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川底のセーター — 森茉莉 [本]

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森茉莉 (右から2人目。その左が最初の夫である山田珠樹)

ふと思い出したことだが、私の崇敬する恩師が森茉莉のことを評して 「森茉莉はねぇ、あれはバカですよ」 と言ったのである。鷗外の研究をしていた恩師の目から見れば、それは当然だったのかもしれない。というか鷗外の知的レヴェルと比較すれば、ほとんどの人間はバカになってしまうだろう。

森茉莉には『ドッキリチャンネル』というTV時評みたいなエッセイがあって、これは週刊新潮に連載されていたのだそうだが、随分昔の話なので色褪せているし、よくわからない内容も含まれているのだけれど、辛辣さと勘違い度がメチャクチャでものすごく面白い。
面白いというのは、つまり森茉莉には耽美主義的だという形容で語られる一群の小説がありそれが小説家としての評価となっているのだが、それらの作品との落差が大き過ぎるからだ。でもよく読むとその美学の構造は共通していて、森茉莉という同一人物から生成されたものであるということがわかってくる。

森茉莉は森鷗外の娘であり、鷗外は彼女を溺愛していた。彼女は終生父親を慕い、その偉大なる幻影の庇護の下にあった。鷗外の死後もそのパワーはずっと継続していたように思える。
最近、DQNネームとか呼ばれているアテ字を使用した難読な名前を子どもにつけることについていろいろな意見があるらしいが、鷗外が自分の子どもたちにつけた名前はまさにそのパターンの草分けであって、だから難読名前は暴走族の御用達ではなく文豪の編み出した手法なのだ。
茉莉はマリィの漢字化であり、兄弟の於菟 (おと←オットー) とか杏奴 (あんぬ) にくらべると比較的おとなしい名前ではあるけれど 「もりまり」 と続けて声に出すと、同一子音の繰り返し (m-r/m-r) がオノマトペのようなリズムを持っていてちょっとトリッキーだ。

また彼女には伝説が多過ぎる。そのほとんどが実際にあった話ではあるらしいのだが、その棲み家は陽の当たらない散らかし放題のアパートの一部屋で、でもそこは彼女にとっての幻想の拠り所であり虚構の牙城なのだ。
松岡正剛は千夜千冊の中で、森茉莉の『父の帽子』について次のように書いている。

 森茉莉のようにナルシズムの孤城にひたすらに引きこもり、少女期から
 の一貫した結晶的な美意識のままに暮らすことは、まずできない。いっ
 さいの交際を断って魔法のままに従うなんて、それは森茉莉だけに宿っ
 た特権だった。

あるいはまた、

 かくて森茉莉は鴎外のマントの中で夢を見て、鴎外の息とともに呼吸の
 できる少女となり、その少女の原型をそのまま夢の中に引きずって老女
 となっていった。

彼女はもう着られなくなった上等なセーターを、近くの川に捨てていたのだそうで、だからその川には何枚ものセーターが沈んでいるというようなことを淡々と書いていたが、それがユーモア風なのか、それともちょっとアブナイ感じなのか微妙な具合なのが森茉莉テイストなのである。今だったら川にゴミを捨てるのは問題だけれど、昔は、川はゴミ捨て場でもあったらしい。

森茉莉の、たとえば『甘い蜜の部屋』のシチュエーションや美学は、確実にBLとかヤオイといった系統の少女マンガの源泉のひとつである。
藻羅 (モイラ) という主人公の名前がすでに鷗外/茉莉用語なだけでなく、その子音も茉莉と同じ 「m-r」 だ。

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(右から) 森茉莉・ロマンとエッセー ロマン III 甘い蜜の部屋 (新潮社・1982)
甘い蜜の部屋 (新潮社・1975)
森茉莉全集第4巻/甘い蜜の部屋 (筑摩書房・1993)


森茉莉/甘い蜜の部屋 (筑摩書房)
甘い蜜の部屋 (ちくま文庫)

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青山実花

森茉莉さんのお家の凄まじさは、
黒柳徹子さんの著書「小さいころに置いてきたもの」の中の
「女流作家M・Mさん」に書かれていますね。
読んでいるこちらはギョッとしますが、
決して悪口ではなく、
黒柳さんらしい可愛らしい表現で、
お部屋の中の様子が描かれていて、
黒柳さんがいかに森さんをお好きかが伝わってきます。
森さんがお家に人を入れる事は殆ど無かったそうですので、
貴重な記録でもあると思います。
もしlequicheさんがこの本を未読で、
そしてご興味がありましたら、いつか読んでみてくださいね。
短い文章なので、立ち読みでも大丈夫です(笑)。

セーターのお話しなど、とても興味深いですね。
私も今度読んでみます。

by 青山実花 (2014-11-15 07:41) 

lequiche

>> 青山実花様

あ、それは知りませんでした。
早速読んでみます。
女流作家M・Mさん……誰だかすぐわかっちゃいますね。(^^)

セーターの話は『贅沢貧乏』の中に出てきます。
牟礼魔利 (むれ・マリア) という人の行状を書いた話になっているんですが、

 魔利のアパルトマンの近くにある川の中には、上等の
 スウェータア類の穴のあいたのが、相当量沈んでゐる。
 テムズの底に沈んでゐるといふ、髑髏の眼窩に嵌つた、
 女王の宝石、とまでは行かないが、ものがいいから、
 バタ屋の人々は年に一回位は浚つてみる位の価値はあ
 るだらう。

とあります。
文章に改行があまりないので、ページの見た目が黒っぽいですが、
それだけ濃密なマニアックさ、ということだと思います。
短い文章ですから、これも立ち読みでも大丈夫です。

森茉莉はカギカッコの閉じが無いことがあるのだそうで、
つまり「 で始まった文章の最後に 」 が無いのですが、
でもこれくらいエラい作家になると、
そういうのもそのまま訂正されずに組まれてしまうんですね。
中原中也が漢字を間違えて書いたのが、
そのままずっと使われているのと同じです。
by lequiche (2014-11-16 02:50) 

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