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エレジー — ボロディン・クァルテットのショスタコーヴィチ [音楽]

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ショスタコーヴィチというのはちょっと私にとってはむずかしいといったらいいのか、避けて通ってきた作曲家で、それはあの諧謔性というか、場合によってはその場にそぐわない音がどうも苦手だからだ。もちろん時代がソビエト連邦の頃、ショスタコーヴィチがどういう立場にあって、そしてどうしてそういう相貌を持った作品を作ったかという表面的な歴史みたいなものを知らないわけではない。

でも、そうだとしても音楽は結果として出てくる音が全てだからそれで判断せざるを得ない。それは他の芸術にしたって同じで、政治的にどうだとか、その時病気だったからとか、時間が無かったからとか、そういうのはやっぱり言い訳なのではないかと思うのである。
たとえばアルゲリッチの弾いたショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番というのがあって、ルガーノ・フェスティヴァル2006でのライヴなのだが、このアルゲリッチはすごい。最近は外見が魔女みたいだけれど弾いてる内容もまさに魔女。ただ、曲そのものもピアノはまぁ許せるのだけど、途中に入ってくるトランペットがなんか、ちょっと……。このトランペットが無ければ名曲なんだけど、と思うのである。というかこのトランペットは何らかの悪意の象徴なのだと私は理解してしまう。あくまでも私の勝手な感想なので、あのふざけているような表情までも含めてそれがショスタコーヴィチの音楽なのだという意見も当然あると思う。

だがある時、弦楽四重奏曲をどの作曲家のも聴いてみようと考えていたことがあって、ショスタコーヴィチは曲数も多いし避けては通れないので聴いてみた。
そしてボロディン・クァルテットの全曲盤の一番最初に入っている〈エレジー〉に心を奪われてしまった。〈エレジー〉は弦楽四重奏のための2つの小品のうちの1曲であって作品番号も無い曲である。たとえば弦楽四重奏曲なら幾つかの楽章があるので、起承転結のような変化をつけることができるが、この〈エレジー〉だけ聴くと単一の曲なのでまるで救いがない。痛切で暗い曲である。だがそれゆえに、これが仮面をつけていないショスタコーヴィチの本質だろうと思うのである。そしてボロディン・クァルテットはわざと〈エレジー〉だけをこの冒頭に置いたのだろうと想像する。


The Borodin Quartet/Shostakovich: The Complete String Quartets
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1446065

Martha Argerich/Shostakovich: Piano Concerto No.1
Piano Concerto No 1 / Concertino / Piano Quintet

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