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Tears for Ziggy — デヴィッド・ボウイ [音楽]

DavidBowie_160113.jpg

昨年7月に日本で、トニー・ヴィスコンティ/ウッディ・ウッドマンジーのコンサートがあった。それを知ったのはそのライヴが終わってからだったが、デヴィッド・ボウイの《The Man Who Sold The World》をそのまま再現するライヴだったという内容を読んだとき、なんだそりゃ? と思ったものである。だって、デヴィッド・ボウイは不在なのに。

でもよく思い出してみると、昔、21st Century Schizoid Bandというのがあって、これはキング・クリムゾンに以前在籍していたメンバーで構成されているのだが、肝心のロバート・フリップはいないというバンドなのだ。「器は多少違うけれど中身の味は似ている」 みたいな、老舗の名店に本家と元祖があるみたいなものだと思えば間違いない。
その厚生年金会館ホールのコンサートに行ったのを私は憶えているが、会場は異常に盛り上がっていて、しかも唯一クリムゾンを通過していないジャッコ・ジャクジグがフリップ・クローンで、こういうのもありなんだと納得した。ヴィスコンティもそんなノリでやりたかったんだろう、とその時は思っていた。

ただ、今思えば、ヴィスコンティがあえて《The Man Who Sold The World》を再現せずにいられなかったのは、もっとやむにやまれぬ思いがあったのかもしれない。

ニュースから知ったのだが、ヴィスコンティはfacebookに書いている。

 彼はいつだって自分のやりたいことをやってきた。彼は自分のやり方で
 やろうとしてきた。最高のやり方でやろうとしてきた。彼の死は、彼の
 生と何ら変わりなく──芸術作品そのものだった。彼は僕たちに『★』
 という置き土産を残してくれた。この1年ほど、こういう日がやってく
 るということを僕はわかっていたんだ。しかし、その覚悟まではできて
 いなかった。彼は愛と生命力に満ち溢れた、傑出した人物だった。彼は
 いつまでも僕たちと共にある。けれど、今は泣くのにふさわしい時だ。

 He always did what he wanted to do. And he wanted to do it his
 way and he wanted to do it the best way. His death was no
 different from his life - a work of Art. He made Blackstar for us,
 his parting gift. I knew for a year this was the way it would be.
 I wasn't, however, prepared for it. He was an extraordinary man,
 full of love and life. He will always be with us. For now, it is
 appropriate to cry.

1年前から彼はボウイがどうなるかわかっていた。でもそれを公言することはできなかった。ビルボード東京でのライヴはそうした思いの上に成立していたライヴだったのだ。そしてボウイとヴィスコンティが作りあげた最後のアルバム《Blackstar》がリリースされた2日後にボウイは永遠に不在となった。
ヴィスコンティは、かつてマーク・ボランを見送ったようにして、随分と長い時間を経て、今度はボウイを見送る。
Daily Mail Online の記事のタイトルは〈Tears for Ziggy〉という言葉で始まっていた。ジギーもボウイも、どちらも、もうこれからは伝説の名前なのだ。歴史のなかに縫い付けられた名前は、そこから動くことはない。

ブライアン・イーノもfacebookに 「Words cannot express」 と書いている。イーノもヴィスコンティと同様に、これまでに何回も、知っていた人が 「不在となること」 を経てきたのに違いない。

遅れてきたリスナーの私にとってのデヴィッド・ボウイは、まず最初に《Low》だった。あの少し退廃の入った重い音のなかに、かつての私は何を聴こうとしていたのだろうか。
ボウイを思い返すために、《Low》の中でのもっとも重要に思える曲、あえて歌の入っていない〈Warszawa〉を改めて聴いてみる。音楽は最も抽象的であると同時に、どうしてこんなにも具体的なのだろう。


David Bowie/Warszawa (live)
https://www.youtube.com/watch?v=j9rELaQztqk
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Rchoose19

デヴィッド・ボウイ・・・
最後に観たのが『戦場のメリークリスマス』だわ。
北野武が撮影時の話で
「言葉が通じないんだけど、なんだか側にいて笑ってるんだよなぁ」って
物凄い昔の話なんだけどね。
by Rchoose19 (2016-01-13 12:44) 

末尾ルコ(アルベール)

大ショックでした。近年ボウイと同世代、あるいはやや上の年代の人たちも大活躍しているのでよけいに。けれど「スター」と「芸術家」が違和感なく結び付いているボウイをかなり長い年月観続けられたのは幸福なことだと・・・。

                   RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-01-13 12:50) 

青山実花

最後まで美しい人でしたね。

ボウイさんの息子さん、
ダンカン・ジョーンズさんが、
素晴らしい感性を受け継がれていますね。
ダンカンさんの作られた映画、
「月に囚われた男」、「ミッション:8ミニッツ」は大傑作です。
lequicheさんがもし未見なら、
観てほしいなぁと思う作品です。

by 青山実花 (2016-01-13 15:01) 

lequiche

>> Rchoose19 様

そうなんですか。
あの映画以降、坂本龍一は映画音楽を本格的に作るようになったし、
北野武が自分で映画を作るようになったきっかけにも
なったんだと思います。
そういう意味で、エポックメイキングな映画ですね。
それと、デヴィッド・ボウイがあの映画によく出たなあ、
と思います。
by lequiche (2016-01-13 15:52) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

スターと芸術家、よい表現ですね。
ボウイはさらにジギーというトリックスターを創造しましたが、
そのボウイというキャラクターがすでに作られたものだったと思います。
年齢的にはまだまだだったはずですし、
最後まであきらめずにブラックスターを完成させていった、
というのに彼の完全主義をみるような気がします。
by lequiche (2016-01-13 15:54) 

lequiche

>> 青山実花様

ダンカン・ジョーンズはまだ観たことありません。
やはりDNAは伝わっていくんですね。
Source CodeはSFみたいですし、是非観てみたいと思います。

ボウイの音楽は常に映像的なニュアンスを持っていました。
それをたまたま音楽にしただけであって、
もしかすると他の芸術表現をしてもよかったのかもしれません。
でもボウイがそれをしなかったところに、
彼の音楽のなかの孤高な表情の意味がわかると思います。
by lequiche (2016-01-13 15:54) 

sig

音楽を語れない私でさえ、彼のなにかは私の中にありました。突然のニュースが信じられませんでした。惜しいです。寂しいです。
by sig (2016-01-13 21:15) 

Speakeasy

lequicheさん、メールへの丁寧なお返事ありがとうございました。とても嬉しかったです。

lequicheさんの本当の読み方が分かって得した気分でございます。絶対違うとは思っていましたが、勝手に【レクイチ】さんとか読んでいました(大笑)

ボウイの死は、とてもショックが大きく、ネットでボウイの記事を探してしまう一方で、もう見たくないと思ってしまう部分もあります。

最初に『Low』という渋いアルバム(ベルリン三部作の一枚目)に魅かれたというところは、【レクイチ】さん、おっと違ったlequicheさんのセンスの良さが伺われますね。

それにしても、演出の一部の様な死でした・・・冥福を祈ります・・・

by Speakeasy (2016-01-13 21:22) 

DEBDYLAN

代表曲ぐらいしか知らない僕ですが、
突然過ぎる訃報、
そして、ポップ史に名を残すアーティストが旅立ってしまったコトは、
ショックでした・・・

これから彼の音楽をイロイロ聴いてみようと思います。

R.I.P.

by DEBDYLAN (2016-01-13 23:41) 

lequiche

>> sig 様

病気のことを最後までひた隠しにしていて、
ラスト・アルバムを出していったというのがカッコ良過ぎます。
以前の記事にボウイの1stアルバムのことを書きましたが、
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2012-07-16
ボウイの音楽は一貫していて、変遷があるように思えても、
それはコマーシャルな戦略に過ぎません。
そしてそのコマーシャルな世界に迎合しているように見えて
自分のテリトリーを確実に守っています。
by lequiche (2016-01-14 00:42) 

lequiche

>> Speakeasy 様

レクイチいいなぁ! ココイチみたいで。(^^)
「怜句壱」 とか漢字にしましょうか。
「霊苦異血」 だと暴走族風。これもカッコヨス。(^^;)

デヴィッド・ボウイはすごいっ!っていう人と、
ヨクワカンネ、っていう人がいるみたいですね。
私のブログはブーレーズとボウイと、
たまたまですが、追悼記事が2つ並んでしまって、
葬儀屋みたいでちょっとどうかなぁと思ってます。

Lowは、ロックに詳しい人がいて、
ボウイはLowだよ、みたいなのに感化されたのかもしれません。
Ziggy Stardust の1曲目の Five Years は、
https://www.youtube.com/watch?v=e5rjNY8dMzc
これ一聴、フォークソングですよね。
……でもフォークソングじゃない。
そこがわかるかどうかが分かれ目だと思うんです。
by lequiche (2016-01-14 00:43) 

lequiche

>> DEBDYLAN 様

やってきて欲しくないものが突然やってきたという感じです。
でも死というのはそんなものなのかもしれません。

人は死んでしまうと、
昆虫標本みたいに歴史の中に固定されてしまうので、
私はそれが好きじゃないです。
でも、標本で残るんだからまだいいか、という考え方もあります。
私のような無名の人は、霧のように消失してしまうんですから。

ボウイが今後、どのようにこれから聴かれていくのか、
ちょっと興味がありますね。
by lequiche (2016-01-14 00:43) 

gorge

わたしもはじめは「LOW」でした。lequicheさんと同じような感想ということになるかもしれませんが、「インストなのに歌ってる」と思ったものです。今聞くと、70年代終わりのドラムのバシャバシャが耳についてしまいますが。
今一番好きなのは「ハンキー・ドリー」かな。とにかく「可能性」という感じ。子供が生まれたばっかりの作品ということもあるんでしょうが。
一方で映画に関しては「戦メリ」は(とにかく流行っていたという理由からかも知れませんが)あまりピンとこなかった。私にとってはなんといっても「地球に落ちてきた男」で、30回位はスクリーンで見たと思います。
by gorge (2016-01-16 09:38) 

lequiche

>> gorge 様

インストなのに歌ってる、という表現いいですね。
ベルリンの、いわゆる Thin White Duke の時期について、
ボウイがああいうふうな部分に惹かれてしまうのは
よくわかります。

《Low》(1977) の先行作品は、
決してルー・リードの《Berlin》(1973) なんかではなくて、
私はロキシーの《Country Life》(1974) の中の
〈Bitter-Sweet〉だと思うんですね。

それを遡っていけば、ルキノ・ヴィスコンティの
《La Caduta degli dei》(1969) に辿り着くんだと思います。
つまりヘルムート・バーガーです。
ただ、ボウイはそうしたひとつの色に留まることがなかった。
そのへんがすぐれていますね。

あぁ、《Hunky Dory》もいいですね。
ボウイは後のほうをあまり真面目に聴いていないので、
それが今後の課題です。
でも《Heathen》(2002) が出たとき、すぐに聴いているのは、
やっぱりベルリンの残滓を感じたからでしょうか。

戦メリは、当初、ボウイが主題歌を歌うということだったのに、
結局シルヴィアンになったという経緯があり (だと聞きました)、
そのあたりに大島とボウイの微妙な距離感があったように
思います。

Bitter-Sweet live:
https://www.youtube.com/watch?v=wN38ZIcF44I
PV:
https://www.youtube.com/watch?v=y63ydqGAA3Y
by lequiche (2016-01-18 00:02) 

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