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『ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス』を読みながら [音楽]

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前記事に書いた『ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス』をずっと読んでいた。監修・五十嵐正と記されているが、実際にはほとんどの記事が五十嵐ひとりによって書かれており、読み物としても面白く、資料的価値も高い。これだけ緻密なガイドブックは滅多にない。ジョニ・ミッチェルを深く聴く手引きとして必須の内容の本であると思う。
以下、私が興味を持った箇所を幾つか拾い出してみる。

3枚目のLP《Ladies of the Canyon》の由来について。キャニオンとは1968年から71年までジョニが住んでいたローレル・キャニオンのことで、それはロスアンジェルスのハリウッド・ヒルズにある地区であり、ハリウッドの歓楽街から車で短時間の距離にある自然に恵まれた場所だったのだという。そこには多くのミュージシャンが住んでいた。フランク・ザッパ、ドアーズ、ラヴ、モンキーズ、CSN、ママス&パパス、キャロル・キング、ジミー・ウェッブといった人たち。単に住んでいただけでなく、お互いに交流があって、ボヘミアン的なコミュニティを形成していたのだとのことである。そしてそうした交流の中での中心人物がママス&パパスのママ・キャス・エリオットであり、彼女はローレル・キャニオンのガートルード・スタイン的存在だったのだという。

YouTubeには当時のママ・キャスのTV番組でママ・キャス、ジョニ・ミッチェル、そしてマリー・トラヴァースの3人で歌う動画があるが (→a)、この解説を読んで納得した。マリー・トラヴァースとはもちろんフォーク・グループPP&Mのマリーである (→c)。
ママス&パパスというグループに関しては、いわゆるフォーク・ロックの元祖的存在であるということくらいしか私は知らないが、なぜママ・キャスという名前があちこちで見られるのかという理由がわかってきたように思う。そして最大のヒット曲〈California Dreamin’〉にはその当時の音楽の栄光と悲惨が含まれているように聞こえる (→b. 但しYouTubeで観ることのできるのはエド・サリヴァン・ショーを含めて皆、口パクであり、実際に歌唱している動画は見つけられなかった)。
さかのぼって、まだカナダで暮らしていた頃のジョニを育んだヨークヴィルのフォーク・ミュージックシーンについての話がある。このトロントのヨークヴィル、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー、そしてニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジは当時のカウンター・カルチャーの中心地だったと書かれているが、そうした一種のコミュニティ的な土地の話を聞くたびに、まだ手垢にまみれていない当時の素朴な芸術全般に関する志向を感じる。それは理想郷ともいえるドメーヌであり、しかしそれはもはや幻想でこの地球のどこにも存在しない。

ジョニの4枚目のアルバム《Blue》は1971年のリリースだが、同じ時期に同じA&Mスタジオで録音されリリースされたのがキャロル・キングの2枚目の大ヒットアルバム《Tapestry》(邦題:つづれおり) だという。キャロルはジョニの使っていたスタジオのピアノが好きで、ジョニのいない間にそのピアノで録音をしたのだという。すぐれた作品は満遍なくではなく必ず偏在していて、ある時期に集中して出現するという見本のような2枚である。
そしてテイラー・スウィフトの4枚目のアルバム《Red》(2012) のタイトルは、ジョニの《Blue》への敬意としてつけられたのだとのことである。彼女の最新連作《forklore》(2020)、《evermore》(2021) に対してジョニはどんな反応を示すだろうか、と五十嵐は書いている。

オープン・チューニングに関しての解説も詳しい。デルタ・ブルースにおけるオープン・チューニングは有名だが、ジョニの場合、幼い頃の病気による後遺症のため、左手の力が弱くバレーがおさえられないので、それを補うためにオープン・チューニングという方法をとったのだという。結果としてジョニのオープン・チューニングは彼女のトレードマークのようになってしまった。

アルバム《Hejira》(1976) におけるジャコ・パストリアスとの出会いはジョニにとって運命的なものであった。それまでのベーシストに対する不満をすべて解消してくれたのがジャコだったのだという。
YouTubeで《Shadows and Light》(1980) の動画を観ることができるが、ジョニは本当ならウェザー・リポートをバンドとして使いたかったのにもかかわらず、ジョー・ザヴィヌルがそれを拒否したため、ジャコ・パストリアスにメンバー集めを依頼し、ウェイン・ショーターがダメだったのでマイケル・ブレッカー、そしてまだ若手だったパット・メセニーなど、ジャズ寄りのメンバーで収録されたのがこのアルバムである。このライヴの音は素晴らしいが、その頃からジャコには奇行が見られるようになったのだという。そして悲劇的な最期を迎える。

などなど、私にとっては今まで知らなかったこと満載なのだが、ジョニ・ミッチェルのメディアは意外に入手しにくい。あらためて再発が望まれるものばかりである。


五十嵐正・監修/ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス
(シンコーミュージック)
ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス




Joni Mitchell/Black Crow
https://www.youtube.com/watch?v=4GLJCZ5L2sQ

Joni Mitchell/Coyote
https://www.youtube.com/watch?v=DHQfIwyEVzY

Joni Mitchell All-Stars on Coast to Coast, August 29, 1987
https://www.youtube.com/watch?v=2K01uqCHTrw

Herbie Hancock Nissan Live Set featuring Joni Mitchell, 2008
https://www.youtube.com/watch?v=51EPlK7quiU

-----------------

a) Mama Cass, Mary Travers, Joni Mitchell/I Shall Be Released
https://www.youtube.com/watch?v=sEZFt5ZZj9s

b) The Mamas & The Papas/California Dreamin’
September 24, 1967on the Ed Sullivan Show
https://www.youtube.com/watch?v=tNlwimUxUME

c) Peter, Paul and Mary/Blowing in the Wind
https://www.youtube.com/watch?v=Ld6fAO4idaI
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末尾ルコ(アルベール)

米国のフォークとわたしの人生について想い返してまみましたのですが、子どもの頃からボブ・ディランという名は知ってましたけれど、当時はほとんど聴いたことなかったです。ただボブ・ディランの名は、ガロの曲「学生街の喫茶店」で知ったであろうこと濃厚で、ひょっとしたらその歌を「ディランの歌」だと、なにせ幼かったもので、勘違いしていたかもしれません。
その後、ジョン・デンバーという存在を知りましたが、あの人は結局どういう音楽だったのでしょうか。「カントリー・ロード」という歌は有名ですが、わたしはこの曲をまずオリビア・ニュートン・ジョンで知りました。
その後映画を観るようになって、『グリニッジビレッジの青春』や『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』などの作品によって何となくに過ぎはしませんでしたが、米国のフォークの薫りを感じていました。
『ウディ・ガスリー』は数年前に観返したのですが、なかなかハードな内容でおもしろかったです。それで思い出したんですが、フォークではないですけれど、ホアキン・フェニックスがジョニー・キャッシュを演じた『ウォーク・ザ・ライン』にしても、作品の中に米国の広大な大地や多様な都市の特徴が描かれていて、米国のフォークの根源にあの大地があるのかなと、今思いついたのですけれど(笑)。





> 〈California Dreamin’〉にはその当時の音楽の栄光と悲惨が含まれているように聞こえる。

米国の音楽、そして他の芸術作品にしても、「栄光と悲惨」、あるいはいつもお話させていただいておりますように、「光と影」を極めて色濃く感じます。

ジョ二・ミッチェルのお話、とても興味深く拝読させていただきましたが、ある時期から硬質な都会性が醸し出ている感があります。「米国」とかいう国籍や土地を超越し、普遍的な美を湛えた音楽を生み出し続けてきたと言いますか。
ところでジョ二・ミッチェルにおいては、歌詞がとても重要だと思いますが、わたしはまだじっくり吟味したことないんです。愚問ですけれど、じっくり向き合うとやはりぜんぜん違うのでしょうね。

たまたま最近、ジャコ・パストリアス、ジョ二・ミッチェルとの共演ではないですが、YouTubeで続けて視聴してました。技術的なことはよく分からないけれど、いつ見ても(凄い!)です。本当に大きな才能を早く失ってしまいましたね。

・・・

> 筑摩世界文学大系です。

いいですね~(笑)。俄然手に入れたくなりました。古本屋を含め、いろいろチェックしてみます。

勅使川原三郎&カラスの公演は生で鑑賞しましたが、アドレナリン上がりっ放しの大興奮ステージでした。もう、カッコいい!なんてもんじゃなかったです。
勅使河原はパリ・オペラ座バレエにも作品を提供してますし、柔らかさとスピードを併せ持つ凄い作品を創作しますね。

> 《Let’s Dance》はやっぱりそうだったんですね。

『ロッキング・オン』も今とは雰囲気がまったく違っていて、ライターが気に入らない作品を親の仇のようにボロカスに書いてました。
クイーンなんかも『世界に捧ぐ』あたりから「論外」という扱いでした。
渋谷陽一が口癖のように言っていたフレーズの一つが、評価しない作品に対して「カスみたいな」です。まあわたしもそれに影響を受けてはおりましたけれど(笑)。
結局人間というもの、経験を経ないと分からないものもあるということかなあとも思います。だから若さに任せて主張しまくるのも時にいいことかもしれませんが、(10~20年後は違う見方になるかも)という観点はいつも持っていた方がいいですね。

>天性の才能を持っているように見えます。

そうしてことも意識しながら鑑賞していきたいと思います。
「素人と変わらない」じゃ、つまらないですものね。  RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-02-06 18:47) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

フォーク・ミュージックとは何かということを考えても
よくわからない部分が多いです。
こういうのはSpeakeasyさんのほうが詳しいと思うのですが、
おそらくいわゆる白人フォークの元は
カントリー&ウエスタンから発展してきた音楽であり、
さらにそのルーツは開拓者としてアメリカに渡ってきた人の
本来の故郷の伝統的な音楽なのではないかと思います。
「大草原の小さな家」 的な、あるいはカウボーイのような
アメリカの白人視点から出現してきた音楽のように思えます。

ジョン・デンバーあたりになるとかなり洗練されてきていますから、
カントリーのテイストはあるけれど、ポップスであって、
つまりカントリー・ポップスですね。(笑)
ロックというとどうしてもその根幹にブルースがありますが、
ブルースの影響があまり無いのがカントリーだと思います。
もっともボブ・ディランの場合はブルースの影響もありますし、
昔ながらのカントリーと違ってメッセージ性もありますから、
それもフォークの一形態としてとらえるべきなのでしょう。
では、ママス&パパスとかラヴィン・スプーンフルは
フォークロックなので、ディランもフォーク・ロックかといえば
それはちょっと違うと直観的にわかるので、
明確な規定というのはできないような気がします。

ガロはそもそもCSN&Yのコピーから始まったグループで、
〈学生街の喫茶店〉というのは当時グループサウンズ・ブームがあり
その後に乗っかって、職業作曲家の曲を使って売り出そうとした
という経緯がありますから
〈学生街の喫茶店〉という曲はそもそも何かと言われたら
私は歌謡曲だと思います。
そう断定してしまったらGSの曲はほとんど歌謡曲なんですが、
その認識でも間違いではないような気がします。

ジョニ・ミッチェルは歌詞ももちろん重要ですが、
その存在自体に意味があると思います。
あまり成功とはいえない作品でも聴く価値があります。
これはあくまで個人的感想に過ぎませんが、
ジョニと、あと、デヴィッド・ボウイ、そしてプリンスは
私の中では重要です。

でもロックを含めて音楽雑誌はそれなりの
ポリシーというか偏見があってもそれはそれで
面白いんじゃないかと思います。
逆にすごく高い評価を得ていても、
その作品が必ずしも自分にとって良いかどうかは
未知数であり、必ずしも信用できません。
それで仕方がないんだというのが結論です。
by lequiche (2021-02-07 01:45) 

NO14Ruggerman

ジョニ・ミッチェルはyummyのマスターが強く推している
アーチストですがジャコ・パストリアとつながりが
深かったのですね。
合点がいきました、マスターはベーシストです。
by NO14Ruggerman (2021-02-07 13:25) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

そうなんですか。ベーシストとは知りませんでした。
yummy、たまには行きたいですね。
ジャコ・パストリアスだけでなく、
この当時のジョニ・ミッチェルのバックは素晴らしいです。
アルバム《Mingus》ではジャコの他に
ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、
ピーター・アースキンといった人たちが参加しています。
《Mingus》はミンガスに捧げられたアルバムですが、
ミンガス自身はすでに楽器を弾ける状態ではなく、
歌のみの参加で、アルバムの発売より前に
ミンガスは亡くなってしまいました。

この頃のジョニはほとんどエレキ・ギターを使っていますが、
アコースティクよりエレキ・ギターのほうがネックが細いので
コードをおさえやすいという利点があったのかもしれない
と思います。
もちろん音楽的な変化でエレキ・ギターのほうが適切
という面もあったのでしょうけれど。
by lequiche (2021-02-07 15:00) 

NO14Ruggerman

yummyの店内にはウッドベースが飾られています。
たまにマスターが弾いておられますよ。
yummyは緊急事態宣言下「私語禁止」を徹底して営業
されています。
先日訪れたら音のクオリティが激変していて感動しました。
元々優れたオーデイオ機器が備わっておりましたがこの機会に
壁面や天井に吸音材を取り付けたり、高性能レコード針に変えたり私語禁止としているためBGMのボリュームを上げるなどを実行
したためですが、まるでライブハウスの迫力です。

by NO14Ruggerman (2021-02-10 00:52) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

そういえばベースがありましたね。
しゃべってはいけないというのは
昔の禁欲的なジャズ喫茶を連想させます。
結果として、オーディオを思い切り鳴らすのに
好適な条件となってしまったのですね。
どんな状態なのか実際に行ってみたいところですが、
とりあえずこの緊急事態宣言が解けてから
ということにしたいと思っています。
by lequiche (2021-02-11 13:54) 

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