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アイソレイテッド・ポーン — ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン』その2 [本]

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04月03日のブログ、色褪せたチェックメイト — ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン』の続きです。

この評伝の全体の論調はこうである。
ウィラード・ハンティントン・ライト Willard Huntington Wright (=ヴァン・ダインの本名) は The Smart Set (当時のアメリカの文芸誌) での書評を初めとして、文芸評論や美術評論などの評論家・文学者としての活動が自分の生きていく道だと定めていた。ウィラードの弟、スタントンは画家であり、シンクロミズム Synchromism というアート・ムーヴメントを作り美術で成功しようとしていた。ウィラードは美術評論においてその弟のかかわる運動を擁護した (シンクロミズムはアメリカで最初の抽象絵画ということで近年再評価されているようである)。
しかし時代はシンクロミズムに対しても、ライト兄弟のアヴァンギャルドな主張に対しても冷淡であった。

ウィラードは金を得るために志を曲げて、勃興期の映画に脚本等でかかわろうとする。さらに通俗文学の世界に入って行き、推理小説を書いた。これがウィラードの筆名 S・S・ヴァン・ダインによるファイロ・ヴァンスのシリーズである。
当時、推理小説といえばイギリス人の著作がそのジャンルで優勢だった頃、ヴァン・ダインの作品は熱狂的な支持を得て、ウィラードは非常に多くの富を得た。一種のアメリカンドリームの体現とも言えるかもしれない。しかしウィラードは、娘・ベヴァリーの証言によれば、ヴァン・ダインで得た収入を湯水のように使う。まるで汚れた金であるかのように。
それは自分だけ通俗的成功を得たことに対する弟・スタントンへの負い目もあっただろうし、死期を察知していたこともあるのかもしれない。
それだけでなくウィラードは、自分の過去を捏造した。会ったこともない有名人に会ったという作り話である。つまり自分の歴史を改竄したのである。そうして捏造しているうちに、

 当時の彼を知らない人には、どの話が本物でどれが作り物かわからなか
 ったが、やがてウィラード自身、実際にピカソやストラヴィンスキー、
 スタイン、ビアスらに会ったと思いこんでいるようにも見えた。(p.341)

こうしたウィラードの行動を現代の目から見てみると、当時のアメリカは非常に潔癖で純粋とも言える思考方法をしていたように思える。つまり正統派の文学者と通俗文学者とでは天と地ほどの違いがあるということを認めていたのである。ウィラードはそれを 「むかしは知識人、いまはこんな有様」 と自虐的に表現したらしい (p.299)。
後年、ウィラードはラジオなどの商品広告にも登場して金を稼いだのだが、こんなことは 「もってのほか」 だったのだという。広告に出るということは 「金銭的売春行為」 なのだそうだ (p.364)。今だったら作家がネスカフェ・ゴールドブレンドのCMに出るのは普通に見られるが、当時だったら唾棄すべきことなのである。プロテスタント的アメリカ思考とでもいえばいいのだろうか。

しかし私が読んでいて思ったのは、この評伝の筆者ジョン・ラフリーの中にそうした視点、もっといえば偏見が内在しているのではないかという疑問である。
筆者ラフリーは美術評論家だということだが、前半部の美術に関する、ウィラードがその分野でなかなか成功できない時期の記述は非常に詳細で、むしろ晦渋なほどだが、ヴァン・ダインとして成功しつつあるとき、そして成功した後の記述はそっけなく冷淡のように思える。つまり通俗文学を一段低い位置に見ている思想がラフリーの中にあるのではないかと穿ってしまうのである。
そして、そうしたそっけない記述は、あたかもウィラードが簡単にヴァン・ダインとしての成功を勝ち得たようにも見えてしまうわけであり、推理小説なんて書くのは簡単だよ、と読み取れてしまうことにもなりかねない。

つまりラフリーはウィラード・ハンティントン・ライトにとって不幸な伝記作家だといえなくもないのである。ラフリーの美術評論家的な目からすればシンクロミズムはエラくて推理小説はたいしたことがないのだろうか。
たとえばチャーリー・パーカーやビリー・ホリデイの伝記作家ならどうだろうか。パーカーやホリデイは音楽に関しては天才的な才能を持っていたが、同時にその生活がだらしなくメチャクチャな面も持ち合わせていた。しかし伝記作家はそうしたダメな面も含めて、それらを許して伝記を書いていたはずである。
翻ってこのジョン・ラフリーには、美術史的記述はすごいのだけれど、ヴァン・ダインとしての業績に対して辛辣であり、シンパシィや愛情が無く、もっといえば悪意があるようにさえ見える。本来なら清濁すべてを冷静に見通して書くのが伝記だと思うのだが、私にはやや偏りがあるように思えてならない。そういう意味で、あまり後味のよい評伝ではなかったと言ってよい。
ラフリーの中には、当時の世評と同じような暗黙のヒエラルキーがあって、つまり美術評論・文学評論こそエラいとする偏見がいまだに生き残っているように感じてしまう。
この評伝はMWA賞 (アメリカ探偵作家クラブ賞) を受賞しているのだそうだが、そうした評価をした探偵作家クラブの面々は、ちょっと感覚が鈍いのではないか、と私は思うのである。つまり自分たちに突きつけられた刃が見えていないという面において。あるいはそれを了解済みの上での賞なのだろうか。それともこれは私の考え過ぎなのだろうか。

ウィラードがヴァン・ダインとなってデビューする経緯として 「病気で医者からカタい本を読むのを止められて、推理小説ばかり読んで (2千冊とも) それでファイロ・ヴァンスものを書いた」 と伝えられていたが、それは文字通り伝説であって、本当はそんなに大量に読んでいないのかもしれない。でももしそうだとすれば、それは逆にウィラードの筆力がもっとすごかったということなのではないか。

つまりラフリーの辛辣さにお返しする表現で書くのならば、この本はシンクロミズムの歴史を辿った美術史的視点からの本としては素晴らしいのかもしれない。
ただ、ここで見られるのもシンクロミズムの対・音楽の方法論に対するコンプレックスである。私は宮田恭子『ルチア・ジョイスを求めて』に対するブログの中で、カンディンスキーやクレーが音楽に対する傾倒を見せ、ペイターが 「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」 と言ったというような個所を引用したが、シビアに言うのなら自らの美術が音楽に従属すると考えている時点でだめである。
私はその頃の美術シーンをよく知らないが、シンクロミズムがその美学としての主張をしたときパブロ・ピカソの方法論をも糾弾したというが、ピカソは、美術が音楽に従属するというような観点を持ったことがあるのだろうか。

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ヒエラルキーは存在しない。通俗文学が高踏的文学より下にあるということには必ずしもならない。クラシック音楽がポピュラー音楽より上であるということはなく、純文学が大衆文学より上ということはなく、油絵の画家がインク描きのイラストレーターより上ということはない。もしそれがあるのだとするのならば、それらは人々が差別化のために作ったヒエラルキーでしかなく、そのヒエラルキーは奴隷制度とか人種差別と同じである。人がなぜヒエラルキーを作るのかといえば、そうして比較し自分のポジションを決めることに対しての安心感があるからかもしれないのである。
もちろん各論はあるかもしれないが (本当にしょーもない通俗小説は確かに存在するけれど)。

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これは嫌な表現かもしれないが、カリスマ性というのはひとつの指針となる。今日、いわゆる本格推理小説といわれる分野においてヴァン・ダインより上手いテクニックの小説の書き手はいるかもしれない。でもそれは 「ビートルズって楽器の演奏、ヘタだよね?」 というのと似ている。歴史的な意味あいになってしまっているのかもしれないが、ヴァン・ダインやエラリー・クイーンには一種のカリスマ性が備わっていたと思う。そうしたカリスマ性について触れることをラフリーは巧妙に避けているように見える。
皮肉なことにヴァン・ダインの作風は 「推理小説とはパズル/ゲーム性/テクニックであって、普通の小説におけるような人間的機微などいらないのだ」 というコンセプトの作風だったはずなのに、クラシックな小説となった今、その作品から感じられるものは独特のこの時代の醸し出す雰囲気なのである。

たまたま近い時期に読んだので、またルチア・ジョイスのことを引き合いに出すのだが、ウィラード・ライトの娘であるベヴァリー・ライトとルチア・ジョイスは、父の存在が大き過ぎたという点において似ているような気がする。ジョイス親子のミニチュア版的なライト親子の葛藤がチラッと描かれている。
もっともライト親子の場合、通俗に堕した父と、マイナーでもより真摯なものを求めようとする娘というパターンであるが、父の娘に対する罪悪感は、ジョイスよりもよりはっきりとしている。親が子供に対して、自分の領分を守ろうとして冷酷な一面を見せる点でも同じだ。

大雑把な言い方をすれば、この時代、1900年代初頭から中頃までは甚だしく混沌の時代である。アメリカの禁酒法は1919年から33年まで。女性参政権が1920年から。そして第一次大戦が1914年〜18年で、アメリカは1917年から参戦した。ニーチェが好きでそれに対する著作もあったライトには肩身の狭い時代である。
そして映画は無声映画からトーキーが出始めた頃で、1929年には大恐慌が起こる。そうした時代の中でヴァン・ダインの本は飛ぶように売れたのである。
ウィラードは女性や黒人に対しての偏見の持ち主であったし、麻薬に溺れた時代もあった。つまりこうした破滅型の人生は、チャーリー・パーカーなどと同じである。さらにいえばスコット・フィッツジェラルドとも通底する。というより、ウィラード・ライトとフィッツジェラルドの担当の編集者は同じ人である。

アメリカ本国ではヴァン・ダインが現役の頃、その後半からすでに人気は下降し、そしてそのまま省みられることなく、ほとんど重要な作家ではないという認識だそうである。一方、日本では推理小説の基本的作品として比較的ずっと読まれ続けてきたのだという。これは国民性の違いなのだろうか。当時の浜尾四郎、小栗虫太郎などの作品はヴァン・ダインのフォロアーといってよいらしい。
しかし近年、アメリカで復刊され始めているのは著作権が切れたためもあるのだろうが、一種のノスタルジーもあるのかもしれない。つまりヴァン・ダインとはチャーリー・パーカーよりもっと前、コットン・クラブの時代のベストセラー作家なのだから。


画像:
映画《The Canary Murder Case》(1929) Louise Brooks
Stanton MacDonald-Wright/Airplane Synchromy in Yellow-Orange (1920)
Stanton MacDonald-Wright/Synchromy in Green and Orange (1916)


ジョン・ラフリー/別名S・S・ヴァン・ダイン (国書刊行会)
別名S・S・ヴァン・ダイン: ファイロ・ヴァンスを創造した男




The Actors: Rare Films Of Louise Brooks Vol.2
http://www.amazon.com/The-Actors-Films-Louise-Brooks/dp/B0031SG7UK/ref=sr_1_4?s=dvd&ie=UTF8&qid=1334860874&sr=1-4

The Canary Murder Case
http://www.youtube.com/watch?v=Teug54cvdJM
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