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金原瑞人『翻訳エクササイズ』 [本]

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固有名詞をどう読むか、について金原瑞人が大変示唆に富んだ解説をしていた。研究社から出された『翻訳エクササイズ』という翻訳入門書であるが、翻訳に関する誤訳とか失敗談のエッセイといった内容で気軽に楽しめる。その中からちょっとだけ抽出。

まず固有名詞をどのようにカタカナ表記するかという問題なのだが、Franklin Rooseveltは 「フランクリン・ルーズベルト」 では失格、とのこと。現在、高校の教科書や歴史関係の本ではほとんどが 「フランクリン・ローズベルト」 になっているのにもかかわらず、大手新聞の表記は 「ルーズベルト」 のまま。そろそろ正しい表記に、と書かれていて、ええっ、そうなの? と驚いてしまった。でもwikiでは 「ルーズベルト」 になっている。 「ローズベルト」 「ローズヴェルト」 とも表記するという注があるが。
「oo」 というつながりはウーと発音するという刷り込みがあるのだが、でも人名は必ずしもそうならないということなのだろうか。シンセサイザー・メーカーのmoogが、昔はムーグ、最近はモーグというのに似ている。ネットをサーチしてみると、色々な意見があるらしい。

ほとんどの固有名詞は現地の発音に従うというセオリーで、英語圏では 「チャールズ・ボイヤー」 と発音されているフランスの俳優は日本では 「シャルル・ボワイエ」 と表記されている。ところがイタリアの 「ベニス」 もイタリア語発音に従えば 「ヴェネチア」 なのに、シェイクスピアの戯曲はまだ 「ベニスの商人」 のままなのはどうなの? という不統一なことへの指摘。最近の翻訳ではトーマス・マンの 「ベニスに死す」 を 「ヴェネチアに死す」 というタイトルにしているのがあるとのこと。
ただ、 「ベニスの商人」 や 「ベニスに死す」 は日本ではひとつのかたまりの言葉として認識され、あまりに使い慣れているから転換するのはむずかしいのかもしれないと思ってしまう。さらに細かいことを言えば、金原は 「ヴェネチア」 と表記しているが (p.078)、光文社古典新訳文庫のタイトルは 「ヴェネツィアに死す」 とのことだし (p.080)。 「ヴェネチア」 「ヴェネツィア」 「ヴェネッツィア」 などと考えているとさらに悩ましい。「コロンブス」 や 「アンデルセン」 は今さら現地発音には直せないよね (p.080) とも書かれているが 「ベニス」 もそれに近いんじゃないかと思う。

発音の間違いとは外れるが面白い間違いに 「聖林」 があるという。外国の地名や人名を漢字で表記していた頃の時代の産物で 「聖林」 → 「ハリウッド」 なのだが、これはHollywoodをHolywoodと読み間違えたのではないか、という。holy→聖なる、なのだがholly→柊なので 「聖林」 でなく 「柊林」 とするべきだったのだとのこと。これにもびっくり。だっていまだに 「聖林」 って表記、見かけますよね。

このように漢字で地名や人名表記する方法論は中国にもあって、しかも日本と中国で同一だったり少し違ったりするのだそうだが、倫敦とか希臘とか、聖林と同様に今でも時々見かけるのは、わざとそこから醸し出される古風な雰囲気を利用したいからだろう。でも一番の傑作は 「剣橋」 で、金原も 「いったい誰が考えたんでしょう」 と書いている。水野晴郎の 「007 危機一発」 というタイトル考案と同じように、アイデアマンは昔から何人もいたというふうにも考えられる。
かつてのアメリカ大統領レーガンは最初 「リーガン」 で、訂正されて 「レーガン」 になったとのことだが、ショーン・コネリーがデビューしたての頃はシーン・コナリーと表記されていたとも聞く。昔、玩具のミニチュアカーの広告ページで 「プゲオット」 という車名を見たときがあった。何だこれ? 見知らぬ小さな自動車会社かと思いますよね。プジョー (Peugeot) でしたけど、
もっともフランス語の発音が特殊なのは確かで、私のフランス語の教師は生徒を呼ぶとき、「小田切」 は 「オダジリ」 で、 「外間」 は 「オカマ」 だった。giの発音は 「ジ」 になるのでオダギリでなくオダジリなのだが、hは発音しないのでホカマでなくオカマ……でも最初に聞いたとき、ドッキリ! 他にもミッキーマウスはフランス語ではミケなので 「ネコかよ?」 というツッコミもありです。
Stephenはスティーヴンなのかステファンなのか本人に聞いたら、本当はスティーヴンなんだけど、相手がフランス人のディレクターだったのでステファンだよと答えたりとか、そのときそのときの事情もあるようだ。

NHKの音楽番組ではMaurizio Polliniをマウリツィオ・ポルリーニ、Maria João Piresをマリア・ジョアン・ピレシュと呼んでいたが、今もあいかわらずそう言っているのだろうか。あえてそうした表記にしたのかもしれないが、Pires本人の発音ではピレシュよりピリスのほうが近いし、ポリーニがポルリーニだとピアノが下手そう。どうしてもあえて表記したいのなら、小さい 「ㇽ」 を使ってポㇽリーニとするか、あるいは 「ポッリーニ」 くらいのほうが適切だと思う。

名前のカタカナ表記の 「・」 (中黒) 問題というのも参考になった。
ファッションブランドのシャネルでは名前の表記に中黒を使わず半角アキにするのがきまりなのだという。例として 「ロバート・メイプルソープ」 でなく 「ロバート メイプルソープ」。中黒は大げさでうるさいから半角アキのほうが自然で、今後そうなって行くのではないかと金原も書いている。
複合姓に用いられる 「=」 も同様に思われる。「クロード・レヴィ=ストロース」 とかウザったいですよね。といって 「クロード レヴィ ストロース」 と全部半角アキだけにしてしまうと見慣れないからちょっと不安定な気もする。でもヴィリエ・ド・リラダン (Villiers de l’Isle-Adam) なんて昔はリール・アダンという読み方だったのだが、そんな発音はないです。とはいえリラダンのフルネームはwikiに拠れば 「ジャン=マリ=マティアス=フィリップ=オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵」 なので、これを全部半角アキだけで処理するのはかなりキツいような気もします。「ジャン マリ マティアス フィリップ オーギュスト ド ヴィリエ ド リラダン伯爵」 となるので。

他にも面白いエピソードがたくさん。翻訳者はホントに大変なんだということがわかります。
earringは英語ではイヤリングもピアスもearringなので、最近の作品ならピアスのほうが断然多いはずだから、どちらかわからないときは、まずピアスにするとか (p.017)。
He wore dark shades. は (誤) 彼は暗い影をまとっていた → (正) 彼は黒のサングラスをかけていた (p.015)。これはヤヴァい誤訳ですがメチャメチャ笑ってしまう。怖いですね。


金原瑞人/翻訳エクササイズ (研究社)
翻訳エクササイズ

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Enrique

ギターの人気曲でローラン・ディアンスRorand DyensのタンゴアンスTango en Skaïというのがありますが,当初日本で出版された楽譜には「ロラン・ディエンヌスの『なめし革のタンゴ』」となっていました。作曲者名も変ならば曲名も珍妙でした。作曲者のエスプリで「まがいもののタンゴ」くらいの意味ですが「なめし革」なら本物になってしまいます。

「ポール・デュカス」か「ポール・デュカ」かかというのは決着ついたのでしか。

アルベール・フェールAlbert Fertという物理学者を,彼が2007年にノーベル賞を取るまでは一部の日本人はアルベルト・フェルトと呼んでいました。

化学ででてくる「ボイル=シャルルの法則」も昔は「ボイル=シャールの法則」と言っていたと思います。これなどは英国人とフランス人のミックスです。「リサージュ図形」などはリサジューとかリサジュースとか一定していなかった記憶があります。

何人でも大概英語かドイツ語式に呼んでしまうキライはありますし,現地語表記しようとして変テコになってしまう例はいろいろある様です。そもそも何て読んで良いのか分からない固有名詞も多いです。
by Enrique (2021-11-07 07:01) 

末尾ルコ(アルベール)

渡哲也!
それはさて置き、いまだ「グラハム」を表記するメディアもありますからね。ある程度統一はできないのでしょうかね。最近では「スカーレット・ヨハンソン」「スカーレット・ジョハンソン」どちらも使われているようですし、わたしが子どもの頃は、『ロードショー』誌では「イザベル・アジャーニ」、『スクリーン』誌では「イザベル・アジャニー」表記でした。なぜか頑なまでにそうでした。
フランスの偉大なカメラマンのあの人(笑)も、ずっと「アンリ・ドカエ」だったのが、最近は「アンリ・ドカ」が多く見られます。
そもそも日本語にない発音が多いですから、日本語表記の難しさは分かります。今更『ヴェネツィアに死す』となってもすぐにしっくりはきませんが、慣れると気にならなくなるかもしれないですね。「レーガン」でなく「リーガン」になると、わたしは即座に『エクソシスト』の悪魔憑き少女を連想しますが。
まあ日本人のフランス語好きもあるでしょうが(意味は分からなくても 笑)、日本人にとって耳心地がよさそうな表記が選ばれている感もあります。「パリ」が「パリス」じゃ様にならないですし、「フィレンツェ」が「フローレンス」でもちょっと。
名詞ではないですが、漫画などで「Au revoir」を「オールヴォワール」とよく表記してましたが、本来の発音には程遠いですよね。書くとしたら、「オ(ㇽ)ヴォワ」あたりが一番近いでしょうか。「アン・ドウ・トロワ」も「アン・ドゥ・トワ」ですよね。でもフランス語の「de」をいまだに「デ」と書くケースもよく見ます。ほとんどの日本人が生涯一度もフランス人と話しないでしょうから問題ないのでしょうが(笑)。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-11-07 08:51) 

coco030705

こんにちは。渡哲也さんのファンでいらっしゃるのですか。

翻訳って難しいですね。フランス語の翻訳、笑いました。オダギリ→
オダジリ、ホカマ→オカマなんですね。けっさく!

俳優の名前も日本語だと表記が難しいのがありますね。たとえば、
ケビン・コスナーはKevin Costnerですから、コスナーは間違いだけど、コストナーもおかしいですものね。「t」をはっきりは発音しませんものね。なかなか表記がむずかしいですね。
こういうのを考えるのも、おもしろいですね。

by coco030705 (2021-11-07 20:29) 

lequiche

>> Enrique 様

Tango en Skaïという言葉を調べてみましたが、
なめし革という名称が複数見かけられますので、
Skaï=なめし革と誤訳した人がいたのではないでしょうか。
私の持っているフランス語辞書にはSkaïは載っていませんが
イタリア語辞書にはSkai=合成皮革の製品名とあります。
ドイツの合成皮革メーカーのようです。
合成皮革業者は自社製品を本革と遜色ない素材である
と言いたがりますので、そのあたりに原因があるような気がします。

名前の表記はむずかしいです。
一般的な慣習と異なった読み方をする場合が
よくあるからだと思います。
それに限らずフランス語系の名称はむずかしいですが。
フランスの老舗レコード会社にDisques Adèsがありますが、
Adèsは最後の s を発音します。
その前が è でアクサンが付いているので、
おそらく発音するのだろうという見当がつきますが
こうした固有名詞はイレギュラーなことが多いです。

不明な固有名詞がある場合、
なるべくならカタカナ表記にしたいのですが、
わからないときはアルファベット表記のままにして
逃げることもあります。
ここのブログ記事でも
間違えたカナ書きにしてしまったこともよくあって
そういうときは後からこっそり訂正しています。(笑)
by lequiche (2021-11-07 23:14) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

念のためですが (^^)
渡哲也の画像は記事本文最後のパラグラフの

# He wore dark shades. は
# (誤) 彼は暗い影をまとっていた →
# (正) 彼は黒のサングラスをかけていた (p.015)。
# これはヤヴァい誤訳ですが

にかかっています。
渡哲也なので形容詞を 「ヤヴァい」 にしました。

スカーレット・ヨハンソンは
アメリカ人ならジョハンソンと発音したがるでしょう。
イザベル・アジャーニはミドルネームがYasmineですから
純粋なフランス系ではない姓のようで
アジャーニなのかアジャニーなのかよくわかりませんね。
こういう場合は 「アジャニ」 とするのも良いかと思います。
ドカエはDecaëとわざわざトレマが付いているのに
発音しないのですか! ワガママですねぇ。(笑)
あ、でも末尾のeなので発音しないという論理でしょうか。

映画関係ですと
イングリッド・バーグマン (Ingrid Bergman)
イングマール・ベルイマン (Ingmar Bergman)
という対比があります。同じBergmanなのに。
尚、私はベルイマンをベルィマンと小さい 「ィ」 で表記しますが、
これは岩波ホールのパンフレット表記を踏襲したためです。

Au revoir=オールヴォワール
これ、私の最初の先生はそう発音していました。
お年寄りの男性でしたが、えええっ? と困ったのを覚えています。
deをデとしてしまうのは論外ですが、
ドでも強いように思いますので私はドゥと書いたりしますが、
でもそうすると2文字なのでかえって目立ってしまう気もして
悩んでおります。
by lequiche (2021-11-07 23:15) 

lequiche

>> coco030705 様

上記のルコさんへのリプライにも書きましたが
渡哲也の画像は記事本文最後のパラグラフの

# He wore dark shades. は
# (誤) 彼は暗い影をまとっていた →
# (正) 彼は黒のサングラスをかけていた (p.015)。
# これはヤヴァい誤訳ですが

にかかっています。
渡哲也なので形容詞も 「ヤヴァい」 にしたのです。
つまりここがこの記事の最後のオチです。
渡哲也さん、カッコよかったですけど
ファンというほどではないです。(^^)/

ケビン・コスナーはコストナー表記もあるようですが
普通に考えたらコスナーで良いと思います。

コンテンポラリー・ダンサーで
ジョン・ケージと一緒に仕事をしていた
Merce Cunninghamはマース・カニングハムという表記で
ずっとカニングハムのまま、wikiでもいまだにカニングハムです。
普通、カニンガムだと思うんですが。
こういうのはなかなか変わりにくいような気がします。
by lequiche (2021-11-07 23:16) 

ゆうのすけ

^^渡哲也さん・・・なぜに?
と思ったら最後の落ちで気付きました。
あ、そうですよね。洋モノには翻訳ってありますものね。
音楽もなんですが (私は外国語得意じゃないですが)なんでこんな訳になるの?なんて頭ひねっちゃうことがあるんですよね。^^;
記事を拝見させていただいて なるほどな!と思わず。^^
そういえば先日なんですが 40年近くも聴いている大名曲の一部の歌詞。私は何を聞き違いしていたのか それとも歌い手の発音があまりに流暢なせいか ”SHE SAYS I AM THE ONE”と歌っているのを ”シンセサイザー~”と 勘違いしてたことにようやく気付きました。お恥ずかしいことで・・・人に言わないで良かった。^^;うすうすなんでシンセサイザーが出てくるのか変だったんですが・・・。
更に先日 多分日本で仕事をされている方なのでしょうが 港に行って富士山の写真を撮っていたら 英語圏の方に声をかけられて ほんの数分会話をしたんですが もう必死になっちゃってフル回転で頭の中に英単語がグルグル。彼も写真を撮りたいらしいんですが スマホで望遠が利かず 私のカメラに ”ブルートゥース”が搭載されているかという質問を・・・しばらく考えてあ、そういうことなのかと思うまで暫し間が。結局は搭載されてないからその方に送ることはしませんでしたが。(何かあっても気になるし。)まぁ冷や汗かきました。でも理解できていないような私に ゆっくり話しかけてくれたのは きっとその方のお気持ちだったのかなと。^^あと冬場が見頃なんですよ!ということを伝えるのに 11月、12月、2月は出てくるのに 1月の単語が出てこなかった。。。どうってことの無い街もグローバル化してきてるんだなと思う夕暮れ時でした。お恥ずかしい。^^;
by ゆうのすけ (2021-11-08 13:09) 

lequiche

>> ゆうのすけ様

えぇと、今回の場合はオチがまずキマッていて、
それから逆算して書いてみた感じです。
暗い影のあるサングラスの男なら大門圭介だよね、
と思い浮かびました。
ちなみに西部警察の最終回で大門を殺ったのは、
先日のゆうのすけさんの話題に出てきた中村晃子です。
でもこんなふざけたオチを書いていたら
金原先生に叱られるかもしれません。
まぁ、こんなブログなんかご覧になるわけないですから
心配ないですけど。(^^;)

シンセサイザー……ビリー・ジーンですね?
聴いてみましたが、サビの後、Aメロに戻ったときの
She says I am the oneの箇所は
シンセサイザーに聞こえないこともないですけど、
う〜ん…………。(笑)
ビリー・ジーンは1983年ですが、
その年はヤマハのDX7が発売された年ですから
シンセサイザーという歌詞が入っていてもおかしくない
とも思えます。

ブルートゥースの話は今っぽいですね。
でも見知らぬ人とのデータのやりとりっていうのは
リスクがありますからそれでよかったのでは?
1月の単語が出てこなかったみたいなことは
私もよくあります。
英語ならともかく日本語でも固有名詞が出てこなくて
ええとええと、となること、日常茶飯事です。(^^)
by lequiche (2021-11-09 01:55)