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川野芽生『Blue』 [本]

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川野芽生

Blueは刺青の青であり、海の色の青であり、哀しい歌の色であり、憂鬱の色である。
川野芽生の小説『Blue』はこれまでに発表されたなかで一番わかりやすい作品といってよいだろう。山尾悠子的な幻想文学を期待していた者にとっては 「えっ? こういうのも書いちゃうの?」 という意外性を少し感じた (落ち着いて考えれば意外ではないのだが)。私は川野の歌集『Lilith』が好きなのだが、短歌は読者層も限定的だし、たとえば塚本邦雄の作品のような伝統的表現から離れた表現とその技法を知らないとわかりにくいという一面がある。その点、小説ならとりあえず物語だから。

ストーリーは高校の演劇部で、アンデルセンの『人魚姫』を題材にアレンジした演劇を上演する/上演したという話が骨子となっているが、人魚姫やアンデルセンに内在している種々のヴァリエーションあるいはメタファーが現実の話に重なってくる。人魚姫が脚を獲得するという行為について 「脚っていうのは性的な含意を持たされやすい部位で」 あること。また、アンデルセンは同性愛者もしくは両性愛者だったことなど (p.31)。

基本的な登場人物は樹 [いつき]、ひかり、夏穂、瑠美、真砂の5人。前の4人は女性、真砂はTGであるが、SRSをしようとして結局挫折してしまう (保険診療ができるように見せかけて、実は保険外にしかならない現実の医療体制の矛盾が語られている)。瑠美は高身長で、背が低く作家先生と呼ばれているひかりに思いを寄せているが成就しない。わざと中途半端な状態のままを維持しているようにも見える。つまりLGBT的な関係性を包含している仲間たちである。

印象的な個所は幾つもあるが、たとえばバリー・ジェンキンスの映画《ムーンライト》からの言葉、

 In moonlight, black boys look blue. You blue.
 That’s what I’m gone call you: Blue.

は真砂が観た映画の記憶として唐突に出てくるのだが (p.99) 「黒人の少年は月明かりでは青く見える」 という表現は詩的でありながら単純にその美しさだけにはとどまらない。つまりこの映画作品で描かれている差別や性的な感情といった根本的なテーマが、一見、黒人差別などとは全くかけはなれているように思える自分たちの関係性にアナロジーとして投影されるのだ (ちなみに同映画のニコラス・ブリテルの音楽は素晴らしい)。

そんなことなどやりそうにないと思われていたようなひかりが自分の身体にある刺青を披露する場面、

 そう言いながら、滝上は首を傾けてタトゥーを見せた。
 「自分の体に加工を施すことによって、ようやく自分のものと感じられ
 るようになっていく、っていう感覚があるのだけれど」 (p.121)

という感覚は、金原ひとみが『蛇にピアス』で書いたのと同じだ。

真砂は本来の名前は正雄だったのだが、TG的性向から真砂という通称名にしたけれど、状況は悪くなるばかりで眞靑という名にさらに変更することを余儀なくされる。そして眞靑@blue_moon_lightとして呟く。
やってきたことは無になってしまったのかもしれない。何も起こらなかったし、起こったことは何にも帰依しなかったのかもしれない。すべては失われていたのかもしれないし、何も変わっていなかったのかもしれない。それは微かな痛みだ。それすらも幻想にしか過ぎなかったのかもしれない。


川野芽生/Blue (集英社)
Blue

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