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村上春樹『古くて素敵なクラシック・レコードたち』・2とその他のことなど [本]

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新聞に『古くて素敵なクラシック・レコードたち』について村上春樹自身が語っている記事が掲載されていた (朝日新聞2021年8月1日朝刊)。タイトルに 「名盤は自分の耳で決めなくちゃ」 とある。コロナ禍の中で自宅にいる時間が多かったのでレコードを、それもクラシックのレコードをずっと聴いていた成果がこの本なのだという。

そのようにして聴いた中から何枚かのレコードを選ぶということについて村上は、

 選ぶということは、自分を試されることだと僕は思っています。たとえ
 ば僕は、ベームやワルターのような巨匠より、マルケビッチやフリッチ
 ャイみたいな 「個」 が出る指揮者の方が好きなんですが、そういうとこ
 ろからも僕という人間のテイストが浮かび上がる。僕という人間が照射
 されるんです。

という。そしてこれこそが名盤といわれているようなものは結果としてほとんど選んでなくて、つまり世の中の一般的な評価と村上の評価とは必ずしも合わないのだともいう。

 僕がこの本で一番言いたかったのは、「自分の耳を信じてほしい」 とい
 うことです。これが歴史的名盤だとか、この演奏家が偉大だとか、そう
 いう情報はいまの時代にはいっぱいある。でも、そういうのはやっぱり
 自分の耳で決めなくちゃいけないことなんです。自分で決めるってのは、
 ものすごく骨の折れる作業です。でも、それをやらなければ、音楽を聴
 く意味はないんじゃないかと思うんですよね。

これはいつも私が書いていることと同じでとても納得。私も音楽評論家のいうことを必ずしも信じないし、ましてamazonなどの購入者の評価などはギャグの対象でしかない。だからこの村上の本にしても同じで、参考にはするけれどその評価をそのまま鵜呑みにすることはできない。翻って、私の書いていることだって単なる参考にしていただけたらという程度であって信用などされたら困るのである。最後は自分の耳と、自分の経験値と知識しか信用するものはないのだ。だから数多くの演奏を聴くことは必要なのかもしれないが、必ずしも多くを聴けばいいというものではなくて、まるでその音楽に対して疎くても、むしろそのほうが真実を聴きやすいということもあるようにも感じる。

また時代によって音楽に対する感覚は変化する。村上は 「戦前に演奏されたバッハは、いまの時代のバッハとは全然違う」 と語るが、さらにいえばたとえ戦後の演奏であっても、カール・リヒターのバッハと昨今のピリオド楽器によるバッハは全然違う。これはしかたがないことなのだ、と思う。

ただ、村上春樹はいわゆる巨匠芸をあまり好まないと言っているが (だからフルトヴェングラーもほとんど持っていないとのこと)、メディアがレコードであるため音源は50〜60年代に録音されたものが中心であるとのこと。そのため、やはり過去の巨匠か巨匠に近い演奏者たちがどうしても多くなってしまっているのは否めない。たとえばヴァイオリンにしてもオイストラフやハイフェッツといった人たちが選ばれている。ここが私の嗜好と一番違うところで、オイストラフは確かにヴァイオリン界における巨匠で、文句を言わせない風格を持っているが、私にはあまり面白く聞こえない。これは村上春樹のニュアンスにもなんとなくあらわれていて、良いのか悪いのか微妙にわからない部分がある。でもそのような微妙さが実際にあるのだろう、と私は勝手に解釈している。

クラシック音楽の場合、最初に聴いたものが刷り込まれてそれがその後の音楽聴取に作用するということも私の持論であるが、そしてたとえばまだ子供の頃、私が最初に聴いたメンデルスゾーンのコンチェルトはハイフェッツなので、繰り返し聴き込んだことがあるのかもしれないが、そのハイフェッツの細かいニュアンスがすでに刷り込まれていて、それに対するプラスマイナスで後進の演奏者を評価してしまう傾向は私の中で確かに存在していた。
でも、特にオイストラフの場合、私の感覚ではこういう音はすでに古いという印象がどうしても湧いてきてしまう。私のメインのメディアはCDなので新旧録音のどちらを採るかといえば新しい録音を聴いてしまうし、また巨匠芸でなくて危ういとも思える演奏でも妙に気に入ってしまう音楽というのは存在するように思えるのだ。もっといえば確実に安定した演奏は面白みがかけている。スリルがないのだ。
実は細かいことをいえばある日、YouTubeにあった映像のメンコンのある箇所が気になっていろいろと比較して聴いていたのである。そこでわかったのは楽譜に書かれていることは意外にアバウトであって、そこから無限のニュアンスが生まれること、そして必ずしも完璧な演奏が感動を起こすとは限らないということなのだが、これはあまりに些末なことなのかもしれなくて、いまだにこのブログには書けないでいる。そしてまたそれは10年前の私だったら同じように感じたのだろうか、あるいは10年後にはどうだろうか、という疑問も残るのである。音楽を聴くという行為はそのように移ろいやすいものなのかもしれない。

     *

この前、古書店で買った古い音楽雑誌を読んでいるのだが、その雑誌で特集されているビートルズのアルバムは、その雑誌の発売時点でもすでに過去の作品になっていて、ところがそれに対する評価というのが今のとは微妙に異なっていて、こういうのもまた音楽に対する印象のうつろいやすさをあらわしているのかもしれない。
そんな中でジョージ・ハリスンが亡くなって1年後に開催された追悼コンサートの映像を見つけて聴いていた。〈While My Guitar Gently Weeps〉、リードをとっているのはエリック・クラプトンだがダーニ・ハリスンの初々しさがちょっと良い。

ギター・マガジンにはレイドバックという別冊のシリーズがあって、内容的にはまさにレイドバックな懐旧本なのだが、Vol.6はフライングVを持った池田エライザの表紙がカッコイイ。

ユニヴァーサル・ミュージックから 「ロック黄金時代の隠れた名盤」 という廉価盤が発売されていて、気になるものを幾つか聴いている。今、聴いているのはサンディ・デニーで、彼女も夭折の人だけれど、これはそのうちあらためて書こうと思っている。
そのシリーズ第2弾は9月発売だが、ジョニ・ミッチェルの《Wild Things Run Fast》だけ唐突に入っている。ヴァンゲリスが5枚もあるのは驚き。


村上春樹/古くて素敵なクラシック・レコードたち
(文藝春秋)
古くて素敵なクラシック・レコードたち




ギター・マガジン・レイドバック Vol.6 (リットーミュージック)
Guitar Magazine LaidBack (ギター・マガジン・レイドバック) Vol.6 (リットーミュージック・ムック)




While My Guitar Gently Weeps (Concert for George, 2002)
https://www.youtube.com/watch?v=CrTMc2i6Lzc

My Sweet Lord (Concert for George, 2002)
https://www.youtube.com/watch?v=1EORbL8N-R8
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末尾ルコ(アルベール)

こうして拝読させていただいていると、村上春樹が選んだレコード、すごく聴いてみたくなります。しかも巨匠系ではない人たちが中心といいいますから、余計に(どんなものだろうか)という興味が湧きます。
そしてもしそれらを聴いて、自分がどのように感じるかにとても興味がありますね。

> 選ぶということは、自分を試されることだと僕は思っています。

これは凄くよく分かります。そして日本人の多くはあらゆる分野で選択できてないですよね。ファッションなんかもそうですし、そもそも「生き方」自体、自分の選択出ない人たちが多い。

>「自分の耳を信じてほしい」

例えばわたしの場合、映画や文学、音楽であれば、ロックやポップミュージック系ならば自分の耳、あるいは鑑賞眼を信じることができるのですが、いつもお話しているように、クラシック音楽はまだまだなんですよね。
そうですね、「曲のよさ」はある程度分かると思うのですが、演奏のよしなしなど、いまだほとんど分かってないと思います。それだけクラシックを自覚的に聴いてこなかったのだと思いますし、聴いてきた量なんかも足りてないです。
でもわたしのように、(クラシック音楽に関してはまだまだ自分の耳では判断できない)という自覚があればましですが(笑)、まるっきり鑑賞力(音楽でもその他芸術などでも)がないのに(ある)と信じ切ってる人の言動はほとんど社会問題とも言えます。よくお話になるユーザーレヴューなど、今じゃ誰でもネットへ書きまくりですからね。これは芸術分野だけに限りませんが。



クラシックのレコードジャケットって、演奏家や指揮者の写真が多いですが、女性バイオリニストだと、楽器を持ってちょっと斜め上を向いているとか(笑)、けっこう見かけました。
凝ったジャケットが少ないという状況は、クラシックがポップスやロックと比べて大きなセールスを上げる音楽ではなく、そのための予算の問題もあるのでしょうか。あるいは音楽そのものに絶対的な自信があるので、音楽以外の要素にはさほど大きな興味を持たなかったとか、勝手にいろいろ想像しています。

『ロッキング・オン』ですが、町山智浩がついてで、「お金を払ったミュージシャンなどしか載せない」スタイルだという意味のことを言ってました。不肖わたくしこの度初めてそうした事情を知りましたです。
いや、しかしよく考えたら外国のミュージシャン、特に大物から同誌へ「載せてくれ」と言ってくるとは思い難いし、その辺どうなってるのかな。『ロッキング・オン ジャパン』で日本のミュージシャンだけはそうなっているのだろうか…などととつおいつしてしまうわたしですが、まあそれはさて置き。
件の小山田某の件のインタヴューの掲載誌が同誌だと知った時にはさすがに驚きました。
あのような最悪の内容を編集長が(おそらく)笑いながら聴き、しっかり誌面に掲載するという、一体どのような感覚だったのか。

>強い音楽を聴くには強い精神性が必要です。

芸術全般に言えますね。そしてこの「精神性」ということが分かってない人が多い。

わたし五輪、一切観てませんが(大坂なおみが負けた試合だけ少し観ました)、それにしてもよく分からない競技のよく分からない選手がメダル獲ってどうして嬉しくなるのか理解不能。小田嶋隆がこの状況を、「チョロい国民」と嘆いてましたが、まさにその通りではないかと。

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-08-02 05:09) 

末尾ルコ(アルベール)

「町山智浩がついてで」じゃなく、「ツイッターで」でした。
失礼いたしました。                RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2021-08-02 05:10) 

coco030705

こんばんは。
私は初めてビートルズを聴いた時、ジョージ・ハリスンが一番好きでした。ジョニ・ミッチェルも好きです。
by coco030705 (2021-08-04 00:16) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

巨匠系ではないといっても、一般的に知られていないような
マニアックな選択というのではなくて、
それなりに知られている人がほとんどです。
それはジャズにおける村上春樹さんの選択と似た感触があります。

日本ではエラい先生が、この人/この演奏がすごいと言ってしまうと
それがお墨付きになって延々とその評価が定着してしまう
という傾向があるように思います。
クラシックの場合はポップスと違って楽譜が存在しますから
それをどのように解釈し再現しているかという点で
ある程度の 「枷」 があるように思います。

もっとも好き嫌いというのは抽象的で感性の範疇ですから
それを具体的に数値であらわすことはできません。
最終的には自分の感性にフィットするかしないかであって、
自分の好き嫌いを世評とどのようにすりあわせていくか
ということなのだと思います。
幾ら世間的に評価されていても自分が嫌いなのは嫌い、
でよいのです。
ただ私のブログの書き方として、
あまり好きではない人・ものについては書かない
というのが前提としてあります。
たとえば以前に書いた記事の中でひとつだけ例をあげますと
チェリビダッケという指揮者がいますが、
この人は最終的に私にはあまりピンと来ないな、
と感じました。繰り返して聴こうという意欲が湧かないのです。
そういう場合は、もう書かないという方法で対処します。

レコードジャケットのデザインは
クラシックの場合、やはり予算的なものが大きいですし、
慣習的にあまりそういうことにはこだわらない、
というようなやり方でずっとやってきた部分があるようです。
しかし最近はヴァイオリニストでも必ずしも楽器を持っていない
というジャケットもあります。
バティアシュヴィリと宮本笑里、
どちらも内容的にはイージーリスニング風なのですが、
こういうデザインはそんなに悪くないのでは、と思います。

バティアシュヴィリ
https://www.amazon.co.jp/dp/B085DV1541/

宮本笑里
https://www.amazon.co.jp/dp/B010EB1HSI/

バティアシュヴィリの場合は、もう完全にポップスですが
上記アルバムのこんなPVもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=fRrBZ-2P6CA&t=21s

『ロッキング・オン』についての町山智浩のツイッターは
読みました。
そういうことはあるのではないかと思います。
どちらが強いかという力関係による場合もあるでしょうね。
海外の大物ミュージシャンに対しては掲載お願いで、
日本の新進ミュージシャンに対しては載せてやるゎ、
みたいな格差は当然あるでしょう。
あの記事については、繰り返し指摘があったにもかかわらず
オリンピック関係者がそれを無視していたという経緯があり、
うやむやにしようとしていた意図を感じます。
あれはいじめというような生やさしいものではなく
傷害罪、脅迫罪であり、犯罪です。
それを編集長のお詫びの一文だけで片付けてしまうというのは
まだ問題を軽視しているとしか思えないです。
ずばり言いますが、私はロッキング・オン関係の一切には
今後言及しないし購入しません。
放送も全て含めてです。
by lequiche (2021-08-04 02:21) 

lequiche

>> coco030705 様

そうなんですか。
ジョージはグループの中で年下だったので、
押さえつけられていた不満がずっとあったようですね。
ビートルズ解散直後のライヴがこれです。
https://www.youtube.com/watch?v=yiqtK4IhM4c

ジョニ・ミッチェルに関してはこのブログで
過去に何度も書いていますが、
とりあえずこのあたりの感想が私の原点です。
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2013-04-05
by lequiche (2021-08-04 02:21) 

coco030705

こんにちは。
ジョージ・ハリスン、素敵ですね、いいですね。優しくちょっと感傷的な感じのメロディーが好きです。クラプトンに奥さんを取られちゃったけど、女性のほうもあまり賢くないわよね。クラプトンはいわゆる多くの女性と付き合うタイプでしょう。その点、ジョージはきっとまじめな人だったのではという気がするのです。

Joni MitchellのThe Priestもいい曲だし、歌声もとてもきれいです。

記事と音楽ありがとうございました。
by coco030705 (2021-08-05 16:56) 

lequiche

>> coco030705 様

ジョージ・ハリスンとクラプトン、
2人の間にはずっと腐れ縁みたいなものがありますね。
クラプトンとジョージの性格分析、たぶん当たってます。

ジョニ・ミッチェルは年齢を重ねるにつれて
だんだん声質がかわってしまいますが、
それはタバコの吸い過ぎだとも言われています。
初期の声はとても美しいですね。
by lequiche (2021-08-07 00:52)