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サンクトペテルブルクの冬、アルジェの夏 — アンリ・ヴュータン [音楽]

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アルジェの夏。ヴィスコンティの《異邦人》はTVで観たかすかな記憶でしかないのだが、すごく乾いた太陽の照りつける土地のような印象が残っている。太陽はムルソーの殺人の幇助者なのだからあまり優しくはないのかもしれない。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ Giovanni Battista Viotti (1755〜1824) はヴァイオリン協奏曲を29曲も書いた人だったが、その曲数に及ばないとはいえヴァイオリン協奏曲のオーソリティというべき作曲家がもうひとりいる。
アンリ・フランソワ・ジョゼフ・ヴュータン Henri François Joseph Vieuxtemps (1820〜1881) はベルギー人の作曲家・ヴァイオリニストであり、ヴィオッティのような正統的な書法による協奏曲を7曲書いた。どれもが珠玉の作品のように思えるのだが、あまり人気がない。
ヴュータンの中で一番有名なのはヴァイオリン協奏曲第5番、ついで第4番だろう。だがフランス系のヴァイオリン協奏曲だとサン=サーンスの第3番というのが特に有名で、ヴュータンはいつもその影に隠れてしまいがちだ。

私が最初にヴュータンを聴いたのはチョン・キョンファのサン=サーンスの第3番のLPで、その裏面がヴュータンの第5番だった。サン=サーンス/ヴュータンというのはよくある組み合わせであるが、サン=サーンス3番という曲はダイナミックでパワフルで、それがチョンの個性と合っていて、彼女の代表的な録音と言えるだろう。
そのサン=サーンスと較べると、ヴュータンはやや控えめな印象の曲のように思えてしまう。でも決して精彩の無い曲ではない。それは何回か聴いているうちにわかってくる。
ヴュータンのすごさは、あくまで私の感想でしかないのだけれど、駄曲がない。7曲の協奏曲どれもがそれぞれに独自の世界を持っている (以下の時間表記は、NAXOSのミーシャ・カイリン Misha Keylin によるヴァイオリン協奏曲集・全3枚における演奏時間である)。

最初に書かれたのは第2番と名付けられている fis-moll op.16で、ヴュータンが16歳、1836年の時の作品である。ヴュータンは6歳で公開の席で演奏しており早熟の天才ヴァイオリニストであった。若くしてすでに完成された古典的形式とでもいうべき特徴を持っているし、ヴュータンには先達ヴィオッティへの対抗心もあったのだといわれている。
第1楽章のイントロはなかなか凝っていて期待感を持たせる始まり方であるし、2:14あたりからのヴァイオリンのメロディライン自体はよいのだが、変奏になってからの展開の仕方にあまり決定的な魅力がなく、バックのオーケストラもやや精彩が無くて起伏も乏しいのが弱点であろうか。
第1楽章と第2楽章の間はアタッカ (曲が切れ目無く続くこと) で、第2楽章すぐのヴァイオリン・ソロのメロディが切なく悲しくて心に沁みる。

第1番 G-dur op.10 は1840年、彼が20歳の時に書かれた。第2番よりも後に書かれているのでこの第1番が実質的第2番、第2番が実質的第1番である。上品で明るさがあって、完成された輝きを持っている。ややシンプルな感じはするが決して単調ではない。その上品さと明るさは若い頃のモーツァルトを連想させる。もちろん音楽そのものはまるで異なるのだが。第1楽章だけで24分もあるやや長大な曲である。

第3番 A-dur op.25 (1844年) も第1楽章が20分もあって、やや大味な印象もあるが、第3楽章のロンドは美しい。冒頭、オーケストラの各楽器がe音を3回ずつ交互に呼び交わすと、それに呼応してソロ・ヴァイオリンがe音を3回弾いてソロに入ってゆく。

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第4番 (1850年頃) と第5番《ル・グレトリ》(1858年頃) はヴュータンの中で最も有名な曲であるし、完成度も最も高い。オーケストラの厚みも第1番、第2番より格段に進歩している。
第4番 d-moll op.31は1950年頃に書かれているが、調性がd-moll つまりニ短調である。この、ニ短調またはニ長調という調性は、ヴァイオリンの楽器としての特性が一番よく発揮される (よく鳴る) キーなのだそうだ。チャイコフスキー、ベートーヴェン、ブラームス、ラロ (スペイン交響曲)、シベリウス、ストラヴィンスキーなど皆、「ニ調」 の曲である。
4番と5番は一番有名曲であると思うし、あらためて書きたいと思うので、今回はあえて触れない。

この頃、ヴュータンはヨーロッパでも、当時のロシアでも人気が高く、ロシア皇帝の宮廷音楽家として、サンクトペテルブルクに住んで演奏・教育・作曲に励んだ。ヴュータンの絶頂期である。

しかし晩年は身体の自由がきかなくなってヴァイオリンを弾くこともできなくなり、当時フランス領であったアルジェリアのムスタファの療養所で1881年に亡くなったとある。ムスタファはアルジェ郊外の小さな町である。

アルジェリアは1830年から1962年までフランスの植民地となったが、その頃アルジェリアにいたヨーロッパ系植民者のことをピエ・ノワール (黒い足) と呼ぶ。つまりヴュータンの最期はピエ・ノワールのひとりだったのである。『異邦人』の作者、アルベール・カミュももちろんそうである。

ヴァイオリン協奏曲第6番 G-dur op.47 (1881) と第7番 a-moll op.49《À Jenő Hubay》(1883) の2曲は前の5曲の年代からずっと後の、晩年に書かれた。この2曲は遺作になっていて、第7番の発表年は死の年を越えている。
最も心を動かされるのはこの第7番である。
第1楽章、モデラート。12小節の前奏の後、ソロ・ヴァイオリンの悲しく澄んだメロディで始まる。risoluto 決然と。そこに凜とした主張を感じる。

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そして2:40からの、3連符でずっと降りてくる軽やかな悲しみのようなもの。
5:00あたり、楽譜にはcon forza 力強く、と書かれている。決然さと悲しみが交互に顔を出す。6:40からの再度の3連符の連なりはcon grazia 優美に。

第2楽章はアンダンテ・ソステヌート。メランコリィという標題が付けられている。

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第2楽章の最後はメランコリィが解決されたかのようにA-durで終わる。
が、その安らぎは一瞬のこと。第3楽章のフィナーレ、アレグロ・ヴィーヴォ。このオーケストラの胸騒ぎのような不安げなイントロは何だろうか。

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オーケストラに誘われて流れ落ちるヴァイオリンの繊細な歌は、悲しみがはらはらと崩れて堆積していくような表情を見せる。悲しみというよりは諦念とか憧憬のようなもの。それは人生の終わりの消えゆく炎なのだろうか。たぶんヴュータンはこの曲を、シロッコの吹く暑いアルジェの地で書いたのだろう。かつてのサンクトペテルブルクでの栄華は今はなく、ロシアの冷たく美しい雪の結晶がシロッコの熱風で溶けていくような、そんな残酷な想像が私の脳裏を横切った。


画像:
Barthékent Vieillevoye (1798〜1855, Belgian)/
Portrait du Violoniste Henri Vieuxtemps


Vieuxtemps: Violin Concertos Nos.1 and 4 (NAXOS)
Violin Concertos 1 and 4




Vieuxtemps: Violin Concertos Nos.2 and 3 (NAXOS)
Vieuxtemps;Violin Concs.2&3




Vieuxtemps: Violin Concertos Nos.5, 6 and 7 (NAXOS)
Vieuxtemps: Violin Concertos Nos. 5, 6 and 7

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彩葉

今ヴュータン五番を弾いている中学生です。

音楽教室のソルフェージュで、その曲を書いたときの作者の様子や歴史的なことで起こったこと、その作曲家の周りの音楽家について知ることでその音やそのフレーズや曲全体はどのように出せばよいのかわかると教えてもらい、恥ずかしながらもヴュータンに関して初めて調べました。

Wikipediaでは思うような情報が得られず探していたところ、このサイトを見つけました。

大変参考になりました。

また、ヴュータンの他の曲にも興味を持つことができました。

ありがとうございます。
by 彩葉 (2014-04-13 12:20) 

lequiche

>> 彩葉様

コメントありがとうございます。
ヴュータン5番を弾かれているんですか。
素晴らしいですね。

ヴュータンは、やや地味ですけれど、
その曲のきめ細かさとか、全体から感じられる香気が
とても誠実で上品な印象を受けます。
パガニーニとかヴィオッティの曲はいかにもヴィルトゥオーソ、
という感じがしますが、ヴュータンは控えめで、
でもその一音一音が深く輝いているように聞こえます。
ヴュータンの音には若い青春の輝きのようなものが常に感じられます。

5番はその中でも最も美しい作品だと思います。
繰り返し練習されて、ぜひヴュータンの精神を広めてください。

すでにご覧いただいたかもしれませんが、
ヴュータン第5番については、下記日付のブログに
あらためて書いておりますのでご参照ください。

2012年08月11日ブログ↓
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2012-08-11

こんな拙いブログをお誉めいただきありがとうございました。
by lequiche (2014-04-13 21:01) 

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