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ニクトグラフで描くアメリカ — モートン・フェルドマン《ピアノと弦楽四重奏》 [音楽]

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以前、モートン・フェルドマンについて書いたとき (→2013年03月19日ブログ)、こうしたいわゆるエクスペリメンタル・ミュージックはアンビエントではなくて、つまり 「癒し」 には対応しないはずだと私は思ったのだが、でも 「癒し系」 音楽として捉えているリスナーも多いようだ。「癒し」 という表現が好きではなくて、それは 「通俗」 の間接表現だとさえ考えている私には違和感のある現象である。

《ピアノと弦楽四重奏》Piano and String Quartet (1985) はフェルドマン晩年の、演奏時間の長い作品のうちのひとつで、クロノス・クァルテット+髙橋アキ盤の演奏時間は79分33秒、でもトラックは1つである。
ピアノ+弦楽四重奏ならピアノ五重奏ではないかという疑問も湧くのだが、聴いてみるとやはりピアノ五重奏ではなくて、あくまで 「ピアノ」 対 「弦楽四重奏」 なのだ。なぜならピアノと弦楽はほとんど融合しない。お互いがそれぞれ自己について語り合って、それがずっと続き、大団円は無くそのまま曲は終わる。

約80分間の切れ目の無い曲なのに、リズムは一定で、ダイナミクスもほとんどなく、淡々と過ぎていく音楽のように表面的には聞こえてしまう。では曲の魅力はどこにあるのだろうか。
ピアノで弾かれる音は主に幾つかの音から成立するアルペジオである。対する弦楽四重奏の音は、ほとんどが単音もしくは和音の、ごくシンプルな繰り返しであって、流れるような旋律線は出現しない。
すごくおおまかにいえば、曲の前半はピアノのアルペジオが主導権を持ち、後半は弦楽の和音が主導的になっている。

ピアノのアルペジオと、ひっそりとした弦楽の繰り返しの中で、弦楽が初めて姿を明確にするのは同一の和音を5回弾くとき (10’ 06”あたり。以下、時間は大体の目安)。しかしまだまだピアノが優勢だ。やがてピアノのアルペジオに先導された線の細いヴァイオリンの音色が聞こえる (15’ 39”)。繊細というよりも無味で情感を湛えない、単なる音だけのような乾いた響き。ここが弦の変わり始めで、やがて弦楽全体の音となる。
そして弦がぼんやりとだが決然として、ひとつの和音を8回繰り返す (22’ 34”)。この音は一種の提示であって、やがてピアノが弦の模倣をするように4つの音を繰り返す (33’ 59”)。弦もそれに対抗する。
この4つの音の繰り返しのパターンは、よりシンプルになって次には2つの和音の繰り返しとなる (44’ 09”)。このゆるやかな脈動のようなリズムはかなり長い間継続する。ピアノは弦にオブリガートを付けるように絡むが、自分のリズムは保持したままだ。

その繰り返しの中、ひとつだけ弦に異音が混じる (46’ 51”)。それは軋みの始まり。それと対応するようにピアノもやや深い和音を弾き出す (47’ 20”)。
繰り返しの弦の和音は、突然異なる和音にすり替わる (52’ 27”)。このずっと続くパターンは永遠に続くように見えるが、やがてその定期的な脈動だった弦がだんだんとバラけてきて (62’ 47”)、ピアノもごくゆっくりとした壊れたアルペジオのような旋律を放出しながら崩れてゆく。
最後は、弦が無くなった後に、ピアノの、色彩の欠けた4つの音のアルペジオの繰り返しのままに終わるが、それは冒頭の6つの音からなるアルペジオに回帰しているのだと思う。まるでフィネガンズ・ウェイクのように。

フェルドマンの音を、アンビエントの特徴としての、徐々に変化していく音の推移というようにしか捉えられないのだとしたら、それはあまりにも音を漠然と雑駁に聴き過ぎているような気がする。フェルドマンは、BGM的な 「癒し系」 と呼称される弛緩した音構成の音楽とは異質であり、しかしそこで表明されているのは緊張感でもなく切迫感でもない。たぶんそれは空虚なのだ。それは淋しさでも悲しさでもなくて、もちろん安らぎのアンビエントからはかなり遠い。

フェルドマンの外見とその音楽はあまりにも違う、と書いてある評があったが、確かにパッと見はそうなのかもしれないが、彼の風貌からは誰にも浸食されない強靭な知性が見える。自分の作品はハンドメイドのテーラーのようであり、ボタンホールも手縫いにする、というような形容をしている。フェルドマンの音は、一度記号化した音をさらに音階にあてはめていったような屈折さを感じさせるがそこに感傷は無く、乾いた翳りのあるアメリカを私は思う。


Kronos Quartet with Aki Takahashi/
Morton Feldman: Piano and String Quartet (Nonesuch)
Piano & String Quartet




Kronos Quartet with Aki Takahashi/
Morton Feldman: Piano and String Quartet
http://www.youtube.com/watch?v=0_Q-1u6sNgQ
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コメント 4

Loby

たしかに瞑想をしたり、
疲れを癒やしたりするのにいい曲のようですね。

by Loby (2013-09-11 00:55) 

lequiche

>> Loby様

このようなフェルドマンの長めの曲は、
聞き流すかたちになってしまうことが多いと思います。
でも聞き流しても、じっくり聴いても、
それぞれの欲求に耐え得るクォリティがあるのがさすがです。(^^♪〜
by lequiche (2013-09-11 14:58) 

酒匂

フェルドマンの存在を知ったのは、'80年代半ばだったでしょうか━━多分、アメリカン・ミニマリズムの流れの中で。しかし所謂ミニマリスト達とは違って、集中して聴くと退屈、聞き流していると妙に耳に引っ掛かる、という具合で「扱い難い音楽」と思った記憶があります(ケージとも違うし)。
しばらく棚に眠ったままの何枚かのCDを引っ張り出して、聴き直してみようと思っています。
by 酒匂 (2013-09-23 00:27) 

lequiche

>> 酒匂様

コメントありがとうございます。
「扱い難い音楽」という表現は大変的確だと思います。
その中途半端とも思えてしまう立ち位置が
フェルドマンの意図したポジションなのかもしれません。

私は、たとえばフィリップ・グラスは退屈するけど、
フェルドマンは退屈しませんでした。
でも最初はフェルドマンの意図するところがよくわかりません。
ところが、比較音楽学をするわけではないのですが、
ザビーネ・リーブナーと髙橋アキの比較をしてみたように、
複数の演奏者を聞き較べることによって、各々の解釈の違いから
フェルドマンへの理解が急速に高まるような気がしました。
それとやはり時代を経ることで、
昔、難解だったものがだんだん平易になるという傾向も
あるような気がしています。
by lequiche (2013-09-23 02:32) 

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