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ティラノザウルス・レックスを聴く・2 [音楽]

Bolan&Bowie_150511.jpg
左:David Bowie 右:Marc Bolan

ティラノザウルス・レックスを聴く (→2015年05月03日ブログ) の続きです。

ティラノザウルス・レックス Tyrannosaurus Rex の2ndアルバム《Prophets, Seers & Sages: The Angels of the Ages》(邦題は 「神秘の覇者」) は1stアルバム (1968年7月5日) から3カ月後の1968年10月14日にリリースされた。
メンバーは1stと同じマーク・ボラン (ギター) とスティーヴ・トゥック (パーカッション) の2人。プロデュースも1stと同様のトニー・ヴィスコンティであり、4月から8月にかけてロンドンのトライデント・スタジオで録音されている。

オリジナルのアルバムの収録曲数は14曲だが、Deluxe Editionでは未発表テイク等を含めCD2枚に全56曲が収録されている。
CD1枚目はオリジナル・トラックを含めほとんどがモノラル、2枚目の別テイクがかなりの割合でステレオ・ヴァージョンである。そのうち、22曲が previously unreleased と表示されている。モノラルは音に拡がりがなくてゴチャっと固まった感じではあるが、音の芯が太くて緻密に聞こえる。ビートルズの初期のアルバムもモノラルのほうがパワーがあるように聞こえるのと同様である。

この2ndアルバムの印象を簡単にひとことで言ってしまえば 「1stと同じノリ」 だ。1stと2ndの間隔が3カ月なので、ほとんど切れ目無く録音作業が進行したのだろうと想像できるし、コンセプトとしては当然1stの延長線上にあるのだろうが、あえて言うのなら、音楽的にはこの2ndのほうが、より呪術的でありトリップ感がある。

オリジナル・トラックの1曲目である〈Deboraarobed〉がこのアルバムの性格を如実にあらわしている。〈Deboraarobed〉は1stシングルの〈Debora〉が元になっていて、CD2枚目の1曲目にそのtake 2が収録されているが、本来はシンプルに歌われていたこの曲を編集加工したのが〈Deboraarobed〉である。
曲は途中からディープな様相を帯びて、音がややくぐもってループしたようになり、奇妙なエフェクトが施されているようにも聞こえるが、1968年当時には現在ほどの多用なエフェクトは無かったはずだから、ほとんどはテープの加工によって作られたのだと思われる。wikiにはテープのリヴァースによるものと書かれている。またループした音は当時のリスナーにとっては、アナログレコードの溝にキズが付いていて針が何度も同じところを再生しているような嫌な感覚を受けるのに違いない。

たとえば3曲目の〈Wind Quartets〉などを聴いていると、ギターと歌、そしてコーラスによる単純な繰り返しで、つまり延々とリフが繰り返されていて、展開部が無い。こうした曲が聴いているリスナーの心のなかに麻痺したような感覚をじわじわと堆積させているように思える。これも一種の執拗なループであるが、たとえばトランスが一定のリズムの拍動によって文字通りの 「トランス」 を作り出しているのに対し、こうしたサイケデリック期のトランス感はぐにゃぐにゃとしたメロディに拠る部分が大きい。そのぐにゃぐにゃ感に大きく作用しているのがボランの声質と歌い回しである。

ティラノザウルス・レックスのシンプルなアコースティクギターとパーカッションだけという楽器構成はフォークソングがそのスタイルの源泉であるとすでに前ブログにも書いたが、フォークソング的でありながらエキセントリックという意味で連想してしまうのは、ボランより少し前の1965年にデビューしたドノヴァンである。その曲のなかに幻想的とか呪術というふうに形容することが可能なテイストを持ち合わせているところも似ている。
ボランはボブ・ディランにも影響されたといわれているが、その醸し出す世界はドノヴァンにより近い。

ドノヴァンは《Fairytale》(1965) の頃はまだほとんどフォークであるが、1966年の《Sunshine Superman》あたりから当時のサイケデリックなムーヴメントを基調としたトリップ感のある傾向が強くなってくる。それは次のアルバム《Mellow Yellow》(1967) でより顕著になる。代表曲である〈Mellow Yellow〉に存在するけだるい感じは、単なるアンニュイとはかなり違ってもっと病的だ。その次のアルバム《A Gift from a Flower to a Garden》(1967) のアルバムジャケットの色彩の異様さはいわゆるドラッグ的なヴィジョンを具象化したものだと思われる。

《Sunshine Superman》に収録されている〈Season of the Witch〉はヴァニラ・ファッジが《Renaissance》(1968) でカヴァーしていて、私が最初にこの曲を知ったのはドノヴァンのでなくヴァニラ・ファッジだったのだが、この時期のサイケデリック的な流行の暗く孤独な表情は、陽気なトリップ感と表裏一体の脆い感覚から生じているのではないだろうか。こうしたプレ・プログレバンドのコンセプトをも支配していたはずの時代の容貌はいまから振り返ってみても確かめにくい。
ただ、ドノヴァンはサイケデリックなテイストを取り入れながらも、それ自体に嵌り込んでしまうことはなかった。そうした意味では決してサイケデリックに犯されることなく冷静である。たとえば2009年に出されたベスト盤的な《Live & In The Studio》を聴いたとき、まとめて聴いてみるとドノヴァンって想像していたよりずっとまとも、と思ったものである。
そうした 「まとも感」 が稀薄で、ずっとトリップしている感じが一番強いのがジミ・ヘンドリックスであり、そしてマーク・ボランもその一族に近い。それは当時のコンサートの動画を見ていても感じることで、昔は今ほどコンサートというものがシステム化されていなくて混沌のなかにあるにせよ、ジミヘンもボランもことごとくラフである。そのラフさをアグレッシヴととらえるかどうかは微妙だ。

私が一番好きなドノヴァンの曲は〈Laléna〉だが、そのシングルがリリースされたのはボランの《Prophets,...》とほとんど同時期である。ラレーニャとはロッテ・レーニャのことだそうだが、この前ずっとクルト・ヴァイルを聴いていて、でもむずかし過ぎてそのことがいまだに書けないでいる。ロッテ・レーニャというと映画《ロシアより愛をこめて》のローザ・クレッブ役で、でもあれは輝かしきヴァイル時代とは別の次元の話だ。当たり役だけれど。

アルバム《Prophets,...》の8曲目〈Salamanda Palaganda〉は、タイトルからして語呂合わせの予感がするが、案の定、重層したルフランによる酩酊感で迫ってくる。13曲目の〈Juniper Suction〉は調性感の不安さが気持ち悪さとぎりぎりのところにある。
11曲目の〈Eastern Spell〉はギターとハンドクラップによる作品、14曲目の〈Scenescof Dynasty〉はハンドクラップのみでその上にボランのアカペラが乗るというスタイルをとっているが、このハンドクラップが何度も何度も出てくると、聴いているうちに、だんだんとそのリズムが強迫的であるように思えてくる。妙な比喩なのかもしれないが、最初はよく効いていたクスリがある日突然アレルギーを併発して毒に変化してしまうような、そんな気がする。
今回はこれを書きながらあまりに聴き過ぎてしまって、ボランは副作用も結構強い。

さっき見ていた〈ヨルタモリ〉でタモリが、誰か嫌だと思う相手に対して、何か理由があるから嫌なのではなくて、嫌だから理由を考えるのだと言っていた。浜崎あゆみの〈M〉の歌詞、「理由なく始まりは訪れ/終わりはいつだって理由をもつ…」 を引用していたが、ボランの場合も、このハンドクラップとか、ものすごく揺れる声のアクの強いしつこさとかが、気持ちいい夢がだんだんと悪夢に変化して、溶暗の谷にゆっくりと落下してゆく気持ち悪さのような気がして、そのへんが好き嫌いの分かれ目のような気がする。そして、そのあたりが1stの《My people were fair and had sky in their hair...》より、この2ndがやや病的だと感じてしまう所以である。

1977年の9月、ボランは30歳になる直前に自動車事故で亡くなった。車は紫色のミニ1275GTで運転していたのは歌手で愛人のグロリア・ジョーンズ、飲酒運転だったといわれる。グロリアは現在70歳だが、いまもなお活躍している。


Tyrannosaurus Rex/Prophets, Seers & Sages: The Angels of the Ages
(Polydor)
Prophets, Seers & Sages




T. Rex Concert Wembley 8:30pm 18th March 1972
https://www.youtube.com/watch?v=-520Wo64Pq8
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シルフ

ティラノザウルス・レックスは今でも聴きます。dandy in the underworldのシルフちゃんですから(笑)
ドノヴァンかぁ懐かしいな。天使のような歌声だったよね。
brother sun sister moonのDVDはドノヴァンの曲聴くために買ったみたいなもの。
Laléna今晩、早速聴いてみますね。有難う!
by シルフ (2015-05-11 07:47) 

Speakeasy

2014年に発売された『Beard Of Stars』と『T. Rex』のデラックス・エディションは、日本では紙ジャケットで発売されたので、2015年発売のティラノサウルス・レックス初期3枚のデラックス・エディションも、待てば紙ジャケットで出してくれると信じております。ユニバーサルさんお願いしますよ~
(どんだけ紙ジャケ好きだ・・・笑)

by Speakeasy (2015-05-11 22:36) 

lequiche

>> シルフ様

underworldなんですか。
オンディーヌだときっとundercurrentでしょうね。(^^;)

Brother Sun、フランコ・ゼフィレッリですね。
ドノヴァンが音楽だとは知りませんでした。
ゼフィレッリ演出のオペラを観たことがあります。

ラレーニャは大センチメンタルな曲です。
YouTubeにも複数の動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=nsqPxEzInoQ
https://www.youtube.com/watch?v=K5bdJPvrbOw
YouTubeって放っておくと次々に関連の曲がかかりますが、
ドノヴァンしっとりとしていて、なかなかです。
by lequiche (2015-05-12 01:35) 

lequiche

>> desidesi 様

昔のEP盤のポップソングってモノラルという印象があります。
あと、昔のジャズもそうですね。
芯があるというか、音が太くてその太さがキモチイイです。

タモリが言うのには、破局にはまず「嫌い」という感情があって、
嫌いだから別れたいんだけど、それを正当化するために何か考える。
つまり本当は理由なんてないんだ、ということなんですね。
あゆちゃんの歌詞はまさにそういうことです。

タモリの話は、最初、パンにバターを塗るかさかさした音が嫌い、
ということから始まっていて、
つまり食卓に沈黙があるからそういう音が聞き取れるのであって、
愛があって会話があれば、
そんな音なんか聞こえないはずだと言うんです。

嫌いになれば、パンにバター塗る音が嫌い、
くちゃくちゃ食べる音が嫌い、ずるずるコーヒー飲む音が嫌い、
となっていくんだとのことです。深いですね。
by lequiche (2015-05-12 01:35) 

lequiche

>> Speakeasy 様

Beard of Stars だけ紙ジャケットなんですか。
それだと、そのうち紙ジャケ発売もあるかもしれませんね。

でも紙ジャケットというのなら、
究極の紙ジャケはアナログLPのような気も…….。(^^;)
LPは買っても未開封にしておいて、
CDを聴くというのもありのような気がしますが。
by lequiche (2015-05-12 01:36) 

CountryBoy

ご無沙汰致しております。
久し振りにブログをアップいたしました。
宜しくお願いします^^
by CountryBoy (2015-05-17 16:55) 

lequiche

>> CountryBoy 様

お元気そうでなによりです。
よいお仲間がいることは何にもかえがたい宝ですし、
音楽は楽しみとか癒やし効果以上のなにかがありますね。(^^)
by lequiche (2015-05-19 22:43) 

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