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鳥は飛ぶとき、どのように飛ぶのか意識しない — 植草甚一『バードとかれの仲間たち』を読む・3 [音楽]

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Charlie Parker & Sarah Vaughan (1948)

ビリー・バーグでのガレスピー/パーカーの4ヶ月にわたるライヴは、しかしいつも素晴らしい演奏というわけではなかったのだという。ライヴは 「いい晩」 と 「わるい晩」 があった。それはもちろんパーカーに関してのことである。おそろしいほどのひらめきをみせたソロを延々と吹き続ける晩もあるかわりに、まるで別人のような精彩を欠く日もあって、さらには店にやって来ない日もあったのだという。
そのようにムラっ気のあるパーカーだったが、ロス・ラッセルはこれを録音してレコードを出そうと考えた。そしてマーヴェン・フリーマンという相棒 (つまり共同出資者) を得て、「ダイアルレコード」 を創ろうと画策したのである。簡単に言えば、レコード店の店長が 「ウチでオリジナルのレコードを出そう」 と思ったのであるから、まさにインディーズである。「ダイアル」 というネーミングは、その当時の文学雑誌の名前で、マーヴィン・フリーマンが愛読していたのでそれをそのまま名前にしたのだという。意外に安直な命名である。

ロス・ラッセルはビリー・バーグに出演したメンバーのままで録音しようと思っていたが、ジョージ・ハンディというピアニストがプロデュースをかって出た。そのかわりに、自分をピアニストにしろというのである。
その結果、録音予定のメンバーはガレスピー、パーカー、レスター・ヤング、ミルト・ジャクソン、レイ・ブラウン、スタン・レヴィ、そしてジョージ・ハンディとなった。レスター・ヤングを引き入れたのはハンディの力である。その予定メンバーをロス・ラッセルはマーヴィン・フリーマンに伝えた。マーヴィンは大喜びする。

 「……それにしてもディジーとパーカーにレスターとは凄いなあ。おれ
 たちのレコードの第一発としては、まるで奇蹟のようなもんだ」 と彼は
 電話のむこうで叫んだ。(p.110)

第1回のセッションは1946年の1月22日の予定だったが、2月4日に延期となった。だが当日、パーカーはやって来なかった。失踪したのである。とりあえずパーカー抜きで5曲を録音したが、ジョージ・ハンディはパーカーが逃げてしまったのでやる気をなくし、プロデュースをおりてしまう。ロス・ラッセルは呆然となった。
2月20日になって、ロス・ラッセルのレコード店の常連で、ラッセルがジャズに詳しいとあげている3人のうちのひとり、ウディ・イスベルがパーカーを探し出して連れてきた。ロス・ラッセルとパーカーは話し合う。パーカーは 「新しいメンバーで新しいことがやりたい」 のだというのである。

パーカーが嫌っていた音とはガレスピーやハワード・マギーのような派手な音だった。「アンサンブルとしてのサウンドが欲しい。邪魔になるのは、音をギュウ詰めにしたようなトランペットサウンドだ」 というのである。つまりパーカーはガレスピーと一緒にやりたくはなかった、だから失踪してしまったのだ、と類推することができる。
ロス・ラッセルはパーカーの考える通りで良い、メンバーも曲も好きにして良い、という条件を出して、パーカーはそれに納得した。そしてパーカーが選んだのが、当時まだ無名だったトランペッター、19歳のマイルス・デイヴィスである。

黒人舞踏家フォスター・ジョンソンがオーナーのキャバレー〈フィナーレ・クラブ〉という店で、パーカーはよくジャム・セッションをしていた。パーカーが選んだメンバーは主にそこで一緒に演奏していたジャズメンであった。
パーカー (as)、マイルス・デイヴィス (tp)、ラッキー・トンプソン (ts)、ドド・マーマローサ (p)、アーヴ・ギャリソン (g)、ヴィクター・マクミラン (b)、ロイ・ポーター (ds) である。メンバーは最初の構想からすると弱体だったが、パーカーははりきっていた。だがロス・ラッセルはマイルス・デイヴィスのよさが全然わからなかった。ハワード・マギーのほうが良いのに、と心の中では思っていたのだが、でも仕方がない。すべてパーカーの好きなようにさせたのだから。

  このころマイルスはベニー・カーターのグループの一員としてロサン
 ジェルスにやってきていた。そのときバードはマイルスが中間音をこの
 んで出すこと、音の起伏に注意をむけ、そこからメロディが生まれてく
 るときなど、熱がこもった音を出し幅もある、そんなところに感心して
 しまい、ベニー・カーターのところなんかやめて、おれのところに来い
 と、くどいたのだった。
  そのときマイルスは十九歳で、まだ誰にもみとめられていなかったわ
 けだし、そんなとき彼のなかにあるポテンシャルを見ぬいたバードは偉
 いといわなければならない。(p.122)

「中間音」 という言葉がどういうことをさしているのか不明だが、それまでのガレスピーのようなトランペーターの大向こう受けを狙う吹き方と、マイルスの音は明らかに違っていた。
ここで非常に興味深い記述がある。それはパーカーが原則として譜面を使わなかった、という証言である。

 それでは、どうしてオリジナルを演奏したかというと、バードはメロデ
 ィック・ラインを繰りかえし吹いて、全員の意見をきき、メンバーの連
 中は、むずかしいところは、なんども蹴つまずいたが、そうすることに
 よってバードのオリジナルをおぼえてしまったのだ。(p.123)

録音に常時立ち会っていたラッセルによれば譜面があったのは1曲のみで、レッド・ロドニーもパーカーと2年4ヵ月ほど一緒に演奏していたが譜面を使ったことは一度もなかったという。
そのため、演奏が完成するまでパーカーは何度もダメ出しをし練習を重ねた。本番の録音も何度もテイクを重ねたが、ダイアルの完全盤にはそのようにして繰りかえした複数のテイクが収録されている。
そしてこれは有名なことであるが、パーカーのソロは常にファースト・テイクが最もすぐれているのである。

 いずれにしろバードのレコード録音のとき、いくつも残っているテイク
 があるが、バードのソロが一番いいのは、かならずファースト・テイク
 のときなのだ。このことは、ほかのミュージシャンについてもいえるの
 だが、バードのばあい一番いいというのはスポンテーニアス (内部から
 自然と生まれてくるもの) な点で感心してしまうからである。ロス・ラ
 ッセルが、ダイアル・レコードに同じ曲のヴァージョンをいくつもいれ
 たのは、ファースト・テイクがスポンテーニアスなところ、ほかのテイ
 クより、どんなに味わいぶかいかを示そうとしたのにほかならない。
 (p.131)

ここでspontaneousなソロといわれている中で最も有名なのが〈チュニジアの夜〉の1stテイクである。テーマを合奏し終わったところでブレイクし、パーカーが吹くソロ。この部分だけを抜き出しているのがThe Famous Alto Breakと呼ばれるトラックである。

だがそうしたパーカーのインプロヴィゼーションが、実はある程度抑えられた考えの下に演奏されていたということが述べられている個所がある。

  バードは平常いつも自分の行き方について勉強をおこたったことはな
 かった。そのことは残されたレコードを注意して聴けばわかることだが、
 そんなとき注意をむけたいことが、もうひとつある。それは彼がレコー
 ド録音するときは、けっして危険なまねをやらなかったことだ。その結
 果、バードのレコードは彼として中庸をいっているし、それでこそクラ
 シックとしての価値がでることにもなった。
  つまりこうだ。バードにおける輝くばかりのオリジナリティを発見し
 ようとするなら、たとえばマッセイ・ホールでのコンサートのような実
 況録音を研究しなければならない。それからファンがコンサートで録音
 したテープを参考にすることだ。ラッセルは、そんなのを延べ二十時間
 ほど集めたというが、それを聴いてみるとビックリするより信じられな
 いようなバードの演奏に接することができるというのである。(p.133)

もうひとつ、興味深い記述がある。それはチャーリー・エムジーとノーマン・グランツが企画した 「ダウンビート・アウォード・ウィナーズ」 コンサートに出演したときのことを回想している部分である。

 [「ダウンビート・アウォード・ウィナーズ」 コンサートで]
 ロス・ラッセルは、このときのプログラムに 「バード急速テンポの飛翔」
 と書きこんだ。そのプログラムを、ずっとあとで見つけたとき、彼はコ
 ンサートの夜のことを思いだしながら、こう考えたそうだ。つまり彼は
 そのときはまだハーモニーによる即興演奏のやりかたとメロディによる
 即興演奏のやりかたとが、どこでどう違っているのか分らなかった。け
 れどそれからバードの演奏の発展過程を年代的にくわしく研究してみた
 ところ、バードの重要なコンセプションというのはコード進行にもとづ
 いた即興演奏よりは音階主義つまりリズムによる変化に力をそそいでい
 ることが分った。(p.129)

この部分の原文がどうなっていたのかがわからないが、そしてロス・ラッセルがどの程度音楽的なことを理解していたのかも不明だが、最も重要なのは 「ハーモニーによる即興演奏のやりかたとメロディによる即興演奏のやりかたとが、どこでどう違っているのか分らなかった」 という個所である。彼の言いたいことはおそらく、パーカーのインプロヴィゼーションはコード・プログレッションによるものでなく、音をスケール的にとらえて展開していると言っているように思える。アルトサックスは単音楽器であるから、和声で考えるにしても一度に発音することが可能なのはそのコードの中のひとつの音に過ぎない。そのコードトーンに対して使用できるスケール音を拡大解釈し、チャーチ・スケールを援用したのがその後のマイルス・デイヴィスによって提唱されたモード奏法であるが、パーカーの場合はまだそこに至るまでの論理構造は確立していなくて、そのメロディに対してスケールの、あるいはスケール以外のどの音まで使用することができるのかを瞬時に理解して吹いていたのではないかと私は推理する。それは、ほとんど楽譜を使わなかったという方法論から考えられ得ることだと思う。
したがってパーカーのインプロヴァイズをコード・プログレッションの中でのテンション・ノートなどによりアナリゼすることは理論的には有効であるが、パーカーはそんなことはおそらく考えていなかったと思うのである。つまり、これは仮説であるが、そのコードトーンのこれこれのテンション・ノートとしての認識ではなく、旋律線の流れの中で、どこまで使える音が拡げられるかを常に考えていたのであるが、もちろんコードが変わればその適応範囲も変わるのだけれど、それは 「考えていた」 といえるようなノロい思考でなく音に対する瞬発的反応であり、したがって直観的でありながら拡大して使用できる音を常に的確に選びとっていたのだ。といって、たとえばオーネット・コールマンのようにコードトーンを存在しないようにしたわけではもちろんない。なぜならオーネットのようなビザールなメロディラインが存在しないからである。コード・プログレッションはあくまで存在するのであり、幾つもの制約の中でそれによって萎縮するのでなく、その 「縛り」 の中からあらゆるアプローチを生み出していたのである。
パーカーのインプロヴィゼーションをストックフレーズの集積とみなし、そのストックが大量にあるので、それがストックであるかどうかがわかりにくいというような分析を読んだことがあるが、それもまた違うと思う。繰り返し練習してストックのヴァリエーションを作っていくというような方法論をおそらくパーカーはとっていないし、そんな時間もなかったはずである。フレーズは瞬時に形成される。そして二度と再生されない数多くのフレーズが存在するのである。そのひとつがThe Famous Alto Breakであり、パーカーのインプロヴィゼーション構築の根底にある誰にも解読できないひらめきのようなものなのだ。

最近、チャック・ヘディックス『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』という本が出版された。イリノイ大学から2013年に出版されたものの翻訳であるが、まだよく読んでいないので何とも言えないのだけれど興味深いことが多く書かれているように思える。巻頭に載せられている写真の中に、レコード店の店内でサイン会をしているパーカーとサラ・ヴォーンの2ショットがあるが、レコードにサインを書いているサラ・ヴォーンの立ち姿がカッコいい。1948年に撮影されたものなので彼女は24歳。もっと後年の写真を見慣れている目で見ると新鮮である。
(当記事トップ画像はネットで見つけた同日の別ショットである。シンシナティ、クレイマンズ・レコーズ 1948年春)

植草甚一スクラップ・ブック13/バードとかれの仲間たち
(晶文社)
バードとかれの仲間たち (植草甚一スクラップ・ブック)





チャック・ヘディックス/バード チャーリー・パーカーの人生と音楽
(シンコーミュージック)
バード チャーリー・パーカーの人生と音楽




Charlie Parker on Dial vol.1 (ユニバーサルミュージック)
チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol.1




Charlie Parker on Dial vol.2 (ユニバーサルミュージック)
チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol.2




Charlie Parker/Dexterity
https://www.youtube.com/watch?v=8NkLrWBFl2w

The Famous Alto Break
https://www.youtube.com/watch?v=x_TcSO0pNtw

Charlie Parker Billie’s Bounce Solo Transcription
https://www.youtube.com/watch?v=9-QmELEt-d4
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末尾ルコ(アルベール)

残暑がなかなかキツイですね。酷暑盛りの時期よりましとは言え、午後からの西日の時には家の壁も熱くて触れません。そろそろ秋の気配も見え始めてはいますが。

こんな時期、チャーリー・パーカーの演奏はとてもしっくり来そうです。お記事を拝読しながら、「創作の神秘」といったことを感じていました。その日、その時間による出来不出来、あるいは突如現れる「ひらめき」といったようなものでしょうか。
人間がやっているものだから精神状態や体調などで刻々変化するのは当然ではありますが、それにしてもとてつもない天才に限ってきまぐれだったりする。ここが神秘であり、おもしろいところなんですね。
文章を書く人にしても日々の出来不出来や突如としたひらめきなどがあるものでしょうが、これが音楽家となると、ひょっとしたら独りで演奏している時にその人の生涯最高のプレイができてしまっているかもしれないんですよね。
などといったことを考えていると、今までにまして「時間」、「その瞬間」というものが愛おしくなります。

> 失踪したのである。

こういうところもおもしろいですね(と言っては何ですが)。
世の中おそらく失踪するタイプの芸術家とそうでない芸術家がいて、チャーリー・パーカーはそうであった、と。
わたしなんか「失踪できる人間」が羨ましく感じることがあります。
わたしは決して失踪しないタイプなんですよ(何の話だ? 笑)。

マイルス・デイヴィスに19歳の頃があったというのも興味深いです。
その頃はまだ周囲の評価が定まってない、周囲に評価してもらう必要のある演奏家だったのですね。
いや、本当はその頃から周囲の評価など必要なかったのかもしれませんが。

> フレーズは瞬時に形成される。そして二度と再生されない数多くのフレーズが存在するのである。

ここがやっぱり凄いですね。
こういうタイプのプレイヤーって、彼の他にどのような人がいるのか、逆に興味があります。

・・・


> 音質がダメ、作られているメロディもキモチ悪いという二重苦です。(笑)

これはとてもおもしろいご指摘で、(自分はどうかなあ~)といろいろ考えてみました。
電話機の電子音は心底嫌ですね。
かかってくる電話、ロクなのがないし(笑)。
AIの美空ひばりなんですが、「本物には程遠いけど、AIでちょっと作ってみました」という感じで発表されていたならさほど不快には感じなかったでしょうが、「蘇る美空ひばり!」ですからね、(そりゃ違うだろう!)となったというのもあります。
紅白では「美空ひばりからのメッセージ」なんていう企画でAIに喋らせたといいますし、これで(ひばりさんからのメッセージに感動!)なんていう人もいるわけで、正に「世も末」という感じです。
NHKのAIやSNS関連については他にも気持ち悪いことがいろいろあります。

とは言え、わたしもシンセの音は子どもの頃から大好きです。すごく安らげるという要素がありますね。おそらくひとえに音楽的クオリティの問題だとも思います。

> 別に学者ではないですし

学者的な読書がいいとは限りませんよね。
理論やデータの泥沼にはまって、どんどん本質から離れていく人もいるのだと思います。

> 商売として大丈夫なのか? と思ってしまいます。(^^;)

そういう人や会社やお店、大好きです(笑)。

> 押し売りを押し売りだと認識する能力がなければなりません。

これは本当にそうで、多くの人が感覚麻痺してますよね。
民放BSでおもしろい映画などをやることがよくあるので観るのですが、CMはほとんどTVショッピング的なものです。
その音声と画の醜悪さたるや、いい映画の合間に放送されるものだから、この世のものとは思えません。
地上波でもしょっちゅうTVショッピングですが、もう異常です。売れなくなった俳優などがそうした番組(?)へ出演したりしていますが、(さっさと芸能界から引退して、バイトでもいいから真っ当な仕事を探せ!)と思いますね。
ところがネットでは、「テレビショッピングへ出るのも芸能人の生き方の一つとなった」とかいうアホ記事が出たりします。
もう何をかいわんやの世界です。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-08-29 04:45) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

チャーリー・パーカーの音楽はビ・バップと呼ばれますが、
それまでのジャズとはかなり異なるコンセプトを持っていました。
同時代に生きていながら、たとえばガレスピーの音楽性とは
あきらかに異なるアプローチがあります。
ガレスピーの音楽は極端にいえばディキシーランドの延長線上にあり
古い意匠の音楽に過ぎないのですが、
でも当時は古いものも新しいものもゴッチャになっていて
共存していたのです。
その後、ジャズはいわゆるモダン・ジャズに変化していきます。
ビ・バップとモダン・ジャズの間にハード・バップがありますが
これはバップからモダンへの一種の橋渡し的役割の時代です。
マイルス・デイヴィスの音楽も広汎なモダン・ジャズのひとつです。
wikipediaではビ・バップも含めてモダン・ジャズである
と定義していますが、私は違うと思います。
ビ・バップとモダン・ジャズの間には決定的な違いがあり、
ビ・バップは音楽構造的に最もメカニックです。
情動的な部分がありません。芸術的な喜怒哀楽が無いのです。
だからこそビ・バップなのです。
感情移入ができないから芸術的にレベルが低いのか、といったら
それは違うのです。でも結果としてジャズはモダン・ジャズになり
そこで初めて音楽としての感興が、
喜びとか悲しみといった感情表現が入ってくるのです。
これはクラシック音楽におけるバロックと古典派の関係に似ています。

出来不出来というのは誰がどう判断するかなのですが、
客が少ないほど冴え渡る演奏をするミュージシャンとか、
リスナーからの評価に対して不利な性格の人は確かにいますね。

パーカーの死後、ジャズは変貌し、マイルス・デイヴィスは
モダン・ジャズのメインストリームとなって君臨します。
そのマイルスがあるとき、無名のテナーサックス奏者を
自分のバンドに引き入れます。ジョン・コルトレーンです。
「何であんな下手なヤツを入れたんだ?」 と顰蹙を買いますが、
マイルスは動じませんでした。
その後、コルトレーンがどのように変貌したかを考えると
パーカーが無名だったマイルスを選択したのと同様な
確かな目 (いや、耳ですね) があることを感じます。

アドリブのフレーズについてはいろいろな解釈があります。
すべてが瞬時に形成されるわけがない、という見方もされます。
たとえばキース・ジャレットのソロピアノは、
すべてが無から始まるインプロヴィゼーションだそうですが
それについては、私は違うように感じます。
ある程度の構成があらかじめできているような気がします。
それはゆるい構成なのかもしれませんが、
プロレスの試合運びに似た程度の骨組みがあると思います。
でもこれはあくまで推測であって誰にもその真実はわかりません。

デジタル音に関しては人それぞれの感覚なので、
私は鋭敏過ぎるのかもしれませんが、
一番嫌いなのが電話機の音ですね。
なぜ電話機の呼び出し音だけが特段に気持ち悪いのかは
研究課題に値すると思います。(笑)
デジタル映像も正直言ってしまいますと3Dは苦手です。
ツルッとした表面が嫌いなんです。
美空ひばりがなぜ気持ち悪いかというと
実際の画像と無意識に比較しているからだと思います。

エディション・イレーヌの本は全部ではないかもしれませんが
バーコードが付いていないのです。
ですから書店のレジでは数字で打ち込むらしくて
店員さんはちょっと大変です。(^^;)


TVで数々の商品を売るのはそれによって採算がとれるからで
仕方がないといえば仕方がないです。
でも竿竹屋も含めて押し売りが好きな人も
いるのではないかと考えることにしています。
by lequiche (2020-08-31 04:21) 

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