黒いワシと黒いピアノ — バルバラ《Châtelet 87》 [音楽]
歌手にとって声が枯れて出なくなることは致命的である。でもそれを逆に生かす人もいる。
マリアンヌ・フェイスフル Marianne Faithfull はローリング・ストーンズの曲としても有名な As Tears Go By (1964) でデビューしたが、その頃は澄んだ声のいわばアイドル歌手だった、というのを知ったのはずっと後になってからで、私が最初に聴いた Broken English (1979) の声やビジュアルなイメージと較べるとその落差に愕然としたのを覚えている。
ただアイドルとはいっても、当時の彼女をYouTubeなどの動画で見て感じとれるのは特有の不機嫌ともアンニュイともとれる表情であり、それはたとえば同時期のフランス・ギャルなどでも同様である。その1965年頃というのは、たとえばママス&パパスの California Dreamin’ のヒットした頃でもあって、つまり憂鬱の時代ともいえる。
声が出ない歌手ということで思い出すのなら、それは晩年のビリー・ホリデイ Billie Holiday で、私が最初に買ってみたのは何枚かのオムニバスのようなボックス・セットだったのだが、それを聴いたときも 「これは無いんじゃないの?」 というのが正直なファースト・インプレッションだったといえる。
バルバラ Barbara も同様に声が出ない。年代を追う毎にだんだんと声が出にくくなってくる。それは聴いていてあまりに苦しくて、人間というのは歌を聴くとき、無意識に自分の心の中でも歌っているのだそうで、だから聴いている歌手の声が息苦しかったり声域が高過ぎたりすると、知らず知らずに疲れてしまうのだという話を聞いたことがあるが、なんとなく納得できる。
ビリー・ホリデイの声域の狭くなった苦しげな声とは違って、バルバラの声は出そうとするときにその最初の音が出ないもどかしさのような、聴いていていたたまれなくなるような声だった。
でも、だからどうだというのだ? というのがすなわちバルバラの存在理由である。もしもシャンソンというものが歌ではなくドラマだというのならば、それこそがバルバラなのだろう。
私はそんなに熱心なバルバラのリスナーではないし、遅れてきたリスナーでしかないが、最も重要なアルバムのうちの1枚は、たぶん《Châtelet 87》だと思う (パリ:テアトル・デュ・シャトレでの1987年のライヴ)。だがwikipediaを見てみると、バルバラのページにはそもそもライヴ・アルバムのリストが無い。これはfr.wikiにEnregistrements en publicに関する記述が無いのをそのまま踏襲したためだと思われる。
ライヴ・アルバムをオミットされたバルバラのCDリストなんて、交響曲の入っていないベートーヴェン全集みたいなものである。
《Châtelet 87》はVolume 1とVolume 2に別れているが、Volume 1の冒頭曲〈Perlimpinpin〉に私は衝撃を受けたといってよい。単純に最初に聴いた曲だったから強い印象があったのかもしれないが、だとしたら幸運な当たりクジだったのかもしれない。まるで呪文のように畳みかける言葉、ドラマチックに盛り上げすぎるようなドラマとしての王道なシャンソン歌唱がこれだ、といってもいい。
声が出ないだけでなく音程も微妙で、わざとそういう音を出しているように見えて、実際にはもう声域がそこまで届かない、というのが本当のところなのだろうか。そこだけを冷静に見れば無残であるが、それを超える執念が歌手としての存在を可能にする。
フランス盤のDVDは一般的にPALなので汎用性に劣るが、Châtelet 87のPerlimpinpinがたまたまYouTubeにもあるので見てみた。ただバルバラは映像でみると多分にナルシスティックでエキセントリックでその挙動がちょっと……と感じる人も多いのではないかと思われる。それも含めてこれが彼女のスタイルなのだけれど。
一方、73年の映像では、まだバルバラも若く、ドラマ性も控えめだが、年齢が若い分だけ、より自信を持ったナルシスティック&エキセントリックさに満ち溢れているかもしれない。
ところで今、トマス・ピンチョンの作品が新しく翻訳されて刊行中なのだが、その翻訳者のひとりである佐藤良明/サトチョンの翻訳日記というブログを読んでいたら『重力の虹』にRaoul de la Perlimpinpin という会社 (なのか?) が出てくることが書いてあって、これは知らなかったし、思わずちょっと笑ってしまった。
Barbara/Perlimpinpin 1987
http://www.youtube.com/watch?v=MORAn5Ascg8
Barbara/Perlimpinpin 1973
http://www.youtube.com/watch?v=tYX2KRCr37g
Barbara/Göttingen 1964 (普通の声で普通のシャンソン風な頃)
http://www.youtube.com/watch?v=Aad4Bm_Y0So
Barbara/Châtelet 87 Volume 1 (Philips)
Barbara/Châtelet 87 Volume 2 (Philips)
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