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虚ろなリアルあるいはカルメン・ミランダという時代 ― 今福龍太『ブラジル映画史講義』を読む [本]

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この本でとりあげられている映画は、ある時代――つまりブラジルにおける映画産業の創生期から隆盛に至るまでの歴史であり、映画というものに存在する思想性と、それがその時代にどのように反映されてきたかという視点から書かれている考察である。
実は昨年、途中まで読んでいたのだが、かなりヘヴィで、というか内容が濃くて中断したままになっていた。だが気になっていた固有名詞があって、それはカルメン・ミランダである。もちろんその映像を今まで観たことはなかったし、映画史という観点の下で 「ああ、そういう人がいたのか」 という程度の、文字情報から受けるいわば抽象的な印象でしかなかった。ところがYouTubeでふと実際の映像を観てみたら 「これって何?」 というような、文字だけではわからない強烈な外見とパフォーマンスに驚いた。言葉が不適切かもしれないけれど、それは現代の目から見ると露悪趣味というか、むしろグロテスクで、こうした映像がその当時流行して大ヒットしていたということに対して半信半疑になってしまったのである。

カルメン・ミランダ (Carmen Miranda, 1909-1955) は、1929年、20歳のときサンバ歌手としてデビューしたが、24歳で映画デビューを果たし、シャンシャーダ・スターとなった。シャンシャーダ (chanchada) とは 「ハリウッドのミュージカル映画を模倣したブラジル独特のミュージカル・コメディ」 とのことである (p.106)。
しかしそれだけにとどまらず、彼女は1939年アメリカの舞台にデビューし、翌1940年、ハリウッド映画に出演するようになった。アメリカに進出したというよりはアメリカに引き抜かれたというほうがニュアンスとして正しいのだろうか。アメリカ人にとっては、彼女の醸し出すエキゾチシズムとそのラテン的セックス・シンボル性が魅力だったのだろう。それにその当時のブラジルには、シャンシャーダかメロドラマ (いわゆるソープオペラ) しかなく (p.180)、映画あるいは映像という媒体の後進性とアメリカへの憧れがその根底にあったのだろうと思われる。

カルメン・ミランダはハリウッドで大成功し、彼女の邸宅はまるでブラジル大使館のようであったという。しかしブラジルの、初期の頃からのファンは、そうした彼女の変節をよく思わなかった。それはアメリカナイズされたミランダへの批判となる (p.166)。そして戦後、アメリカにおけるラテン的幻想は崩壊し、彼女の人気も凋落する。だが彼女は大人気の頃のイメージを執拗に劣化コピーし続け、それは次第にギャグと思えるような様相を呈したが、そうした中で1955年急死する。
死んだ途端にブラジル人は彼女の死を悼み、その遺体は熱狂的歓迎でブラジルに帰還したのだという (p.166)。しかしアメリカ人は、ハリウッド映画の中のミランダが本当のカルメン・ミランダだと主張し、ポルトガル人は、彼女はもともと生粋のポルトガル人であったことを主張したのだという (p.137)。

そのカルメン・ミランダをそれと認識できる最もわかりやすい記号がバナナの帽子である。トゥッティ・フルッティ・ハット (Tutti Frutti Hat) と呼ばれるその帽子はバナナの房がたわたにみのっているかたちをした巨大な被り物であり、ラテン的幻想を発散させるためなのだとしても、なぜそんな不格好で不安定なものを頭に載せなければならないのか、印象としてはむしろ不吉であり、グロテスクである。バナナだけでなくいろいろなフルーツのヴァリエーションが存在する。
だが映像全体から受けるのは、そのグロテスクを中心とした一種のパラダイス的な幻想を作り出そうとしている意志で、ミランダの子分のような多数のバナナを連想させる娘たち、その裏に感じられる男性にとっての楽園幻想のようなシチュエーションによる性的な暗喩、こういうのが求められたのはその時代、つまり1940年代という状況的不安に対する現実からの逃避という一面があったのかもしれないとは思う。

しかしバナナには単なるトロピカルなエキゾチシズムを示す意味でのアイコンというだけでなく、バナナの持つ政治的な記号性があるのだと今福龍太は指摘する (p.153)。
1898年、米西戦争にアメリカは勝利し、プエルトリコ、キューバ、フィリピンといった土地を手に入れ、ハワイを併合した。そうした中で翌1899年にユナイトッド・フルーツ社を設立する。バナナとはもともと赤い色だったのだが、それを黄色くして、しかも甘くしてデザートとしてのバナナに品種改良し、そうしたバナナを南米の小さな国につくらせることによって利益を搾取するという目的で設立されたのがユナイテッド・フルーツ社なのだという (p.155)。ユナイテッド・フルーツは現在のチキータ・ブランドであり、そのシールにはミランダのような帽子を載せた女性の絵が描かれている。
たかがバナナではなく、バナナだけで政治が動いていた。バナナを運搬するためのインフラ (鉄道、道路、港湾、電話など) を支配すれば、バナナで事実上その小国を乗っ取ることができたのである。

 バナナというものは、アメリカとラテンアメリカの不平等な搾取の関係
 を象徴する果物です。(p.163)

と今福は書く。それはカルメン・ミランダに対してアメリカがどのような処遇をしたかの説明である次の部分、

 アメリカ映画産業によってカルメン・ミランダというイメージがいかに
 搾取され、濫用され、消費され、最後にはそれがいかに捨てられていっ
 たか。(p.132)

ということに重なる。つまりバナナというアイコンは被-支配の記号に他ならない。そのことを知らずか、あるいは知っていたけれど知らないフリをして、自分の記号として使用したのがカルメン・ミランダなのである。

今福がこの本でとりあげているのは《バナナこそわが職務》(Banana is My Business, 1995) というヘレナ・ソルバーグ監督によるドキュメンタリー映画であるが、ソルバーグには 「カルメン・ミランダをもう一度ブラジル人の手に取り戻したい」 とする意志が働いていると指摘している (p.136)。
私から見れば、カルメン・ミランダが最も素晴らしいのは、バナナの被り物より以前に、素朴なサンバ歌手でいた頃の彼女である。だがバナナ帽子の時代が長く、かつ印象的であるために、レコードやCDジャケットなどではそのバナナ帽子の姿が彼女の総体を表しているようになっているのが彼女の不幸である。

ミランダの章の最後にカエターノ・ヴェローゾの歌への言及がある。彼のデビュー・アルバム《カエターノ・ヴェローゾ》(邦題:アレグリア・アレグリア、1968) の冒頭曲〈トロピカリア〉の歌詞の中にミランダという言葉があらわれる。
そのリフレインはヴィヴァ何々、という具合に言葉を換えて繰り返され、

 Viva a bossa-sa-sa
 Viva a palhoça-ça-ça-ça-ça

そして最後にヴィヴァ・ア・バンダ・ダ・ダ、カルメン・ミランダ・ダ・ダ・ダ・ダとなって終わる。最後にカルメン・ミランダがあらわれることは重要である。

他にもネルソン・ロックフェラーのOCIAAの意図とか、ディズニーの人種差別的イデオロギーに関しての解説など、そしてそれに対比するようなオーソン・ウェルズのことなど、示唆される内容は多岐にわたっているがそれを書くときりがないので割愛する。
また最初の章のマルセル・カミュの《黒いオルフェ》(1959) に関する解説でも、その作品の功績について述べながらも、グラウベル・ローシャが 「楽天的でロマンティック過ぎる」 と批判していることを書いている。ファヴェーラ (都市の周辺に広がる貧しい居住区) はそんなに楽天的に描かれるべきものではないというのだ。
だがそうした難点はあるのかもしれないのにかかわらず、今福は次のようにいっている。

 文化というものが表現されるとき、素朴に信じられている 「実体」 とし
 てストレートに提示されることはありえず、必ず誰かの手や何らかのシ
 ステムが介在するなかで 「再提示」 されるものとしてしか存在しない。
 それは必ずしも否定的なことではなく、私たちが文化的表現についてよ
 り深く考えてゆくときの、基本的な立場です。(p.11)

異なる角度からの複数の視点によって、そのものを次第に客観的に見ることができるようになる。それは異なる角度だけでなく、異なる時代とか異なる地域であってもよいはずだ。カルメン・ミランダのバナナ帽子は現代から見ると陳腐でグロテスクでしかないが、それが美学として認知されていた時代があったということが、人間の思考にどれだけのヴァリエーションが存在するのかということをあらためて認識させてくれる。つまり価値判断というものは不変ではなく、相対的なものでしかないということに他ならない。


今福龍太/ブラジル映画史講義 (現代企画室)
ブラジル映画史講義: 混血する大地の美学




The Lady In The Tutti Frutti Hat
https://www.youtube.com/watch?v=TLsTUN1wVrc

Carmen Miranda/Coração
https://www.youtube.com/watch?v=4SBRYQYTQtk

Caetano Veloso/Tropicalia (live)
https://www.youtube.com/watch?v=WwfwRULbSA8
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コメント 4

末尾ルコ(アルベール)

わたしはカルメン・ミランダは知りませんでしたし、ブラジル映画も僅かしか鑑賞していないので、とても興味深く拝読しました。
おもしろいですね。

ハリウッドは今も昔も「引き抜き」まくりでして、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、マレーネ・ディートリッヒ、最近でもニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ、ヒュー・ジャックマン、ノウミ・ラパス、アリシア・ヴィキャンデルらが実質引き抜かれています。
フランスのように自国に強大な映画シーンが存在すれば、仮にハリウッド映画へ出たとしても「行きっ放し」にはならず、あくまで母国映画がベースとなるのですが、スウェーデン、ドイツ、ニュージーランド、オーストラリアなどとなると、母国を中心にやっているのと比べ、ハリウッドでは収入が桁外れ、そして世界的な知名度を得ることになりますから、普通は引き抜かれてしまいますよね。
カルメン・ミランダのエピソードを拝読しながら、(マレーネ・ディートリッヒの生涯に似てるな)と感じました。
ディートリッヒと言えば映画史上とてつもない大スターだったのですが、それでも「捨てられた」ドイツ人の心理は複雑で、愛憎(一時は「憎」が大半だった?)半ばする評価が炸裂していたということです。
しかもディートリッヒの場合は「反ナチ」という政治的スタンスもありましたし、凄い時代の凄い大スターでした。
それと、ハリウッドスターとなった早川雪舟を「国辱」と無視した当時の日本についても考えさせられます。


> 死んだ途端にブラジル人は彼女の死を悼み

そういう状況も大衆心理の一面ですね。

ハリウッド映画は世界の中でのポジションが、かつてほどではないにせよ、いまだ圧倒的に巨大なだけに、作品の中に様々な分野からの「思惑」が挿入されていて、なかなかすべてに気づきはしないにしても、意識して鑑賞しておれば、愉しさはグッと深まります。
総合芸術であるだけに、個人の作品とはまったく違いますけれど、集団で創り上げていくからこその、「集合的無意識」ならぬ「集団的無意識」も存在するかもしれませんし。

> つまり価値判断というものは不変ではなく、相対的なものでしかないということに他ならない。

そうなんですよね。
「不動」と認識されている評価も10年後にはどうなっているか分からない。
100年後だと尚更です。
逆に現在さっぱりの評価でも将来はどうなるか分かりません。
でも創作者が死んでから評価が上がるという例がとても多くって、「価値」って本当に難しくて残酷ですね。

・・・

「バッハ」という名はあまりに有名で、時に「人間でない」とさえ感じてしまうのですが、家族のエピソードや活躍などを知ると、人間としてのバッハを実感すると同時に、歴史の中へより深く入り込めていく感覚も持てます。
そう言えば、ベートーヴェンやモーツアルトは怪物的であると同時に人間としてのエピソードもけっこう伝わっていますが、バッハは一般的には音楽的巨人としてのバッハ以外はほとんど知られてません。
「知る」と愉しみがグッと増えますね。

武久源造は佇まいも含めて魅力的な方ですね。
今後意識して行きたいと思います。
日本で「古楽」という熟語からはつい「邦楽」を連想してしまいますが、NHK FMでもかつての『朝のバロック』というタイトルから『古楽の楽しみ』というタイトルに変更し、しかしだいたいバロック音楽を流しています。
おもしろいですね、「古楽」という言葉も。
こうして日本人で凄い演奏家が輩出するというくらい普遍性があるのだなとも感じます。
邦楽は古代ギリシャ音楽と共通点があるような気もしておりますが、もちろんどちらも詳しくないので出鱈目な印象に過ぎませんが(笑)。

高校生のご自分にドストエフスキーをどんどんお読みになったんですね。
わたしはちょっと周囲の影響を受け過ぎたところがありまして。
ほとんど年上の人たちとの付き合いだったのですが、彼らが正統的文学史上傑作とされている作品を馬鹿にする傾向がありまして、わたしからすればかなり年上で(頭いいなあ)と一目も二目も置いている人たちの考えですから、ちょっと影響を受け過ぎてしまっていました。
なにせカミュの『異邦人』を「大した小説じゃない」なんてとんでもないこと言うようなひとがいましたから。
権威に対する反発にしても、今考えると酷い話でした。
ところがしっかりボルヘスや坂口安吾はお気に入りだってので、(信頼できるなあ~)とか思ってました。
ちなみにわたしの周囲で当時ロシア文学の話題は一切出ませんでした。
でも周囲のせいにしちゃいけませんよね。
自分で気づいて読んでおればいいのだから。(←いろいろ反省している様子 笑)

> 第三者がとらえる可能性だってあるのです。

どのような作品でもそこを念頭に入れて鑑賞し続けると、愉しみが広がり深まりますね。
同時に自分の潜在意識や深層心理なども今まで以上に意識したいと思い始めました。
自分も含め、人間一人一人を単純化してはいけない。
人それぞれ複雑な人間だと意識すれば、世界に対する興味も深まります。

> ですから作詞という言葉だけで括ることはできないかもしれないです。

そう言えば、lyricという言葉も使いますし、textという言葉を使う人もいます。
まあtextはいろんなことに使われますが、いずれにしても「歌の詩」という分野にますます興味が出てきました。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-08-17 13:23) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ハリウッド映画は、世界の映画産業の中でダントツですから
そこで名声と富を得ようとする気持ちがあるのは
当然なのではないかと思います。
ただ、その作品を作るまでのシステムが単一なのが
鼻につくといえばまたその通りです。
ディートリッヒは確かに本国でバッシングされましたが、
でも彼女はナチに対する毅然とした態度があって
そういう面ではハリウッドに飲み込まれてはいません。
カルメン・ミランダの場合、アメリカとブラジルの格差とか
単純に売れようとする気持ちがどんどん嵩じて
結果として変なキャラ (と私は思います) として定着してしまった
ということなのだと思います。

ともかく、Tutti Frutti Hatの映像を観ると感じるのですが、
金はかかっているけれど、とても見るに堪えないような映像が
いくら戦前でも標準的な作りだったのかどうか、
ということがとても疑問なのです。
音楽にしても1940年代といえば例えばジャズでしたら
チャーリー・パーカーが出て来た頃で、
そうした中で幾ら娯楽作品とはいえ、あまりに音楽もチープですし
こんなのでセックス・シンボルもなにもあったものじゃない、
というふうに見てしまうのです。
それとも当時のアメリカ人って相当バカだったんでしょうか?(笑)
娯楽作品というのはその時代に合わせたものですから、
日本の昔のバラエティなど見ると噴飯物ということもありますし、
それと同様な現象なのか、とは思うのですが。

バッハはともかく忙しい人で、
曲を作るだけでなくそれを実際に音にするために
練習を指導して本番に持って行かなければならないので
それが仕事としてはメインだったと思います。
でありながら、その業界の中でそれなりの政治的な思惑もあって、
大変だったと思うのですがベートーヴェンなどより
昔の人ですからあまり生々しさがないのだと思います。

武久源造は子どもの頃に失明して、
それがハンディになっていますけれど
逆に音楽に対する精神性は研ぎ澄まされているように感じます。
ヘルムート・ヴァルヒャなどと同じです。

古楽という言い方は、バロックだとバロック限定になるので、
ルネサンス期などの時代の音楽も扱いたい場合に
古楽と表現したほうが便利ですよね。
音楽というのはまず単旋律から始まっているのが普通なので、
和声は旋律よりも後のはずです。
その旋律にしてもオクターヴに達しないのも存在します。
そうした中で偶然なのかそれとも伝播したのか、
似た印象を持つ異なる地域の音楽はあるように見えます。

ロシアのものを読んだのはたまたまです。
権威への反撥もなにも、
そのように何か意見を言ってくれるような、
影響を受けるような人は周囲に誰もいませんでしたし、
ただ闇雲に有名なものを読んでいただけです。
チェーホフやツルゲーネフも読んだ記憶があります。
カミュも幾つか読みましたが、
映画の《異邦人》はちょっとイメージが違いますね。
ミスキャストだと思います。

歌の場合、シンガーソングライターが他人に書いた曲を
あとから自分で歌う場合がありますが、
必ずしも作曲者本人の歌唱がいいとは限らないです。
つまり曲をもらった人は作曲者とは違うふうに解釈し、
そしてそれが独り立ちしていると考えたほうがよいです。
by lequiche (2019-08-18 13:20) 

moz

映画そのものも沢山は見ていないのですが、ブラジル映画もほとんど? 全く? 見たことがないかもしれません ^^;
カルメン・ミランダのことも初めて知りました。時代や政治的背景が色々とあるようですが、「価値判断というものは不変ではなく、相対的なものでしかないということ」、「文化は、必ず誰かの手や何らかのシステムが介在するなかで 「再提示」 されるものとしてしか存在しない」」等はその通りだなと思います。
色々なものをうのみにすることなく、じぶんとしてのアンテナ、感受機能を持つことが大切なんだろうなと思います。
こういうことを若いうちから知ることも大切なんだろうなと。^^
by moz (2019-08-21 06:35) 

lequiche

>> moz 様

私もブラジル映画はほとんど知りませんので、
知識としてそのまま鵜呑みにしていいものなのかどうかは
実際の映画を観た上で、とは思っています。
カルメン・ミランダがブレイクしたのは戦前のことですから、
すでに歴史上の過去といっていいのでしょうけれど、
すでにその歴史の中に埋もれてしまっているような出来事です。
そういうことはカルメン・ミランダに限らず、
数限りなくあると思いますし、またそれに対する評価も
その時点での評価が果たして正当なものだったのかどうかは
わからないということを改めて感じます。
今福先生はアメリカ・ヨーロッパ中心に偏らない視点があって、
いつもスリリングだなと感じますし、
私の読書の指針を示してくれているようだと勝手に考えています。
著作集は途中まで買ったのですが、まだ読み切れていません。
by lequiche (2019-08-23 01:40) 

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