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ZARD〈サヨナラまでのディスタンス〉 [音楽]

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今朝は強い雨が降っている。

めちゃめちゃ遅ればせながらの吉田秋生『海街diary』、今、4巻まで読み終わった。雑誌連載の始まったのが2006年、コミックスの第1巻の発売が2010年だから超・周回遅れである。

最初に惹かれたのはコミックス第1巻の踏切の風景を描いた表紙絵である。ストーリーに描かれている風景は、少し前の日本的な情緒をたたえた鎌倉であり、そのひとつひとつが知らない風景でありながら懐かしい。携帯電話はまだ2つ折りであり、登場人物のひとりである風太は、中学生だからまだ早いと携帯電話を買ってもらえなくて、固定電話から家族の耳に気兼ねしながら電話をしている。

複雑な人間関係はクリアに説明され、話の中に自然に没入することができる。この構造性とそれぞれのキャラクターの描写が見事だ。四姉妹ものの発祥はひょっとすると谷崎潤一郎だろうが、そのような大時代的なのとは違って、もっとずっとコンパクトでそれでいて微妙な心理の機微があらわれていて、リアリティに満ちている。

そして幾つもの 「まつり」 の情景が出てきて、それがいかにも日本的なイメージを喚起するし、藤井風の歌にも感じられるようなハレの日の特殊な精神状態を思い出させる。
私は子どもの頃、まつりが嫌いだった。あまりに人工的な躁状態のような雰囲気に馴染むことができなくて、でももう一度思い出してみればそこにはすでに喪われてしまった過去の懐かしい風景が多数存在している。
その中で特に強い印象を残したのが『海街diary』にも出てくる 「お十夜」 で、私が子どもの頃住んでいた町にはお十夜があり、普段静かだったはずの通りに夜店が立ち並び、非日常的な活気に満ちあふれ、そのむしろ猥雑とも思えるような賑わいをかすかに記憶しているからだ。あの無秩序な風景は幻のように消滅してしまって、本当にそんなまつりがあったのかどうかさえ定かでない。

タイトルから想像力を働かせることとして第3巻の 「陽のあたる坂道」 と 「止まった時計」 がある。「陽のあたる坂道」 というタイトルから連想されるのは石坂洋次郎の同名の小説だろうが、すでに過去の作家だから私はタイトルしか知らないし、音楽的な記憶から掘り起こすのならDo As Infinityの〈陽のあたる坂道〉である。
そして 「止まった時計」 は薬師丸ひろ子にそのようなタイトル曲があるらしいが、私が連想するのはZARDの〈止まっていた時計が今動き出した〉である。作曲はGARNET CROWの中村由利であり、同名の10thアルバム《止まっていた時計が今動き出した》(2004) に収録されている。

私はその頃の日本の音楽をほとんど知らなくて、リアルタイムでZARDを聴いたのはこのあたりの時代からで、だから意識して聴き始めたのは11thアルバムである《君とのDistance》(2005) だが、これは結果として最後のオリジナルアルバムとなってしまった。
このアルバムの2曲目に収録されているのが、アルバムタイトルとやや違ったタイトルを付された〈サヨナラまでのディスタンス〉である。作詞:坂井泉水、作曲:大野愛果、編曲:葉山たけしだが、大野愛果と葉山たけしという組み合わせは、愛内里菜&三枝夕夏の〈七つの海を渡る風のように〉(2007) でも採用されている。

この〈サヨナラまでのディスタンス〉はつまりアルバムのタイトル曲にもかかわらず、やや特殊とも思える楽曲で、シンセのシークェンス・パターンによるフェードイン、ヴォーカルの裏に貼り付くようにしてノイズのようにイコライジングされた声が重なる、オーバードーズな感触がある。
歌詞も悲痛な響きがあり、むしろ不吉な予感にあふれていて、これは結果論でなく最初に聴いたとき 「これは何?」 と思いながらリピートを繰り返してしまった。だから私にとってのZARDのファースト・インプレッションはこの曲に象徴される陽のあたらない坂道のような暗さへの誘惑である。


ZARD/君とのDistance (ビーグラムレコーズ)
君とのDistance 【30th Anniversary Remasterd】




ZARD/サヨナラまでのディスタンス
https://www.dailymotion.com/video/xpze2f

ZARD/止まっていた時計が今動き出した
https://www.youtube.com/watch?v=eFimlUDtZzU

Do As Infinity/陽のあたる坂道
https://www.youtube.com/watch?v=ffAzH3GdK6Y
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末尾ルコ(アルベール)

『海街diary』の原作は読んだことないですが、機会があれば手に取ってみます。
固定電話から好きな異性への電話、10代の時期になかなか強烈な想い出がいくつかあります。相手方のご家族、まず誰が受話器を取るか分からないスリル…これは携帯以後しか知らない人には分からないでしょうね。そう思えばあのスリル、貴重な体験だったです。ダイヤル(笑)回すだけで心臓バコバコでしたから。
藤井風の「まつり」はしょっちゅう聴いてますが、ラジカルにして性根の座った平等主義をも感じます。そして彼のどの歌詞も、彼独自の「思想」からい生まれ、育てられている感をさらに強くしています。

ZARD「サヨナラまでのディスタンス」、Do As Infinity「陽のあたる坂道」、視聴させていただきました。
ZARDについては最近まで大ヒット曲くらいしか耳にしたことなかったので、この曲と彼女の人生との関りを推し量ることはできませんが、わたしの持っていたZARDのイメージとはかなり違う、厚く熱い音作りだなと感じました。
Do As Infinityも語れるほど聴いくてないですが、「陽のあたる坂道」を聴きながら、ヴォーカルの力に惚れ惚れしました。

・・・

『行列のできる法律相談所』ですか。こうした番組ぜんぜん見てなかたのですが、母の好きな(笑)井上芳雄と神尾楓珠が出てるということでたまたま録画したのを見てると江口寿史がゲストの一人でした。
彼について少し前lequiche様のお話し窺ってたので興味深かったです。何でも綺麗な女の子を表現するために「鼻の穴」を敢えて描くことにしたそうですが、しっかりしたものになるまでに10年かかったとか。ファンの間ではよく知られた話かもしれませんが、わたし知らなかったので(へえ~)と思いました。
それと江口寿史、ファンに対してそのファンの顔を即興で描く「ライブスケッチ」だったかな、そういう企画をしてるらしいですが、単にファンサービスじゃなく、「自分の練習のため」にもやっていると。このあたり、求道者敵で、(いいなあ)と感じましたです。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2022-05-28 05:40) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

小説に影響を受けたり小説を原作としたマンガというのは
いままでにも多数ありましたが、
こうしたパターンはマンガが二次創作物である
といった捉えられ方をされてきました。
やや意味合いが異なりますがパスティーシュもそうです。
ところが最近ではマンガのほうが先で
小説がマンガに影響を受けるということが出現し始めました。
大島弓子に対する吉本ばななが良い例です。
『海街diary』の場合も、
あきらかにその状況を真似た小説というのがあって、
(その作家は影響など受けていないと言うかもしれませんが)
吉田秋生の影響力ってすごいなと思っているところです。
同様にして映画等に影響された小説というのも存在するはずで、
昔から考えられていたような小説の優位性みたいなものは
今、失われつつあるように思います。
それにマンガは言葉と絵で表現できる点において
言葉だけに頼る小説より有利です。

電話のような特徴的な形状の器具はまさに時代を現していて、
その時代がどのようだったかを示す手がかりになり得ます。
電話の使われ方で最も印象的だったのは
《ブレードランナー》の公衆電話で、
人類の歴史はその予想とは異なった発達をしました。
ですがブレードランナー的世界も
きっとアナザーワールドとして存在するはずです。
そうした考え方がSF的思考の根幹にあります。

私はZARDに限らず作曲家に注目して音楽を聴くので、
ビーイング系では大野愛果と川島だりあが好きなのです。
そしてZARDに関して重要な作曲家には栗林誠一郎がいますが、
この話題について私は詳しくないのでパスです。
またZARDや松任谷由実の歌唱をヘタと言う人は
かなりの数、存在しますが
音楽がわかっていない人だと私は思います。

そんな番組があったのですか。知りませんでした。
江口寿史は日本のマンガ家の中で
テクニック的には最も上手い人のひとりだと思います。
ただ単純にテクニックの部分だけでない部分で
優れていることがありますがそれは分かりにくいです。
by lequiche (2022-05-29 02:00)