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東京事変《音楽》 [音楽]

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6月13日と20日の《関ジャム》は2週続けて東京事変のニューアルバム《音楽》のプロモーションとでもいうべき内容。だがアルバムそのものの紹介というわけでなく、東京事変の楽曲を包括して辿っていて中身が濃かった。ゲストにKing Gnuの常田大希と勢喜遊、ゲスの極み乙女。の理論派ともいえるちゃんMARI、そして本間昭光といった布陣。
King GnuとちゃんMARIの発言からは、同じミュージシャンであるゆえの共感のようなものがあって、そのひとつひとつが面白い。

亀田誠治がベースにもディストーションをかけて、そもそも何でも (ドラムでも) 歪ませるのが好きというのにも笑うが、それは浮雲 (長岡亮介) がギターなのにもかかわらずクリーンな音嗜好に対してのアンチテーゼでもあるようで、そして浮雲が同じフレーズを弾かないということに関しても、つまり覚えるのが面倒なのでという言い訳のような本音にも笑う。いつもその場でのインプロヴァイズということなのだ。『ギターマガジン』の今月号は浮雲のファントム特集だが (というのはジョーダンですけど)、これもアルバムのプロモーションの一環なのだろう。

椎名林檎の質問に対してKing Gnuが、自分たちの音楽はレディオヘッドよりオアシスという回答をしていたのは、つまりある程度のJ-pop寄りのテイストで作るという意味であって、なかなか奥が深い。それに対して椎名林檎は普段はピアノソロの曲とか、つまりインストゥルメンタルを好んでいて、歌のある音楽なんかほとんど聴かないといっていたのが印象に残る。歌詞に、時に古風な言葉が混じるのも決してそうした言葉を使いたいからではなく、メロディの音数に対して言葉の数を合わせたいからだという。

ただ、アルバム《音楽》はまだそれほど聴いていないのでなんとも言えないのだが、ここまでやってしまっていいのかというぼんやりとした危惧はある。椎名林檎なりの 「オアシス」 的な妥協の部分はあるのだろうけれど、メロディラインはカラオケで歌うのにはどんどん歌いにくくなっているように感じるし、でもそれである程度の支持があるのならむしろ素晴らしいことなのだが。
もっともラインクリシェの話題から連想したのだが、そうした音楽理論上のクリシェでなく、椎名の書く作品のテイストには彼女なりのクリシェ、というかつまり音の繋がりのパターンとしての手癖が常に存在していて、それがある限り椎名林檎はずっと椎名林檎なのだとも思う。
PVの〈緑酒〉は鈴木清順のパロディみたいで、料亭、その廊下、古い車、池の鯉、和服、懐かしいCP-70、そして刀とすり替えられたファントム (演奏で浮雲はティアドロップを弾いているが)。映画《名探偵コナン 緋色の弾丸》の主題歌は、あくまでコナンだから不安感を醸し出すようにこうしたコード進行を、というような解説があり、それなら〈赤の同盟〉だってドラマ主題歌だから、ということで理解できる。

椎名の発言の中で最も面白かったのがアルバムにおける曲順とコンサートにおける曲順が違う場合でも、つながりを考えてふたつのパターンに対応できるようにしておくというもので、これは以前に彼女が言っていたアルバムのつながりをコード進行的にスムーズにつながるようにまず決めておいてから曲作りをするということの発展形であるとも思えた。

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東京事変/音楽 (Universal Music)
音楽 (通常盤)




東京事変/緑酒
https://www.youtube.com/watch?v=OS45uTF_8P0

東京事変/赤の同盟
https://www.youtube.com/watch?v=t67VbQhh9_A

椎名林檎/長く短い祭 from (生)林檎博’18
https://www.youtube.com/watch?v=1Omyzc0ihyo
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末尾ルコ(アルベール)

東京事変の新譜は少し視聴しているのですが、あらためて凄い境地へ来ているのだなと感じました。音楽的成熟度が凄いなと。旧譜からまたじっくり聴き返してみたくなりました。椎名林檎にはできればNHKのスポーツ番組などにはかかわっていただきたくないですが、それはまた別のお話(笑)。
KingGnuは日本のバンドとしては歴代視点でも最も好きな一つでして、母も大好きなので
YouTubeに上がっている動画はほとんど観ています。
常田大希は確か「世の中と関わりある音楽をやりたい」ということで東京藝大を中退したと語っていたと思いますが、レディオヘッドよりオアシスと言ってましたか。現在のKingGnuの音楽性はそうなのかもしれませんね。ただわたし個人的には、オアシスはさほど…っていうのはあるんですが(笑)、『ロッキンオンJAPAN』のインタヴューで常田は自らの節目として、フジロックのレディオヘッドのパフォーマンスを挙げてまして、日本でもあのような音楽でこれだけ多くの観衆が熱狂できるのかと驚愕したそうです。もちろんコアなファン層が集結していたのでしょうが、ミュージシャンとしての理想の境地の一つを見たのかもしれませんね。
常田大希はmillennium paradeという別プロジェクトもやってまして、もちろんレディオヘッドとはまた違いますけれどKingGnuとも違う音楽ということで、メンバーはだぶってたりするけれど(笑)、注目しています。

>カラオケで歌うのにはどんどん歌いにくくなっている

確かにそうですね。そっちの方向へどんどん邁進していただきたいです。

・・・

前にくださってコメントについてです。

>アニメはある意味、きれいごとを並べている

これわたしもかねてから強調したいところでして、つまりわたしは基本映像では「人間」や「本物の風景(自然)」を見たくって、もちろんクオリティの高いアニメはそれだけの感銘を与えてくれるのでしょうが、実は実写映画だけでも観切れないくらいなのでアニメにはまったく手が回ってません。まあでも日本のアニメは総じてクオリティが高い。それはそれで素晴らしいことだと思うんですが、アニメだけ観て実写に興味がない人たちがどんどん増えている感触がありまして、このような状況、わたしとしてはどうにもいたたまれないんです。
何と言いますか、「本物の人間」っていう、どうしても体液を出さざるを得ない存在として人間による「俳優」たちの悪戦苦闘を観たいんです。どうしたって地に足をつけて生きざるを得ない人間としての。

マイブラの『Loveless』聴いてみましたが、最高ですね。ノイジーでかつ美しい。これは確かにシーンに大きな影響を与えるだろうなと。
『Loveless』は1991年のアルバムですよね。わたしこの年、なぜこのアルバムを知らなかったのかと1991年についてちょっとチェックしてみましたが、そうですね、シュワルツェネッガーの『トータル・リコール』や『ターミネーター2』に夢中になってた年でした(笑)。
音楽はどのように聴いていたかと顧みるに、ロック系からはしっかり離れてましたねえ。さほどの熱もなく、クラシックやジャズをぼちぼち聴いていたような時期でした。でもこの時期、ジョン・コルトレーンとマイルス・デイヴィスはかなり聴いてましたから、ジャズについては基本的な愉しみ方ができ始めた段階だったかなあと。
で、ロックに関しては恐らく80年代終盤辺りから、(ロックはもいいいか…)と、そんな心持だったと記憶しています。だからニルヴァーナとかも名前は聞こえてくるけれど、自分でリアルに聴いたことはなかったんです。
その後いつからロックスピリットが復活してきたのかはまた今後の検証といたします。

「五輪」と『24時間テレビ』は同じようなものというお考え、同感でございます。こうした認識がどんどん広まればいいですね。

                         RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-06-21 03:53) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

KingGnuの発言のレディオヘッドとオアシスという対比は、
レディオヘッドだと高踏的過ぎるから
というようなニュアンスなのだろうと私は感じました。
オアシスでなくても、たとえば対比するバンドが
グリーン・デイとかでもいいのかもしれませんが、でも
同じブリティッシュで揃えたところが比較として分かりやすいですね。
とはいってもレディオヘッドだって受ける層には受けるというのが
そのフジロックの現象なのだろうと思います。
ただ、レディオヘッドとオアシスという比較例が、
それを聞いていた関ジャニのメンバーやその日のゲストに
正確に伝わったかどうかは疑問です。
J-popに対するのと同じような洋楽への基礎知識も
必要なのではないかと思うのです。

アニメーションは絵ですから、
リアルな汚さとか醜さについては描ききれない限界があります。
極端な例ですが、スプラッターはアニメでは無理です。
もちろんアニメは実写では描ききれない手法もあって、
どちらが優れているとは言い切れないのですが、
人間のリアルさを描くということについては
ルコさんがおっしゃるように実写しかないです。

マイブラは前回CD化したときに全部購入しているのですが、
今回のは色々の面でちょっと違うように思えて、
また全部買ってしまいました。といっても4枚ですから。
本当はLPが正解なのだと思うのですが、
あっという間に売り切れてしまったようです。
1991年は日本ではバブル景気か、あるいはその終焉期で、
そういうときに《Loveless》みたいなのは無理です。
私もリアルタイムで聴いたわけではありません。

1991年はマイルスもフレディ・マーキュリーも亡くなっています。
ターミネーター2ですか。
プリンスがバットマンの曲を書いたのが1989年ですが、
1991年は《Diamonds and Pearls》で、ん〜、微妙な年ですね。
ちなみに1991年のJ-popのヒット曲を見たら
 小田和正/ラブ・ストーリーは突然に
 CHAGE&ASKA/SAY YES
 KAN/愛は勝つ
はははは。幸せな時代だったのかもしれません。

感動の押し売りはオリンピックも24時間テレビも同じですが、
さらにいえば今年の流行色とも同じです。
押しつけられるものは私は全て嫌いなので。
by lequiche (2021-06-23 01:27) 

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