Emily — ベス・ニールセン・チャップマン [音楽]
Beth Nielsen Chapman
人間の記憶というものはいつも曖昧で、あちこち欠落していたり、間違えた記憶が挿入されていたりする。
特に音楽の記憶というのはそれ自体が抽象的だから、それをいつ聴いたのか、なぜそれを聴いたのかが後になってみると全然わからなかったり、それを偶然耳にしたためなのだろう、時間の流れのなかで長い線とはならず、ポツンとした点のような記憶の小さな傷でしかなくて、でもその聴いたという記憶だけは、独立した意外に強い印象として存在していて、記憶のなかで暗く輝いたしこりのように残っていたりする。
それはたとえばバリー・マニロウとかエディ・マネーとか、ジェニファー・ウォーンズだったりもするし、ベス・ニールセン・チャップマンもそうである。
ベス・ニールセン・チャップマンの《Beth Nielsen Chapman》は1990年にリリースされたアルバムで、2ndアルバムではあるが、実質的には彼女の1stと言ってもよい。自分の名前をそのままストレートにタイトルにしたシンプルさが、このアルバムに賭ける意欲を感じさせる。
例によって曖昧な私の記憶によれば、何の予備知識もなく買ったのは覚えているのだが、そのきっかけは覚えていない。でも、禁欲的とも思えるピアノに向かっているベスの姿を写したモノクロームのジャケットに魅かれたわけではなく、何らかの音楽の断片を聴いたからに違いない。それは雑多なトラッシュの集合のような色彩のCD棚のなかで異彩を放っているように見えた。
彼女の声は澄んでいて美しいのだけれど、とりたてて特徴がない。あくの強さとか、ぎらっとした個性の輝きのようなものがなくて、無難ともいえる周波数の範囲内に収まっている優等生的な歌のようにも思える。
だが、ちょっとした音と音の狭間に、ほの暗い影が見え隠れする。それは彼女のその後の人生の前哨だったのかもしれないがそこまで穿ってしまうのは考え過ぎだろう。
1990年という時代は私にとって何も音楽の無かった時代だ。どんな音楽を聴いていたのかも、ほとんど記憶にない。単純に聴いていなかったのかもしれない。それとも他に何かかまけることがあったのだったかもしれない。
前記のジェニファー・ウォーンズがレナード・コーエンを歌った《Famous Blue Raincoat》が1987年、そして翌1988年にはエンヤの《Watermark》がリリースされている。このエンヤの大ヒット作品がこの時期のエポックであり時代性を表しているようにも思える。全く同じ日にコクトー・ツインズの《Blue Bell Knoll》もリリースされているが、このアルバムあたりからコクトーズの音楽は沈下し始まったように思えたし、その翌年、1989年のケイト・ブッシュの《The Sensual World》には明らかに《Watermark》の影響があった。
ブルガリア、ケルトといったプリミティヴな音に頼ろうとするのは、ジプシー・キングスでも証明されていたように、ワールドミュージック的なエキゾティク・テイストの甘い罠である。
1991年にセルジュ・ゲンズブールがボロボロになって亡くなる。フレンチポップスはすでに死に絶え、すべての夢はゴロワーズの煙とともに消えていった。
つまりあまり強固な音楽が存在しなかった時期のようでもあって、そうしたなかでのベス・ニールセン・チャップマンだったのだと私には思える。もちろんそれは私の惹かれる音楽ということにあくまで限定したうえでのことなのだが。
ときどき忘れた頃にこのCDを出して聴いてみる。いつでもベスは変わらずそこにいる。派手ではないけれど決して裏切らないその歌。
ベスのこのアルバムには、さりげなく始まる1曲目の〈Life Holds On〉から、どれも捨て曲が無い。5曲目の〈All I Have〉で少しピークがあるが、アルバム末尾の3曲、〈That’s the Easy Part〉〈Emily〉〈Years〉という連鎖がこのアルバムのすべてである。
ローズの音がやや時代を感じさせるが、でもそれはごく慎ましく、そんなに古びた印象を与えない。物憂さと悲しみとあきらめは、ごくささやかな薄く軽い言葉のなかにこそある。
Beth Nielsen Chapman/Beth Nielsen Chapman (reprise)
Beth Nielsen Chapman/Emily
https://www.youtube.com/watch?v=-yCmXyompVc
ゲンズブールは今もしょっちゅう聴いています。割と古くならない曲が多いですね。コーエンはWOWOWで比較的新しいライブを観ましたが、「カッコいい!」のひとこと!!
RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2015-12-30 08:33)
このようなお話しに入りたいと思いながら
私も何を聴いていたのか思い出せません。
いや、聴いていなかった・・・・
いつからでしょうか? 伺うようになったのは?
今日は今年最後の投稿です。
ありがとうございました。
良いお年をお迎えください
by majyo (2015-12-30 16:08)
年末のご挨拶に伺いました。今年も大変お世話になりました。
毎回のご来訪と訪問は楽しみでもあり、大変 力付けられました。心からお礼申しあげます。
来る年が、佳き年でありますように。 ^^
by 般若坊 (2015-12-30 18:00)
エンヤさんやブッシュさんなど、
ぼくの嫁のレコード棚にある名前が
いっぱい出てきて親しみがある記事でした♪。
まだエンヤさんは聴いたことがないのですが、
今度(1月10日)にレコードプレーヤーがアマゾンから
届くので聴けるのが楽しみなこの頃です♪。
(ケイト・ブッシュさんはCDでいっぱいあって今聴いています♪)
嫁にこの記事の話をしたら面白くその辺のミュージシャンの
話を色々してくれてへぇ〜と思いました♪。
チャップマンさんは嫁のレコード棚にあるのは黒人さんので
別人でしたが^^。
「チャップマンなんていっぱいある名前だからねぇ」って
嫁が言っていました(=´∀`)人(´∀`=)。
by すーさん (2015-12-30 20:44)
聴いたコトのない楽曲が多いのですが、
いつも音楽についての深く広い知識が素晴らしいなと感じております。
今年1年ありがとうございましたm(__)m
良いお年をお迎えください^^。
by DEBDYLAN (2015-12-30 22:01)
>> 末尾ルコ(アルベール)様
ゲンズブールの楽曲はチープなような見えて、
風化しないしたたかさを持っているように思えます。
レナード・コーエンはますます意気盛んという感じがします。
渋いですけど色気がありますね。
WOWOWじゃないですけど、何か他の動画を観て、
すごい人だなと思いました。
by lequiche (2015-12-31 02:05)
>> majyo 様
いつもありがとうございます。
記憶というのは不確かなもので、
それはこの前読んでいた生物学の本に拠れば、
記憶を司る脳は、たんぱく質でできているし、
設計的にもつぎはぎであまり出来のよくないものだから
性能が悪いんだということらしいです。
音楽なんて必要無いときは聴きませんし、
それが人間の精神にとってどういう作用を及ぼしているのか、
生物学的にはどうなのか、も興味がありますね。
majyoさんのブログの内容と私のブログの内容は
随分違うのかもしれませんが、それは問題ではありません。
問題は、ひとつのテーマとかサブジェクトに対して
その人がどのように対峙しているのかどうかであって、
それに共感するかどうかなのだと思うのです。
全然自分の知らない分野でも、
いや、むしろ知らない分野だからこそ、
とても興味を持ってしまうということがあると思うのです。
などと勝手なことを書きましたが、
また来年もどうぞよろしくお願い致します。
by lequiche (2015-12-31 02:05)
>> 般若坊様
わざわざご来訪いただきありがとうございます。
たとえばひとりの作曲家について掘り下げていくことは、
ごく初歩的な内容でも、他人に説明するのは大変だと思います。
自分が感動したものを伝えたいという情熱が、
一生懸命な内容となってブログに反映するのですね。
これからも大変でしょうが、がんばってください。
by lequiche (2015-12-31 02:06)
>> すーさん様
すーさん様っておかしいかな? まぁ、いいや。(^^;)
いつも手書き文字風フォントのブログを拝見していますが、
ソネブロの中で最も美しいブログ画面デザインだと思っております。
エンヤとケイト・ブッシュはその表面的な音楽性は異なりますが、
そのプロデュース力がものを言っているということにおいては同格です。
簡単にいえば良いスタッフがいるということです。
ケイト・ブッシュにはハズレがありません。それと実は歌詞が重要です。
アナログレコード、最近流行しているみたいですが、
プレーヤー買われたんですか! 新年早々、早速楽しみですね。
チャップマンといえば、ふつうはトレーシー・チャップマンです。
日本語ウィキペディアには
ベス・ニールセン・チャップマンの項目は無いですし。
ベスの声はカレン・カーペンターのような花がありません。
つまりモーツァルトに対するハイドンみたいなものです。
でもその花の無いところがいいんです。
あと、まぁ、チャップマンという姓でいえば
F1デザイナーだったコーリン・チャップマンのほうがもっと有名ですが、
あまり普通の人はご存知ないんじゃないかと思います。
by lequiche (2015-12-31 02:06)
>> DEBDYLAN 様
えええ? そうなんですか。
DEBDYLANさんなら、なんでもご存知なんじゃないかと思ってました。(^^)
私の知識など浅く狭くて片寄っていてダメダメなんですが、
自分の知っている範囲で書いていれば、
なんとかなるんじゃないかというテキトーな内容なんです。
そんなことないよう、などというギャグはナシです。(^^;)
こちらこそありがとうございました。
今年最後のライヴも御盛況だったようですね。
是非一度、拝聴したいと思っております。
by lequiche (2015-12-31 02:07)
今年もありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします^^
よいお年を!
by ぽちの輔 (2015-12-31 05:33)
lequicheさん、今年はありがとうございました。
ここだけの話、私がAmazonとHMVのまわし者であることを見抜いたのは、lequicheさん、あなただけです!(笑)
来年も楽しいコメントを期待しております!!
では、良いお年を・・・
by Speakeasy (2015-12-31 08:09)
>> ぽちの輔様
こちらこそありがとうございました。
いつもブログを参考にさせていただいております。
お身体大切に、よいお年をお迎えください。
by lequiche (2015-12-31 14:14)
>> Speakeasy 様
こちらこそいつも勉強させていただいております。
今年1番のヒットはCHVRCHESですね〜。
私はニュースに疎いのでいつも目から鱗です。
Speakeasyさんは尼&犬の宣伝担当とのことですが、
でも、おいしそうなCDやLPの画像を貼るのは
精神衛生上、ぃゃ、経済管理上よくないので
ずぇーったいにやめてください。(^^;)
来年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2015-12-31 14:14)
今日は~ 訪問・nice!有難う御座います。
今年一年・我が拙いブログにお付き合い頂き有難う御座いました。
来る年もお付き合いの程・お願い申し上げます。
年の瀬でお忙しい折・お身体に気を付け、良いお年をお迎え下さい
来る年が・明るく幸有る年に、成ります様に・・・。
by okin-02 (2015-12-31 14:24)
>> okin-02 様
あっという間の1年でしたが、いつもありがとうございます。
okin-02さんのトップ写真の定点観測は季節の移り変わりがわかって、
自然の移ろいの様子に、時にしんみりしたりします。
また来年もかわらぬブログを期待しております。
by lequiche (2015-12-31 16:05)
今年一年ありがとうございました
良い年をお迎え下さい
来年も宜しくお願い致します(^^)
by (。・_・。)2k (2015-12-31 19:28)
一年間ありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
by 青山実花 (2015-12-31 21:20)
あけましておめでとうございやす!
今年も専門的知識のつまった貴ブログで勉強させていただきやすo(◎o◎)o
by ぼんぼちぼちぼち (2016-01-01 18:15)
>> (。・_・。)2k様
あけましておめでとうございます。
年が改まってしまいまして申し訳ございません。
こちらこそ今年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2016-01-02 02:24)
>> 青山実花様
あけましておめでとうございます。
こちらこそありがとうございました。
今年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2016-01-02 02:24)
>> ぼんぼちぼちぼち様
あけましておめでとうございます。
早速お越しいただきありがとうございます。
専門的知識というには、あまりにおこがましい内容ですが、
テキトーに書いていきたいと思います。
さて、いよいよオフ会ですね〜。
by lequiche (2016-01-02 02:24)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。 ^^
by 般若坊 (2016-01-02 11:49)
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い致します(^^)
by (。・_・。)2k (2016-01-03 11:56)
>> 般若坊様
あけましておめでとうございます。
年末&年始とご挨拶いただきありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2016-01-03 14:23)
> (。・_・。)2k様
あけましておめでとうございます。
いつも素晴らしい作品のupをありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
by lequiche (2016-01-03 14:24)
う~ん、またniceが押せない。
エンヤはあの当時、一世を風靡しましたね。ベス・ニールセンの歌声はその陰に隠れてしまっていたのでしょうか。
by sig (2016-01-06 21:06)
>> sig 様
あらら。不具合が増しただけのメンテですね。
はい。オリノコのみが突出して流行しましたが、
私はエンヤの本質とは少し違うんじゃないかと思っています。
でも、一度流行すると同じテイストばかり求められます。
エンヤは最近久しぶりに新譜がリリースされましたが、
どうなっているのか興味があります。(まだ聴いていません)
ベスはどっちにしろ、エンヤと較べればマイナーですから、
大ヒットはしなかったでしょう。
食べ物と同じで、ウケるのは濃い味のものばかりです。
by lequiche (2016-01-07 05:16)