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Blade Runnerを聴く [音楽]

Vangelis,_220531.jpg
Vangelis (2012) (el.wikiより)

最近、ヴァンゲリスのアルバムが廉価盤で出ているので少しずつ集めていた。だが彼の代表作といえば映画《ブレードランナー》(1982) のサウンドトラックだろう。

古い話をしてしまうと、そもそも映画《ブレードランナー》は封切時にはほとんど黙殺されていて、同時期に公開された《E.T.》ばかりがもてはやされていたのである。《ブレードランナー》はマニアックな人たちによって認められ、いわばカルト・ムーヴィーとして伝播し次第にその評価が定まってきた。SF的視点から《ブレードランナー》と《E.T.》とを比較するならばその差は明白である。

ある程度、映画の評価が定まってきてもヴァンゲリスの《ブレードランナー》のサントラは発売されていなかった。ポリドール盤の《Vangelis/Themes》に映画音楽のベスト盤としてブレードランナーから何曲かが収録されたのみであって、《ブレードランナー》はヴァンゲリスの音楽に関しても大変虐げられ評価されない作品であったといえる。それはひとえに、その内容があまりに暗過ぎたからだろうと思う。その時代には《E.T.》のような明るい映画が求められていたのだろう。その傾向は今も変わらないとも言えるが。

ヴァンゲリスはシンセサイザーをメインの楽器としていたが、ピアノを曲の中に使うとき、ミスをしてもそこだけパンチインをしたりせず、全部弾き直すのだと聞いたことがある。音そのものの主体はシンセなのだが、構造的にはクラシカルなテイストがあるように思う。

したがってヴァンゲリスをカヴァーするシンセシストも多い。フィンランドのKebuの弾くブレードランナーのエンドタイトルのライヴ映像をリンクしておく。Kebuのニュアンスはヴァンゲリスのオリジナルに近く、アナログシンセを駆使した太い音が素晴らしい。16分音符のシークェンス・パターンに乗るメロディラインは、あらかじめ作られている飾り音を除いてほとんど手弾きだ。このエンドタイトルはいわばシンセのスタンダードになりつつある。
Kebuはモロダーなどもカヴァーしているのでその演奏もリンクしておく。そしてヴァンゲリス本人の演奏による〈Chariots of Fire〉(炎のランナー) も。
ローランドのAxialサイトに拠れば、Kebuは 「フィンランドのジャン・ミシェル・ジャールとも称される」 と書かれている。

ヴァンゲリスは2022年5月17日にパリで亡くなった。コロナウイルスとの合併症だとのことである。


リドリー・スコット/ブレードランナー ファイナル・カット
(ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント)
ブレードランナー ファイナル・カット 日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ(3枚組) [Blu-ray]




Vangelis/Blade Runner Original Soundtrack
(Atlantic UK)
Blade Runner




Kebu/Vangelis: Blade Runner (End Titles)
live in Helsinki 2019
https://www.youtube.com/watch?v=rI65leWtd7c

Kebu/Giorgio Moroder: Chase
live Sthlm Italo Disco Party 2015
https://www.youtube.com/watch?v=cH2guTTyX8s

Vangelis/Chariots of Fire
https://www.youtube.com/watch?v=Xkc6TB4EeqI
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hagemaizo

ただいまYouTubeから帰還しました。
走ってきたのでただいま息を整えております。
by hagemaizo (2022-05-31 08:15) 

末尾ルコ(アルベール)

『ブレードランナー』のサントラは大好きでして、そのすべてが好きなのですが、特にオープニングとエンディングはメチャメチャ好きなんです。
オープニング、2019年のロサンゼルス(こんな街にはなりませんでしたけど)を上空から映す映像、断続的に巨大な火炎が噴射されるものものしい雰囲気。そこで流れるヴァンゲリスのオープニング曲。(一体これから何が始まるんだ)と本能的なまでに胸が高鳴る。
対してエンディングは、(戦いはまだ終わってない。これからも激しい戦いが続くのだ)と宣言されているような、エンディングどころか新たなオープニングのような感覚でした。
もちろん他のシーンで使われる音楽もすべて的確で、まさに(ユニコーンが現れたところで何の違和感もない)クオリティです。

『ブレードランナー』はビデオソフトの時代だったので徐々に広まってきたともされてますね。このタイプの映画がいきなり大ヒットはまず難しく、その意味ではビデオソフトなどの存在が映画界にとって、悪い影響もあるでしょうが、いい影響もかなりあったといったところなのでしょうね。『ブレードランナー』についてはかなり早い段階で、浅田彰がその描かれた未来社会の姿について言及していました。
『E.T.』は映画館で観ましたが、高知の某劇場、あまりに観客が多いので、座れない人には立ち見させ、しかもドアを開放したままで上映してました。そんな出鱈目でもお客さん、特に文句言ってなかったという時代でした。自転車が飛ぶシーンでは劇場全体が大歓声に包まれました。まあ滅多に経験できない状況でした。

・・・

ちょっと前にいただいたコメントについてですが、

>でもそういうのはファンとは言えないと思うのです。

まったくおっしゃる通りで、これ、多くの日本人の困ったメンタリティであり、きつい言い方をすれば、極めて幼児的な部分だと以前から悩みの種(笑)です。
「結婚したい女優」だとか「恋人にしたい女優」だとか、こういうアンケート大嫌いで、表現者としての芸術活動を、一般社会の日常生活と地続きだという幻想を持つな!と主張したいわたしです。
この話題となると止めどなく書いてしまいそうなので自重いたしますが(笑)、「俳優を俳優として見ることができない」人たちがとても多い社会状況が日本の文化水準をぐうっと引き下げていると感じてます。
そうした傾向を助長している要因の一つが「テレビCM」だと思いまして、つまり日本のテレビCMは「いいこちゃん」のイメージ、「よき夫」「よき妻」「よき家族」といったイメージを前面に押し出してくるものが多く、それらを見て何と(この人はこうだ)と信じ込んでしまい、イメージに反する情報が少しでも出たら、「裏切られた!」とネットリンチとなるような環境ができ上っています。

>広瀬すずと広瀬アリスの対比は
>原田知世と原田貴和子の対比と同じです。

これは言い得て妙ですね(笑)。
広瀬姉妹がしょっちゅう対比させられるのも、「クリックさせれば勝ち」というネット記事ならではのしつこさがあります。そして広瀬すずは若い頃からスターなので、それを貶めた人たちも少なくはなく、そうした手合いのクリックを見越しての下卑た記事が出回るという状況です。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2022-05-31 20:08) 

lequiche

>> hagemaizo 様

リンクをお聴きいただきありがとうございます。
Kebuのヴァンゲリスのカヴァーは
当時より機材も音楽的環境も進歩していますので
オリジナルよりも迫力があるかもしれません。
しかし何よりも
ヴァンゲリスへのリスペクトが感じられますので
あえてリンクしてみました。(^^)
by lequiche (2022-06-01 02:13) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

映画における特撮技術が発達するにつれて
数多くのSF映画が作られるようになってきたわけですが、
未来的で空想的な映像が得られれば何でもOKか、
といったらそうではないと思うのです。
では何が必要かといったら、
抽象的な言い方になるかもしれませんが、
それは 「ヴィジョン」 なのではないかと。
具体的な映像の向こう側に製作者のSF的ヴィジョンが
感じられないと興ざめになってしまいます。

たとえば《トランスフォーマー》は
メカニックで刺激的で爽快感が素晴らしいのですが
でもSF的なヴィジョンには乏しいと私は思うのです。
これはあくまで私の感覚ですので異論はあるでしょうが。
そして《スター・ウォーズ》は最もSF的で
センス・オブ・ワンダーに満ちていて
SF映画のエポック・メイキングな作品でしょうが
《スター・ウォーズ》を陽の作品とすると
《ブレードランナー》は陰のポジションにいるので
つまりダークサイド (笑) に属するヴィジョンを持っている
と考えてよいのです。
第1作目の《ターミネーター》も陰のポジションです。
ですが2作目以降は、予算はかかっていますが
う〜ん……という感じです。
この 「SF的ヴィジョン」 という表現、
わかっていただけるでしょうか。
そして私はこうしたダークなヴィジョンを持っている
陰り、あるいは深みを持っているSF映画が好きです。

《E.T.》はそんなにも大盛況だったんですね。
同様に《グレムルン》などもそうですが、
こうした映画は楽しくてファミリー向けで
かわいいですし、ほのぼのした感じで良いと思うのです。
アニメですが《モンスターズ・インク》なんかもそうです。
上質なエンターテインメントの典型です。
ちなみに私は上映時に映画館で売っていた
グレムリンのぬいぐるみをいまだに持っています。
あ、《モンスターズ・インク》のサリーもありますね。(^^;)
ですがSF的ヴィジョンはそうした面とは異なる場所に
存在します。

>>「結婚したい女優」だとか「恋人にしたい女優」だとか

なるほど。そういうアンケートというか
いわゆる人気投票みたいなのはありますね。
広く見ればアイドル大好きなメンタリティの延長線上に
そうした偶像化みたいな思考があるのだと思います。
何も女優に限らず、たとえばクラシックのピアニストとか
どんなジャンルにもそのジャンルにおける主体でなく
派生的なものを求める人たちは存在します。
端的にいえば性的な欲求、もっといえば自慰的対象です。
でもそういう部分で楽しめるのなら
それはそれで仕方がないのではないでしょうか。
現実と虚構の区別のつかない人はよくいますが、
ドラマで悪役をやっている人が日常的な空間で
ひどい言葉をかけられるとか、あまりにも幼稚ですけれど、
でも幼稚な人種というのは一定数存在するものです。

下卑た記事というのはそういう人たちを対象として
販売されているものですから、
そうした欲望を満たすためには何でもする、
というのが実情なのですね。
by lequiche (2022-06-01 03:50)