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Le théâtre mécanique — 寺山修司 [雑記]

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書店では村上春樹の新刊書がものすごく売れているらしい。今日も電車に乗ったら前に坐っていた乗客のひとりがそれを読んでいるのが表紙でわかった。本だけでなく、ストーリーの中に出てくるリストの〈巡礼の年〉のCDまでついでに売れているとのこと。この前から、全く別の動機でレスリー・ハワードのリストのコンプリート盤を買おうかと思っていたのだが、今リストを手にするのは何となく気恥ずかしいような気がしてしまう。

ネットにはすでに新刊の感想や批評が溢れているが、かつての友人たちの名前が赤、青、白、黒で主人公は色彩を持たないとか、ミステリー仕立てという話から連想したのは中井英夫の『虚無への供物』だった。
中井の作品では、五行の色の中の黄色が欠けていてなぜそれが欠けているかがキーポイントであるし、色彩の中心に位置する奈々村久生 (あるいは牟礼田俊夫=無&零) が色を持っていない、いわばゼロの存在であるという構図も連想に輪をかける。ちなみに久生というネーミングは、中井の久生十蘭へのオマージュである。
中井のオマージュということについていえばもうひとつ、つまり表面的にミステリーの構造を持ち、ルイス・キャロル的な不条理層に覆われているが、藍司の愛称がアリョーシャであることからもわかるように、その根底にあるのはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である。

ところでパルコ劇場ではこの日曜日から《レミング》の上演が始まったというニュースがあった。よく読むと常盤貴子のチャイナドレスが……とか週刊誌ネタ的な話題なのだが、ともかく今年は寺山修司没後30年とのことでその名前をよく聞く。先日も世田谷文学館で寺山展があったが、時間が無く見逃してしまった。
ただパブリシティにおける《レミング》が寺山の最高傑作という惹句は、たぶん筆のすべりで、彼の主宰する天井桟敷の最後の公演がそれだったということに過ぎない。この時期の彼の演劇における最高傑作はおそらく《奴婢訓》だと思うからである。

もっとも私は寺山修司の演劇は戯曲としては成立していないという仮説をとる。その 「本」 は一種の演出プランであってアイデア・メモの類の範疇であり、それは演出家がレアリゼするための素材に過ぎない。逆にいえば寺山演劇は寺山自身が演出したときにのみ寺山の演劇なのである。
例えば寺山と同時代の唐十郎の 「本」 は戯曲だけで成立することができるが、それは唐の書法が伝統的演劇に基づく方法論だからである。つまり楽譜を比喩とすれば唐のそれは五線紙に書かれているが、寺山の楽譜は図形楽譜のようなものである。
演出家の解釈が自由であるかわりに、作品はあくまで寺山修司原案にとどまろうとする。ストーリーを追うだけではそれは再現しない。これは宿命であり寺山の仕掛けた罠である。

寺山演劇への批評 (批判?) として、彼の演劇は疑似演劇的でスペクタクルであって、それは本人も標榜していたように、まるでサーカスのような見せ物でしかない、つまり卑俗な表層で覆われているというのがある。卑俗な表層が必ずしも深部まで通俗であるのかというとそれはわからないが、とりあえず既視な範囲ではそうだとする論である。
これは寺山の演劇に限らず彼の作品一般への批評として正鵠を射ていて、しかし残念ながら批判としては作用しない。なぜならそうした世間的価値基準を寺山は持っていないからである。

寺山は、よくいえば 「コラージュの魔術師」 であって、悪くいえば 「かっぱらいの詐欺師」 である。彼にはバルトークの舞台音楽のタイトルをそのまま使った〈中国の不思議な役人〉と〈青ひげ公の城〉がある。表面的には、そのイメージのカッコよさから付けたタイトルであって直接的関連性はほとんど無い。〈百年の孤独〉というタイトルをつけた際にはガルシア=マルケスから苦情を受けたはずである。
そもそも彼の足掛かりである短歌や俳句の作品にも、パクリやコラージュと思われるものが多く存在する。寺山は確信犯であり、そういう方法も芸術としての手段のひとつだとしか考えていないからだ。
サーカスや見せ物小屋にオリジナリティは必ずしも必須ではない。ウケればいいのだ、結果は後になってみないとわからない、とする方法論はアナーキーでありアヴァンギャルドである。文学的でウェットな抒情でなく、メカニックな抽象的操作から寺山は抒情を引き出そうとした。それは往々にして失敗もあったが、うまくいったときの成果は異質である。彼の目標は常にそこにあったがそれはわかりにくく、そこで青森とか家出とかいうような一般的にわかりやすいヴォキャブラリーの形容による作品批評が蔓延した。通俗の積み重ねによる表現が必ずしも通俗に堕ちるとは限らない。だが寺山はいちいちそれを説明したり釈明しないということで孤高である。
そしてそういう寺山を世に出したのが中井英夫であった。

『別冊太陽』の最新刊として 「寺山修司」 が書店に並んでいて、まだパラパラと見ただけだが、資料的に興味深い図版が多く載っていて大変楽しめる。


別冊太陽207・寺山修司 (平凡社)
寺山修司: 天才か怪物か (別冊太陽 日本のこころ)




天井桟敷/レミング (カズモ)
レミングー壁抜け男 [DVD]




atg 寺山修司ブルーレイBOX (キングレコード)
atg 寺山修司ブルーレイBOX(Blu-ray Disc)




パルコ劇場・レミング
http://www.parco-play.com/web/program/lemming/
寺山修司・トーク 1982
http://www.youtube.com/watch?v=Nk8CMcwhqjg
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Loby

寺山修司…
私はあまり彼の作品を知りませんが、
彼が作詞した歌が大ヒットしたのを覚えています。

by Loby (2013-04-26 22:34) 

lequiche

>> Loby様

作詞も多いですね。
俳句・短歌から競馬評論まで、あまりに多岐にわたっているので、
寺山修司はひとりではないのではないかと思ったりします。
でも、そうした作品で得た著作料を
ほとんど演劇に注ぎ込んだとも言われています。
by lequiche (2013-04-26 23:54) 

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