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YOASOBI〈ハルカ〉 [音楽]

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18日昼のTOKYO FMの鈴木おさむの番組〈JUMP UP MELODIES TOP20〉にYOASOBIが出演していた。新曲〈ハルカ〉のプロモーションである。3時間番組で、もちろんランキングの曲などもかけるのだが (テイラー・スイフト結構いいじゃん! と思ったりして。イントロがスティングのShape of My Heartみたいな雰囲気だ)、YOASOBIの話も十分に聴けて充実した内容だった。

曲について鈴木おさむが 「ミディアムだけど踊りやすい曲」 だと言ったのに対し、Ayaseは 「自分が作っているときから揺れてないと」 と答える。そして 「ゆっくりのバラードでもいい曲なら踊れる」 とも。つまり踊れない曲より踊れる曲が良くて、それを目指しているということ。
いよいよCDが来年初めに発売されるが、ikuraは 「配信で出していても、最終的にはCDとして出したい」 という。配信ってかたちがないものですからねぇ。

〈ハルカ〉について、どういうところにこだわっているかという質問へのAyaseの答えがタネ明かしみたいになっていて、あぁそうなのか、と思う。
「最初のイントロから本チャン・イントロに入るときに逆転調して下にキーが落ちてるんですね。で、そこから1サビで1回、転調して上がっていって、その後、ラス・サビでもう1回、転調したときに最後のキーと一番頭のキーが一緒になる、っていうように作っていて、これがマグカップの視点から、ずっと回想なわけじゃないですか、その割れたときに今までのことを思い出しつづけてきたっていう回想なので、現時点から進んで1回過去に戻るというのを、音で下に下げて、少しずつ階段的に上がって、愛してるよ、のときにキーが一緒になって今に戻る」 というふうに作ったのだそうです (Ayaseが語っている言葉をやや修正してわかりやすくしてあります)。

単純にAyaseらしいいつもの転調というふうに思っていたのですがそんなイージーなものじゃなくて、全体の構造と音とが関連づけられているという、これには鈴木おさむはじめ、皆、うわぁすごい、といっていましたけど、音楽の楽しみとしてこういうのっていいですね。

番組を聴きたいかたはradikoで12月19日24:44まで聴取可能です。興味と時間のあるかたは是非どうぞ。3時間ありますが、上記楽曲解説は最後のほうです。
CDの初回限定盤はオマケが購入店によって、やや異なるみたいです。私はすでに予約済です。
〈ハルカ〉のMVは6時間前に公開されましたが、今の時点で、442,370回視聴になっています。

     *

以下、雑な感想ですが、末尾ルコさんのコメに対するリプライをこのブログ本文にも載せておきます。
〈ハルカ〉はまだ何回か聞き返しただけですが、その構造について簡単に書いてみたものです。

この歌の主人公はマグカップです。
マグカップが電子レンジの中で回っている動画があって、
でも回想ですぐに逆回転して過去へと遡って行く。
それで下に転調するわけです。
電子レンジの回転とテープレコーダーの回転との錯綜
というふうに動画で表現されていると見ていいです。

「いつでも君と共に歩いてきたキセキ」
のキセキは軌跡と奇蹟のダブルミーニングなので
カタカナなんですね。
こんなのすぐわかりますけど、一応押さえておくことに。

「ふりかえれば数え切れない」
で転調しますが、
ここから具体的な過去の話題に入って行きます。

「訪れた
 よろこびの春は」
ではその前のフレーズ「ありがとう」で話題が一段落して、
ここの始まりだけ少し前から、つまりアウフタクトで始まります。
ここも洒落た小技ですね。

そして、次のリフレインがAyase独特の
積み重ねるパターン、一番決め打ちの箇所です。
この重層パターンが出てくると涙腺がゆるみます。
「君のそばにいられること
 君のよろこびは
 ボクのよろこびで
 君の大切が幸せが
 いつまでも君とありますように」

そしてその後に一種のブレイクがあって、
その部分の最後、
「あの日のように笑顔で」
から
「ふりかえればいくつもの」
へと持って行く転調が秀逸。ここもキモですね。
明るさを伴っているのだけれど、実は違うので、
つまりマグカップの死を示しているのです。

全体のテーマはいわば 「無償の愛」 です。
筒井康隆の 「お紺昇天」 に似た感じもあります。
そしてテーマは表面的には無生物の愛なのですが、
それはもちろんメタファーであって、
かなえられない愛の悲しみともなっています。
こういうふうに歌詞を作ってしまえるのって
Ayaseって何てヤツだ、と私は思います。


YOASOBI/THE BOOK (SME)
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YOASOBI/ハルカ
https://www.youtube.com/watch?v=vd3IlOjSUGQ

YOASOBI/群青
https://www.youtube.com/watch?v=Y4nEEZwckuU

taylor swift/willow (official music video)
https://www.youtube.com/watch?v=RsEZmictANA
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(。・_・。)2k

お〜 久しぶりの壱番
めっちゃ嬉しいです

by (。・_・。)2k (2020-12-19 02:47) 

末尾ルコ(アルベール)

今回のようなコンパクトなお記事もいいですね。
リンクしてくださっている動画、視聴させていただきました。
テイラー・スウィフトはこのようにじっくり歌う楽曲がいいですね。世間的には数年前までのハイテンションの曲がウケたのですが、日本ではどうなりますか。
渋谷陽一はもう何年も前からテイラー・スウィフトならば何をやっても大絶賛ではありますが。
もちろん売れようが売れるまいが、表現者の多くは「同じ」でいる状態に飽き足らなくなるのは当然で、変化していく中で以前のファンが去ったり、新たなファンが生まれたりということになるのでしょうね。
ずっと前のシンガーのお話しになりますが、テイラーと同様に米国の歌姫的存在だったリンダ・ロンシュタットが「パンク風」のアルバムを出した時にはわたし自身(あ~あ)と感じたのを記憶しています。

今回のYOASOBIの歌、まだ1回ずつしか聴いてないですが、まず「群青」が素敵な楽曲だなと感じました。「ハルカ」はまだピンと来ていません、もっと聴き込んでみますね。

・・・

この前に紹介くださった「ブルーライト・ヨコハマ」などへの批評なのですが、こうしたものは以前から存在していたのでしょうか。それとも近年になって書かれるようになったのか。
と申しますのも、日本のポピュラー音楽に対する文章って、目につくもののほとんどが「売れた曲の、売れた理由を開設する」というようなもので、要するに後出しじゃんけん、そんなの誰でも書けますし、批評や評論にもなってませんし、結局は商業主義の片棒を担いでるだけに感じます。
売れる・売れないに関わらず楽曲のクオリティを批評、解説するという姿勢は、少なくともポピュラー音楽については昭和の日本ではほとんど見当たらなかった気がします。もちろん探せばあったのかもしれず、わたしが見つけられなかっただけかもしれないですが、それにしても、「探さなくとも見かける」くらいであってほしいですね。まがりなりにも文学や映画は、子供にでも目につくところに批評がありましたから。
それにしても現在は、コアな批評も存在するけれど、まず目につくのがユーザーレヴューだという、実に歪んだ状況があります。

この前、坂崎幸之助と玉井詩織(ももクロ)の『フォーク村』で年末恒例の松本隆特集だったですが、いつもながらおもしろかったです。
特に松本隆が筒美京平と組んだ作品を多く取り上げてまして、よく知られたヒット作品以外にもいろいろ紹介されました。
思えば、松田聖子がブリブリ(笑)アイドルだった時期にアルバムをいくつか購入しましたが、シングルカットされた曲意外におもしろい作品があったです。
松本隆とか筒美京平とか、凄いですね。

「空虚な美しさ」って、何ともいい言葉ですね。
この言葉を心に置いて、特に日本文化を見ると、今までと違った景色に感じられます。
そして逆に言えば、日本において「空虚でない美しさ」「普遍的な美」とはどのようなものだろうかというテーマもまたぞろ浮上してきます。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-12-19 19:16) 

lequiche

>> (。・_・。)2k様

いつもありがとうございます。
私が本を出すときには2kさんの写真を
表紙に使いたいというのが私の願望です。(^^)
by lequiche (2020-12-20 04:59) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

私も〈ハルカ〉は何回か聞き返しただけですが、
その構造を簡単に見てみましょう。

この歌の主人公はマグカップです。
マグカップが電子レンジの中で回っている動画があって、
でも回想ですぐに逆回転して過去へと遡って行く。
それで下に転調するわけです。
電子レンジの回転とテープレコーダーの回転との錯綜
というふうに動画で表現されていると見ていいです。

「いつでも君と共に歩いてきたキセキ」
のキセキは軌跡と奇蹟のダブルミーニングなので
カタカナなんですね。
こんなのすぐわかりますけど、一応押さえておくことに。

「ふりかえれば数え切れない」
で転調しますが、
ここから具体的な過去の話題に入って行きます。

「訪れた
 よろこびの春は」
ではその前のフレーズ「ありがとう」で話題が一段落して、
ここの始まりだけ少し前から、つまりアウフタクトで始まります。
ここも洒落た小技ですね。

そして、次のリフレインがAyase独特の
積み重ねるパターン、一番決め打ちの箇所です。
この重層パターンが出てくると涙腺がゆるみます。
「君のそばにいられること
 君のよろこびは
 ボクのよろこびで
 君の大切が幸せが
 いつまでも君とありますように」

そしてその後に一種のブレイクがあって、
その部分の最後、
「あの日のように笑顔で」
から
「ふりかえればいくつもの」
へと持って行く転調が秀逸。ここもキモですね。
明るさを伴っているのだけれど、実は違うので、
つまりマグカップの死を示しているのです。

全体のテーマはいわば 「無償の愛」 です。
筒井康隆の 「お紺昇天」 に似た感じもあります。
そしてテーマは表面的には無生物の愛なのですが、
それはもちろんメタファーであって、
かなえられない愛の悲しみともなっています。
こういうふうに歌詞を作ってしまえるのって
Ayaseって何てヤツだ、と私は思います。

ということで以上はブログ本文末尾に追加することにします。(^^)

日本のポピュラー音楽に対する批評ですか。
そんなに注視しているわけではないので、
過去にそういう批評があったかどうかはわかりませんが、
でもそれなりにあったのではないかと思います。
たとえば、はっぴいえんどや山下達郎なんかでもそうですが、
ある程度のファンという人たちは確実に存在していて、
だからその時点ではそんなにブレイクしていなくても
持続力が強靱なので無くなることはありません。
それが音楽の力です。

松本隆と筒美京平だと筒美京平のほうが断然先輩ですが、
たしか藤井隆の歌詞を変えるという話題で、
二人の葛藤というか、ちょっと書き換えるのでなく
全部書き直してしまったというエピソードがありましたが
松本隆の意地が見えたりしてそれも面白かったです。
ユーザーレビューとか、読書メーターの類いは
私はほとんど読んだことがないのでよくわかりません。

「空虚な美しさ」 という形容は半分揶揄ですが、
でも全部が揶揄ではないのです。
古びてしまう、あるいはチープであることはダメだけれど
でもまるっきりダメでもない、という意味において
そういう消費財としての音楽もまた音楽なのだと
私は思うのです。
by lequiche (2020-12-20 05:10) 

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