SSブログ

濡れたガラス窓のむこうの死 — メンデルスゾーン《弦楽四重奏曲第6番》 [音楽]

mendelssohn_150417.jpg
Felix Mendelssohn (1809−1847)

雨には幾つもの記憶がある。ここのところ天気の悪い日が続いていたのだったが、湿気で曇った車のなかからは外が見えにくくて、急速にエアコンをかけると、やがてウィンドウの曇りが引いていって雨に濡れた外の風景が次第にあらわになる。その、閉じ籠もったなかからの視界の先に開けてゆく雨の貌が過去を掘り起こすようにして記憶のアーカイヴを呼び醒ますことがある。

雨が全てのものを濡らし、水を含んだ草や木や石や、道路も建物も、それら数多の物体の色彩が濡れることによって変化し瑞々しい輝きとなって見えることは官能的でさえあって、それでふと思い出すのは、今はもう存在していない実家の窓から見えた隣家の古びた屋根の素朴な石瓦の風景を包む沈黙であったりする。色味のない、モノクロームに近いそのざらざらとした素材感をなぜそんなに鮮明に憶えているのだろうか。
高い湿度に曇りきって、水滴となって流れ落ちる電車の窓ガラスの車内からの風景が西脇順三郎の詩句の記憶に連動してしまうことを私は以前のブログに書いたが、そうした水のきらめきと飽和もまた〈覆された宝石〉の変形として時のなかの永遠を指し示す。

雨は、そのときどきによって異なるけれど、それは楽しさを連れ去ってゆく魔王なのか、それとも悲しさを持ってくるピエロなのか、というような劇的な出来事は妄想のなかだけで実際には決して起こることはなく、寡黙な季節だけが過ぎていったが、まだ幼い頃の私の断片的な記憶にはいつも雨がつきものだったような気もする。
西脇など知らない子どもの頃から、私のこころのなかには濡れた風景の官能が存在していて、ガンボージ色の無常のむこうにだけ人生が機能していることを知っていたような気もする。

雨降りの数日、突然メンデルスゾーンが聴きたくなって、でもメンデルスゾーンは、まだ小学校以前の幼い頃の私にとってはまず e-moll のヴァイオリン・コンチェルトであって、それは私の音楽観の大部分を占めていたのかもしれなかった。もう少し大きくなってからはフィンガルとかスコットランドなどの、まだ知らぬ風景描写としての具体性を主眼としているような標題音楽でしかなかった。少なくともそのような作曲家であるというような思い込みがあった。
メンデルスゾーンにはベートーヴェンのようなデーモニッシュな音楽が存在しない、というのが定説に思えたし、ヴァイオリン・コンチェルトも悲しいけれど軽くてどこか弱々しい印象が拭えなくて、それが彼の作品の評価の基盤としてあるような固定観念をずっと持ち続けてきたのかもしれなかった。ここで少し結論を言ってしまえば、そうした見方はごく皮相的で、もはや旧弊なメンデルスゾーン像でしかないのだと思える。

私は弦楽四重奏曲が好きで、もちろんメンデルスゾーンのCDも持っていて何回か聴いたことがあるのだが、その頃はあまり心に響くものがなかったのだと思う。後期のベートーヴェンの弦楽四重奏曲などと較べると起伏が感じられなくて、それはメンデルスゾーンの限界だし、しかたがないことだと勝手に考えていた。
つまり耳とか脳とかは適当なもので、自分にフィットしなければそんな音楽は無かったものとしてフィルターをかけているのだとしか思えない。それは単に私の経験値が少なかったからに過ぎなかったことに気がつくのには意外と長い時間がかかるものだ。

BGMのつもりでかけていたメロス・クァルテットのCDのメンデルスゾーンに、初めて私は追いついたのだ。なぜこんな優れた、ともすると絶望の果てに連れ去ろうとする作品に今まで気がつかなかったのだろうか。何よりそれは私がこれまでメンデルスゾーンを必要としていなかったからなのだろう。

ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ (Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809−1847) はモーツァルト以来の音楽的な天才であった。4歳年上の姉・ファニーと共に幼い頃から音楽を学んだが、一度聴いた曲はその全部を憶えてしまうほどの音楽的記憶力を持っていた。当時、歴史に埋もれていたバッハの〈マタイ受難曲〉を復活させたという有名な話は彼が20歳のときのことである。

メロス・クァルテットのCDセットには8曲の作品が収録されている。弦楽四重奏曲として番号のついている曲が6曲、初期の番号の無い曲が1曲、それに弦楽四重奏のための小曲4つを無理矢理まとめたかたちの曲が1曲である。

最初の弦楽四重奏曲〈Quartett Es-Dur für zwei Violinen, Viola und Violoncello〉は1823年、メンデルスゾーンが14歳のときに作曲された作品である。習作ということで作品番号が与えられていないが、後の作品に較べればやや物足りない面もあるけれど、すでに十分に成熟した作風を備えている。
メンデルスゾーンの作品は、近年、バッハのBWVに倣ってMWVという分類がされ始めたが、それはまだ全部が解明されているとは言い難い彼の作品数の多さにもよるところが大きい。この変ホ長調の弦楽四重奏曲は MWV R 18 という番号を与えられている。

以後の6曲も番号順に作曲されたわけではないので、作曲年代順に並べるなら次のようである。上記の MWV R 18 を仮に第0番として表示する。

第0番:Es-dur (1823) MWV R 18
第2番:a-moll op.13 (1827) MWV R 22
第1番:Es-dur op.12 (1829) MWV R 25
第4番:e-moll op.44−2 (1837) MWV R 26
第5番:Es-dur op.44−3 (1837/38) MWV R 28
第3番:D-dur op.44−1 (1838) MWV R 30
第6番:f-moll op.80 (1847) MWV R 37

番号の付いている6曲は、第1番〜第2番が1827年〜29年、第3番〜第5番が1837年〜39年、そして第6番が1947年と、10年おきに作られている。
私が持っている全曲盤のCDはメロス・クァルテットとヘンシェル・クァルテットの2種類しかないが、どちらも1枚のCDに長い時間を詰め込もうとして、ばらばらの曲順になっている。メロスのは、その1枚目に最初のEs-durの曲、第1番、第6番が収録されている。つまり最初期の作品と最晩年の作品とが続けて演奏されるようになっているのだ。2曲のEs-durによる若い頃の幸福感のある曲の後に出現する第6番はあまりに悲痛である。

メンデルスゾーンは終生、姉のファニーと音楽的才能で結び付いていたが、第6番の最後の弦楽四重奏曲は、そのファニーが突然亡くなってしまったことへのレクイエムとしての意味あいがある。ファニーも弟・フェーリクスのことを常に気にかけていて、この姉と弟の関係は単なる姉弟であること以上の濃密さを持っていたとも言われる。

第1楽章 Allegro vivace assai. は細かいトレモロの連続で始まる。1小節分の低音に続いて4つの弦が積み重なり、脈動のように上行→下行を繰り返しながら同時にクレシェンド→デクレシェンドするトレモロの異様な音の連なりは、悲しみというよりもっと暗い奈落の底を見せてくれる。
押し寄せる不安な弦のトレモロは、雨と風の吹きすさぶ、まさに嵐が丘のような荒涼さをかたち作っているかのようだ。
トレモロの後、決然とした1stヴァイオリン (vn-1) に呼応して、2ndヴァイオリン (vn-2)、ヴィオラ (va) が呼応し、さらにそれを追いかけるチェロ (vc)。こうしたカノンがこの曲では何度も出現する。
第2主題 (As-dur) で少しだけやさしい表情を見せておいて、でもそれは長く続かず、付点のついた繰り返しの脈動がクレシェンドし、そしてまたトレモロの不吉な影が戻ってくる。2度目は上行→下行する音型の間にためらいのトレモロが少しずつ混じって逡巡する。
さらに後の、vn-1が悲痛な叫びのように高音部にどんどん上がっていくところでは、下を他の3声がトレモロで支えているが、この部分も嵐の雨の中の叫びのように聞こえて、それは悲嘆をあらわすだけでどこにも救いはない。
長調になる部分は、ほんの一瞬で、ずっと不安と暗い悲しみを抱えたままで次第に速度を速め、vn-1がprestoで上下を繰り返し、最後は駆け上っていって終わる。

第2楽章 Allegro assai. はもっと異様である。vn-1による同じ音高の連鎖 (c−b, des−c, es−desと上がってゆく) が繰り返され、ベートーヴェンのしつこさなどものともしない執拗さで反復される。中間部を経て、またすぐに絞り出すような悲しみの連鎖に戻ってくる。もっと他の曲想に移ってもよさそうなのに、頑なに最初に提示された飾らない叫びが繰り返される。悲しみというよりそれはまさに呪術的な叫びに近いのだ。

第3楽章はAs-durの Adagio で、長調なのだが物憂いような暗い影が見え隠れする。ときどき陽の光が翳るような瞬間が訪れる。付点のリズムは停滞している水たまりのように見えて、緻密に少しずつ動いてゆく書法が素晴らしい。緩徐楽章なのに濃密な陶酔性がまるでなくて、心のなかの欠落しているなにかを感じる。

第4楽章 Finale. Allegro morto. の主題はややさりげない。さりげないけれど物憂く暗くて、そしてこの曲全体を支配しその底に流れるのは、トレモロに仮託される悲しみの震えである。第2主題を経て、いつもどこかでトレモロが鳴っているような状態を振り切るように、ffの強奏が来る (125&141)。
第1主題が繰り返されるなか、今までになかった虚ろなメロディが少しだけかすめてゆき、その後、vc→va→vn-2→vn-1と駆け上がってゆくトレモロがppで始まるが (236)、上行するvn-1の3連符でその呼び交わしの流れは終熄する (270)。このクレシェンドしながら始まる3連はこの後への伏線なのだ。
やがてvn-1が無窮動のように延々と3連符を連続させ、音楽はフィナーレに向かって息づき始める (con fuoco/369)。音はどんどん強くなり、4声がすべて3連で並んでから (394)、1小節毎の2分音符の和音が連鎖するなか、vn-1が倍の3連で降りてきてスフォルツァンドで全奏してから、vn-1のソロで再び3連符の強烈な叫びとなる (422)。だがこの悲しみの流れはそんなに長くは続かない。ここでのメンデルスゾーンはベートーヴェンのように執拗でなく、むしろあっという間に悲しみの扉を閉ざしてゆく。

不安感を増幅するような弦のトレモロから連想するのは、荒れ狂う雨と風の狂奔であって、それはまさに Wuthering Heights そのものである。湿度の高い日本の、水蒸気が飽和して冷たいものが曇るような静的なイメージが、ごく箱庭的な小さな幸福のように思えてしまう。
エミリー・ブロンテの『嵐が丘』が発表されたのは1847年、それはメンデルスゾーンの亡くなった年と同じである。彼の死は姉・ファニーの死からわずか6カ月後の1847年11月であった。


第1楽章冒頭
mendelssohnSQ6_01.jpg

第2楽章冒頭
mendelssohnSQ6_02.jpg

第4楽章冒頭
mendelssohnSQ6_03.jpg

第4楽章終結部
mendelssohnSQ6_04.jpg

トップ画像:
ヴィルヘルム・ヘンセル Wilhelm Hensel による
メンデルスゾーン12歳のときのポートレイト。
ヘンセルは姉・ファニーの夫となった。


Melos Quartett/Mendelssohn: The String Quartets
(ユニバーサルミュージッククラシック)
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲全集




Dydok Kwartet/Mendelssohn: Streichquartett Nr.6 f-moll op.80
https://www.youtube.com/watch?v=rxpN-6dbP7s
nice!(66)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 66

コメント 4

Loby

この曲はあまり聴いたことがありません。
少々メランコリックな感じの曲ですね。

by Loby (2015-04-17 22:23) 

lequiche

>> Loby 様

弦楽四重奏ってその作曲家の特質が出るように思います。
メランコリイなのは、比較的明快に受け取られがちな
メンデルスゾーンの隠された部分が
表出しているのかもしれないです。
by lequiche (2015-04-18 05:51) 

末尾ルコ(アルベール)

「嵐が丘」の異様なパッション。生涯に繰り返し手にする作品の一つです。

                RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2015-04-21 12:11) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

異様なパッション、確かにそうですね。
1作だけしか書いていないエミリーですが、
その1作がずっと残っていくのは文章の力だと思います。

by lequiche (2015-04-21 22:46) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0