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坂本龍一《音楽図鑑》を聴く [音楽]

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3月25日発売になった坂本龍一《音楽図鑑》2015 Editionを聴く。2枚組で1枚目が音楽図鑑本編、2枚目がアウトテイク集成という構成。オリジナルは9曲だったが、今回は+6で全部で15曲となっている (ネットの某CDショップで13曲の表示としているのは間違い)。
まだ、ざっと聴いただけで細かい部分がよくわからないので、ごく雑なインプレッションでしかないが、とりあえず音は相当キモチイイ。

中に入っているパンフレットに楽曲の解説があるが、『Keyboard Magazine』2015 Spring号で特集されている内容とかなりカブッている。キーボードマガジンのインタヴューアーとパンフの解説者が同じなので (國崎晋) 仕方がないといえば仕方がない。内容的にはキーボードマガジンのほうが詳しい部分があるので、その内容に沿ってみる。

レコーディングは1983年1月12日から始まり、翌84年8月9日にアナログ盤のマスタリングができあがったとのことで、1年半以上の時間がかかっているが、べったりとそれだけをやっていたわけではないので、実質はその半分くらいなのだろう。
前半と一時中断してからの後半の違いは、まさにこの頃、アナログからデジタルへの変換が起こった時期で、アナログレコーダーからデジタルレコーダーへ、そしてFairlight CMIの導入という変化があったとのことである。

Fairlightは当時俄然注目を浴びていたサンプリングマシーンだが、これについて坂本は次のように言っている。

 今考えるとすごくチープなんですけど、初期のアート・オブ・ノイズも
 たくさん使っているように、あのチープなつぶれた感じ……8ビットの
 感じがすごく新鮮でした。芯のないところがかえってバーチャルな感じ
 で。ちょうどリドリー・スコットが監督した映画『ブレードランナー』
 がはやっていた時代ですから、レプリカントな音のように感じていまし
 たよ。(p.14)

また同時にヤマハの最初のデジタルシンセDX7を使い始めたわけだが、そのヤマハや、ローランド、コルグといった日本メーカーのシンセについて坂本は、音が薄い、ボトムがない、人工的でプラスチックであったと語る。その軽さとかぺらぺらさに魅力を感じたというのは、Fairlightに対するチープさの魅力と同様である。
芯の無い音に対して、なぜこういう音をわざわざ使っているのかという疑問があったので、この発言は意外だったと同時に納得できた。
それとDX7のエディットに関して、重層的なファンクションであることによる使いにくさというのを指摘していて、ファクトリープリセットでしか使えない (パラメーターをいじれば必ず元の音より悪くなってしまう) というような印象は間違いではなかったということもよくわかった。

坂本の音の好みはmini moogとodysseyだったらだんぜんodysseyで、moogの音はロック的でぶっといけれど、arpは日本のシンセに似て軽く細くて、ぺらっとしていて色気があると言うのである。
FairlightやDX7が好みでmoogはあまり好きでないというあたりに坂本の音の傾向が見えてくる。それは 「保守的なジャズが嫌い」 とか 「ロマン派が嫌い」 という発言にも共通して現れている坂本の好き嫌いの強さである (でもビル・エヴァンスは好き。ワーグナー、ブルックナー、マーラーは嫌いだけどシューマンやブラームスならOKとのこと)。

disc 1を聴いてみて、まず思ったのがtrack 5の〈旅の極北〉は《ブレードランナー》のエンドタイトルっぽいということ。以前はそんなふうに感じなかったが、今聴くと、繰り返し固有名詞が出てくることからもリドリー・スコット/ヴァンゲリスをかなり意識しているような気がする。特にイントロのドラム音のリズムのうえに、ふわっとしたシンセが乗るところでは思わずラストシーンのハリソン・フォードの映像を思い浮かべてしまった。途中でサックスが出てくるところもそうした連想に加担する。ただヴァンゲリスに較べると、坂本のは音が軽くて薄い。つまり上記で書いたような音色への好みの差である。

トラックシートの解説のところで、〈旅の極北〉のドラム音を作っているのはFairlightで、その 「キックとスネアによる “ドドバッ” っていう強じんな音」 は 「Linn Drumでは作れなかった」 音であって、この音が 「のちに 「未来派野郎」 につながって」 いく、と解説されている (p.23)。この曲の中心となるのはやはりこのドラム音でしかない。《未来派野郎》の〈Broadway Boogie Woogie〉はまさにこの強い音のヴァリエーションである。

坂本はアナログレコーダーからデジタルレコーダーに移行したとき、マルチの24trのテープヒスはすごくて、けれどデジタルは静かでテープヒスがないことに対してそれを 「とてもブレードランナーっぽい」 と表現している。気配のないところから突然立ち上がる音の感じが人工的であることをそう形容しているのだ。
track 3のParadise LostのコンセプトをJ・G・バラードの『結晶世界』を表したかったとも言っていて、SF的なイメージに対するこだわりが強い。

前ブログのブロードウェイ・ブギウギで、高橋幸宏のジャケットデザインとモンドリアンの色彩には共通する意識があると私は指摘したが、坂本のこの後のアルバム《Esperanto》(1985) の頃、細野晴臣のサントラ《銀河鉄道の夜》(1985/宮澤賢治原作・ますむらひろしのキャラ設定によるアニメ映画) のジャケット表示はエスペラント(語) だったことに思い当たった。これもYMOの3人に共通する指向の共通部分であり共有された了解事項だと思う。

私がこのアルバムで一番好きなのは、オリジナルのアルバムの終曲であった〈A Tribute to N.J.P.〉である。N.J.P.=ナムジュン・パイク (1932−2006/ヴィデオ・アーティスト) のために作られたごく短い曲だが、サックスとピアノだけの現代曲的なメロディを持っていて、とはいってもソフトで決して難解ではなく、途中にパイクの声がコラージュされる。
今回のヴァージョンではこの曲が終わりではなくなってしまったのが残念だが〈マ・メール・ロワ〉や〈きみについて〉が追加されているのだがら良しとしなくてはいけない。

disc 2は未発表というよりは未完成曲が多くて、初めて聴いたときは、こんなの出していいの? と思ってしまったが、何回か聴くうちにやはり面白さが増してきた。逆にいうと、最初は坂本龍一だってこんなものなのであり、そこからいかにブラッシュアップしていけるかが重要なのである。
〈Self Portrait〉の吉田美奈子ヴァージョンは、主メロディの音がありきたりなピアノ音に聞こえて、単なるガイド音なんじゃないかと思ってしまったが、よく聴くと気持ち悪い音でそのキモチワルサ加減がちょっといい。
disc 2の〈旅の極北〉はサックスもベースも入っていない、メロディだけが裸で聞こえるトラックだが、その音自体がくぐもっていて、まるでわざと古くした録音を聞くようで、ゲルニカ (上野耕路) の作る音を思い出してしまった。

キーボードマガジンの西田彩の《音楽図鑑》アルバム解説はちょっと面白くて、「本作のそれぞれの曲にはアノニマスな中庸さや端正さというものが感じられ」 るとのことで、それは坂本がこのアルバムを作るとき、何も考えずにスタジオに入ってそこで曲を作っていくという行為を表現した 「自動筆記」 による手法が、無意識下のものを拾い上げる方法 (集合的無意識の記譜) であったと指摘しているのである (p.55)。
アノニマスな中庸さというのは、つまり 「聞きやすさ」 なんだろうけど、このアルバムのキャッチーさを表現しているということでは的確である。
ただ、同時にリリースされた《Playing the Orchestra 2014》は中庸さがやや勝ちすぎていて、ともすると睡魔に襲われてしまう心地よい時間が収められている。これも大きめな音で細かく聴いていけば結構楽しめるのかもしれない。


坂本龍一/音楽図鑑 2015 Edition (midi)
音楽図鑑-2015 Edition-(紙ジャケット仕様)




坂本龍一/A Tribute to N.J.P.
https://www.youtube.com/watch?v=fHk90NumRCo
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DON

教授 中学校の先輩です(;^ω^)
by DON (2015-03-29 19:53) 

lequiche

>> DON 様

おー、そうなんですか。いいなぁ。
サインもらってください。(コラコラ ^^;)
by lequiche (2015-03-30 01:32) 

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