色褪せたチェックメイト — ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン』 [本]
アレキサンダー・マックイーンの It’s only a game のショーのことを私は以前のブログで 「それは不思議の国のアリス」 と書いたけれど、思わずそう書いてしまったのは2005SSのビクトリア朝ふうのコスプレのようなデザインからアリスを連想してしまったためで、正確に考えればちょっと違う。なぜならアリスの夢の中で活躍するのはトランプたちであって、 It’s only a game のイメージはチェスなのだから。
チェスというのなら、むしろ宇多田ヒカルの〈COLORS〉のほうがしっくり来るかもしれない。
カラーも色褪せる蛍光灯の下
白黒のチェスボードの上で君に出会った
この宇多田の歌う無機的な風景は It’s only a game → 「人生はゲームだ」 と言い切ったようにも思えるマックイーンのショーと同じように暗示的で、どこか死の匂いがする。
でもそれは〈Automatic〉の歌詞の最後の
アクセスしてみると 映るcomputer screenの中
チカチカしてる文字 手をあててみると
I feel so warm
と同じテリトリーに属する感覚でもあって、この歌詞から私がイメージするコンピューター・スクリーンはグリーン・キャラクターの羅列する古いコンピューター画面なのだけれど、それは愛とか苦しみや悲しみから一歩退いた乾いた感情のような気もする。
《相棒》の杉下右京には必ずパートナーがいるという設定はシャーロック・ホームズ的ストーリー展開を彷彿とさせるが、彼のチェスとかティーカップへのこだわりは衒学趣味的な意味あいもほの見えて、そこにはきっとファイロ・ヴァンスのイメージが投影されているのではないかとも思う。
ジョン・ラフリーの『別名S・S・ヴァン・ダイン——ファイロ・ヴァンスを創造した男』を今読んでいるのだが、読みながら心の翼はあちこちに連想のつけいる隙を見つけてしまってなかなか読み進められない。
S・S・ヴァン・ダイン S. S. Van Dine はアメリカの推理小説作家で、1926〜1939年にかけて12作品を上梓し立ち消えたように去っていった。そのほとんどの作品タイトルは 「6文字+Murder Case」 で成り立っている。The Benson Murder Case, The Canary Murder Case のように。ファイロ・ヴァンスは主人公の探偵の名前である。
その4作目、The Bishop Murder Case のBishopは僧正のことであるが、これはチェスの駒の名称である。Bishopと名乗る犯人の殺人はいつもマザー・グースの童謡を連想させる方法で行われ、最初に出てくるのが 「誰が殺したコック・ロビン」 であり、チェスの名人が殺されるときは 「ジャックが建てた家」 である。
ちなみにマザー・グースのフランス語はマ・メール・ロワであり、つまりモーリス・ラヴェルの有名な曲でもある。
同じ推理小説のジャンルでヴァン・ダインの後に出てきた作家にエラリー・クイーン Ellery Queen がいるが、クイーンの後期の作品に『盤面の敵』The Player on the Ohter Side というのがあって、これはチェスがテーマになっている。地味だけれどかなりクォリティの高い作品だと私は思う。
クイーンの作品は初期の国名シリーズと呼ばれる作品のみが有名であり人気があって、後期の作品はもうひとつ影が薄いが、その原因は後期の作品が必ずしも完全な 「真作」 ではないという点にもあって、この『盤面の敵』もそうである。つまりアイデアのみがクイーンで、実際に執筆したのはゴーストライターであった。
最初にそれを知ったときは驚いたが、これを書いたのがシオドア・スタージョン Theodore Sturgeon だと聞いてかえって安心した。スタージョンはあまり名が知られていないが堅実で実力のあるアメリカのSF作家であり、最近になって再評価が進み、いままで出版されていなかった作品の翻訳が出始めているからである。
たとえば『ヴィーナス・プラスX』Venus Plus X (1960) は両性具有がテーマとなった、いわゆるジェンダー作品で、ル=グィンの『闇の左手』The Left Hand of Darkness (1969) などよりも前に書かれている。今、バチガルピが 「第六ポンプ」 でトログという両性具有種を描いたようには当時のアメリカは性的に寛容ではなかったはずである。
ジョン・ラフリーの著書に話題を戻すと、ヴァン・ダインは本名ウィラード・ハンティントン・ライトという編集者であり、当時の保守的なアメリカ雑誌に新しい風を吹き込もうと奔走していたが結局自分が推理小説作家となってしまった人である。
ライトの関わった雑誌 The Smart Set は19世紀初頭のLiterary magazineだが、若き編集者としてのライトは、たとえばエズラ・パウンドと接触し、パウンドを通じてジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』を自分の雑誌に掲載しようとしていた。しかしオーナーと衝突し、ライトが会社を辞めた後、会社はジョイスに掲載を断ってしまう。
ライトの先見性があり過ぎたのか、それとも当時は全てのジャンルにわたってまだ混沌とした時代だったのだろうか。
ウィラードの弟・スタントンは画家を目指していたが、ヨーロッパで2人は遭遇し、先進的な芸術をアメリカに持ち帰ろうとする。ウィラードはウィーンのことを 「ロマンスの香りにあふれ、陰謀に満ちた街」 と形容した。
弟・スタントンの描いた兄・ウィラード
そして推理小説作家ヴァン・ダインとして華々しくデビューしながら、やがてだんだんと時代に取り残され、忘れ去られたように亡くなってしまったことで、ライトはスコット・フィッツジェラルドに似ている。
ライトの死はBishopで使われたマザー・グースの歌の、コック・ロビンの最期を思い出させる。
All the birds of the air
Fell a-sighing and a-sobbing,
When they heard the bell toll
For poor Cock Robin.
かわいそうな こまどりのため
なりわたるかねを きいたとき
そらのことりは いちわのこらず
ためいきついて すすりないた (谷川俊太郎・訳)
ジョン・ラフリー/別名S・S・ヴァン・ダイン (国書刊行会)
S・S・ヴァン・ダイン/僧正殺人事件 (東京創元社)
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