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煙の生きる道 ― TBSドラマ《カルテット》最終回から思ったこと [雑記]

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左から:家森諭高 (高橋一生)、世吹すずめ (満島ひかり)、
    早乙女真紀 (松たか子)、別府司 (松田龍平)

風の強い春の日、お葬式に行ってきた。そのあたりは以前、よく通った時期もあった場所なのだが、行ってみたら見知らぬ大きなスーパーができていたり、さらに開発が続いていて、久しぶりの街並みは様変わりしていた。斎場は坂の途中にあり、風景が奇妙に歪んで見えた。

葬儀の仕度を待つ間に、行方のわからない親戚の人の話になった。こうした集まりのとき、誰に聞いても、今、どこに住んでいるのかわからないということが毎回のように囁かれる。それは困ったことですね、と安直に同意しながらも、本当にそれは困ったことなのかというぼんやりとした疑義が通り過ぎる。
所在が不明になるということは、つい、うっかりではなくて、その多くが意図して所在を不明にさせているのだから、極端な不都合が無いのだったら、とりあえず不在ということで仕方がないのではないだろうか。もしずっと不在のままなのならば、それは不在という名前の永久欠番となり不在であるというかたちの無言の記録となる。でも不在を知る人がすべて死に絶えれば不在であるという記録も消失する。

ドラマ《カルテット》の最終回を観ながら、いろいろと考えることがあった。そしてそれはドラマのストーリーとは関係なくどんどんズレて増殖していったのだが、この回のテーマのひとつとして 「所在の不明になった人を探す」 というエピソードがある。
戸籍を買ったという真紀の犯罪はセンセーショナルな醜聞となり、カルテットの他のメンバーの過去までもが暴き出されてしまう。みんなに迷惑をかけてはいけないと思い、真紀は姿を隠す。
そしてカルテットをやっていた頃の時代を回想して言う。

 もう私がヴァイオリンを弾いても
 前みたいに聴いてもらえないと思うんです。
 週刊誌で見た犯人が弾くモーツァルト、
 疑惑の人が弾くベートーヴェン、
 それじゃ楽しんでもらえないですよね。
 私が弾く音楽は、これから全部灰色になると思うんです。
 もう、あの中には戻っちゃいけないな、なんて。
 それぐらいね、眩しい時間だったんです。

しかし3人は週刊誌に載った写真から真紀がいると思われる場所を割り出し、真紀を野外演奏という手口でおびき出す。この再会は感動の場面なのだが、それにそうしたカタルシスがなければドラマは進行しないから当然なのだけれど、でも、探し出せない所在不明者はゴマンといるし、探して欲しくないから音信を断ったのだと呟く確信犯がほとんどなのだと思う。

私には、かつて行方不明だった友人がいた。何かのきっかけで見つけ出されたのだが、ある日再び行方不明となってそのままである。なぜ姿を隠したのか詮索しても仕方がないし、もうずっと行方不明のままで終わるのかもしれない。

もちろん真紀は、そうした不在の人になるつもりはなかったのかもしれないが、カルテットに戻ることはみんなに迷惑をかけるから、戻らないつもりでいたのだ。3人に見つけられた真紀は、わざと憎まれ口のようなことを言う。

 真紀  演奏イマイチだったなぁ。
     こんな下手なカルテット、見たことない。
 すずめ じゃあ、あなたが弾いてみたら?

そして真紀とすずめは抱き合う。その後ろから家森が抱きつく。もしこうしたハッピーエンドが人生なのならば、人生は真底素晴らしい。この再会の場面を見てうるうるしながら、同時にそれとまるで違うこと、つまりハッピーエンドと正反対の可能性を考えてしまう私は、Gの帽子の人に似ているのかもしれないと思うのだ。

真紀がカルテットに戻って練習を再開した4人に匿名の手紙が届く。それは彼らの演奏を否定するようなネガティヴな手紙だった。この手紙がこの回のもうひとつのテーマである。

 はじめまして。わたしは去年の冬、カルテット・ドーナツホールの演奏
 を聴いた者です。
 率直に申し上げ、ひどいステージだと思いました。
 バランスが取れてない、ボウイングが合ってない、選曲に一貫性がない。
 というよりひと言で言って、みなさんには奏者としての才能がないと思
 いました。
 世の中に優れた音楽が生まれる過程で出来た余計なもの。みなさんの音
 楽は、煙突から出た煙のようなものです。価値もない、意味もない、必
 要ない、記憶にも残らない。
 私は不思議に思いました。この人たち、煙のくせに、何のためにやって
 いるんだろう。早く辞めてしまえばいいのに。私は五年前に奏者を辞め
 ました。自分が煙であることに、いち早く気付いたからです。自分のし
 てることのおろかさに気づき、すっぱりと辞めました。正しい選択でし
 た。
 本日またお店をたずねたのは、みなさんに直接お聞きしたかったからで
 す。どうして辞めないんですか。煙の分際で。続けることにいったい何
 の意味があるんだろう。この疑問は、この一年間、ずっと私の頭から離
 れません。
 教えてください。価値はあると思いますか? 意味はあると思いますか?
 将来があると思いますか? なぜ続けるんですか? 
 なぜ辞めないんですか?
 なぜ?
 教えてください。お願いします。

そんなふうに書かれても4人はめげずに、真紀のこの瞬間のネームヴァリューを逆手にとって、大賀ホールでコンサートを開く。好奇心を持った観客でチケットは完売するが、普通のクラシック・コンサートであったことで、1曲目のシューベルト《死と乙女》が終わった時点でそうした観客はぞろぞろと帰ってゆく。だが音楽を聴こうと思った観客は残る。
真紀が大きなホールでのコンサートを提案したとき、別府と家森は最初、それに消極的だったが、すずめはコンサートをすることに賛成したのだった。そして、すずめの言った通りになった。

 別府  でも、たとえそれで人が集まったとしても。
 家森  その人たちは、音楽を聴きに来る人たちじゃないし。
 すずめ 届く人には届くんじゃないですか?
     その中で誰かに届けばいいんじゃないですか?
     ひとりでも、ふたりでも。

客席にいたGのマークの帽子をかぶった人が捉えられ、たぶんネガティヴな手紙を出した人のように暗示される。

大賀ホールでのコンサートには、着飾った有朱 (ありす/吉岡里帆) もやって来た。裕福そうなパートナーを見つけたと思わせるようなその様子に皆、驚く。だが4人のなかに驚きはあっても羨望はない。なぜなら有朱は、鏡の国からやって来た〈死の乙女〉だから。異様な輝きはあるが、みだらで腐敗している。

ラストシーンは、4人で遠征して演奏をしに行くところ。道がわからず遅刻しそうだ。別府の言葉によれば初めての遠征とのこと。だが、肉の日のキャンペーンよりはマシなのかもしれないけれど、おそらく、昔の言葉で言えば 「ドサまわり」 の、相変わらずのパッとしない演奏会のような雰囲気が漂っている。それでも4人の表情は明るい。

私の親戚に、ミュージシャンになるんだと言って、ずっとロックをやり続けていた人がいる。だが、音楽のどのジャンルでも、プロになる道は狭く険しい。ましてそれで 「メシを食う」 のはさらにむずかしい。
その人がプロのミュージシャンになれたのか、売れなかったけれど今でもミュージシャンになる思いを捨てていないのか、それともとりあえず音楽教師になって教えたりしているのか、もしくはすでに音楽への夢を捨ててしまったのか、それはわからない。それが最初に書いた 「葬儀の席で話題になる行方のわからない親戚の人」 だからである。

4人が再会して、また練習を始めようとするとき、家森の言ったことが、音楽に関するスタンスを如実に現している。

 家森  好きなことを趣味にするか、夢にするのか、
     趣味にできたら幸せだけど、夢にしたら泥沼だよ。
     ちょうど今、そのときが来たんだと思います。
     夢が終わるタイミング、音楽を趣味にするタイミングが、
     向こうから来たんです。
 別府  僕は、この1年ムダじゃなかったなって思います。
     夢は必ずかなうわけじゃないし、
     あきらめなければかなうわけでもないし、
     だけど、夢を見て損することはなかったなって。
     ひとつもなかったんじゃないかな、って思います。
 すずめ 休みの日にみんなで集まって、
     道で演奏するのもいいんじゃないですか?
     誰が聴いてても聴いてなくても、
     あたしたちが楽しめれば。

だが、ラストシーンの4人はそのタイミングでどちらかに道を決めたわけではない。あいかわらず趣味にするのか夢にするのか、状態は宙ぶらりんのままである。その不安定な明るさが余韻となって残る。

弦楽四重奏は4本の弦楽器で演奏される最もピュアな音楽なのではないかと私は思う。管楽器も打楽器も入らず、純粋に弦だけの音楽。基本の4声。オーケストラのように大迫力でもなく、ピアノのようにきらびやかではない。どちらかというと地味だ。照明の比喩でいうならば、色彩と明暗の溢れかえる刺激的でダイナミックな光でなく、地明かりだけの静止した光のようである。

日本の弦楽四重奏の歴史のなかで、その黎明期に巌本真理 (1926-1979) がいる。巌本は日本人とアメリカ人のハーフで、巌本メリー・エステルという名前であったが、第2次大戦のさなか、アメリカ/英語への憎悪を避けるため巌本真理と改名した。
巌本は小野アンナの弟子であり、遡ればヨーゼフ・ヨアヒム→レオポルド・アウアー→小野アンナという系譜が存在する。さらに遡ればヨアヒムはメンデルスゾーンの教えを受けた人である (小野アンナはロシア人であるが、日本人と結婚したので小野姓となった)。
戦後、巌本はソロ活動とともに1966年に巌本真理弦楽四重奏団を結成し、後年は弦楽四重奏団をその演奏活動の主力として定期演奏会を続けた。今でこそ弦楽四重奏の認知度は上がってきたが、当時は地味で、客が入りにくかった時代のはずである。
普通に考えれば、ソロで活動することのほうが名前も売れるし収入だって多くなるはずである。でも彼女はそうしなかった。その頑なさの伝説が、私のなかの弦楽四重奏へのシンパシィを上げるもとになっている理由のひとつかもしれない。だが残念なことに巌本クァルテットの音源は少なく、ほとんどが廃盤だったりするのでその活動の全容はよくわからない。

家森が言っていたように、音楽を趣味にするか仕事にするか、それは天国にするか地獄にするかの違いのようでもあり、でも限りなく魅惑的な選択肢でもあるように思える。もちろん私は当事者ではなく傍観者でしかないが、ミュージシャン願望をあきらめきれなかった私の親戚の人に限らず、その選択肢の分かれ道で苦吟していた人を私はたくさん知っている。どちらに行くべきなのか、それは私にはわからない。たぶん誰にもわからないはずだ。
もっといえば音楽に限らず芸術はすべてそうだ。いや、芸術以外でも同様にそうかもしれない。でも私は、そうした苦悩の道や分岐点を避けてきた。それはごく平凡な道ではあったけれど、メインストリートではなく歩きにくい裏道であった。だから私はGの帽子の人みたいでもあるし、有朱のようでもあると思う。もっと正確に言うのならば、私は単なる煙である。死んでしまえば何も残らないし、誰の記憶にも残らない。ひとえに風の前の塵に同じ。葬儀という身近な出来事から引き出されたのはそういう乾いた悲痛な認識である。

《カルテット》で設定されている真紀のキャラクターとして、声の小さい人という特徴がある。えっ? と聞き返さないと聞こえないような小さな声、自分がソロをとるとダメになってしまうと思っているような自信のなさ。それは彼女の弱さのように見えて、そこに暗いけれど強い信念のようなものを私は感じる。


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火曜ドラマ カルテット
http://www.tbs.co.jp/quartet2017/
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hatumi30331

いいドラマでした。
人間心理をついたセリフ。
予想外のストーリー展開!
もう1度みたい!って思うね。^^
by hatumi30331 (2017-03-29 05:45) 

リュカ

ドラマ、みてなかったので
どういうお話かもしらないのですが、行方不明かぁ~
母のお兄さんがそうです。
おじさまは絵を描く人だったので、わたしの絵もいろいろ描いて貰ったな~って記憶があります。動かないでいるのがつらかったw
by リュカ (2017-03-29 10:29) 

lequiche

>> hatumi30331 様

はい。予想外な展開多かったですね。
そう来たか! みたいな。(^^)
視聴率は録画している場合は加算されないので
実際の視聴率はもっと高いんだと思います。
by lequiche (2017-03-29 13:35) 

lequiche

>> リュカ様

すみません。観てない人にはわからない記事で。(^^;)
あらすじ書くのがメンドいものですから。

やぱ、行方がわからないとか
そういう人はどこにでもいるみたいです。
絵のモデル、それは大変でしたね。
最近の絵画教室はほとんど、写真のコピーから始めるみたいです。
by lequiche (2017-03-29 13:35) 

NO14Ruggerman

最終回だけ観ました。
やはり入り込めなかったですね。アウェイ感満載でした(≧∇≦)
by NO14Ruggerman (2017-03-29 16:05) 

末尾ルコ(アルベール)

おお!今回は大作的風格に満ちたお記事ですね~。もっともわたしはこのドラマ一度も観てないので(笑)何も語れないのが残念。そこで巌本真理という方に注目してみました。ハーフの方なんですね。写真をパッと見て、原節子やイングリッド・バーグマンら大女優に似た要素があると感じました。そして「トロイメライ」を聴いてみましたが、もともとこの曲の、いわゆる「通俗」なメロディが大好きだということもあり、雑音の混じった演奏に心を掻き毟られる気持ちになりました。「天国にするか地獄」・・・これは難しくも魅惑的なテーマですね。しかし「地獄」を味あわなければ、「天国」の意味も分からないというのも一つの真実ではないかと。そして「煙」か否かも、簡単には答の出ない問題だと思います。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2017-03-29 18:13) 

うっかりくま

毎年大量の音大・美大卒業生がいて、スターになるのは10年に
一人くらい。他の分野でも殆どが意味のない「その他大勢」。
なのに正しい選択をしたGさんが彼らに答えを求めるのは何故?
諦めない「煙」が目障りで妬ましいのか、自分の判断が揺らいで
いるのか。自信を持っていたら彼らの事は気にならないはず。。
糸井重里さんが言うように「お前のことが気に入らない、という
人を相手にしている暇はない。好きな事を気の合う人とやって
いるほうがいい」そして「人生楽しんだもの勝ち(上岡敏之氏)」
火葬場の煙と化すのは皆同じ、いずれ地球も木っ端微塵になるのに歴史に名を残すも何も・・と思うのは何の才能もないから悩まずに済んでいるだけかもしれませんが(^^;)。
結局誰に何と言われようと、生活の糧になろうとなるまいと
「やらずにはいられない」人が残っていくのではないでしょうか。
ところで、lequicheさんは煙なんかじゃありませんよ!
記事やコメントの文章、とても心に響いています。異彩を放って
存在感ありすぎるくらい。どれだけ楽しみにしていると思って
いるんですか~! ・・と、いつもピントのはずれた事ばかり
言ってスミマセン。。

by うっかりくま (2017-03-29 20:28) 

いっぷく

行方がわからない。サイコーじゃないんですか。
わかってたら、年賀状出さないとまずいだろうとか
お互い要らぬ気を使うものです。
命とエンがあったらまた会おう、こんな関係こそベストです、私は。
by いっぷく (2017-03-30 01:22) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

それは申し訳ありませんでした。
普通のドラマだと最終回だけ観ても
それなりに分かるんですが、これは無理です。
わかりにくいし、マニアックな部分がありました。
私には久し振りに楽しめたドラマでしたけれど。(^^)
by lequiche (2017-03-30 04:18) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

坂元裕二脚本が苦手ということでしたね。(^^)
坂元作品リストを見たら、私は今までに1本も観ていません。
ですから私としては楽しめた作品でした。

日本のヴァイオリン史の始まりの頃の重要な人は
小野アンナ (アンナ・ブブノワ) です。
巌本真理も諏訪根自子も前橋汀子も、
皆、小野アンナの弟子です。

巌本がハーフであったことも、当時は差別の対象でした。
今はハーフ、カッコイイ! みたいな時代ですが
昔は逆でしたし、戦時中はより大変だったと思います。

巌本の写真を観ると、凜とした佇まいを感じます。
昔の大女優的な雰囲気があるかもしれません。
小津安二郎の《晩春》に、原節子が
巌本真理のコンサートに誘われて行くシーンがあるそうです。
ただし巌本真理は出て来ないとのことですが。
巌本は弦楽四重奏にこだわりましたが、
53歳で癌で亡くなってしまいます。
それは恩師・小野アンナが89歳で亡くなった3日後でした。
尚、オノ・ヨーコは小野アンナの姪です。

芸術でもスポーツでも
地獄を経過したからこその天国という概念はありますね。
そして必ずしも才能のある者が成功するわけでなく、
ランクが下だったはずなのに諦めず努力を重ねた者が最後に輝く、
ということもまた多いですね。
by lequiche (2017-03-30 04:19) 

lequiche

>> うっかりくま様

あ、そうです、まさに 「煙=その他大勢」 です。
その言葉が出て来ませんでした。(^^;)

G帽子の人の手紙はせつないです。
いろいろな見方ができるでしょうけれど、
簡単にいえばGさんはイソップの 「しっぽの無いキツネ」 です。
「キツネとぶどう」 でもいいかもしれません。
糸井さんが言われているように相手にしなくていいのだけれど、
でもそうした思考経路で考える人はよくいるので、
そこに哀しみを感じてしまいます。

煙のたとえを火葬場の煙の連想ととられたのは
すごいですね〜! その通りです。
この部分はそう連想されることを前提として書きました。
「ひとえに風の前の塵に同じ」 は平家物語からの引用ですが、
どんなにがんばっても諸行無常で、人間はいつか死ぬのです。
人間は自分がその時代に生きていた証しを
求めるのかもしれませんが、
でもそれとていつかは風化します。
むしろ自分は種の保存のひとつの環にしか過ぎなかった
と考えたほうがすっきりするのではないか、
と最近は考えるようになりました。
森達也の『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』
からの影響があるのかもしれません。
(→http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2015-11-18の記事です)

お褒めいただいて大変恐縮です。ですが、
自分の書いた記事がどの程度のクォリティであるかというのを
判断できるくらいのクォリティはあります。
10点満点でいうと3点くらいですね。(^^;)
いつも的確なコメントありがとうございます。
by lequiche (2017-03-30 04:19) 

lequiche

>> いっぷく様

そう思われますか。
でも実は微妙なところもあるので。
というのは、行方がわからないと思っていたら、
年賀メールが来るようになったのです。
それが機械的に出しているような短いメールで、
返信しても、もちろん反応しません。
この中途半端さはどうなの? と思っているのです。(^^)
by lequiche (2017-03-30 04:19) 

Flatfield

 どうもこんにちは。カルテット私も観てました。
色々なぞが多く、色々妄想する所があり、結構いいドラマでした。

私が妄想するに、あのGの帽子の女性はフリーメーソンの方で、先ず真紀さんが義父を殺害するのに、通常毒殺とか絶対足が付きます。 そこで協力したのがフリーメーソンで、なんせ彼らはモーツアルトとかその手の毒殺は得意だろうから。 その後名前を買え行方をくらませ、結婚して問題なく消えたのだが、旦那が警察沙汰でそこから足が付き、逮捕して再調査となったが、流石フリーメーソン、毒殺はばれず・・・ただしこれで真紀さんはフリーメーソン側から見て要注意人物となる。(ばれたらフリーメーソン側にも手が及ぶから)
さて、あの5年前音楽から足を洗った人からの手紙ですが、あれは真紀さんが書いたのではないかと思います。 5年前結婚という形で音楽家から足を洗ったのだが、今更演奏家として楽器を演奏している自分に、足を洗った自分から再度音楽をやっている自分への手紙である。 ここで、手紙はGの帽子の女性経由で”のくた庵”へ送られた。

という妄想でした。
以上、お粗末でした。
by Flatfield (2017-03-30 19:18) 

lequiche

>> Flatfield 様

おおっ、フリーメイソンだから 「G」 マーク!
いいですね!
だったらお店の名前はノクターンでなく魔笛がよかったかも。

5年前の別の私からの私への手紙というのもイイッ!
ドラマ的に巻幹生をもう少し生かすのかな、
と思っていたのに
やや不自然にフェイドアウトした感がありましたから。

こんなところにコメントしたらもったいないです。
Flatfieldさんのブログ本文で書いたほうが
ウケるんじゃないでしょうか。(^^)
by lequiche (2017-03-31 04:16) 

あとりえSAKANA

「カルテット」ハマって見ていました。
セリフ回しも展開も複雑だったし、
フリーランスで、好きな事を仕事にした私には
身につまされるセリフも多く(-_-;)
時期的にお上への提出書類を作成・提出時期
と重なり「私はこのままでいいのかー」
「幸せって何だー」と叫びそうになる日も
ありましたが…。

今度は視点を変えて見てみたいと思います。

by あとりえSAKANA (2017-04-02 16:59) 

lequiche

>> あとりえSAKANA様

コメントありがとうございます。
ハマッていた人は多かったようです。
「身につまされるセリフ」 は、
実は世間一般の平均的な認識の発露でもあるんです。
好きなことしてるんだから苦労してアタリマエ、
みたいな否定的な視点ですね。
そんなことに惑わされることはないんです。
お上への書類はなるべく損しないように策略しましょう。
そうすることは犯罪ではなく生活の知恵だからです。

繰り返し見ることに耐えられるのは
ドラマとして秀逸ですね。
by lequiche (2017-04-03 05:14) 

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