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バルトークのSix String Quartetsへの走り書き [音楽]

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Hungaroton のバルトーク新全集について、このブログにはまだ《コシュート/かかし王子》の盤について書いただけだが (→コシュート/2013年03月14日) (→かかし王子/2013年03月25日)、このシリーズにはSACDと普通のCDとがあって、とりあえずSACD盤については、手に入るものだけは揃えてみた。
《コシュート/かかし王子》はNo.2なので、番号順に聴いていこうと思っていたのだが、その原則はすぐに崩れ、やはり弦楽四重奏曲に手を出してしまう。シリーズ番号はNo.13・14である。

Hungaroton盤の弦楽四重奏曲はミクロコスモスSQで、Gábor Takács-Nagy, Zoltán Tuska, Sándor Papp, Miklós Perényi の4人である。
メインとなっているのは1stヴァイオリンのタカーチ=ナジとチェロのペレーニで、タカーチ=ナジはタカーチSQの創設者なのだが、現在のタカーチSQはメンバーが変わっていてタカーチという名前だけが残っている。
バルトークの弦楽四重奏曲はものすごい数のCDが発売されているので、全部の演奏をとらえるのはむずかしいのだが、タカーチSQの2回目の録音 (1stが Edward Dusinberre のDecca盤)、ジュリアードの2回目か1回目 (だと思う)、それにごく私的な好みなのだが、以前はパレナンをよく聴いていた。

このミクロコスモスSQは、今日初めて聴いたばかりだし、それと過去の他のSQの演奏とを、記憶だけで聴き較べもせずに書いているので全然見当外れなことを書くかもしれない。
2008年という最近の録音なので、音は太く豊潤でクリアなのだが、ひとことでいうと柔らかなトーンで占められていると思う。柔らかなのがいけないのか、とか、バルトークはもっと峻厳でなければならないのか、と問われれば決してそういうことはなくて、しかも比較的わかりやすくて明るい感じの音なのだが、そうした傾向なので、たとえば6番などは非常に曲調に合っていていい演奏なのだが、2番とか4番だと、ちょっと柔らか過ぎるというのかカドが丸過ぎるような、漠然とだがそういう印象を受けた。
特に4番のバルトーク・ピチカートは物足りない。すごく美しいピチカートなのだけれど、でもこれだとちょっと違うかなぁ、つまり切迫感が無いような気がする。
音そのものではないのだが、5番の最後で突然プリミティヴな民謡風の音になる個所でも、それがごく自然に突入していくために唐突感がない。これは無いものねだりなのだろうか。

ただ、こういうふうなアプローチこそが21世紀のバルトーク解釈なのかもしれないとも思う。もうこれからは、ただ気難しいだけのバルトークではなくて、もっとこなれた解釈となによりも音のきれいさ、というのが今日的なバルトークなのかもしれない、というのが率直な感想である。それは他のHungaroton盤の新全集のコチシュの演奏などからも同様に感じられることだ。そうした傾向がよいことなのかそうでないのかはまだわからないが、つまりバルトークはもはや居所が確定しつつある古典なのだ。
ミクロコスモスSQはまだ1回きり聴いていないし、そして普段ならこのブログの話題として書くときは少なくとも数回は聞き返すのが通例なので今日のブログは特殊である。タイトルを走り書きとしたのは一種の言い訳なので、しばらくたつとまるで違う意見を書くかもしれない。


Mikrokosmos String Quartet/Bartók: The Six String Quartets
(Hungaroton)
Bartok: the 6 String Quartets

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