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クラシック音楽館が始まる — ジンマンのブゾーニ [音楽]

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David Zinman

TVの日曜夜、NHK-2の 「ららら♪クラシック」 だった時間帯が4月から新番組 「クラシック音楽館」 に変わった。早い話がN響定期であって、とりあえずちょっとホッとする。
あまり否定的なことはブログに書きたくないのだけれど、そして 「ららら♪クラシック」 も悪い番組ではないのだけれど、その妙に啓蒙的なところが何となく同局の語学講座のような雰囲気で、あの語学講座では語学がうまくならないだろうというのと同じくらいの比率で、ららら♪クラシックではクラシック音楽の知識は深まらないように思えてしまう。

4月7日の第1回目の放送の第1曲目はいきなりブゾーニで、これは単にN響定期演奏会の1曲目がそういう選曲だったのに過ぎないのだが、たとえばモーツァルトとかベートーヴェンのような有名曲でなくブゾーニだったので、これも何となくだが溜飲が下がった思いがした。

指揮はデヴィッド・ジンマン David Zinman で、ジンマンは最近、毀誉褒貶真っ盛りという感じでよく聞く名前だが、指揮者の金聖響がマーラーの楽譜について 「あの版を使う指揮者は信用しない」 みたいなことを書いていたのを覚えていて、確かその許されない楽譜を使っているのがジンマンで、それを思い出してどうしようかと悩んでしまい、まだジンマンのSACDのマーラー全集は聴いていない。

ところがこの前、ジンマンの他の曲の指揮の様子をTVで見たら (何の曲だったか忘れてしまったのだが) かなり良い印象を受けた。決して熱情的ではないのだが、かといってブーレーズのように、ホントにやる気がなさそうな振り方でもなく (といってもブーレーズは、ホントにやる気がないのではなくてあれは彼の指揮のポーズなのだが) 非常に細かく曲を構築していく感じが見えて、見た目のカッコ良さとはまた違うカッコ良さが存在するように思う。
ジンマンについて否定的なブログなど読むと 「メカニック過ぎる」 とか 「心が無い」 というような論調が多いが、そういう表現でいうのなら私は 「心があり過ぎる」 音楽はあまり好きではない。なぜならそれは作曲家より演奏家が勝ってしまっている傾向が強いからだ。私はコンポーザー第一主義なので、感情に流され過ぎなのにはあまり気持ちが行かないようなのである。
といいながらもそうでないときもあって、自分がこれだと思える音楽というのには決まった規則性とか法則性というのは存在しないので、つまりそういう点で音楽の嗜好というのは謎だ。

ブゾーニ Ferruccio Busoni の Berceuse élégiaque, Op.42, BV 252a は 「悲劇的子守歌」 とか、このNHKの放送では 「悲しき子守歌」 と表記されていたが、サブタイトルが 「〜母のひつぎに寄せる男の子守歌」 となっているように、実際に自分の母親の死に直面し、その後に作曲された悲嘆の曲だという。私は初めてこの曲を聴いた。
あまりにも暗くて、しかしそれはセンチメンタルな甘い悲しみの音ではなくて、もっと静謐で、色の失われた祈りのような音色に満ちている。
ジンマンの指揮は、見ているといつでもやや 「粘りがある」 というか、「ねちっこさ」 というような俗な言い回しを使うと否定的な意見と誤解されてしまいそうだが、丁寧過ぎる指示がやや鬱陶しい感じの時も確かにあるかもしれない。
ただ、こうしたブゾーニのような曲の場合は、それはむしろプラスに働いていると思うべきである。
そしてこの曲は、1911年2月21日にマーラー/ニューヨーク・フィルにより初演されたのだそうだが、そのコンサートはマーラーの最後の指揮だったという。それから約3ヵ月後の5月18日にマーラーは亡くなっている。

この曲について簡単に書いてみよう。
曲の重要なパートはバス・クラリネットである。冒頭、4小節目からバスクラのソロが始まるが、この低音のソロを支えるのはヴィオラ、チェロ、コントラバスで、曲全体が低音部を主体に進行していくのでイメージは暗くて重い。
クラリネット、フルートにホルンなどの加わる和音はきれいに響いたり、時に不協和となったりを繰り返して、その微妙なバランスがとれていると溶暗の中に輝きがほの見える。

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20小節目からオーボエがソロをとり、そして40小節目から弦が揃って入ってくる。ただ、その暗いテンポはずっと持続され、重さも同様に下のほうに淀んだままだ。

54小節目から3連符のうねるような弦が始まり、主にヴィオラがずっとそのうねりを持続させていく。79小節めでそれが終わるとフルートがそれを引き継いで上行していくと、81小節目 di nuovo calmissiomo からのチェレスタとハープによる冥府への足音のような繰り返す音群から逃れるように、1小節遅れた82小節目からヴァイオリンが孤独な叫びをあげるが、ほんの3小節でそれもすぐに消える。dolciss.と指示されているが私には悲痛な印象にしか聞こえない。

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99小節目からふたたび、今度はバスクラの3連のうねりが始まり、でも弦はもはや言葉を失ったごとくぼんやりとした音を繰り返すだけで、100小節目からのヴァイオリン+ヴィオラ組とチェロ+コントラバス組は、4分音符を1とすると2+2の交互な音の繰り返しなのだが、それらは1拍分 (4分音符) ずれている。
そして106小節からのヴァイオリン+ヴィオラ組は相変わらず2+2の連鎖だが、チェロ+コントラバス組は1+3の連鎖なので、和音のずれから来るぼんやりとした雰囲気は続く。
114〜116小節にチェレスタとハープが突如甦って弱く応じるが、そのまま溶暗は明けない。最終小節 (108小節目) に弱くゴングが鳴り響く。弦はチェロが、下からe、a、dという音で、ヴァイオリンは下からg、c、fと鳴り、つまり下から各4度で積み上がっている和音だ。コントラバスはfとcで、最低音付近の間隔は5度になっている。

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どこにもむずかしかったり速いパッセージだったりという部分はほとんど無くて、でも全体的にまとめるのには指揮者のヴィジョンがとても重要そうな曲に思える。

一度聴いただけではよくわからなかったが、こうして楽譜を参照してみると禁欲的な美しさのある曲で、ジンマンの解釈もよくわかった。
マーラーは過去の有名曲を編曲して指揮したりしたことで知られているが、ブゾーニはバッハなどの校訂版でも知られる人である。そしてジンマンもまた、ベートーヴェンのシンフォニーへのトリッキーともいえる解釈があったことで知られる。
コンポーザー第一主義という私の考え方からすれば、マーラーやジンマンのやりかたはちょっと、と思えるのだが、このブゾーニを聴いて、ジンマンのマーラーやベートーヴェンへの興味が増したことは確かである。


David Zinman, Tonhalle Orchestra Zurich/
Mahler Symphonies nos.1-10 (RCA)
Mahler: Symphonies 1-10




David Zinman, Tonhalle Orchester Zürich/
Beethoven: 9 Symphonien, Ouvertüren (BNG Japan)
ベートーヴェン:交響曲全集&序曲集

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コメント 2

Loby-M

ジンマンの指揮する交響曲は聴いた覚えはありませんが、
Ferruccio Busoni の Berceuse élégiaque, Op.42, BV 252aは、(私も初めて聴きました)たしかに静かで厳かな曲ですね。
あまり悲しい曲調ではない感じですが、死の厳かさを伝えているように思います。

by Loby-M (2013-04-13 23:15) 

lequiche

>> Loby-M様

コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、悲しい曲調ではないですね。
むしろ諦念というか沈黙の音のような気がします。
(形容矛盾ですが) ^^;

ブゾーニというとなんとなく取っつきにくい印象がありましたが、
こういう曲もあるのだと思って、ちょっとホッとしました。
そしてジンマンはかなり自信を持って振っていたように見えました。
by lequiche (2013-04-14 03:19) 

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