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ニュルンベルクのセシル・テイラー [音楽]

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Cecil Taylor (Nürnberg 1984)

Solid RecordsからCandid盤のセシル・テイラーがまもなくリリースされるとのことだ。

 New York City R&B (Jumpin’ Punkins) (rec.: 1960, 1961)
 World of Cecil Taylor (rec.: 1960)
 Air (rec.: 1960)
 Cell Walk for Celeste (rec.: 1961)

以上の4枚である。昨年11月にはユニヴァーサルから《Jazz Advance》(rec.: 1956) と《Love for Sale》(rec.: 1959) が出ているので、初期のアルバムが国内廉価盤でかなり揃うことになる。
ただ、《New York City R&B》というアルバムがいまだによくわからなくて、これはそもそも《The Complete Candid Recordings of Cecil Taylor and Buell Neidlinger》というキャンディッドでのレコーディングを集めたMosaicのボックスセット (1989) があり、(この時期にモザイクではこのスタイルのボックスセットを複数に出していたのだが)、そのジャケット写真を流用したもののようだ。

オリジナルというか、いわゆる初出盤はおそらく《Cecil Taylor All Stars featuring Buell Neidlinger》(1977) というCBSソニーの非売品の国内盤LPだと思う (日本語wikiのディスコグラフィにVictor/CANDIDとされているのは間違い)。その後、キャンディッドでも同タイトルのLPが出されたらしいが、ジャケットデザインは異なるしCDは出されていない。《New York City R&B (Jumpin’ Punkins)》としてCDになってから最終的な収録曲数は増加しているが、このCBSソニー盤のオリジナルLPのジャケット写真は物寂しく空虚とも感じられる街の情景であり、よいデザインである。

ところが4月発売予定として《Complete Nat Hentoff Sessions》というAmerican Jazz ClassiレーベルのEU盤があって、これはキャンディッド盤をヘントフがプロデュースして時系列的に並べ直したもので、以前Solar Records、さらにEssential Jazz Classicsでリリースされていた内容だが今回のAmerican Jazz Classi盤は 「+6テイク」 とのことである。ただ私はこの前回盤を持っていないので差異があるのかどうか不明である。
それにセシル・テイラーの初期録音はジャズ史的に見れば貴重なのかもしれないが、内容はスウィングをまだ引き摺っていて、それは当時の業界におけるアヴァンギャルドな演奏への制約があったのかもしれないけれど、それを差し引いても必聴というほどのものではない。

セシル・テイラーがセシル・テイラーらしき音を出し始めたのはやはり《Unit Structures》と《Conquistador!》(どちらも1966) のブルーノート盤からであろう。そしてユニットとしての彼の音楽を支えているのはまずジミー・ライオンズであり、そしてアンドリュー・シリルである。セシル・テイラーにはブルーノート録音以前に《Into the Hot》(1962) と《Nefertiti, the Beautiful One Has Come》(1963/後にLive at the Cafe Montmartreとタイトル変更) があるが、《Into the Hot》はギル・エヴァンスとの抱き合わせアルバムであることと、両盤ともドラムスがサニー・マレイであること、それにカヴァー曲があることなどからセシルワールド全開とは言えないように思う。

彼の絶頂期と考えてよいのは《Indent》(1973) から始まるソロピアノの時期であり、《Silent Tongues》(1974)、《Dark to Themselves》(1977)、《Air Above Mountains》(1978) はことごとく素晴らしいし、その時期をとらえた日本でのユニットによるライヴ《Akisakila》(1973) は圧倒的なテンションを備えている。

その後のピークは《One Too Many Salty Swift and Not Goodbye》(1980)、《It is in the Brewing Luminous》(1980) という瑞Hat Hut盤の偏愛すべき2枚あたりからの時期であり、そんな中で1987年の《Live in Bologna》と《Live in Vienna》という英Leo盤はややイレギュラーなクインテットの構成で異彩を放っているが、交流試合的な複数のメンバーとの集成が独FMP盤の《Cecil Taylor in Berlin ’88》である。このライヴは当初、10枚組で販売されたが現在はバラ売りになっている。この1980年から始まり1987〜88年に至る頃の演奏が第二の絶頂期のように思う。

リンクしたのは1984年のニュルンベルクにおけるJazz Ost-West Festivalでの演奏で、Hat Hut盤とFMP盤ベルリン・ライヴの間に位置する時期であるが、これを聴くと1980年からずっとハイ・テンションが持続しているのだろうということが実感できる。
突然、内部奏法になったりヴォイス・パフォーマンスになってしまうところも不自然でなく斬新である。
この時期にはMunich Piano Summerというコンサートにおけるソロ《Cecil Taylor: Piano Solo 1984》というLDがあり、CDもFMPで出されたような記述も見たがよくわからない。FMP盤の《LOOKING》は1989年11月ベルリンなので別だと思う。
また1984年は《Winged Serpent》が録音された年でもあるが、今回調べていてこのオーケストラ的ユニットにトマス・スタンコが入っているのを発見した。いままで見逃していたので少し驚きであった。

こうしてみると、セシル・テイラーにはまだ不明なライヴなどの演奏が多くありそうだが、wikiやその他のディスコグラフィを見ても雑な編集きりされていないし、つくづく不遇なピアニストであったと思う。それゆえにどこまでも偏愛を継続しなければならない。

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Cecil Taylor All Stars featuring Buell Neidlinger (CBS Sony, 1974)


Cecil Taylor/New York City R&B (Jumpin’ Punkins) (Solid/Candid)
ニューヨークシティR&B/ジャンピン・パンキンス[CANDID CAMPAIGN](期間限定価格盤)




Cecil Taylor/Jazz Ost-West Festival
in Nürnberg 1984, Germany
https://www.youtube.com/watch?v=q4h4_j2G73Q
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末尾ルコ(アルベール)

「Cecil Taylor - Jazz Ost-West Festival 1984」、視聴いたしました。
いやこれは、心身にとても力を与えてくれますね。そして指の動きがなめらかで美しい。音楽だけでももちろん凄いですが、ライブあるいは映像だと与えられるパワーは倍加する感じです。音楽自体にとても強い力があるし、途中からのパフォーマンスも「自由」という大きな心の糧を再認識、そして強化させてくれます。
今回のお記事、セシル・テイラーの全体像を感じさせていただけてとても有難いです。
この動画のような演奏、そしてパフォーマンスはプレイ前から予定しているものなのでしょうか、それともその場の熱で変化していくものなのでしょうか。
「偏愛」を続け、偏愛対象を応援し続けること…わたしもどんどん意識して強化していきたい行動です。他の人や、ましてメディアには期待できない。まず自分でやらねばですよね。



「白いシャツ」は性別を問わず威力を発揮する場合が多々あるのですね。そろそろ春の気温になるし、わたしも白シャツ着ようかなあ(笑)。
わたし普段は濃いめの色の服が多くて、黒や赤や青とか、あるいは黄とか橙とかグレイとか、いずれにしても濃い色を選ぶことが多いですが、ある意味白も濃いですよね。そしてわたし白も大好き。ではどうしてあまり着てこなかったかと言いますと、「汚れが目立ちやすいから」なのだと今まさに気づきました。
でも白着ないともったいないですよね。冬は難しいですからこれからの季節、着ようっと(笑)。

音楽もそうなのですが、文学、引き算がいいかあるいは足し算がいいかとよく考えます。
「どちらに軍配」というのは言えないと思いますが、もともとフランスや米国の圧倒的書き込みに憧れがありまして、比べると日本文学はスカスカだなあと思っていました。
ただ書き込んでいようが文字数少なかろうが、結局はクオリティですから、その辺をしっかり見極めていかなきゃなりませんよね。
フランスでもアニー・エルノーなど、文字数少な目で素晴らしい作品を書く人も少なからず出てますし。フランス人じゃないけど、アメリ・ノトンなどもそうかな。

「Deep River」…素敵なイメージですね。そういう境地があるということ、常に意識しておきたいです。
松任谷由実、椎名林檎、宇多田ヒカルの三人は、確かにあらゆる意味で群を抜いた才能がありますからね。
そう言えば、小室等、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水が独自の膾炙を立ち上げた件のドキュメントを観ましたが、なるほど特に吉田拓郎と井上陽水が当時圧倒的に特別だったことがよく理解できました。「図抜けた才能」+「売れる」ということでいかに大きな力を持つことができるか。しかしそれにしても既存の企業の搾取体質、芸術芸能を軽んじる意識、そして社会の無理解など、現在も解決が難しい問題として残り続けていますね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2022-03-13 20:21) 

つむじかぜ

高校生時にコルトレーンに触れ、JAZZに目覚め、もっと背伸びしたくて初めて購入したフリージャズのアルバムが《Silent Tongues》だった。まさに未知の音楽だった、だが正直理解できなかった。そのままお蔵入りとなった...
最近、昔のレコードを整理していて、なんと40年ぶりに聴いてみた。素晴らしかった、張り詰めたタッチ、魂の発露、熱くなった!知らぬ間に自分も音楽の領域が拡がっていたのか、趣向が変化したのか。改めて彼のCDコレクションが増えそうです^^
by つむじかぜ (2022-03-14 01:34) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

動画をご覧いただきありがとうございます。
彼の演奏の特徴はご指摘のようにクリアで力強いことです。
一音一音はもちろんデタラメに出しているわけではなくて、
また山下洋輔のようにヒジ打ちや拳打ちなどの
クラスター的な弾き方は滅多にしません。
あくまでも高速なパッセージを連続させているのです。
これだけ強く鍵盤を叩けるのには強靱な指の力が要ります。
セシル・テイラーのピアノ以外のパフォーマンスについては
毀誉褒貶ありましたが、興に乗るとそれだけに終始して
ピアノを弾かないということも起こるようです。
伝説の初来日公演の第2部がダンスのみだったとのことです。

彼は2013年に京都賞を受賞していますが、
ジャズ・ミュージシャンとしては初めての受賞です。
https://www.kyotoprize.org

色にはそれぞれ意味があると思うのです。
特に白とか赤とか黒といったはっきりした色は
たとえば服を着る場合にもそこにメッセージ性を感じさせます。
これは音楽でもそうで、
昔、音楽の調性にはそれぞれ意味がありました。
ハ長調とト長調では意味が違うのです。
現代ではそれは無くなってしまいましたが。
アニー・エルノーはユルスナール賞を受賞していますね。
アメリ・ノトンという人は存じませんでしたが面白そうです。

宇多田の〈Deep River〉の歌詞には
「自分らしさというツルギを皆授かった」
という箇所がありますがこれはRPGゲームの影響だと思います。
でも 「やがてみんな海に辿り着き」 という川に絡めた部分は
なんとなく『フィネガンズ・ウェイク』を連想させます。
ケイト・ブッシュにもジョイスからインスパイアされた歌詞は
存在しますが。

フォーライフ・レコードはそのときの事情もあるでしょうが、
ビートルズのアップル・レコードの影響もあるでしょうね。
しかし昔も今も音楽をビジネスにするのは大変なことです。
by lequiche (2022-03-14 03:07) 

lequiche

>> つむじかぜ様

40年ぶりにお聴きになったというのはすごいです。
音楽の理解力もやはり経験値が左右すると思います。

彼のソロアルバム《Indent》がリリースされた1973年は
キース・ジャレットの《Solo Concert》が出た年でもあるので
この当時、ソロピアノという演奏形態が
一種のブームになっていたのかもしれないと思います。
ただセシル・テイラーとキース・ジャレットでは
音楽の指向性が全く異なっていて、
キース・ジャレットのほうが耳あたりが良い音楽ですけれど
これは即興ではなくて幾つかのパターンの集積だ
ということがだんだんわかってきてからは
インプロヴィゼーションとは微妙に違うということもあって、
その手法にあまり感動しなくなってしまったかもしれません。
セシル・テイラーの方法論もテーマの提示とか
音の構造性とかステロタイプな部分はありますが、
特にライヴでのソロの場合、その音の流れを聴いていくと
その日の状況に合わせて紡ぎ出されてくるという印象を
強く受けます。
by lequiche (2022-03-14 03:25)