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Prince ― Emancipation Live [音楽]

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プリンスは1994年から2000年まで何と読むのかわからないシンボルマークの名前の時代があって、つまりThe Artist Formerly Known As Princeと言われていた頃であるが、その時代のアルバムが3種類、もうすぐリリースされる。
《The Versace Experience Prelude 2 Gold》は《Gold Experience》(1995) を元にした内容で、ヴェルサーチのショーにて配布されたカセットの音源とのこと。そして1996年リリースの《Chaos and Disorder》と《Emancipation》である。

このあたりのアルバムを私は知らない。印象としてプリンスは地下に潜ってしまったように感じてしまって、CDが入手しにくかったりしたこともあり、何となく遠ざかっていたような気がする。いつの間にか21世紀となり、あ、プリンスだ、と再認識したのは《Musicology》(2004) あたりからであって、だからシンボルマーク時代の作品がこのように再発されて聴けるようになってきたのは喜ばしい。

YouTubeの中にLive Music Marathonというロゴの入っているTVでのライヴ映像があった。“Emancipation Celebration” とタイトルされている1997年のペイズリー・パーク・スタジオでのライヴである。
画面サイズがまだこの頃は狭いが、内容的にはシャープで、古色蒼然とした感じではなく、想像していたよりもずっと洗練されている。シンボルマークの時代は、もしかするともっとマニアックだったりアヴァンギャルドだったりな傾向があるのかと思っていたがそんなことはなく、むしろこの1997年のライヴは一番好きな傾向のパフォーマンスである。プリンスの歌も動きもむしろ少しサラッとしているくらいの軽さがある。

映像は《Emancipation》の冒頭曲〈Jam of the Year〉から始まるが、大ホールやスタジアムでなく、このどちらかといえば狭いスペースで歌うプリンスは、いきいきとしていて、プリンスという名前を捨てた必然性が理解できる気がする。バンドの音もいたずらにゴージャスでなく、それでいてタイトで、ムダがない。
途中でおきまりのように歌われる〈Purple Rain〉も、昔のねばりっ気のある方向性とはかなり違う。白いシンボルギターでステージから狭い花道に出て行くが、あまりにも観客席との距離が近くて会場の一体感を感じる。これがプリンスが一番やりたかったことなのかもしれないと思う。
最後に〈One of Us〉が歌われるが、全体の曲構成、バンドの歌、歌唱すべてがとてもオーソドクスでシンプルで、それでいておそろしく高度な音楽性を保っている。それはプリンスがデビューしたとき、下品とか猥雑とか顰蹙の中にありながら、その創作の積み重ねで勝ち取った高貴さに他ならない。その基本に存在するのはブルースであり、そしてポップ・ミュージックであるが、その一音一音の中に存在する悲しみは何なのだろうか。それはすでにプリンスがいないということへの喪失感とは別の、音楽そのものがもつ寂寥である。

たとえばプリンスに戻ってからの〈Musicology〉のofficial videoなどを見ると、さらに全体は洗練されているが、このシンボルマーク時代はプリンスの歴史の中で重要な時期であったように思う。


Prince/Emancipation (SMJ)
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Prince/Emancipation Celebration, 1997 [Live on TV]
Live Music Marathon
https://www.youtube.com/watch?v=l1JB5_KxLSo

Prince/"Musicology (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=zILabWVdIMs
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Boss365

こんにちは。
動画のプリンス、変にショーアップされていない感じで、大型コンサートと違いTVらしいアットホームな雰囲気ですね。カリスマ性のあるプリンスですが、モータウン・レコード風な演出??に驚きました!?(=^・ェ・^=)

by Boss365 (2019-08-25 13:31) 

lequiche

>> Boss365 様

ご覧いただきありがとうございます。
こんなに近くでプリンスが観れたら最高ですね。
そうそう。モータウンっぽいです。
プリンスのバックは女性ミュージシャンが多いですが、
ギターのキャスリーン・ダイソン、かっこいいなと思いました。
by lequiche (2019-08-25 15:34) 

末尾ルコ(アルベール)

The Artist Formerly Known As Prince時代は日本では「元プリ」とか呼ばれてましたよね。
何でも軽くなっちゃいますね、日本では。
米国並びほとんどの国で巨大な存在だったプリンスも、日本では基本的に洋楽ファン中心に聴かれていた印象です。
渋谷陽一らが、プリンスがいかに巨大な存在であるかをいろんなエピソードで紹介していたことも覚えてますが、日本では彼のデビュー時はややイロモノ的なイメージだったような気がします。
まあそういうのって、プリンスに限ったことではありませんが。

ともあれわたしもThe Artist Formerly Known As Prince時代はさほど注視してなかったこともあり、(何をやってるのかなあ?)と漠然と見ていただけでしたから、当時の音には興味あります。

リンクしてくださっている動画、視聴させていただきました。
確かにいいですね。
やたら派手でやたら盛大で「あらねばならない」という縛りを自ら解放した自由でしかも極めて高いクオリティ。
間違いなくいまだ黒人ミュージシャンの最高峰に位置しているのだと実感します。

> これがプリンスが一番やりたかったことなのかもしれないと思う。

これは結局音楽をやっている人すべての理想なのかもしれません。
売れてない時期には(いつかスタジアムで)と目標に持つのでしょうが、音楽家としてそうしたライブは決して最高の幸福ではないということでしょうね。

> 音楽そのものがもつ寂寥である。

「音楽には形がない、質量もない」こともその理由なのでしょうか。
それでいて、いつの間にか心に忍び込んで来るという。


・・・


Tutti Frutti Hatの映像、確かに不可思議で満ちておりますね。
なにせでっかいバナナモチーフがあまりと言えばあまりです(笑)。
アメリカ人の一部(あるいはかなりの部分?)がバカ(笑)なのは間違いないでしょうが、ブラジルに対してどのような意識を持っていたのかなどの興味も湧いてきます。
身近でしかも巨大な面積を持つブラジルが米国人にとってどのような存在だったのか。
もちろん米国人は、できる人は凄くできますし、知識も思考能力も高いとは思います。

1940年代はアステアを頂点としたミュージカル全盛期ですよね。
Tutti Frutti Hatもそれっぽい雰囲気を出そうとはしてますが、ぜんぜん違うものになっているという(笑)。
そうですね、『ジョーズ』がヒットした後に出て来たヘンな鮫物とか、『スターウォーズ』ヒット後のヘンな宇宙物とか、そのようなテイストを感じなくもありません。
でもカルメン・ミランダって大スターだったんですよね。
それでこのチープさは確かに異様です。

「バナナというアイコン」で想起したのですが、紫雷イオという女子プロレスラーが現在米国のWWEという世界最大のプロレス団体でファイトしてるんです。
日本で試合している時は「可愛い美人」系の顔立ちだったのですが、WWEではつり眼で頬骨を強調した、つまり米国人好みのオリエンタルなメイクになってるんです。
想像に過ぎませんが、カルメン・ミランダもスターになるために背に腹は代えられずで、バナナモチーフを引き受けていたのではとも思います。
オスカー女優となったフランスのマリオン・コティヤールでさえハリウッド映画出演作では、「ロマンティックでセクシーなフランス美女のやくばかりだ」とフランス人の友人がいつもこぼしておりました。

バロック以前の各地の古楽ばかり放送する番組とか、ラジオ局とかあればいいなと思う今日この頃です。
古楽ばかりを正面切って聴き続けるのはしんどくなるかもしれませんが、長い時間流しっぱなしにしていると、とても心地よい空間、時間となりそうです。
音楽だけでなく多くの分野遠く離れた地域でも遠い昔に文化的共通点が見られるのはよく知られてますが、おもしろいですよね。
矢追純一なら宇宙人の仕業とするところでしょうが(笑)。
でも「宇宙人」なんていうのも、「あり得ないでしょう~」と笑いつつも0.1%くらいは可能性があるのかもしれません。

ツルゲーネフは早い時期に「初恋」を読みましたですよ。
理由は漫画『愛と誠』の裏番(←女)が読んでたんですね。
しかも本の中をくり抜いて、ナイフを隠し持っているという(笑)。
しかし「初恋」は短い小説なのに、どうやってくり抜いてナイフを入れてたのかという。
ツルゲーネフ全集だったのか、それともやたらと多きな字だったのか(笑)。
『異邦人』は、マストロヤンニはないですよね。
何かヘンな映画になってしまいました。
わたしが子どもの頃に、午後の時間帯にテレビで放送してまして。
ビデオがまだ普及してなかったとはいえ、そして失敗作とは言え、ヴィスコンティ作品が高知の普通の人の目にも触れていたですね、あの頃は。

> そしてそれが独り立ちしていると考えたほうがよいです。

なるほどです。
歌い手それぞれの解釈も、仮に作詞者に説明を受けたとしても、作詞者と「まったく同じ」はあり得ませんから、その視点も歌を愉しむ大きなポイントですね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-08-25 20:38) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

元プリって、プリという音を聞くと
プリプリ (プリンセス・プリンセス) を連想してしまいますね。(^^;)
プリンス=イロモノというのは外見的な印象もあるでしょうし、
その頃の日本ではプリンスはまだ早かったのかもしれないです。
それにR&B的テイストが濃かったですから
受け入れにくかった一面もあると思います。

プリンスの動画はかなりあるのですが、
その元がブートであったりすることが多くて、
正規音源でないのは私は避けるようにはしているのですが、
逆に、こういうのを正規にリリースして欲しいという面もあり、
悩むところです。
それはデヴィッド・ボウイなどにも同様に言えるのですが、
すべての音源・映像を出せるわけではないので
むずかしい問題ですね。

でもプリンスは、レコード会社との軋轢もあったと思いますが、
それなりに好きにやって来られたほうだと思います。
完璧に音が決まっていて、タイトなリズムが心地よくて、
音も明るいのになぜか悲しみを感じてしまう、
というのが、私がプリンスの作品から受け取る表情なのです。
結局、プリンスにしか見えていない風景というのがあると
私は思うのです。
そういえばテレンス・トレント・ダービーっていましたが、
プリンス・エピゴーネン的な感じでしたけど、
最近の動画を見たら、あららら~……。まぁそんなもんです。

カルメン・ミランダが自分の特性を生かして
それなりの戦略でアメリカに行ったことは確かです。
とはいっても、自分から戦略でこうしようとしたわけでなく、
そのような異国情緒を求められたのでそれに応じた
という程度だったのでしょうが、
その中にバナナを含めたわかりやすい記号を用いた、
それがウケたのでどんどんフリークス度が増大していった
ということなのです。
でも冷静な目で見て、バナナの作り物とかそれに伴う衣裳とか
全然セクシーでもないし、もちろん面白くもないし、
アメリカ人は何を彼女に求めていたのかが謎です。
その時代にはそれなりの正当性があったのでしょうが。

今福先生も指摘していますが、
そもそもアメリカが南米の国々一般に対して
どのように考えていたかということを考えれば、
アメリカの覇権主義というのは、ずっと変わっていない
ということがわかるはずです。
対等な国と国の関係性ではなく常に自分が上という考え方です。
それは現在のグリーンランド購入プランまで一貫しています。
アメリカという国の根底にあるのはそうした思想です。

偶然か伝播かという書き方をしましたが、
音楽は必ずしも伝播とか影響を考えなくてもよいのではないか
という見方があります。
つまりプリミティヴな音楽の場合、方法論はそれほど無いので
偶然同じような結果となる技法は起こりやすいのでは、
という仮説ですね。
たとえばスケールひとつをとっても、
その地域によって異なるスケールが存在しますが、
ある程度の幅があるにせよ、そんなに突飛なものは存在しません。
それは音を聞いて気持ちいいかどうかという人間の生理が
その音を選ぶ元になっているからです。

本の中をくり抜いてナイフが入っているっていいですね~。
でも文庫本では小さなナイフしか隠せませんから、
きっと大きな本だったんだと思います。
同じ本を何冊か重ねて接着すれば厚さ増大は可能だと思います。(笑)

たぶんベートーヴェンが今演奏されている自作曲を聴いたら
きっとびっくりするだろうと思います。
作曲者本人よりもたぶんテクニックは上でしょうし、
解釈も深いかもしれません。
ピエール・ブーレーズの曲はさすがに作曲者本人が指揮したのが
一番良いと思われていましたが、そうでもない、
ということは以前に書きました。
ましてブーレーズは亡くなってしまいましたし、
これから作曲者本人の解釈を超えた演奏が出てくることは
おそらく間違いないです。
音楽とはそのようにして進歩して行くのだと思います。
by lequiche (2019-08-27 01:41) 

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