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鈍色の眠りと囁き — 中井英夫『ハネギウス一世の生活と意見』 [本]

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中井英夫のエッセイ集『ハネギウス一世の生活と意見』というのを書店で見つけた。いままで出版された本に収録されていないエッセイを集めたもので、つまり拾遺集であるが、著者が亡くなってからすでに20年を経て出される新刊ということになるのだけれど、書店の書棚から放たれるそのオーラの強さに引き込まれてしまった。

すでに知っている話もあるが知らない話もあり、森茉莉ほどではないが妙に通俗的な部分もあるので、埋もれていた中井の肉声ということでも興味深い。

中井英夫 (1922−1993) は角川書店の短歌雑誌の編集者として、塚本邦雄や寺山修司を世に出したことで知られているが、そうしたマネージメントを含めた編集作業は彼自身の幻想を封じてしまう反作用を持っていたようにも思える。

『虚無への供物』の献辞にある 「“その人々に” の筆頭は、むろん乱歩その人に他ならない」 と書いているように (p.127)、江戸川乱歩への畏敬は中井のなかで強く在り続けたように思える。
たとえば 「屋根裏の散歩者」 が単なる覗き小説であるように短絡的な解釈をしてしまう世俗的な流れに強く異議を唱えている。乱歩が大衆文学であったことによる誤解や誤読があったことに触れ、その性向の本質には、乱歩も三島由紀夫も人間嫌いであったことの共通性を見ている (p.300)。
そうした性向は川端康成にも同時に存在していて、中井自身の浅草への郷愁として川端の 「淺草紅團」 や乱歩の 「一寸法師」 を熱愛したともいう。こうして川端と乱歩を同列に論じる中井の思想に純文学とか大衆文学といったジャンル分けは存在しない。

乱歩の少年探偵団の小林少年が、すなわち氷沼藍司であり、それは少年探偵の系譜となって青山剛昌の江戸川コナンに辿りつくのである。もっとも藍司は不思議の国のアリスのドーマウスでもあり、カラマーゾフの兄弟のアリョーシャの意味も籠められている。

中井の澁澤龍彦に対する視線は屈折度が高い。中井は澁澤と三島由紀夫を兄弟のようだと規定し、だが自分はその親密な関係性のなかに入れないという疎外感ともいうべき意識を常に持っていたように思われる。
中井は東京35区の頃の滝野川区田端の生まれで、同じ滝野川区中里に、昭和7年から20年まで澁澤が住んでいたことの偶然について語っている (p.201)。田端と中里は隣町である。
対する三島とは、まだ三島が大蔵省に勤めていた頃に知り合い、詩原稿をもらって新宿まで一緒に帰ったという記述がある (p.58)。

中井は三島の才能があまりにも優れていることに対してコンプレックスとペシミスティックな感情を持っていたが、それゆえに三島が最期の日にむかってだんだんと変化していったことに 「いい知れぬ異和を覚え始めていた」(p.196) と形容している。

最も興味深い話だったのは、中井は齋藤磯雄に対してだけ先生という尊称を使っていたのだそうである。日夏耿之介に対してさえ先生と呼ばなかったのに、齋藤に対してだけは特別なのだ。

 そもそもが『殘酷物語』の目次を一瞥しただけで、この作家が何を考え、
 この訳者が何を難じているかが察しられ、それまで読み耽ってきたもの
 のすべてが虚しくなるほどの衝撃を受けたという方が近いであろう。
 (p.233)

この訳者とは齋藤磯雄、この作家とはリラダンである。

中井英夫が小説のなかに構築する地理的なリアリティさと熱情は五色不動のことなども含め自明のことであるが、そのような時に冷静で解析的だったはずの中井の致命的な誤謬は、他人の幻想を尊重し付き合うあまり、自分の幻想を疎かにしてしまったことだろう。その痛ましさが中井の作品の根底に流れているのだとも言える。
冒頭、鈍色 (にびいろ) という単語が出てきて、そこから醸し出される過去の記憶に痺れていた。鈍色に降る雨はこころを虚ろにする霖雨、そしてまた鈍色は久生の色、虚無の色であったのかもしれない。


*よい画像が見あたらなかったので雑誌の表紙をトップ画像としました。


中井英夫/ハネギウス一世の生活と意見 (幻戯書房)
ハネギウス一世の生活と意見

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末尾ルコ(アルベール)

乱歩、中井英夫、澁澤龍彦、夢野久作、もちろん三島・・・10代からの必読書で、今でもしょっちゅうページを開いています。

                   RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2015-05-11 08:37) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

中井英夫をよくご存知のようでうれしいです。
中井は、三島由紀夫と江戸川乱歩を、
「自分たちは《人外》」 だと認識していることで同じ、
と指摘していたので、ああなるほど、と納得しました。
特に晩年の乱歩は非常に広い交際範囲を持っていましたが、
秘められた本来の性格はそれとは異なる、ということだと思います。
by lequiche (2015-05-12 02:06) 

ぼんぼちぼちぼち

中井英夫は虚無への供物でしか知らないので
もう少しいろいろ読んでみようと思いやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2015-05-12 21:18) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

虚無への供物が有名過ぎますからね。
でも洒落た作品も多いですし、気分転換にもいいと思います。
私は麤皮とか好きです。

晩年の中井が、なぜあそこまで零落してしまったのか謎です。
by lequiche (2015-05-13 12:27) 

gorgeanalogue

ごぶさたしています。中井英夫は昔「銃器店へ」という短編が友人の間で大流行したことを思い出しました。晩年の零落はなんとなく、本人が望んでいたことのようにも思いました。ところで、今回、引っ越してきて、狭くて本が入らず、中井英夫を含む文芸書はかなり処分してしまいました。ご近所になったこともあり、近々お会いしませんか?

by gorgeanalogue (2015-07-06 14:33) 

lequiche

>> gorgeanalogue 様

そんな流行があったとは知りませんでした。
本人の望んでいた零落ですか。
でもあまりにも異常な零落のような気がしますが、
そのへんもこの本に多少のヒントがあるように思いました。

本は確かに嵩張りますからスペースが無い場合は仕方ないですね。
そう言いながら私は本が全然処分できない性格で。

お会いしたいと思いながらも延び延びになっていますね。
是非お会いしましょう。別途メールしますので。
by lequiche (2015-07-07 02:11) 

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