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トリエステの坂道 — 須賀敦子の世界展に行く [本]

須賀敦子1953.jpg
須賀敦子 (1953年)

横浜そごうのトーベ・ヤンソン展に行った日、昼食をとってから、午後は神奈川近代文学館で開催されている 「須賀敦子の世界展」 に出かけた (この展覧会が開催されていることをryo1216さんの11月07日のブログの記事で知りました。ryo1216さん、ありがとうございます)。
横浜からみなとみらい線に乗って終点の元町・中華街駅で降り、そこから 「港の見える丘公園」 に向かって歩いて行く。このへんまで来たのは久しぶりだ。横浜の街路はどこもがきれいに改修され舗道は洒落た敷石になっている。陽差しはあるのだが風がやや強く冷たい。

近代文学館は、北西から南東へと伸びている港の見える丘公園の南東の端にあり、駅は公園の北西側にあるから、ちょうど公園を縦断していく道筋となる。公園の外周に沿って、谷戸坂という道なりにだらだらとしたのぼり坂を辿っていったほうがよかったのかもしれなかったが、でもそうはせず、公園に入って急な階段を海の方向に向かってしゃにむに上がっていった。
そのあたりはフランス山という名称が付いていて、樹木が少しだけ鬱蒼と茂り、階段は思ったよりもきつくて、やや息が切れそうになる頃、やっと丘の上の高さにまで到達し、やがて左手に海の風景が開けている展望台が見えてきた。
レインボーブリッジの威容と、さらに幾つもの工事をしている港の風景は、昔の横浜港の風景から較べると、随分と複雑な建築物の交錯で埋め尽くされている。

さらにどんどん進んで行くと、左右対称に造形された小さな花壇があり、その奥に建物が見えてきた。それは大佛次郎記念館で、そのさらに奥、霧笛橋という導入路を兼ねたような真っ直ぐな橋のむこうに近代文学館の看板が見えていた。
横浜は坂の町で、しかも須賀敦子の 「トリエステの坂道」 でも触れられている神戸と同じ港町で、彼女の展覧会をするのには絶好の場所に近代文学館は建っていた。

 たとえどんな遠い道のりでも、乗物にはたよらないで、歩こう。それが
 その日、自分の課していた少ないルールのひとつだった。サバがいつも
 歩いていたように、私もただ歩いてみたい。幼いとき、母や若い叔母た
 ちに連れられて歩いた神戸の町と同じように、トリエステも背後にある
 山のつらなりが海近くまで迫っている地形だから、歩く、といっても、
 変化に富む道のりでさほど苦にはならないはずだった。
                   (須賀敦子 「トリエステの坂道」)

文学館の中は静謐な雰囲気に満ちていて、でも平日の午後にもかかわらず思ったより来館者が多くて、それは須賀敦子の作品とその業績に対する確かな人気のために違いなかった。
館内は質素で、午前中に行った横浜そごうの展覧会のような華やかさは無いのだが、むしろそうしたものは必要ない。展示は、年代順に見やすく丁寧に工夫されていて、キュレーターの知性と真摯さと愛情が感じられる。

須賀敦子は読むこと、そして書くことに長けていて、それがとても好きだった。それは彼女のいつも誠実な筆跡から感じられるし、航空書簡の端から端まで空白を嫌うように埋め尽くされた文章から読み取れる。
展示は須賀の原稿や手紙だけでなく、書籍や雑誌、さらに蔵書や古い写真や身の回りの品々にまで及んでいるが、たとえばプレイヤッド版のユルスナールには目くるめくほどの附箋が挟まっていて、どれだけ彼女が深く広く本を読み込んでいたのががよくわかる。

日本の大学卒業後、須賀はフランスに留学するが、フランスという国に馴染めずイタリアへと鞍替えし、そして長くイタリアで暮らして翻訳の仕事などをして暮らした。日本に戻ってからも翻訳の仕事だけでなく大学で教鞭をとったりして、自分の著作を出すということに思い至ったとき、彼女は61歳だった。生前に出版された須賀の著作は5冊しかない。だがどれもが珠玉の凜とした言葉で書かれている。
彼女が70歳にも達しない年齢で亡くなってしまったのは人間の命のはかなさを感じるし、運命というものの非情さをあらためて思い知らされる。だが、そうしたセンチメンタルな思いに傾いてしまいがちな私のような弱い読者を裁ち切るような須賀の、最後まであきらめないひたむきな精神性に心を打たれる。

「トリエステの坂道」 も 「ユルスナールの靴」 も、そこにある基本的な精神は、まず歩くこと。自分の足で。それは文字通りの歩行という動作とともに、比喩としての歩くことをも意味しているように思える。
港の見える丘公園の中の急な階段を上がっていったように、地道に真面目に一段一段階段を上がって行くことによって須賀の作品は生成される。それがわかるから、彼女の文章はその一行一句がいとおしい。

文藝別冊の『須賀敦子ふたたび』によると、須賀はかなり年齢が上がってから自動車の免許をとり、最初はフィアット、でもVWゴルフになり、しかし真っ赤なゴルフだったという。免許取り立てで、すぐにミラノからパリまで800kmを1日で行くことに躊躇しないフットワークの軽さがあったのだそうだ。
歩くときでも、車を運転しても、常に動いてゆくイメージ、ふりかえらずどこまでも行きたいというイメージを私は須賀敦子から感じる。実際の行動でも、人生の過ごし方でも。

須賀はアンゲロプロスの《ユリシーズの瞳》に触発されて物語を書く予定があったという。しかしそれは果たされずに終わってしまった。そのほかにも数々の、書かれなかった物語や文章があったのだろう。人が死んでしまうと、その頭脳に宿っていたそうしたすべてのものは永遠に喪われてしまう。そのことは残念としか表しようがない。


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県立神奈川近代文学館

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大佛次郎記念館


神奈川近代文学館・須賀敦子の世界展
2014年10月4日(土)〜11月24日(月)
https://www.kanabun.or.jp/index.html

須賀敦子全集第1巻 (河出書房新社)
須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)




文藝別冊・須賀敦子ふたたび (河出書房新社)
須賀敦子ふたたび (KAWADE夢ムック 文藝別冊)

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