〈夏なんです〉など [雑記]

YOASOBI (関ジャム 2020.08.16/niftyニュースより)
暑くて文章を書く気力がないのでメモ書きだけ。消化が追いつかないだけといううわさも。
先日、といってもすでに月曜日のこと、たかみなのFMを聴いていたら昭和の夏ソングというテーマで〈夏なんです〉がオンエアされていた。けだるい音が懐かしい正常な夏の雰囲気をあらわしている。今年の夏は異常で不吉な夏で、健康的な昭和の夏が余計にうらやましい。
その異常さをそのまま映し出しているのが『coyote』71号の森山大道である。東京パンデミックというタイトルは、まさにそのまま。写真の中にウイルスがうごめいているような気がしてしまう。不吉というよりも不潔さがクローズアップされてしまった時代なのだ。『アサヒカメラ』の最終号はまだ書店に並んでいるが、こうした写真雑誌を必要とする読者が減少してしまったのかもしれない。
その月曜日の前夜、16日の関ジャムに《YOASOBI》が出演していた。内容的にはすでに語られていることで目新しさはなかったが、初音ミクで作られたデモとikuraの歌唱の比較というのが面白かった。こうして較べられてしまうと、人間の声の複雑さと強さにあたらめて惹かれる。そして私はこの前、〈たぶん〉ってもう、マンネリが少し忍び寄ってきていてみたいに書いたのだけれど、歌詞の端々に惹きつけられる部分がある。というか厳密にいえばその歌詞をどのようなニュアンスで歌うかで、たとえば 「悪いのは誰だ 分かんないよ」 の、分かんないよという部分にどのようにもとれるニュアンスがある。それはドキッとする何かで初音ミクではあらわせられない何かだ。関ジャム出演時のikuraの衣裳のディテールがちょっと不思議でオシャレ。
ギターマガジンの表紙は鈴木英人で、この頃やたらにシティポップというキャッチを見るのだが、そして同様にイラストも使われているのだが、流行なのだろうか。不吉な夏を忘れるためというふうにとらえることもできる。
大貫妙子の《SUNSHOWER》の記事には大村憲司の写真が添えられていた。大村憲司って49歳で亡くなってしまったことにあらためて気がつく。今度出た《SUNSHOWER》のアナログ盤は45rpm2枚組でちょっとやりすぎな感じもするけれど。時代が一回り回ってしまって、こういう音がとても新鮮に聞こえてくる (一回りじゃなくて、もっとかもしれないが)。
皆川博子長編推理コレクションという本が書店に並んでいるのを発見した。サインしたカードがはさんであるのだが、これって直筆? う〜ん、4冊もあるよと思いながら買ってしまう。4巻目にだけ、サインカードがついていなかった。
レヴィ=ストロースの『今日のトーテミスム』が復刊されているのだけれど、中身が清刷りでさえなく (たぶん紙型なんかない)、おそらく前回の印刷物から撮ったものらしくて、文字品質がまるで謄写版。みすず書房でこれはないよね。でも仕方なく購入。
実は〈夏なんです〉のオンエアに反応したのは、ピーター・バラカンの『Taking Stock』と一緒に『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』と『URCレコード読本』というのを買ったのだが、こういうリスト本って、便利だなと思うのだけれど実際にはそんなに有効に使えないことが多くて、でもECM catalogみたいのまで買ってしまいます (ECMは以前、しっかりしたカタログを無料で配布していたときもあったのに)。この『URCレコード読本』というのの中身が濃くて、でもレコードガイドにはなっていなくて、インタヴュー集みたいな内容なのだが面白い。URCって基本はフォークなんですよね。最近またCDが再発されているけれど、最も重要なのははっぴいえんどで、あと、金延幸子なのかな。金延幸子って全然知りませんでした。この本についてはもう少ししてからあらためて書こうと思ってます。
夏の歌だったらフォンテーヌの〈L’été, l’été〉を思い出すのですが、でも今聴くと暑苦しいし、フォンテーヌは夏は暑いし冬は寒いなとも思うばかりで。〈夏なんです〉のほうが日本の気候風土をよくあらわしてると思う。不穏な夏に無理して仕事なんかしなくてもいいんじゃない、というメッセージが隠されているようにも思う。
あと、エディション・イレーヌのこととか、ステレオサウンドのベイシー読本とかあるんですが (ベイシーとはもちろん一関・ベイシーのことです)、まだ読んでいません。
coyote no.71 (スイッチパブリッシング)

アサヒカメラ 2020年7月号 (朝日新聞出版)

ギターマガジン 2020年9月号 (リットーミュージック)

皆川博子長編推理コレクション・1 (柏書房)

URCレコード読本 (シンコーミュージック)

ECM catalog 増補改訂版 (東京キララ社)

別冊ステレオサウンド/ジャズ喫茶ベイシー読本 (ステレオサウンド)

夏なんです/細野晴臣
https://www.youtube.com/watch?v=tMmQfzFGHCQ
坂崎幸之助が語る、はっぴいえんど〈夏なんです〉
https://www.youtube.com/watch?v=Ofp5xUc5Wn8
Brigitte Fontaine et Areski Belkacem/L’été, l’été (1969)
動画に1970年とあるのは間違いで1969年。
fr.wikiにも1970年との表記があるのでそれを踏襲?
https://www.youtube.com/watch?v=QZla_ekGTRE
YOASOBI/たぶん
https://www.youtube.com/watch?v=8iuLXODzL04
南佳孝/摩天楼のヒロイン (1973)
松本隆プロデュースによる南佳孝1stアルバム
でも私は2ndの忘れられた夏のほうが好き (love! ^^)
https://www.youtube.com/watch?v=Rv4poyC6vGI
夏はもうずいぶん前から不自然に暑く、日本の伝統とされる風情や情緒には程遠い状況となってますね。しかも今年はコロナがあって禍々しいまでの雰囲気が充満しています。さらに今は台風まで近づいてますし。我が家も今年エアコン代えてなけりゃ、とんでもないことになってました。
ただ、私事ではありますが、ここ数年効かないエアコンに苦しんできてましたので、「効くエアコン」のリビングではけっこう書いたり読んだりが進んだりしてます。苦しんだ経験も無駄にはなりませんね(笑)。
『アサヒカメラ』というと、すごく昭和なイメージがあります。わたしはカメラはまったくやらないのですが(デジカメで撮るくらいはしますけれど)、亡父がカメラに凝ってまして、家の中にカメラ雑誌も散見されてました。それで父は高校教師でして、同僚の人がよく「撮影会」に誘っていましたね。つまり女性モデルのヌード撮影会なのですが(笑)、父が参加してたかどうかは定かではありません。
> 人間の声の複雑さと強さ
正直わたし、デジタルだの何だのにうんざりしてまして、まあわたしもネットでいろいろやっているのでそうした恩恵は受けているのですが、「人間の代わりになる」だの「人間を上回る」だの、(アホなこと、言うな)と、特に「人間が人間である根本」や「芸術的世界」には、デジタルは少なくともその深奥には近づくことさえできないと思ってます。
というわけで(笑)、人間の声、素晴らしいですよね。
日々刻刻変わっていき、同じ状態など1秒もない人間の声。ほんの少しの体調や精神状態の変化でまったく違ったものとなる人間の声。そこが人間の歌のおもしろさで、「歌」としてこれ以上ワクワクさせられるものはありません。
> レヴィ=ストロースの『今日のトーテミスム』
いいですね。今だからこそレヴィ=ストロースらを読んでみたいと感じます。みすず書房も以前はしょっちゅう購入してましたけれど、最近はぜんぜんでした。またHPなどチェックしてみます。読みたい本がいっぱいありそうですね。
エディション・イレーヌは『イリュミナシオン』の詩画集も発刊予定なのですね。
『イリュミナシオン』はとてつもなく美しい詩が多いです。
『マルドロールの歌』も詩画集なのですね。
このような形で読むと、また今までと違ったイメージが湧いてきそうです。
お記事の方、お待ちしております。
・・・
> 音楽の喜びの原点をあらためて確認できます。
音楽は特にそうですが、芸術を愉しむ際に「喜び(歓び、悦び)」という感覚はとても大切ですね。つい理屈を先走らせたり、時にカッコつけたりと、そんな接し方をする場合もありますが、「喜び」という根本的な情動を忘れてはいけませんよね。
現代絵画や現代音楽に関してよく「理解できない、難しい」という声を聞きますが、こう言う人たちはまず「難しい」という先入観があるし、(意味を解釈しなければ)という前提も持っていますよね。そういう前提は抜きに絵画や音楽に接して、まず「自分の心(魂)が喜ぶか否か」をシンプルに観察してみるのが大事だと思ってます。
もちろん大方の人はシンプルに観察しても、まず「喜び」はないのでしょうが(笑)。
でもその感覚は、コマーシャルな音楽市場に慣れてしまっているからというのもあって、「それ以前」の感覚に戻れば、聞こえてくる音も違ってくるのでしょうけどね。
> 《ブレードランナー》のストーリー
リドリー・スコットがこのストーリーにどれだけ思い入れを込めて深めたのかは分かりませんが、わたしはいつも人間の孤独、宿命的な孤独、そして孤独を実感しているからこその強さ・・・などというものを感じます。
ピーター・バラカンの言うように、『ブレードランナー』をエフェクトだけで語るのは、いささか小賢しいと思いますね。
昨日はセルジュ・ゲンズブールをYouTubeでいろいろ観ました。
母がお世話になっているケアマネさんがフランス文化に関心がありまして、やはりそういう人が周囲にいると、自分自身のモチベーションに大きな愉しみが加わります。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2020-08-23 02:50)
>> 末尾ルコ(アルベール)様
新しいエアコン、いいですね〜。
ウチはもうずいぶん古いエアコンなので
ランニングコストがよくないですし効き目も悪いです。
カメラ雑誌はプロの作品を紹介すると同時に
撮影技術を啓蒙するような特質をそなえていました。
しかし今はそういうのは流行らないのではないかと思います。
撮影会というのも絵画教室のカメラ版という感じですね。
具体的にどのようなことが行われていたのかは
よくわかりませんが。
デジタルという本題から外れるかもしれませんが
これは単に私の感覚に過ぎないのですけれど、
私はごくチープな音、たとえば電話機の電子音とか、
玄関のチャイムとか、ああいう音がダメなのです。
聞くとドキッとします。不快に感じて全く慣れません。
駅の発車ベルも、駅毎に特徴のあるメロディが鳴りますが、
あの音もまるでダメです。
音質がダメ、作られているメロディもキモチ悪いという
二重苦です。(笑)
シンセサイザーで作られた音は大丈夫ですし
そういう音楽も聴くのにもかかわらず、
ある程度のクォリティから下の音が不快なのです。
拷問に近いように感じます。
厳密にいうとクォリティの問題ではないのかもしれません。
高度なシステムで作られていると思われる
デジタル美空ひばりがダメでしたから。
でもスーパーマリオの音はチープですが大丈夫です。
この違いがどこから出てくるのかはわからないですが。
私の読書は恣意的ですし、体系的ではありません。
基本的なものがまず必要だとは思うのですが、
別に学者ではないですし、気になるものを選択するだけです。
レヴィ=ストロースはわかりやすいですし、
どういう視点を持つべきかということを教えてくれた人です。
エディション・イレーヌは松本完治の翻訳を軸とした
シュルレアリスム系の出版社で、
そういってはなんですがこんな本ばかり作っていて
商売として大丈夫なのか? と思ってしまいます。(^^;)
最近、ジョイス・マンスールの翻訳を書店で発見し、
どんなものがあるのか今、探索しているところです。
音楽でも、それ以外の芸術でも、
どれが自分にとって楽しいかというのは選択的で、
それは自分のわがままな選択で良いと思うのです。
世間的に評価が高くても面白くないものは面白くないですし
気に入らないものに関わることは時間の無駄です。
時間は限られたものなので無駄は省きたいのです。
コマーシャルな呼びかけはいわば押し売りなのですから、
押し売りを押し売りだと認識する能力がなければなりません。
ゴミのような勧誘電話、TVのショッピング番組、
山のような迷惑メールなど、皆そうです。
やたらに多い過払金のCMも危険ですね。
正常な神経ならそういうのは本能的にわかるはずなのです。
ブレードランナーはP・K・ディックの原作があるわけで、
ディックからの影響というのはとても強いです。
エフェクトはテクニックであってシンセの音色と変わりません。
それ自体が目的ではないのです。
スターウォーズでもハリーポッターでも同じことです。
それが理解できないと映画を鑑賞したことにはなりません。
エフェクトだけで止まってしまうのはモノマニアで
でもそれで楽しいのならそれはそれでよろしいかと思います。
ケアマネさんも基本的には人間対人間の問題で
どのような対応ができるかということにかかってきますね。
その人の趣味とか嗜好は直接的には業務にかかわりませんが、
でもそうではないんですね。それがいわゆる教養の差です。
教養というものを除外しているのが昨今のデジタル思考です。
by lequiche (2020-08-26 06:21)