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『東京人』2022年12月号 — 東京映画館クロニクル [本]

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『東京人』12月号の特集 「東京映画館クロニクル」 が面白い。東京にかつて存在した映画館の解説と写真が掲載されているのだが、ほとんどは知らない映画館ばかりなのだけれど、知っている映画館を見つけると懐かしさがこみ上げてくる。

新宿だったらミラノ座と新宿プラザ。この2つの巨大映画館は外せない。そして銀座はテアトル東京。といってもテアトル東京には一度しか行ったことがなくて、たしかそこで《2001年宇宙の旅》を観たような記憶がある。それは封切りではなくて、何回もリヴァイヴァル上映されたうちの最後のほうだったと思う。しばらくしてテアトル東京は閉館してしまったから。

当誌に掲載されているテアトル東京の写真は《風と共に去りぬ》上映時のものだが、「風と共に去りぬ」 という特徴のある書き文字が美しい (上記画像参照)。昔の映画の看板やポスターのタイトル文字は皆、書き文字で、なぜならその頃のフォントはごく平凡な明朝体やゴシック体しかなかったからなのだ。
正木香子の記事によれば《シェルブールの雨傘》の日本公開時の、オリジナルと思われるポスターなどのタイトル文字は、東宝宣伝部の益川進という人が作成したのだそうだが、雨に煙っているような横書きの流れるような書体で、この映画の雰囲気をよくあらわしている。ところが今、ネットで探してみたらオリジナルの書体を見つけることができなかった。多くはそれに似せた劣化書体で、さらには単なるフォントで作成されたものもあり、これらは再映の際に作られたデザインだと思うのだが、オリジナルを凌駕するものはひとつもない。

新宿の日活名画座では和田誠がポスターを描いていたとか、新宿文化は普通の映画館だったが、1962年から芸術系の映画を上映するアートシアター新宿文化になったのだということだが、atgというロゴマークは伊丹十三が作成したのだというのを初めて知った (伊丹十三は長沼弘毅のシャーロキアン本のイラストも描いていたし、TVで観たことがあるがギターが大変上手かった)。
川本三郎は、アートシアターではカウレロウィッチ、ベルイマン、タルコフスキーなどを観たと書きながら、別の記事ではあの頃はゴダールと大島渚だったとも。
今年閉館してしまった岩波ホールの写真がある。私にとって岩波ホールは、川本三郎のアートシアターみたいなものだったのかもしれない。そして岩波ホールが閉館したということから感じるのは、日本の文化が衰退してしまったという事実である。

小西康陽のCinema diaryはここだけフォントサイズが小さくて、文字がギッチリ入っていて笑うが、紀伊國屋書店の地下にあった 「モンスナック」 のカレーという記述があって、懐かしいと思ってしまう。確か北杜夫もモンスナックのことをどこかで触れていた。

池袋の文芸坐の古い写真がある。文芸坐で映画を観たことは無いと思うのだが、年末に浅川マキのライヴがあって一度だけ行ったことがある。チケットを予約しようと電話したらマキさん本人が出た。「あのぅ、マキさんですよね?」 と聞いたら 「いいえ、違います」 というのだが、一発でわかるその声で違いますはないだろう、と思ったけれど、それ以上はツッこまなかった。

映画館の記憶って面白い。私はそんなに映画を観てこなかったが、どこでその映画を観たかの記憶が意外にある。つまり映画と映画館が結びついているのだ。東京の映画館といってもさすがに国立 [くにたち] の記事はないのだが、私には無くなってしまった国立スカラ座の記憶がかすかに残っている。《アマデウス》も《バリー・リンドン》もあそこで観たはずだ。


東京人2022年12月号 (都市出版株式会社)
東京人2022年12月号 特集「東京映画館クロニクル」なつかしの名画座から令和のミニシアターまで[雑誌]

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