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ピーター・バラカン『Taking Stock』を読む [本]

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ピーター・バラカンの『Taking Stock』を読んでいる。正確にいえば本自体はすでに読んでしまったのだが、この本はバラカンが良いと思うアルバム紹介なので、興味のあるアルバムを逐一YouTubeなどでお試し聴きしているところなのだ。バラカンの推奨するアルバムのジャンルは、私にとってまだ未知の領域なものが多いので、ひとつひとつつぶしていかないと聴いたことにならない、つまり読んだことにならないのではないかと思ってしまうのだ。たとえばややディープなブルースとか、アフリカ系の音楽とか。
簡単にワールドミュージックに分類されてしまう音楽がよくあるが、それはあまりに粗雑な分類で、十把一絡げな方法論に近い。そういう意味でバラカンのこうした視点は違う世界を切り開いてくれそうな気がする。

順に聴いて心にひっかかったのは、まずサリフ・ケイタの《Moffou》(2002)。バラカンは 「1980年代半ばに、だんだんメインストリームのロックに興味を失い、ちょっと迷っていた時期」 に出会ったのが西アフリカのミュージシャンの音楽だったと書いている。ユッスー・ンドゥールは知っていたがサリフ・ケイタは聴いたことがなかった。彼はアルビーノであり、そうしたことに理解のないマリでは迫害も受けたのだという。アルバムの最初のトラックである〈Yamore〉1曲だけのために買ってもよい名盤ということだが、ライヴ映像ではその音楽の持つ原初的な意思がストレートに伝わってくる。民族楽器と西洋楽器が混在しているがそのブレンド感もここちよい (a)。

ジョニ・ミッチェルは《Shine》(2007) が選ばれているが、これが彼女の最後のアルバムとなっても仕方がないとバラカンは書く。そうなったら悲しいことだが仕方がないことなのかもしれない (バラカンは名前のカタカナ表記を英語の発音に近づけようとする方針なので、ジョニ・ミッチェルではなくてジョーニ・ミチェル)。
一番有名な動画はたぶん1976年のこの動画だと思う。ずっと以前、知人の家でこのライヴを観せられたとき、私にはその真価がわからなかった。だらだらと無駄に長いくらいにしか思わなかったのを恥じるばかりである。さっと簡単に歌い出すジョニの姿が美しい (b)。

ジェリー・ゴンザレス (ゴンサレス) の《Y Los Piratas del Flamenco》(2002) はジャズとフラメンコの合体という惹句がついていて、ラテン・ジャズというような分類になるらしいが、ジャズでありながら哀愁の音という印象を持ってしまう。といっても音は骨太で硬質に聴こえる。よい動画が見当たらなかったので《Jerry González y El Comando de La Clavé》(2011) の〈Resolution〉を (c)。かなりストレートなジャズだがフリューゲルがかつての日野皓正を彷彿とさせる。と、このへんまで聴いてきた。まだ途中です。

本書のメインは21世紀のオススメ愛聴盤ということなのだが、巻末に生涯の愛聴盤というセクションがあって、彼が愛聴してきた21世紀だけに限定しないアルバムが700枚ほどリストになっているのだが、これを見るとどういう音楽が好きなのかという傾向がわかって面白い。もちろん嗜好は人それぞれだから、バラカンに共感するのでもよいし、これは違うよな、と思うのでも可なはずだ。彼はハードロックが苦手、そしてパンクも世代的にタイミングが合わなかった、というようなことを書いている。

それを見てみよう。
ビートルズが2枚リストアップされているが、バラカンが選んだのは《Revolver》と《The Beatles in Mono》である。The Beatles in Monoという選択がちょっとズルいが、ベスト盤やコンピレーションなどでその全体像がつかめるのならそれでよいという考え方なのだろう。ジョン・レノンのアルバムは《Imagine》など3枚、それにプラスチック・オノ・バンドまであるのにポール・マッカートニーはない。このへんもバラカンらしいところだ。
ローリング・ストーンズは《Exile on Main St.》(表記がMain Streetとなっているが正確にはMain St.) とモノ盤、シングル・コレクション The London Yearsというのもビートルズと同じ手法。ストーンズの場合はシングル盤が選ばれている。バラカンの音楽体験はストーンズからはじまって、とあるから納得の選択なのだろう。シングル中心で聴いたほうがいい場合もある、とも書かれているのでこれもその一環。クリームはベスト盤1枚あるけれどエリック・クラプトンはない。
ボブ・ディランは10枚。最も多い選択数である。ブルース・スプリングスティーンは5枚あるが、《The Wild, The Innocent & The E Street Shuffle》《Born to Run》《Darkness on the Edge of Town》と来て《Tunnel of Love》と《The Ghost of Tom Joad》とのこと。Tunnel of Loveって? とも思うのだが心情的にはわかる気がする。
ジミ・ヘンドリックスは生前の基本3枚とベスト盤1枚。それって全部じゃん!
グレイトフル・デッドは6枚。ジョニ・ミッチェルも6枚。このへんは好みなんだろうな、と思う。

アルバム1枚だけという場合、キャロル・キングの《Tapestry》、ジェフ・ベックの《Blow by Blow》、ロキシー・ミュージックの《Avalon》、U2の《The Joshua Tree》などはありきたりだけれど無難な選択。あまり熱がないというふうにも読める。ラヴィン・スプーンフル《Do You Believe in Magic》、ニック・ドレイク《Five Leaves Left》の場合は、これしかないということだろう。ラヴィン・スプーンフルというのはやや意外。
キング・クリムゾンは《Discipline》1枚のみ。ピーター・ゲイブリエルは《III》と《So》の2枚。そしてトーキング・ヘッズは《Remain in Light》《Speaking in Tongues》《Stop Making Sense》と3枚になる。あー。

ジャズ系の選びかたが面白い。ジョン・コルトレーンは《Live at the Village Vanguard》《My Favorite Things》の2枚。マイルス・デイヴィスは《In a Silent Way》《Kind of Blue》の2枚。キース・ジャレットは《Köln Concert》1枚のみ。チック・コリアはなし。それでいてボビー・ハッチャーソン・フューチャリング・ハロルド・ランド《San Francisco》とかケニー・バレル《Midnight Blue》が入っていたりする。オーネット・コールマンは《Virgin Beauty》。なるほど。

そして日本のアルバムはYMOが1枚と3人それぞれに1枚ずつ。公平でないとね。小坂忠の《ほうろう》が入っているのがユニークだ (正確にはアルファベット表記でHORO)。
たぶんバラカンの書斎兼リスニングルームと思われる表紙写真がいい。

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Peter Barakan (highflyers.nu/より)


ピーター・バラカン/Taking Stock (駒草出版)
テイキング・ストック -ぼくがどうしても手放せない21世紀の愛聴盤-




a) Salif Keïta/Yamore (Live Africa Festival 2013)
https://www.youtube.com/watch?v=jE9wY1mZ54k

b) Joni Mitchell/Coyote (The Last Waltz)
https://www.youtube.com/watch?v=f7MbmXklj3Q

c) Jerry González y El Comando de La Clavé/Resolution
https://www.youtube.com/watch?v=GzGOMLBuZRU

Yukihiro Takahashi/Glass
https://www.youtube.com/watch?v=E4nJN9pMLz8
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末尾ルコ(アルベール)

ピーター・バラカンの本はいくつか読んでいますが、『Taking Stock』はまだ。ぜひ手に入れたいです。
『ウィークエンドサンシャイン』はもうずっと聴いていて、毎週その情報量の多さに感服している次第ですが、バラカンの素晴らしいところは、どんなマニアックな音楽を紹介しても、まったくスノビズムを感じさせないところですね。魂の底から音楽が好きなのだという印象です。
わたしは参加したことないのですが、高知へもちょいちょい音楽イベント(もちろん小さな場所で)を催しています。
この人の映画の好みも素敵でして、ずっと前になりますがアンケートに答え、『明日に向かって撃て』『ブレードランナー』『暴力脱獄』などを挙げていました。しかも『ブレードランナー』についてはそのエフェクトを賞賛するよりも、描かれている「人間」や「レプリカント」の心情に共感していました。(いいなあ、バラカン・・・)という感じです。

いつも『ウィークエンドサンシャイン』でバラカンがかけるアフリカ系の音楽にいついては、ユッスー・ンドゥール、サリフ・ケイタらはさすがに聴いてましたが、その他丸っきり知らない世界を紹介してくれる貴重な時間として愉しんでます。紹介される音楽をすべて消化できるはずもないわたしですが、本当ならどれもこれもじっくり掘り下げたいクオリティだと思います。

ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジミ・ヘンドリックス、グレイトフル・デッド、ジョニ・ミッチェルらは番組でもしょっちゅう言及されます。わたしはグレイトフル・デッドについてはあまり聴いてないので、今後の愉しみにと思ってます。
そう言えば以前佐野元春について、「スプリングスティーンの真似は許せません」と言ってました(笑)。
最近では絡むことは滅多にないですが、かつては渋谷陽一、そしてアメリカ人のロバート・ハリスというのがいて、3人でのトークがとてもおもしろかったです。
バラカンが何か言うと渋谷が、「(日本は)経済大国なんだから、貧乏な国が何を言うか!」とか、自虐ギャグを駆使したりして(笑)。
まあバラカンは本当に、「バランスの取れた人間性」という印象が強い人です。
彼の愛聴音楽、わたしももっと深く聴いていきたいと思います。

・・・

イーストウッドの『バード』はずっと前に観てますが、まだジャズについてまるで知らなかった頃でしたらか、またぜひ観たいです。
なにせこのところ、若い頃のイーストウッド映画の凄さにあらためて度肝を抜かれてますから。
そう言えばかつて何かのインタヴューでイーストウッドは、「ロックはブルースの亜流でつまらないから聴かない」的なことを言ってました。だから何だというわけではないですが、このようなこと言う人あまりいないので新鮮に感じたんです。(ああ、こんな風に考える人もいるんだ)と。
これをその辺のおじ様が行ったなら、いささかスノッブを感じたかもしれませんが、イーストウッドが言うとその後光効果は絶大で、何か凄いことを言ってるような印象になると。もちろんわたしはこの意見には与しませんが(笑)。

> 基本的にはダンス・ミュージックでした。

なるほどです。
人間社会の中における音楽の立ち位置というものは時代によって変わっていくのだと思うのですが、とても興味深い視点の一つだと思います。
例えば絵画だと、今は非常に高尚な芸術という見方が一般的ですが、わたしの大好きなカラヴァッジョ含め、洋の東西を問わず、残酷描写の絵画が無数にありますよね。なにせ映像も無いし、写真もまだの時代ですから、ひょっとしたら今で言うスプラッター映画のような鑑賞のされ方をしていたのかもと想像したりもします。
思えば浮世絵の芸術的評価も大きく変わってますし、どんな対象にしても時代を超えた視点を持ちたいものです。

> コッポラの映画《コットンクラブ》(1984)

あ~、これよかったですよね。
でもずいぶん前に観ただけだから、再鑑賞してみたいところです。
時代の空気を彷彿させる映像が好きな作品です。刹那の中に永遠性が漂うような。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-08-16 18:24) 

kome

サリフケイタは1枚持っていました。
やはり西アフリカの音楽は、楽器・奏者・歌い手ともに魅力があると思います。
メジャーでない、ローカルのミュージシャンが特にいいかも。
ピーターバラカンさんは、代官山蔦谷(tsutaya)に去年トークで来てました、懐かしい人。
by kome (2020-08-17 12:26) 

いっぷく

広くはないけれど仕事に集中できそうな部屋ですね。テレワークも自分だけの仕事部屋がある人とない人とでは処理能力に大きな差が出ると思います。
by いっぷく (2020-08-17 21:48) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

この本は8月7日発売の新刊ですから
いまなら書店に山積み、とまではいきませんが
何冊かはあると思います。

確かにピーター・バラカンさんは
スノッブなところが全く感じられませんね。
YouTubeで聴いてみてもなかには自分には合わないな
と感じてしまう音楽もありますが、
それががっかりにはならなくて
あぁこういうのもありだ、と思ってしまいます。
リンクしたサリフ・ケイタのライヴでもそうですが、
聴いているアフリカ系の観客の表情がとても美しくて
音楽の喜びの原点をあらためて確認できます。

《ブレードランナー》のストーリーの特質は
まさにそうした人間あるいはレプリカントの機微を
的確にとらえているからだと思います。
存在しないはずの過去を捏造しようとするレプリカント、
あるいは他の惑星で過酷な労働を強いられる
レプリカントの姿というのは奴隷制度のメタファーであり、
最後の死闘の末、ロイの寿命が尽きるところは
制度そのものが変更できないことへの諦念です。
端役の登場人物ひとりひとりにまで個性があり
シンパシィを持ってしまいます。

ビートルズもストーンズもモノボックスが選ばれていますが
あぁ、やっぱりと思ってしまったのです。
この時代はモノのほうが音が良いですし、
シングル盤というのはもともとモノラルですから。
ビートルズはモノ盤も持っているのですが、
ストーンズはステレオ盤しかないので残念です。

3人の評論家のトークというのは面白いですね。
そういうふうなギャグが通用するには
ある程度の相互理解がないとケンカになってしまいますが、
それを了解できるレヴェルが必要ですから。
どこまでがハードロックなのか、という線引きも
面白いなと思うのです。例えばクイーンはリストにありません。
そういうふうに自由でいいんだと感じます。

イーストウッドのブルースこそが本質という意見は
極端ですが、でも納得できる部分でもあります。
音楽はパラフレーズの繰り返しともいえますが
プリミティヴなものを辿っていくと
その本質的な単純さというかピュアなものが
わかってくるような気がします。

絵画の鑑賞、その通りですね。
今は絵画でも音楽でも芸術としてくくられますが
もともとは娯楽なんです。そんなに高尚なものではない。
そのような絵画の場合、技術的な巧拙ではなくて
もっと卑俗な、興味を持つべきそのものについて見られる
というのが原点だと思うのです。
エリントンでもベイシーでもその当時は消費財として
娯楽というくくりのなかで、雑に聴かれていたと思うのです。
でありながら、実は緻密に書かれていたスコアが
後付けで芸術として評価されるようになったのです。

たとえばエリントンとコルトレーンのアルバムがあります。
https://www.amazon.co.jp/dp/B000AA7DQO
こういうの、私は最初よくわからなくて
物足りないなぁと思っていたのですが、
それは音楽の本質がわかっていなかったのです。
by lequiche (2020-08-19 06:42) 

lequiche

>> kome 様

さすがですね。
いわゆるメインストリームな音楽以外の音楽を
皆、ワールドミュージックに分類してしまうのですが、
それは違いますし一種の差別だと思うのです。
たまにそういうなかからブエナビスタのような
大ヒットが生まれたりしますが、
それも資本主義社会のなかで消費されてしまうと
受け取りかたが変質してきてしまいます。
都合のよい解釈になってしまうんですね。

ピーター・バラカンさんはそういうところにも
出没されているんですか。(笑)
一度、実際にトークを拝聴してみたいです。
by lequiche (2020-08-19 06:43) 

lequiche

>> いっぷく様

バラカンさんの部屋はおそろしい物量ですが、
それなりに居心地がよさそうです。
テレワークだと、ごく一部かもしれませんが
自分の部屋が公開されてしまうわけで、
その部屋のたたずまいが意外にその人を映し出している
などと最近言われているようです。
私の部屋の場合、絶対に公開できないような汚さなので
困った流行 (笑) だと思ってしまいます。
by lequiche (2020-08-19 06:43) 

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