだと思うのです。

ヴェンチャーズは長い経歴があるので
後期には単なる懐かしバンドのようになりましたが、
最盛期の音はすごいです。山下達郎も絶賛していました。
その作曲や編曲能力というのもすごいと思います。
ロックでありながらとても口当たりのよいポップスなんです。
これ↓は私の最も好きな曲のひとつです。
Where the Action isというアルバムの収録曲ですが、
1968年にギターでこうした割れた音を出していたのは
他にいないんじゃないかと思います。
ジミヘンの音とは違いますが、ある意味、
それに匹敵した歪ませ方です。
原曲はわかりますよね?(笑)

The Ventures/Nutty (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=gPbhZysWhSY

ああ、ハロウィーン!
その解釈は意外にあたっているのかもしれません。
日本のお祭りなどにおける御神楽というのが
子どもの頃は嫌いだったのですが、
それはお面の意味がよくわからなかったのと
大人たちは 「おかめひょっとこ」 を面白い顔として
捉えているということにあったと思い出すのです。
現実には風化してしまってそうなったのでしょうけれど
その本質は違いますよね。
本質を風化させないで継続してきた最たるものが能面ですが、
能楽には数々の決まりごとがあって、
それが現代ではすでにわかりにくくなっています。
歌舞伎の黒衣も見えないものということになっていますが
最近の若い人はその約束事がわからないかもしれません。
たとえばコンメディア・デラルテでは、
一定のサークルの中が舞台であってその外側は舞台ではない、
でも観客からは見えているのですが、サークルから外れると
役者はお面を外したりとか、水を飲んだり、
ちょっと休んだりしてもよいという決まりです。
観客はその役者を見えないものと認識しているんです。
こういうのはまだ、昔からの決まりごとが生きている証拠です。

演劇は、舞台で行われている演劇を撮影したものより、
演劇が行われているという状態を映画にしたもののほうが
かえってリアリティがあるように思うのです。
ですからアンゲロプロスの最高傑作は
《旅芸人の記録》だと私は思います。
同様のリアリティさは、たとえば《アマデウス》の
オペラなどの場面にもいえて、
舞台というものは演劇でもオペラでも、またバレエでも、
独特の混乱と猥雑さを持っているように感じます。
それを描くのには 「映画の中で行われている演劇」
という設定のようなワクの中の世界のほうが
そうした特質がわかりやすいように思います。

海外に限らずどこに行っても 「何も見ていないな」
という現象を無くすためには、
まずスマホを捨てることですね。(笑)
何でもスマホで撮影しようとして、
頭の中には何も残っていないのが現状ですし、
片手に箸、片手にスマホを持って食事している人は
昔だったら 「お行儀が悪い」 と言われたものですが、
お行儀という言葉は昨今は死語です。
そういうことをしていれば、
そのうちばちが当たるでしょう。あ、これも死語?

プロレタリアートな視線は音楽を曇らせます。
ですからかつてのソヴィエトや現代の北朝鮮のような
そういう国における音楽を私は信じません。
いや逆ですね。そういう音楽をする国を私は信じません。
by lequiche (2020-02-19 04:44) 

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