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ポール・スチュワートのメトネルを聴く [音楽]

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Paul Stewart

ロロンス・カヤレイの弾くNAXOS盤メトネルのヴァイオリン・ソナタは私の愛聴盤だが、そこでピアノを弾いていたのがポール・スチュアート (Paul Stewart, 1960-) である。ポール・スチュアートという名前は比較的ありふれた名前らしくて、検索するとまずファッション・ブランドが出てくるし、サッカー選手やミュージシャン、さらにはレーシング・ドライヴァーなど、その人たちのデータが幅をきかせていて、本来の目的であるポール・スチュアートにまで到達しにくい。

カヤレイのメトネルを繰り返し聴いていたこともあって、以前のブログではそのカヤレイのアルバムとボリソ=グレブスキー/デルジャヴィナというコンビによるアルバムと聴き較べようとしたのだが (→2018年06月23日ブログ)、そしてその結論は、そんなに違わないという曖昧な感想のままに終わっているのだが、ヴァイオリンを離れてメトネルのピアノ曲をひとりで弾いた場合、スチュアートがメトネルに対してどのような解釈を見せるかということに興味を持った。つまりアムランやデルジャヴィナのメトネルへのアプローチとの比較といってもよい (ヴァイオリンにおけるカヤレイのメトネルへの解釈については、書きたいことがあるのだがそれはまた後日に)。

ポール・スチュアートはカナダ人のピアニストであるが、メトネルのピアノ全集で評判になったマルカンドレ・アムランもカナダ人であるのが、偶然とはいえ不思議な感じがする。CDはGrand PIanoというレーベルからリリースされていて、NaxosとHNH Internationalの名称が記載されているので、Naxosのレーベルのひとつだろうが、マイナーなレーベルだと考えてよい。
Medtner: Complete Piano Sonatasというタイトルで1と2が出ているのだが、もちろん全曲は網羅されていないのでこれから続編があるのだと思われる。ちなみにアムランのメトネル全集は4枚組である。

スチュアートの1枚目で目を惹くのは冒頭に収録されているソナチネ g-mollである。1898年に作曲された習作的な曲であり作品番号は付いていない、medtner.org.ukのリストに拠れば、メトネルの逝去30年にあたる1981年にグリンカ・ミュージアム所蔵の手書譜より作成し出版されたとある。パブリッシャーは Moscow “Muzyka” だが、このソナチネはアムランの全集には収録されていない。
メトネルは1880年生まれだから、1898年というと18歳でまだモスクワ音楽院に在学中の作品である。スチュアートのCDの次曲はソナタ第1番 f-moll op.5であるが、このf-mollソナタが書かれたのが1902~03年、この第1番と較べるとソナチネはいかにも習作であり、完成度にはかなり落差がある。緻密に重なり暗く曲がりくねっていくようなメトネルの特徴はあまり見られないが、メトネルにしては音数の少ない軽い表情であるがゆえに、曲想からほの見えてくる憂いの予感はすでにメトネルである。
ソナチネ g-mollは2つの楽章からなるので、CDも2つのトラックを占めているが、tr3に移ってソナタ第1番が始まると、一挙に憂いは深まり、やはり季節は冬だったとでもいうような重いロシアの音に変わる感じがする。

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Medtner: Sonatine g-moll

重いか軽いかということを単純に時間だけで較べることはできないが、たとえば第1番 op.5で演奏時間を較べてみた場合、ポール・スチュアートは35’26”、しかしYouTubeにあるルカ・ドゥバルグでは33’32”、さらにボリス・ベレゾフスキーでは30’11”である。YouTubeのplaytimeは演奏時間そのものとは限らないし、ペレゾフスキーはライヴ映像であるから、演奏そのものの前後にさらに時間があることを考えると、スピードはかなり速い。
しかしメトネルの場合、速度が速ければよいというものではない。速ければ憂いは消し飛ぶかもしれないし、といって遅過ぎると暗さは濁って滞留する。カヤレイはメトネルが楽譜に書き込んでいる細かい指示を大切にすべきだと力説している。また、音楽には実際の速さと見かけの速さがあって、速そうに聞こえているが実はそんなに速くはなかったり、速度変化が極端に思えてもそれは速度でなく演奏方法によるまやかしだったりすることも存在する。

そういう観点からすればアムランの速度は速すぎるときがあるのかもしれない。たとえばop.53-1の第2楽章ScherzoはPresto leggeroなのだが、すごいPrestoである。といってもアムランは、技巧だけが取り柄となるストラヴィンスキーの《ペトルーシュカからの3楽章》みたいな曲は弾かないと言っている。

ベレゾフスキーの速度は斬新といえば斬新だが、速さのなかに取り落としてしまうものもあるような気がする。ただ、取り落としてしまうはかなさもそれはそれなりの美学なのかもしれない。ドゥバルグはアゴーギクが少し私の好みに合わない。でもこういう緩急もありなのかもしれない。
その点、スチュワートの第1番は適度な速度感覚と陰翳に彩られていて、しかもそれは決してどぎつくなく、かと言って淡彩過ぎることもないので、メトネルの作品に籠めた想いをよく表現しているように感じる。第4楽章のsempre sotto voceと指示のある、フーガのようにして始まる個所が心に沁みる。少し多めのホールトーンのなかにメトネルの影が通り過ぎるような気がする。気まぐれでなくそのスピードで、青白い涙のように。

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Medtner: Piano Sonata No.1 f-moll, mov.IV


Paul Stewart/Medtner: Complete Piano Sonatas・1
(Grand Piano)

Complete Piano Sonatas/Vol. 1




Paul Stewart/Medtner: Complete Piano Sonatas・2
(Grand Piano)

Medtner: Complete Piano Sonatas 2




(Paul Stewartのソロピアノは現在、YouTubeではほとんど視聴できない)
Laurence Kayaleh, Paul Stewart/
Medtner: Nocturne c-moll op.16 No.3
https://www.youtube.com/watch?v=9-w9yALMgoo

Marc-André Hamelin/Medtner: Piano Sonata Romantica op.53-1
第2楽章 Scherzo Presto leggero
https://www.youtube.com/watch?v=qnzh7jzlyQw

Boris Berezovsky/Medtner: Piano Sonata No.1 f-moll op.5
live Moscow, 2008
https://www.youtube.com/watch?v=SMMa964Z2rk
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末尾ルコ(アルベール)

ポール・スチュワートというピアニストは初耳です。
まあそれほど多くピアニストを知っているわけではないですが。カナダ人なのですね。
カナダは最近贔屓の女優サラ・ガドンとか、あるいは男優のライアン・ゴズリング、映画監督ではデヴィッド・クローネンバーグにドニ・ヴィルヌーヴとか、いい感じなのです、個人的には。
で、カナダ人として、マルカンドレ・アムランというピアニストもいるのですね。
この人たちはクラシック音楽シーンのなかではよく知られたピアニストなのでしょうか。とても興味があります。風土的にも政治的にもおもしろい要素がありますよね、カナダには。

>速ければ憂いは消し飛ぶかもしれないし、といって遅過ぎると暗さは濁って滞留する。

素晴らしいご表現ですね!心の中に曲そのもののイメージが沸き上がってきます。
これまた素人的な疑問なのですが、演奏の際の速さというのは、同じ曲でも演奏者の裁量でかなり違ってくるのでしょうか。ある程度以上そうしたことは譜面によって指示されているのではと想像するのですが。

リンクしてくださっている動画、すべて視聴しましたが、どの曲も聴き応えありますね。
ピアニストの技量や表現力を比較することはわたしにはできませんが、「Laurence Kayaleh, Paul Stewart/  Medtner: Nocturne c-moll op.16 No.3」が最もわたしの好みです。
極寒のロシアだからこそ感じられる熱と優秀が感じられてとても心地いいでのです。

リンクくださっている「こぶ平発言」と山中千尋のピアノも試聴させていただきました。
こぶ平ってあまり好きではなかったのですが(笑)、ジャズの好みについては理解できます。
ビックバンドとかグレン・ミラーとか、少々暑苦しく感じるのですよね。ヴォーカルについては例えば、ローカルなジャズバンドのライブで、ヴォーカリストがスタンダードなジャズナンバーばかり歌ったら、けっこう辟易します。
でも昨今は以前のジャズ・ヴォーカルのイメージとは異なるタイプの歌い手が出てきていますから、事情は変わってきていると思います。
ジャズ・ピアニストについては好きとか嫌いはあまりないと言いますか、そこまで聴き分けられないのです。
上原ひろみはずっと好きですが。

>でも一番文化人っぽいのは渋谷陽一ではないでしょうか?

ですよね(笑)。自分のことは棚に上げていたのですね。
渋谷陽一についてはいろいろ思い出すことがありまして(笑)、例えば『岩波』の人をゲストに呼んで、「今や岩波的なものは岩波しかないから」とか、ずいぶん馬鹿にした発言をしていました。あと、自分が評価しない音楽に対してはすぐに「カスみたいな」という乱暴な物言いをしておりましたし。若気の至りと言いましょうか、だから現在の20代や30代前半くらいの論者の意見などを見ても、(10年後には違う意見になってるだろうな)くらいの感覚で読んでおります。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-11-05 02:18) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

カナダ人のピアニストといえば、一番有名なのは
グレン・グールドですがそれは別格ということで。
映画俳優と監督は私には不得意なジャンルなので
よくわからなくて申し訳ありません。(^^;)

アムランは超絶技巧のピアニストとして有名ですが、
スチュアートは、ほとんど無名です。
しかしNAXOS盤にロロンス・カヤレイの伴奏をしたCDがあり、
このカヤレイのヴァイオリンが好きなので、
ではスチュアートはどうなのか、という興味の流れです。

カヤレイとスチュアートのコンビのメトネルの演奏は、
私は非常に優れていると思っていますが、
メトネル自体がそれほどメジャーではありませんから。

演奏の速度はもちろん楽譜に指定されています。
大雑把な指定と厳密な指定とがあって、
上記のソナタ第1番第4楽章は4分音符126と書かれています。
カヤレイは作曲者の指定は厳密に守るべきだと言っていますが、
現代はどちらかというと速めになってしまう傾向があります。
逆にわざと遅く弾いたりする人もいますし、いろいろですが、
そうしたこともふくめて、それが解釈の差です。

正蔵さん、強いポリシーをお持ちですよね。
ビッグバンドはやはり取っつきにくいとは思います。
でも私は秋吉敏子のビッグバンドは、
そのリズムとリリシズムにずっと惹かれています。
アルバム《孤軍》は日本ジャズのベスト10に入る傑作です。

秋吉に関しては随分以前に書いたことがあります。
https://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2012-02-17

ですが、この記事内のリンクは削除されてしまっていますので、
《孤軍》はこちらにあります。
お時間がありましたら最初の曲の〈Elegy〉だけでも
お聴きになってみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=D7Kpoj-6W7M

ピアニストの好みもさまざまですが、
最近の全体的なレヴェルは大変に高いですね。

渋谷陽一についてはあまりよく知りませんが、
以前はレッド・ツェッペリン=命な発言をしていましたが、
今でもそうなのでしょうか。
若い時は、他を押しのけて出て行くという思考が
どうしても働きますから仕方が無いのだと思います。
by lequiche (2018-11-06 01:41)