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ジェームズ・ボールドウィン『ジョヴァンニの部屋』を読む [本]

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James Baldwin, New York City, 1976

〈Go Tell It on the Mountain〉(山にのぼりて告げよ) というトラディショナル・ソングがあって、もともとはちょっと重い原曲を、ごく軽快なアップテンポの曲に変えて歌ったのがピーター・ポール&マリーというフォークソング・グループである。
それは1963年の《In the Wind》というアルバムに収録されているのだが、より正確にいうのならばタイトルも〈Tell It on the Mountain〉となっていて 「Go」 が省かれているし、歌詞自体も少し変更されている。同じ曲をサイモン&ガーファンクルもそのファースト・アルバム《Wednesday Morning, 3 A,M.》(1964) でカヴァーしているが、おそらくPP&Mの歌唱に影響されたためだろうか、似たような曲調になっている (S&Gのタイトルは原曲通り〈Go Tell It on the Mountain〉である)。

その〈山にのぼりて告げよ〉というトラディショナル・ソングのタイトルを自らの処女作に付けたのがジェームズ・ボールドウィンである。
ジェームズ・ボールドウィン (James Arthur Baldwin, 1924−1987) はアメリカの黒人作家であり、上記作は人種問題を含めた自伝的小説であるが、彼は黒人作家という範疇だけで語られることを嫌い『ジョヴァンニの部屋』(1956) を書いた。この作品には全く黒人は登場せず、しかも舞台はフランスを主としたヨーロッパとなっている。
人種問題は含まれていないけれど、彼のもうひとつのテーマである同性愛、いわゆるゲイについて書かれた作品である。

なにげなく読み出してしまったらこれがとても読みやすい。読みやすいというよりもその文章の品位の高さと筆致の冷静さ、構築力の確かさに魅かれる。それは翻訳者の力量にもよるのだろうが、作品そのものがすぐれていて、なおかつ翻訳者がすぐれていて、はじめてその翻訳書の評価が定まるのだと思う。
これはすでに60年も前の小説なのか、それともまだ60年しか経っていないのか、人によってとらえかたに違いはあるかもしれない。翻訳が古過ぎると感じる読者もいるらしいが、私にとっては久しぶりに翻訳者の影の鬱陶しさが見えない名訳に思えた。
訳者の大橋吉之輔を調べてみたら慶應義塾大学で西脇順三郎に学んだとあり、フォークナー全集のうち、私が唯一持っている『アブサロム、アブサロム』は大橋訳であることなどからその読みやすさが納得できた。翻訳のクォリティは重要である。

ストーリーは非常にシンプルである。1人称で書かれているぼく (デイヴィッド) はアメリカを離れ、パリに来ている。結婚しようとしている彼女 (ヘラ) がありながら、ゲイの集まる店でジョヴァンニと出会い、2人で暮らすようになる。
しかし2人の生活は次第に破綻してゆき、ヘラが長い旅行から帰ってきたとき、デイヴィッドは彼女のもとに戻ってしまう。失意のジョヴァンニは勤める店の雇用者ギヨームともうまくいかなくなり、ちょっとしたはずみから彼を殺してしまい、そして死刑の宣告を受ける。
デイヴィッドはジョヴァンニとの関係がヘラにばれてしまい、彼女もデイヴィッドのもとから去ってゆく。

読後感は最悪で何の救済もない。ずっしりと重い印象だけが残るのだが、さりげなく美しい小説である。パリという舞台と悲惨な結末から私はボリス・ヴィアンを連想してしまったのだが、もちろん『日々の泡』のようなオシャレな感じはなく、刹那的な美もない。
ストーリー構造はジョヴァンニが死刑にされるという時から遡って過去の事件が語られてゆき、後半になってだんだんとなぜ死刑になるようなことが起こったかということが明らかにされてゆくのだが、そのようにして真相を後送りされ、じらされる手法にもかかわらず、読者としていらだちを感じることはない。それがボールドウィンのストーリーテリングの卓抜さなのである。

1956年とはどういう時代かというと、音楽シーンでいうのならばそれはマイルス・デイヴィスがいわゆるプレスティッジ4部作 (Walkin,’ Cookin,’ Relaxin,’ Steamin’) をレコーディングしていた頃にあたる (レコーディングが1954年、1956年。リリースされたのは1957〜1958年、1961年)。アメリカ文学における50年代の作品は、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が1951年、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』が1955年であり、そうした 「何でもあり」 的な、文学的アプローチの手法に活気のあった土壌からボールドウィンも出てきたともいえるが、そうはいっても当時も人種問題は存在していたはずだし、むしろ今よりもっとシビアな中に彼はいた (もっともサリンジャーが評判になったのは1960年代になってからだという)。
松岡正剛はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の項で、ボールドウィンとノーマン・メイラーの名をあげ、「二人はメイラーの『ぼく自身のための広告』の中の「白い黒人」に象徴されるように、アメリカに潜むエスニシティの複雑性を見通していた」 と書いている。

ボールドウィンはハーレムに生まれ、無理解な継父に苦しみながらも研鑽を重ね、その作家としての自己を確立した。『ジョヴァンニの部屋』はそうして獲得したアイデンティティとかエスニシティといったものから一見遠いように見えるが、でも、主人公の父親のキャラクターに彼の継父の影の残滓が見え隠れする。
また、ボールドウィンは、アメリカ以外の土地で暮らした期間が多くあり、『ジョヴァンニの部屋』も彼のパリでの生活を基にしている。その後、彼はアメリカに戻り人種問題にもかかわったりしたが、彼の文学の基部にある思考はデラシネとしての佇みかたのように私には思える。

つまりボールドウィンにとって、故郷はアメリカでありながらアメリカでもない。でもフランスもまた故郷ではない。そうしたどこにも帰属できないような喪失感は、ゲイでありながらゲイとしてのアイデンティティから逃れようとし、しかしノーマルな生活にも違和感を覚え続けているという『ジョヴァンニの部屋』のデイヴィッドに投影されている作者像とアナロジカルに絡まっている。

もう少し細かく『ジョヴァンニの部屋』を読んでみよう。
パリでのゲイ仲間のひとりにジャックという男がいて、ヘラはジャックを嫌っているのだが、最も冷静にゲイの関係性を見ているのはジャックである。
ジャックがデイヴィッドに対して語った自身のゲイの性向を説明する言葉として、こんなのがあげられる。

 「その理由はね、そういった関係には、愛情のひとかけらも、それから
 よろこびも、まったくないからなんだ。たとえていえば、こわれたソ
 ケットにプラグをさしこむようなものなんだ。ふれあいはあるが、接触
 はない。ふれあうばかりで、接触はまったく起こらず、あかりもつかな
 い。」 (p.99/新しい世界の文学15・白水社。以下同じ)

あるいは、

 「……もしきみが、そのいとなみを汚らわしいと思えば、それは汚らわ
 しいものになる——なぜなら、そう思うときには、きみは自分を投げ出
 してはいないんだし、きみ自身の肉体と彼の肉体と、そのどちらをも、
 軽蔑しているからなんだ。……」 (p.101)

スペインに旅しているヘラからの手紙はいきいきとしている。それは暗い部屋にジョヴァンニと2人で住んでいるデイヴィッドにとってあまりに眩しい光景となって降りかかってくる。

 わたしはいまマロールカ島にきてますが、ここは、恩給暮らしをしてい
 る未亡人たちを残らず海にたたきこみ、ドライ・マーティニを飲むこと
 を法律で禁止しなければ、とても結構な土地とはいえないところです。
 こんなの、わたし、いままで見たことがありません! いい年した婆さ
 ん連中が大酒飲んで、男とあればだれかれのみさかいもなく、色目をつ
 かっているんです。 (p.157)

マロールカ島というのはマヨルカ島のことだと思われるが、このあまりに健康的で溌剌とした手紙に対するデイヴィッドの思考は、もうすぐヘラがパリに帰ってくる、そうなったらジョヴァンニとも別れなければならない、だからその前に誰か別の女と寝ておこう、というはなはだ突飛な欲望を形成し、彼はそうした行動に出るが、それは自分勝手というより一種のナルシシズムの変形ともいえる。
その結果としてデイヴィッドは行きずりのようにしてスウという女と寝るが、それは彼の感じているストレスに対して何の解決ももたらさない。

 ぼくは、このいまわしい情交をとおして、ぼくが軽蔑しているのは彼女、
 彼女の肉体、ではないということを——いとなみが終わって起きあがっ
 たとき、ぼくが直視できないのは彼女ではないということを、すくなく
 とも、彼女には伝えたいと思った。するとふたたび、ぼくは心の奥底の
 どこかで、ぼくの恐れは極端でなんら根拠がなく、それは実はでっちあ
 げられたひとつの嘘なのだ、ということを感じた。ぼくが恐れていたも
 のは、ぼくの肉体とはまったく関係がない、ということが刻々といっそ
 う明白になってきた。スウはヘラではないのだ。彼女は、ヘラがもどっ
 てきたときなにが起こるだろうと恐れるぼくの恐怖を、軽減してくれは
 しない。むしろ、それを増大させ、ますますリアルなものにするのだ。
 (p.168)

ヘラがパリに帰ってきてデイヴィッドに再会するシーンは、典型的なフランス映画のようで、それはまだデイヴィッドとジョヴァンニが仲睦まじい頃、道を歩きながら互いにさくらんぼの種を飛ばし合うシーン (p.141) と並んで、くっきりとしたヴィジュアルな感興をもたらしてくれる。
ヘラはボリス・ヴィアンのクロエよりももっと現実的なミューズであり、このとき彼女は光輝いている。

 あの天井の高いプラットホームの屋根のしたの、はげしく息をついてい
 る列車のすぐかたわらで、ぼくは彼女をしっかりと抱きとめた。ぼくた
 ちのまわりでは、大勢の人たちがごったがえしていた。彼女は、風と、
 海と、大気の香 [かおり] がした。そして、彼女のすばらしく生きいきと
 した体に、ぼくは、彼女が本気で身をまかしてもよいつもりでいること
 を感じとった。(p.197)

デイヴィッドはジョヴァンニとの関係を絶縁し、ヘラとの関係を呼び戻すことについて、「ヘラ頼り」 になっている自分がわかるのである。それはヘラがあまりに長くデイヴィッドから離れていたことについて危惧を持っていることを見極め (つまりヘラが負い目を感じていることを敏感に嗅ぎとって)、自分からの行動を起こさず、ヘラに依存しようとする魂胆なのである。

 ぼくが彼女に知ってもらいたかったのは、彼女がぼくを望んでいるとい
 うことよりも、むしろぼくがそこにいるということだけで、彼女はぼく
 を救いだしてくれるのだということであった。しかし、そんなことは口
 に出せなかった。それは、ほんとうのことかもしれないが、もう彼女に
 はそんなことはわからないということに、ぼくは気がついた。(p.202)

デイヴィッドはジョヴァンニから逃げるためにヘラと結婚しようとする。それは安全圏への逃避なのかもしれないが、抜き差しならない関係に自分を追い込むことであるとも言える。デイヴィッドはアメリカの父親にヘラと結婚するという手紙を書く。
しかしヘラはデイヴィッドが期待するほどにはデイヴィッドの期待に応じない。彼女はもっと冷静である。

 「でも、わたしが女ということでいいたいのは、たとえわたしたちがい
 ま結婚して、五十年も一緒に暮らしても、それでも、そのあいだじゅう
 ずっと、わたしはあなたにとって他人であり、しかもあなたは、ぜった
 いにそのことに気がつかないだろうっていうことなのよ。」 (p.206)

(話がそれるが他人という単語から私が思い出したのは、私のフランス語の先生の言葉だった。カミュの《L’étranger》は日本では 「異邦人」 というタイトルで確立されているが、あれは 「他人」 とするのがよいのではないか、とする意見である。そうすることにより 「異邦人」 という文字から受けるロマンチックな印象が霧散してしまうことに慄然とする。)

デイヴィッドはなんとかしてジョヴァンニとの仲を解消しようとして、ヘラをだまし、それは半ば成功する。ジョヴァンニはついにデイヴィッドをあきらめ、ジャックと親しくするようになる。しばらくしてからデイヴィッドがジョヴァンニに出会ったときの描写は、ジョヴァンニの複雑な心情をあらわしている。

 彼の目のなかに見えはじめた、なにか卑劣で、同時に、悪意のこもった
 ものに、ぼくはがまんができなかった。彼がジャックの冗談を聞いてく
 すくす笑うその笑いかた、彼がときに見せはじめたマンネリズム——男
 娼のマンネリズムも、ぼくには耐えられなかった。ぼくは彼がジャック
 とどういう間柄になっているのかを知りたいとは思わなかった。しかし、
 やがてある日、ジャックの毒々しい勝ち誇った目のなかに、ぼくははっ
 きりとそれを知った。そして、その短いめぐりあいのあいだ、ジョヴァ
 ンニは、夕闇が迫る遊歩道 [ブールヴァール] のまんなかの、人びとが
 ぼくたちのまわりを急ぎ足で行き来しているところで、ほんとうに、啞
 然とするほど軽薄に女っぽくふるまい、しかもひどく酒に酔っていた
 ——それはあたかも彼が、彼の屈辱のさかずきをぼくにも味わわせよう
 としているかのようだった。そして、ぼくはそのために彼を憎んだ。
 (p.241)

その後、ジョヴァンニとジャックの関係は長続きせず、ジョヴァンニはギヨームの店に戻るが、ギヨームにひどくあしらわれたことから、ギヨームを殺害し行方不明となってしまう。しかしやがてジョヴァンニは捕らえられ、そのスキャンダラスなイメージが加担したためか、裁判の結果、死刑となる。
デイヴィッドはパリを離れるが、やがてヘラとの関係に変化が訪れる。デイヴィッドにはヘラが腐ってしまったように見え、彼女の体に対しての興味が失せ、彼女の下着姿がエロティックではなくグロテスクに見えはじめる。

 ヘラは、スペインからかえったばかりのころは、あんなに肌が日焼けし
 て、自信にみち、ひかりかがやいていたのに、それをすべて失いはじめ
 ていた。蒼白な、警戒的な、不安定な女になりはじめていた。そして彼
 女はぼくに、どうしたのかとたずねるのをやめた。その原因がぼくには
 わからないか、あるいは、ぼくがそれをいおうとしないか、そのいずれ
 かだと、彼女は信じこんでしまったのだ。(p.258)

このあたりのボールドウィンの文章の積み重ねかたは圧巻である。ジョヴァンニから逃れようとした卑屈なデイヴィッドの心が、ヘラにも静かに浸透し、今度はヘラがデイヴィッドから逃れようとする。それはデイヴィッドの卑怯な思考の撒いた種なのであるが、デイヴィッドはそれをヘラのせいにしようとする。
もしかするとデイヴィッドとジョヴァンニは、ゲイのカップルではなく、コインの裏表のような双生児なのかもしれない、と見ることも可能である。ヘラとデイヴィッドとがすれ違う男女間のストーリーというふうに読んでいけば、次第にデイヴィッドの裏側にジョヴァンニのいることがヘラには見えてきたのだとも思える。

ヘラはデイヴィッドがジョヴァンニに対して罪悪感をもっていること、自分を責めていることをやめるべきだという。そしてヘラはデイヴィッドに対して、自分を女にしてくれ、アメリカへ帰ろう、と誘う。だがそうしたヘラの言葉にデイヴィッドは反応しない。

ある日、デイヴィッドはヘラを残してひとりでニースに行き、バーを飲み歩き、ゲイの交遊を続ける。そして、とあるゲイのバーで、デイヴィッドを探しに来たヘラに見つかる。ヘラは故郷 [くに] にかえることにすると言う。

 彼女は極端に冷たかった。痛いほどきれいだった。(p.265)

家に帰ると、ヘラはスーツケースに荷物をつめこみはじめる。そしてデイヴィッドに向かって言う。

 「だけど、わたしは、知っていたのよ」 と彼女はいった。「わたしには、
 わかっていたのよ。だから、わたしは、恥ずかしくてたまらない気持ち
 がするの。あなたが、わたしのほうを見るたびに、わたしにはわかった
 の。わたしたちが寝たとき、いつでも、わたしにはわかったの。(p.266)

ヘラは自嘲的に、なぜいままで自分がずっとここに留まっていたのかを嘆き、そして泣き出す。

 「ということは、アメリカ人はもう二度と幸福になれないのよ。幸福で
 ないアメリカ人なんて、いったいなんになるの? 幸福だけが、わたし
 たちの全財産だったのに。」 (p.268)

1956年というときに、ボールドウィンは極私的な愛とともにアメリカの幸福と不幸について考えていたのだろうか。アメリカとヨーロッパの対比は、ボールドウィンにとってヨーロッパに対するコンプレックスとして映る。そしてそこにはアメリカ人←→ヨーロッパ人という差別とともに黒人←→白人という、二重の差別意識が存在している。

訳者解説では、ボールドウィンがなぜ『ジョヴァンニの部屋』を書いたのか、その基本的な動機が説明されている。

 ボールドウィンは、第二次大戦後ヨーロッパに渡り、主としてパリで生
 活していたが、それは、「黒人問題の激烈さに対処する自分の能力に疑
 問を感じた」 からであり、また 「たんなる黒人、あるいは、たんなる黒
 人作家」 にはなりたくないと考えたからでもあるが、同時に、アメリカ
 およびアメリカ人とはなんであるか、をみきわめたいと思ったからでも
 ある。(p.279)

そして、たぶんその当時のヨーロッパにおいては、アメリカにおける白人←→黒人の差別意識よりもより強いヨーロッパ人←→アメリカ人という差別意識が存在していたこと、そしてボールドウィンがいだいていた黒人としての自分のイメージが、「彼自身がつくりだしたものではなく、白人たちのつくりだしたものであることにも気づいた」 (p.279) というのである。
ボールドウィンが『山にのぼりて告げよ』を執筆していたとき、たえずベッシー・スミスのブルースを聴いて、「黒人本来のビートとリズムを想起する必要があった」 (p.279) という行動は、ともすると 「白い黒人」 になってしまう自分の本来のアイデンティティを取り戻すための方策のひとつだったのだろう。

大橋吉之輔がもうひとつ指摘していることとして、ボールドウィンのいずれの作品にも共通しているのはセックスの問題であり、彼の主題のひとつであるとするが、彼のゲイであるという性向についての記述を特殊化せずセックス一般として表現しているのは、この当時、人種差別的な偏見の占める割合がそんなことよりもずっと大きく、かつほとんどだったからだろうと思われる。
ただ、黒人として差別されるという意識と、ゲイとして差別される意識というのは、前にも述べたようにアナロジィであって、それをボールドウィンの蒙った二重の差別ととらえるか、それぞれに差別として個別にとらえるかでは、やや感触が違うように思う。

黒人とゲイということで思い出したのは、以前に読んだトマス・M・ディッシュの『歌の翼に』のことだった (→2014年02月01日ブログ)。ディッシュの描いた世界は黒人が優勢となっている世界であり、主人公は顔をわざわざ黒人のように黒く染められることを強要されるが、それは単なるアンチテーゼであり、一種のディストピア小説としての設定だと考えてよい。
もっと敷衍して考えれば、『ジョヴァンニの部屋』はゲイについて書きながら、実はそうではないのではないかという疑義も生じる。ボールドウィンがより強く感じていたのはアメリカ人及び黒人としての実存に関してであり、明るくないアメリカ人はアメリカ人ではないというアメリカ人としての意識の探求は、人種差別がまだ蔓延っていながら、経済的には非常な上り坂にあった当時のアメリカに対するシビアな視点である。

そうしたことに対して大橋は次のように書いている。

 アメリカの黒人が、アメリカの白人を憎悪することは、アフリカの黒人
 が侵略者である白人を憎悪することよりも、はるかに困難なことであり、
 立場を逆にしていえば、ヨーロッパの植民勢力とはことなって、アメリ
 カの白人たちは黒人たちに反撃をくらい追放される侵略者ではない。両
 者とも、アメリカという不分明ではあるがたしかに存在するあるものに
 よって、結びつけられているのだ。「この事実を直視すれば、事態はずっ
 と好転するであろうし、それはアメリカ社会の存続にももっとも必要な
 ことである。」 (p.280)

この解説が大橋によって書かれたのは1964年7月で、当時の黒人問題は今よりももっと原初的段階にあったのだろうが、激烈な問題があったにもかかわらず、未来に向けての希望も大きい。それは黒人知識階級としてのボールドウィンのスタンスであったのだろうが、しかし翻れば、今もそうした人種差別の問題は、ある意味、その当時と全く同様に存在するし、むしろよりペシミスティックな様相を色濃くしている今というものがあることは自明である。

また、大橋は続けて次のように書く。

 ボールドウィンの目が、アメリカ国内の現実にむけられたときには、ピ
 ューリタニズムとペイガニズムの衝突、《自由》の概念の危険性、《平
 和》の攪乱者としての芸術家の役わりなど、いろいろな意見が発表され
 ているが、結論として彼が述べているのは、アメリカ人に決定的に欠け
 ているものは、《恥辱の意識》と《悲劇の意識》とである、ということ
 である。(p.280)

ピューリタニズムとペイガニズムの衝突というのを、キリスト教と非キリスト教というように読み替えればこれは現代の今、まさに起こっている対立であり、それはボールドウィンの頃から全然進歩していないともいえる。もっといえば、そうした宗教を介在させた対立は人類の歴史に連綿と継続してきたことで永遠に解決はないのではないだろうか、とも思える。

ボールドウィンが黒人であるということを超越した作品を書いたということと、マイルス・デイヴィスは黒人としてのアイデンティティがあるにもかかわらず、黒人/白人という偏見が無いということとは似ている部分がある。
それはチョン・キョンファからあまり韓国人らしさを感じないとか、内田光子に日本人らしさは稀薄である、というようなこととも少し近い。つまりナボコフのように故郷を捨てなくても、一流の芸術家は、そのだれもがそうとは言えないのだけれど、国籍から離れて、故郷喪失者に近づいていくのかもしれない。といってもそれは、私の嫌いなグローバリゼーションの概念とは隔絶したところにある。

 「すべての芸術は告白 (コンフェッションズ) でなければならない」

というのは大橋が紹介するボールドウィンの言葉である。広く世界を対象としながら、その語る言葉は極私的でマイノリティであることは矛盾しない、ということを彼は述べているのだと思う。


ジェームズ・ボールドウィン/ジョヴァンニの部屋 (白水社)
ジョヴァンニの部屋 (白水Uブックス (57))




Peter, Paul and Mary/Tell It on the Mountain:
https://www.youtube.com/watch?v=xVxYhF6liTU
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Lagy

大変面白く夢中になって読ませて頂きました。ボールドウィンの本は恥ずかしながらまだ未読で、映画で彼の事を知り"私はあなたのニグロではない"何か参考になるブログなどは無いかと探していたところ、此方に辿り着きました。
マイルスのファンなので、彼が絡んだ話も読めて嬉しく思います。他のブログも読ませて頂きます。
by Lagy (2020-07-06 21:11) 

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