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『須永朝彦小説選』を読む [本]

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須永朝彦 (1946−2021) は歌人として出発した人であるが小説家、評論家でもあり、近年は主に幻想文学系の編者としてよく知られていたように思われるが、今年5月に亡くなったことを寡聞にして知らなかった。ユリイカの増刊号、そしてちくま文庫から『須永朝彦小説選』が出されたことで遅まきながらそれを知ることになった。大変残念である。

ちくま文庫の『須永朝彦小説選』には須永の小説等から選択された25編が収録されている。編者は山尾悠子である。国書刊行会から出版された『新編 日本幻想文学集成』全9巻のうち、山尾は第1巻の、そして須永は第3巻、第4巻、第5巻、第9巻の共同編集者として名を連ねている。その縁もあるのかもしれない。

最初に読んだ須永朝彦が何だったのかは忘れてしまったが、ごくマイナーな発表誌も多く、山野浩一が主宰していた『NW-SF』にも寄稿していたように覚えている。その短歌は沖積舎から出された歌集を読んだ程度であるが、作風的には塚本邦雄を連想させ、実際に塚本に師事したこともあるとのことだがある時点で袂を分かち、その後は韻文から遠のいて散文へ、さらに実作よりも編者などへとその活動を変化させていった。その興味の中心をなしていた諸作を見ると澁澤龍彦の後裔のような様相を帯びていたようにも思われる。また古典芸能にも詳しく坂東玉三郎との対談集もある。

須永は、いつの間にか本が出ていることが多くて、つまり小さな出版社からの上梓が多かったということだが、つい見逃してしまいあまりよく知らない。目についたときに読んでいたというのが実情で、思い出してみると今回の小説選もおそらく読んでいた作品が多いはずなのだが、ほとんど覚えていない。その小説の傾向としてはいわゆる男色文学であったり少年愛的傾向の雰囲気があったりするが、それは塚本邦雄の『紺青のわかれ』に似て、作家本人にその傾向があったのではなく、あくまで作風としての傾向であったようで、そのへんは中井英夫などとは異なるようだ。というより幻想文学あるいは耽美系の傾向として、同性愛はどうしても避けられぬルートでもある。

この本に収録されている作品の中で 「森の彼方の地」 だけはかすかに過去に読んだ記憶があるのだが、もしかすると塚本の同質の作品の記憶だったのかもしれなくて、そのあたりが判然としない。吸血鬼譚であり、少年や若き青年が出てくるところは萩尾望都の『ポーの一族』を連想してしまう。

ただ、今回読んでいて気がついたのは各編の冒頭に位置するエピグラフの秀逸さである。短歌が多いのだが、その印象の強さに須永の目利きをあらためて感じてしまうのである。葛原妙子の短歌が3首あるのだが、「契」 という短編には

 わが額 [ぬか] に月差す 死にし弟よ 長き美しき脚を折りて眠れ

が採られている。
その次の短編 「ぬばたまの」 は山中智恵子で

 山藤の花序の無限も薄るるとながき夕映に村ひとつ炎ゆ

これには慄然とする。
以下、幾つかを拾ってみると

「R公の綴織画 [タピスリー]」 藤原義経
 身に添へるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに

「就眠儀式」 式氏内親王
 つかのまの闇の現 [うつつ] もまだ知らぬ夢より夢に迷ひぬるかな

「LES LILAS」 読人不知
 三月のリラの旅荘 [ホテル] の宿帳にジャンはジャンヌとルイはルイザと

全然関係はないが、かしぶし哲郎の1stアルバムが《リラのホテル》(1983) というタイトルであったことを思い出す。
そして

「聖家族 I 黒鶫」 加藤郁乎
 北に他郷の黒つぐみ、ふるさとは父 [ペール]

と俳句もあるが、これは『季刊俳句』誌に掲載された作品 「聖家族 I」 の中の2番目の掌編に付されたものである。

先に記した 「森の彼方の地」 には韻文ではなく、ジャン・ジュネの

 わたしは永遠に廿歳
 あなたがたの研究にもかゝはらず

とある。

巻末の 「編者の言葉」 の末尾に山尾悠子が選んだ須永の短歌が選ばれているが、

 蓬原けぶるがごとき藍ねずみ少年は去り夕べとなりぬ

 瞿麦 [なでしこ] の邑 [むら]  鶸色 [ひはいろ] に昏るる絵を
  とはに童形のまま歩むかな

などとあり、さらに最後の一首は須永が自身に宛てた挽歌とのこと。それは

   須永朝彦に
 みづからを殺むるきはにまこと汝が星の座に咲く菫なりけり

須永は短歌から早々に遠ざかってしまったのだというがとても惜しいし、その彼の最も若い頃の心のひだが感じられるような作歌である。ご冥福をお祈りするとともに、作品をまとめた全集ないしはそれに近いものを熱望する次第である。
尚、『須永朝彦小説選』は文庫本でありながら新漢字旧仮名で組んである。そのこだわりを賞賛したい。


須永朝彦小説選 (筑摩書房)
須永朝彦小説選 (ちくま文庫)




ユリイカ 2021年10月臨時増刊号 総特集◎須永朝彦 (青土社)
ユリイカ 2021年10月臨時増刊号 総特集◎須永朝彦 ―1946-2021―




新編 日本幻想文学集成 第4巻 (国書刊行会)
新編・日本幻想文学集成 第4巻

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末尾ルコ(アルベール)

須永朝彦は恐らく未読だと思います。それにしても、国書刊行会の『新編 日本幻想文学集成』全9巻というのは凄いですね。購入できるか否かはさて置いて(笑)、わたしもしっかりチェックしてみます。

>各編の冒頭に位置するエピグラフ

これは本当に選んだ作家の知性や教養が試されますよね。基本的には欧米の方法なのでしょうか。今回挙げてくださっているもの、すべて素敵ですが、「三月のリラの旅荘 の宿帳にジャンはジャンヌとルイはルイザと」なんか好きです。特に「ルイザ」という音が効いているような。
そう言えば、『須永朝彦小説選』の表紙はカラヴァッジョの「ナルキッソス」ですよね。カラヴァッジョ、大好きなんです。いやそれだけのことですが(笑)、でも小説集の表紙にカラヴァッジョというのは、作品のクオリティに絶対の自信があるのだなあと想像してしまいます。

>今年5月に亡くなったことを寡聞にして知らなかった。

最近わたしも同じような経験をいたしまして、かつてパリオペラ座バレエの大エトワールとして君臨していたパトリック・デュポンが今年の春先に亡くなっていたんです。最近まで知らなかった。61歳だったと思いますが、強烈なエネルギーを持った天才でして、とても若くして亡くなりそうに思えなかったんで。そして日本じゃバレエ、いまだまるっきりマイナーなんだなあとあらためて感じました。ローザンヌで日本人が入賞した時など割と大きく取り上げられますが、そういうのも例えばノーベル賞の空疎な報道と同じようなものなのでしょうね。



藤井風は特に母のご贔屓トップクラスへと急激に駆け上ったのですが、わたしもけっこう愉しんでおります。
藤井風はYouTubeに多くアップしているのでいろいろ視聴できますが、わたしも彼の岡山弁ベラベラを聴いた時少し驚きました。しかもわざとらしい郷土愛の吐露ではなく、もっとずっと地に足のついた意志のようなものを感じたんです。
同様にいろんな動画を視聴していると、彼の音楽自体も地に足のついた力を感じます。日産スタジアムの無観客ライブもピアノ一本でやり切ってますし、どんな場所でも誰が相手でも自らの音楽、歌を発揮できる人かなあと。

坂本美雨の『ディアフレンズ』、聴いてます。いいですね。ゲストの方々も相手が坂本美雨ということで、安心してトークを愉しんでいるように感じます。これが『ミュージックライン』の南波志帆だと、同年代だといいけれど、矢野顕子あたりがゲストだと、ちょっと無理があるかなと感じます。坂本美雨だとゲストがどんな年齢でもよさそうです。
民放FMを聴き始めて、やはり生活に新しい要素を取り入れると世界が多少なりとも変わって見えてきますね。わたしにとってとても興味深く貴重な経験です。ただ、CMは多いですね(笑)。特に高知の場合、ローカルなCM、ローカル番組がなかなか多くって、わたし地方文化人とか地方有名人とか、いささか苦手なもので、だからいい番組の内容により集中するように努めております。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-10-10 06:35) 

TBM

本書、未読なのですが、表紙はカラヴァッジョなのですね。
そして、「リラのホテル」はLPで持っています。
当時よく聴きました。
by TBM (2021-10-11 07:41) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

国書刊行会の刊行物はユニークなものが多いですが、
そんなに大部数が出るような内容ではないので
どうしても価格は高めになってしまいます。
『新編 日本幻想文学集成』は選者からもわかりますように
なかなか力の入っているシリーズのように思います。

この小説選の小説群は短編や掌編がほとんどですが、
いままでこうしたエピグラフに気がついていなかったのです。
ところが並べられるとそれが目について来て
今回読んでいて、突然その意味するものが
分かった気がしたのです。

私は須永朝彦よりも先に塚本邦雄を知っていましたので
塚本の最も尖った歌に較べれば須永は穏健です。
それは小説の作風にも同様に言えて、
何かが起こると思っていたら起こる前に終わってしまった
とか、多分に雰囲気を楽しむような傾向もあります。
またロマンでなく、いかにもレシ風な叙述の作品もあって、
もちろんそれらがどの作品にも全てあてはまるわけではないですが
何も起こらない、ないしは何も起こらないように見える
というような小説作法は多分にスタイリッシュで
そしてナルシスティックです。
それゆえにカラヴァッジョなのでしょう。(笑)

「ジャンはジャンヌとルイはルイザと」 は
音の連なりの面白さで引きつけられるのですが、
これの元になったものがあったような記憶があって
ちょっと歯がゆいのです。

私はバレエには昏いのでパトリック・デュポンという人は
存じ上げませんが、日本語wikiには亡くなったことさえ
書かれていないのでfr.wikiを読んでみましたけれど
死因のmaladie foudroyanteって何でしょうか?
ズバリ書けないなにかなのですね?

ノーベル賞の真鍋淑郎さんはアメリカ国籍ですから
そんなときだけ日本人だからと礼賛しても
それは強弁というものです。
あらためて今後の日本の頽廃と貧困が暗示されるニュース
というように私はとらえました。

J-pop自体を私はあまり聴かないのでなんとも言えませんが
最近はどちらかというと女性のほうが
キャラが立っている歌手が多いように見受けられます。
そんな中で藤井風はちょっと異質で新しい感じがしますね。

坂本美雨は両親のDNAというのももちろんありますが、
逆に両親の個性がどちらも強過ぎるので、
その間に立ってちょっと大変だったというようなことを
聞いたことがあります。
そんな中で最近は両親のどちらの個性とも違う独自性を
感じることがあります。
そしてその武器は彼女の声質自体にあるように思います。

民放のCMは仕方がないです。
それはネットの大量の迷惑メールと同じことで、
受け流すことが何より大切なように思います。
それに中には面白いCMもありますし。
今回のトッパンのTVCM、
このシリーズ第4弾ですが笑いました。

TOPPAN TVCM「TOPPA!!! TOPPAN デジタル決済篇」30秒
https://www.youtube.com/watch?v=xHbqcCrOreQ
by lequiche (2021-10-13 03:50) 

lequiche

>> TBM 様

はい。カラヴァッジョです。
本の内容を見事にあらわしていますが、
ちょっとベタ過ぎるかもしれません。(笑)

LPをお持ちとはすごいですね。
自作自演だけでなく作曲家としてのセンスも
非常に優れていたかただったと思います。
ムーンライダースは復活したとき、
ライヴを観たことがあります。
もちろん、かしぶちさんはまだ健在でした。
by lequiche (2021-10-13 03:51) 

ぼんさん

ブログ9周年のお祝いのコメントどうもありがとうございました。
私も高校時代に良く井の頭公園に訪れていたことを思い出しました(^_^)
前回記事へのコメントとなっていしまいますが、私もFMエアチェック世代です。その当時使っていた「タイマー(録音時間に機器をONにするため)」を今でも持っていて、別用途で活躍しています(^_^)
by ぼんさん (2021-10-14 17:43) 

lequiche

>> ぼんさん様

こちらこそわざわざコメントいただきありがとうございます。
井の頭公園、なかなかメジャーですね。(^^)
来年のお花見の頃はコロナからの完全復活はあるのでしょうか。
そうなることを祈りたいです。
エアチェック、やはり流行していたんですね。
その頃の機器だと、タイマーが別にないとONしないということですね。
今よりずっと不便ですが、そうした創意工夫の仕方が
面白かったのだと思います。
by lequiche (2021-10-16 23:56)