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季節の鳥のように — 須賀敦子とローマ [本]

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前から気にかかっていたのだけれど、須賀敦子という名前は、気にかかりながらもなかなか読む機会が巡って来なかった作家である。ところがある日、大竹昭子『須賀敦子のローマ』という写真のたくさん入っている本をなにげなく手にとって、旅行案内書とはやや異質なその写真にひかれて買ってみたら、須賀敦子を読み解くためのヒントも書いてあった。須賀敦子が歩いた跡を辿ってみるというこの本の情熱とは何だろうか。須賀敦子とはそれほどまでに魅力を持っていた人だったのだろうか。
松岡正剛は千夜千冊の中で須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』を取り上げ、彼女のことを次のように書いている。

 “そういう女性”たちは、すばらしい人生を送りながらも
 一冊の本も書かないことが多いけれど、たいていはある
 領域の文化をみごとに動かしている。おそらく“そういう
 女性”がいなければ、その界隈の文化の花は咲かなかった
 であろうような、そんな役割を思わず知らず担っている
 女性たちである。

骨太な行動力の前には、文章とはひ弱で虚しいもの、とも読める。少なくとも私にはそのように思えてしまった。このローマの写真集の核となっているのはマルグリット・ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』である。大竹昭子は須賀敦子の跡をたどり、須賀敦子はユルスナールの跡を辿り、そしてユルスナールが辿ったのは遥か昔の皇帝ハドリアヌスの生涯である。

大竹昭子の語り口は、彼女自身であったり、彼女の口を借りた須賀敦子であったりする。そして須賀敦子を通してユルスナールが語っている部分もあると言えるだろう。この眩暈のような重層的な手法は、ローマが幾つもの廃墟の上に積み上がった地層でできている、というのと重なって見える。

それではユルスナールを巡る、須賀の『ユルスナールの靴』はどうだろうか。須賀の語るユルスナールの実像は世俗的で、バイセクシャルで、その作風とは異なる影の部分を見せてくれている。その最後の章に出てくるユルスナールの 「白い小さな家」 は日常性の中のユルスナールを語っていて興味深い。ユルスナールはアメリカ・メイン州の小島にある白い小さな家で本を書いていたというが、アメリカのずっと外れに位置する、まるで地の果てのような印象を受けるその家は、その絵に描いたような孤絶感が、まるで嵐が丘とかブラックジャックの家とか、そうした通俗的な連想まで私に抱かせてしまうようなそんな家であり、旅行好きだったユルスナールが必ず戻ってきた小さな隠れ家のような家である。ストーリーは最後にそこに収斂していく。

でも、ユルスナールがバイセクだったとかいう話は、三島由紀夫がホモだったとか、ミシェル・フーコーがいつも少年を連れていたとかいう話と同じように、私にはあまりピンと来ない。そうした俗な関係性よりも私を惹きつけるのは、ローマという都市の魅力である。
『ユルスナールの靴』での一番の収穫は、ピラネージという画家がどういう人だったのかというのが明快にわかったことだった。ピラネージがどうしてあのような偏執的とも形容できる細密な作品を残したのか。それは建築家でありながらほとんど建築をすることに携われず、いわばそうした失意のパワーをその絵の中に凝縮した画家であったこと。そのように説明されて初めてピラネージのプロフィールが見えてきたような気がする。彼が描いたのは廃墟への幻視とも言える。

実は私はオードリー・ヘプバーンの 「ローマの休日」 という有名な映画を、ほんの数年前に初めて見た。それはデジタルでリマスターされたきれいな映像だったが、その内容も今見ても新鮮で、全く古びていないように思える。適当にコメディで、じんわりと悲しい、最も映画が美しかった頃の映画。そしてオードリー・ヘプバーンという女優の稀少性。そのスペイン広場の階段がなぜ美しいかも須賀に説明されてはじめてわかった。

私の場合、興味はきっと、ローマという歴史ある都市に向かっているのだろうと思う。須賀敦子の、ユルスナールの、そして 「ローマの休日」 の、幾つものベクトルが指し示すローマ。まさに全ての道はローマに通じるのかもしれない。現在と過去とが雑然と共存している町。歴史ある都市とはそうした魅惑的な景観を持っているものなのである。


大竹昭子/須賀敦子のローマ(河出書房新社)

須賀敦子のローマ




須賀敦子全集〈第3巻〉(河出文庫)

須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)




マルグリット・ユルスナール/ハドリアヌス帝の回想(多田智満子訳・白水社)

ハドリアヌス帝の回想


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