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土岐麻子〈Rendez-vous in’58〉 [音楽]

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土岐麻子の〈Rendez-vous in’58〉は2013年のアルバム《HEARTBREAKIN’》に収録されている曲であるが、2021年のカヴァーアルバム《HOME TOWN ~Cover Songs~》に再録される際、デュエット曲にリメイクされた。デュエットのお相手はバカリズムである。

 雨が降る 月曜日
 ふたりどこへも 出掛けられない
 予約したテラス席
 キャンセルした また来週
 バラバラのグラスの
 黄色い泡の向こう
 明日よ、まだ迎えに来ないで

このデュエットが素晴らしく心があたたまる感じがして、歌詞も、ふたりの声も、伴奏のブラスもとても美しくて何度でも繰り返し聴いてしまう (編曲は川口大輔)。

土岐麻子は

 土曜の夜 「ひょうきん族」 のエンディングテーマを聴き終えた大人たち
 はそのあとどこに遊びに出掛けるんだろうと憧れたものでした。
 その頃のワクワクがいま音楽をつくる原動力に繋がっています。

と書いているが、曲そのものの魅力に附加してそんな背景があったのだと思うと心がなごむ。土岐麻子はバカリズムについて 「同い年で、小学生の頃「ひょうきん族」に刺激を受け、いまも音楽とお笑いはどうしても切り離して考えられないとおっしゃっていたのが印象的で」 と語っている。そしてこのカヴァーアルバムが、やりきれない疫禍の中で作られたということにも強い意味がある。

作詞は土岐麻子で作曲がEPOというのにもとても納得できる。なぜなら 「オレたちひょうきん族」 のエンディング・テーマといえばEPOの歌う〈DOWN TOWN〉を思い出してしまうからだ。
ただこうした懐かしさとあたたかさを併せ持ったような時代はふたたび戻ってくるのだろうか。たぶんこうした音楽に対する憧憬は、もう戻ってこないかもしれないという予感によって醸造されているようにも思う。


土岐麻子/HOME TOWN ~Cover Songs~ (A.S.A.B)
HOME TOWN ~Cover Songs~(CD)




土岐麻子/HEARTBREAKIN’ (rhythm zone)
HEARTBREAKIN' (AL+DVD)




土岐麻子/Rendez-vous in ’58 (sings with バカリズム)
https://www.youtube.com/watch?v=quR1iR3lgFg

土岐麻子・バカリズムコメント映像/
Rendez-vous in ’58 (sings with バカリズム)
https://www.youtube.com/watch?v=8H-RyiwqpvE

土岐麻子/TOKI ASAKO LIVE 2021 Summer
“MY HOME TOWN in your home town”
at Billboard Live TOKYO
https://www.youtube.com/watch?v=STPlevadyC8
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末尾ルコ(アルベール)

バカリズム!私事ではありますが、現在バカリズム非常にタイムリーなので驚いています。と言いますのもこの数日でバカリズム脚本の映画を3本観まして、『劇場版 殺意の道程』『地獄の花園』『架空OL日記』なのですが、好みでランキングにしますと上記の順序通りでして、特に『劇場版 殺意の道程』は偏愛しておりまして、イチ推し若手女優堀田真由が魅力全開している点においてもバカリズム脚本に感謝しておる次第です。
そんなわけで他ならぬ(笑)バカリズムが参加している歌、早速「土岐麻子/Rendez-vous in ’58 (sings with バカリズム)」、そして「土岐麻子・バカリズムコメント映像」、視聴させていただきました。
とても気持ちいい。こうした軽快かつ心に触れてくる音楽や歌、ティーンの頃からのわたしの生活には絶対的に欠けていたものですて(なにせ「アヴァンギャルド」とか「ダーク」とかに最重要価値観を置いてましたから。でもかつては間違いなく「アヴァンギャルド」の解釈も皮相的でした)
『ひょうきん族』はフジテレビネットがまだなかった高知では、日曜の午後に放送してました。なので「土曜の夜」の感覚は共有できませんが、『ひょうきん族』大好きでした。今ではお笑いほとんど観ないんですが、やはり最盛期のタモリやたけしを知ってたら現在のお笑いは(ちょっと違う)感はあります。
それにしても土岐麻子とバカリズムの歌での共演とはおもしろいものができますね。


ごく自然に、「聴ける時に聴く」というラジオ視聴スタイル、いいですね。わたしつい頑張っちまうんです。(絶対聴かなきゃ)って感じで必死で録音して。録音失敗したらガックリ来てと、いささか自分でストレス作ってますね。
そう言えば、「日本語として使われ出した英語」として気に入らないの、また二つほど思い当たりました。
まず「celebrity」の「セレブ」で、本来「有名人」という意味であるのか日本では「裕福な人」になってしまって、「カリスマ」や「レジェンド」と同じで、行く先々に「セレブ」が存在するという奇態な国になっています。結局「有名であるか否か」でなく「お金の問題」にしてしまうところが日本らしいとも言えますが。
それと「buddy」ですが、テレビドラマなんかで登場人物が「バディ組もうぜ」とか「バディ解消だな」とか、恥ずかしいですわたし(笑)。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2022-03-27 20:05) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

それは偶然とはいえ、タイムリーでしたね。
私は映画は観たことがないのですが、
以前《素敵な選TAXI》というTVドラマを観ました。
SF的アイデアの話なのですが
ユニークな視点だなと思っていました。
選TAXIというのは一種のタイムマシンなのですが、
ジタバタと何をやっても結局同じことという意味では
ドラえもんのテーマに通じるものがありました。
決してアイロニカルにならない志向と
明るい軽さのようなものが独特で良いと思います。

このデュエットに関してもそうです。
決して上手いヴォーカルではないのですが、
とても誠実で気持ちよく感じてしまうのは
その性格を現しているのに違いないです。
なぜ、ひょうきん族が面白かったのかというと
ある程度なら許されてしまうゆるい縛りのなかで
自由にやらせていたという当時の制作方針が優れていたので、
ギスギスしたり差別に関して敏感過ぎたりというような
昨今の風潮とはまだ無縁の時代だからだと思うのです。

映画《ドライブ・マイ・カー》では
車の中で吸うタバコのシーンが重要な役目を持っています。
原作でもこの部分は厳密に描写されています。
でも昨今のTVドラマだと、まずタバコのシーンは避けるとか
すでにそうした自己規制でがんじがらめになっているような
つまらない遠慮がまかり通っているように感じます。
おおげさに言えばそうしたつまらない遠慮が
芸術的表現を狭めているといえるわけで、
でもひょうきん族の時代にはそうした遠慮は存在しませんでした。
なぜ最近のこの国ではすべてに対して萎縮していて
他人の目を異常に気にする方向性になってしまったのでしょうか。

この国では 「これ、おいくら?」 が最優先すると
森村泰昌が言っていましたが、
つまり価値判断の基準は金銭に換算することでしかわからない
というのがこの国のスタンダードなのかもしれません。
そういうのを 「さもしい」 というのですが、すでに死語ですね。
セレブという言葉もそうした環境下から生まれたのだと思います。
バディに関しては、綴りが違いますが
かつてバディという誌名のゲイ雑誌がありました。
by lequiche (2022-03-29 03:48)