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主をなくした槌 — ピエール・ブーレーズ [音楽]

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Pierre Boulez (1964)

数日前、深夜にネットを見ていたらブーレーズが亡くなったというニュースがあった。
ブーレーズのストラヴィンスキーについては先月に書いたばかりだし (→2015年12月23日ブログ)、ブーレーズのマーラーについても一度書いてはみたけれど (→2015年06月28日ブログ)、まだ書きたいことは山ほどある。
すでに90歳だったし、最近は動向が伝わって来なかったのでいつかは来ることだと思っていたが、それが現実のことになると気持ちが沈んで、全ての色彩が少しだけ色褪せたようになる。

それで以下のことはほとんど記憶だけで書くので、きっと曖昧なことや間違ったことがあるかもしれない。本当ならもっと緻密に書くべきだろうし、ブーレーズに叱られてしまうかもしれないが。いや、叱られたら本望できっと歯牙にもかけない内容でしかないに違いない。
ただブーレーズ・エヴァンジェリストとしての私には、拙い言葉であったとしてもそれで書くしか手段がないのである。

ブーレーズについて書かれてあったことで一番面白かったのはHMVの解説である。晩年は非常に落ち着いた好々爺を演じていたが、若きブーレーズは過激で突出した言動が多かったことが指摘されている。それは若い頃の著作 (たとえば前ブログで引用したストラヴィンスキーに関する批評) でも顕著なように毒舌と比喩の積み重ねの回りくどさの標本みたいで、簡単に抗うことができない。

 この頃のブーレーズは過激な言動でも知られていた時期で、「オペラ座を
 爆破せよ」 「シェーンベルクは死んだ」 「ジョリヴェは蕪」 「ベリオはチェ
 ルニー」 といった数々の暴言が、現在のブーレーズからは信じられない
 刺激的なイメージを伝えています。

「オペラ座を爆破せよ」 や 「シェーンベルクは死んだ」 はよく知られているが、「ジョリヴェは蕪」 「ベリオはチェルニー」 というのには笑った。もっともなぜ蕪なのかはよくわからないのだが。

ブーレーズの最初のプロとしてのまとまった仕事は、1946年、コメディ・フランセーズを出て旗揚げしたルノー=バロー劇団の音楽を担当したことである。wikiのジャン=ルイ・バローの項目に拠れば、当時の音楽担当としてブーレーズとモーリス・ジャールの名前がある。モーリス・ジャールは映画《アラビアのロレンス》や《ドクトル・ジバゴ》の音楽を担当した人で、ジャン・ミシェル・ジャールの父親である。
ブーレーズにとってルノー=バローは、その時代の突出したアヴァンギャルドであると同時に、ある程度の生活資金を得るためのルーティンワークでもあった。

そんななかでブーレーズは《Le marteau sans maître ル・マルトー・サン・メートル》を書く。それは1947年から行われたダルムシュタット夏期現代音楽講習会 (Darmstädter Ferienkurse) と連動していて、いわゆる理論と実践である。
ダルムシュタットで行われたこと、少なくともブーレーズ一派によって行われたことは、戦後すぐからのセリー・アンテグラルの布教活動に近くて、そうした最先端の理論によって、1945年に亡くなってしまったバルトークのような新古典主義的な音楽は時代遅れの音楽として抹殺されてしまった、というふうに私は理解していた。それが実際にそうだったのかどうかはわからないが。

しかしシェーンベルクに影響を受けたといわれていたブーレーズは次第にシェーンベルクから離れ、そして 「シェーンベルクは死んだ」 発言が出るのだが、もっと遠くから、つまり21世紀の今から見てセリーとは何だったのかを考えると、それが定着して、音楽としてのひとつのステージを形成したのかというとはなはだ心許ない。堅固に構築されていたはずのステップは崩れ、蛇行した川にとり残された三日月湖のように水たまりとなって残っているのではないかとも思えるのだ。そのときは斬新で輝いていたように見えたけれど、今になると妙に古臭い感じのするプラスチックなフュージョン音楽のかつての流行とそれは同じだ。
なぜならセリーを例にとるまでもなく、理論だけで押し進めてもそこには情動がない。音楽が心の起伏を映すものだとするのならば、100%のシステム構築では付け入る隙が無いのだ。

《ル・マルトー・サン・メートル》のネタは、ルネ・シャールによる同名の詩集である。José Corti から1934年に出されたそれは、シュルレアリスムの作品であるが、シュルレアリスムはそのムーヴメント自体が次第に変質して失速し、結局それはムーヴメントではあったが、それが何を残したかというと極端に言うのならばブルトンの作品が残っただけなのである。他の作品はいわばブルトンを生き残らすための捨て石に過ぎない。

アンドレ・ブルトン自身は音楽に対して積極的な意欲を示さなかった。したがってシュルレアリスムとしての音楽は無い。実際に無くはないのだけれどそれは末節的な扱いきり受けていないし、ブルトン自身が志向したシュルレアリスムは美術とか書かれた文字によるものであり、沈黙の思考なのである。

バルトーク・エピゴーネンでバルトーク・フォロアーであった私は、ブーレーズを目の敵のように思っていた時期があった。しかし、ブーレーズは齢を重ねるにつれて、作曲活動だけでなく指揮活動をするようになり、最初それは自作の曲をより正確に再現するためのものだったのかもしれないが、やがて普通に他の作曲家の作品を振るようになった。
私が最初に聴いたブーレーズのバルトークは《青髯公の城》である。それは例えばフンガロトンの全集に収録されている青髯とは全然違っていて、すごく簡単に言えば冷たい触感があるのだけれど、それは見せかけで、その裏にある熱いパワーが巧妙に隠されているような、そうした印象を持った。

つまりブーレーズが変質していったのか、それとも最初からあの攻撃的な姿勢は韜晦であったのかは定かでない。あまりにも新しい演出で非難囂々であったバイロイトでのスキャンダルなどを見ても、アヴァンギャルドな体質は変わらないのかもしれない。
だが、ブーレーズの振る古典的な作曲家の中で (古典的という場合の音楽の範囲が果たしてどこまでなのかを特定するのはむずかしいが、つまりブーレーズの音楽的領地内における古典と考えた場合)、私が一番感銘を受けたのはバルトークであった。
バルトークはアヴァンギャルドでありながら調性が存在し、妙に古典的で、それでいて整合性があるように見えて、あちこちに何かわからないものが立ち現れる。それはバルトークの仕掛けた罠で、たとえばレンドヴァイのようにそれに簡単に引っかかってしまうネズミもいるのである (ブーレーズ風な皮肉を真似してみました)。罠は見せかけで本質はパッションである。パッションが見えないと罠だけが見えてしまう。そうしたパッションが本来の音楽的情動であると思うし、そうした悲しみがピーター・エルズに幻聴を見せたのだと思いたい (ピーター・エルズとはリチャード・パワーズの小説に出てくる現代音楽の作曲家である→2015年10月09日ブログ。アメリカのうらぶれたホテルでの孤独な作曲家の悲しみはバルトークの悲しみをトレースする)。

バルトークが亡くなってから70年、その音楽は残った。おそらく100年経ってもまだ残っているだろう。ブーレーズの作品が100年後になったらどうなるのか、それがバルトークやマーラーのように発表当時は難解でわからないと言われたのにもかかわらず、やがてリスナーの耳が発達して永遠のシートを獲得できるのか、それとも年月のあまたの泡とともに消えてしまうのであろうか。
どっちにしろ100年後には私はもういないから、それはどうでもよい。ただ、ブーレーズの解釈したバルトークを私は信じる。ストラヴィンスキーへの解析でわかったように、好々爺に変質してしまったかに見えるブーレーズは実は全然変わっていないのである。世渡りと、自身のプレゼンテーションに長けただけだ。

シュルレアリスム宣言は方法論のように見えて実は方法論ではないことと、ブーレーズのセリーから始まる技法への執着は似ている。つまりブルトンもブーレーズも、内心ではそれを信じていないところが似ているのだ。でも信じていないのだが信じていた、ないしは信じているフリをしていた。なぜなら領袖がそうしないとバカな弟子たちは納得しないからである。
ポール・フレールの本を読んだからといって車の運転が向上するわけではない。だから 「溶ける魚」 も食品サンプルであって、本当の料理ではない。では《ル・マルトー・サン・メートル》も 「溶ける魚」 だったのかというと、それはちょっと違うかもしれないとぼんやり思うのである。
音楽の理解度がどんどん上がっていくのと、演奏家のテクニックが上達していくのとには関連性がある。ブーレーズがそのうちPefumeになる日があるのだろうか。少なくとも100年経たないとその回答は出てこない。

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Pierre Boulez (Donaueschingen, 2008)


Boulez conducts Boulez: Le marteau sans maître (Deutsche Grammophon)
Boulez: Le Marteau sans maitre, Derive 1 & 2




スリリングなノタシォン II (ベルリン・フィルのオフィシャル)
Boulez/Boulez: Notation II (2009.06.06.)
https://www.youtube.com/watch?v=dyXGfztLEMA#t

ル・モンドの訃報には東京での演奏がリンクされていた。
Répons (1995.05.23. 東京ベイNKホール)
https://www.youtube.com/watch?v=oTrrPtpCIPA

Maurizio Pollini/Boulez: Sonata No.2
(live in Roma 2008) 1st movement
https://www.youtube.com/watch?v=-4ypICW8LXw
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コメント 9

サンフランシスコ人

(クリーヴランドで)ブーレーズ/クリーヴランドの演奏会に一度だけ行きました...
by サンフランシスコ人 (2016-01-09 07:55) 

末尾ルコ(アルベール)

ルネ・シャール!!大好きです!!!
ブーレーズの死はフランス各メディアも大きく取り上げていました。あらためてじっくり聴いてみたいと思います。

                      RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-01-09 10:35) 

lequiche

>> サンフランシスコ人様

それは羨ましいですね。
どんな選曲だったのでしょうか。
私はナマのブーレーズを聴いていません。
それは永遠に不可能になってしまいました。
by lequiche (2016-01-10 00:39) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

そうなんですか。
いろいろとご存知ですね。
ブーレーズはIRCAMでの功績が大きいと思います。
最もフランスが突出していた頃だったのでは、
という感じですね。
by lequiche (2016-01-10 00:39) 

サンフランシスコ人

ピエール・ブーレーズ指揮
クリーヴランド管弦楽団
1986(?)年11月
クリーヴランドのセヴェランス・ホール

ブーレーズ 『プリ・スロン・プリ』 (1984年「マラルメによる即興曲」改訂版)
バルトーク 『かかし王子』
by サンフランシスコ人 (2016-01-12 06:48) 

lequiche

>> サンフランシスコ人様

詳しくありがとうございます。
自作品を演奏するのにも最も油の乗っていた時期のようですね。
それにバルトークというのも魅力的です。
by lequiche (2016-01-13 02:26) 

サンフランシスコ人

感謝祭の週末の為、満席でなかったです....
by サンフランシスコ人 (2016-01-13 02:36) 

lequiche

>> サンフランシスコ人様

プログラムが近代曲&現代曲ですから、
しかたがないと思います。(^^)
by lequiche (2016-01-13 15:13) 

サンフランシスコ人

あの頃、クリーヴランド管弦楽団の演奏会は、大変人気があって売り切ればかりでした....
by サンフランシスコ人 (2016-01-14 03:00) 

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