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日曜劇場《マイファミリー》 [ドラマ]

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二宮和也 (マイファミリー)

この記事はTVドラマ《マイファミリー》全編を視聴した人を対象としています。見ていないとわからない箇所やネタバレがありますのでご了承ください。

   *

このドラマについては以前に、主題歌を歌うUruにからめて書いたが、完結したのであらためて振り返ってみる。
まず全体の構成はミステリ仕立てで、次々に起こる誘拐、誰が犯人なのかという興味でどんどん引き込まれる。主要登場人物が疑われるが、いずれも違うことがわかってくる。では一体誰なのか。この疑心暗鬼感がミステリ風味なのだが、そして前回の記事のとき、私はそう思って書いていた。だが次第にそうではないことがわかってきた。

結果として犯人は主要登場人物以外の、しかも捜査関係者であったというオチは、ロナルド・ノックスやヴァン・ダインの戒律にも反するし、という意見が出てくるが、しかしアガサ・クリスティだってノックスを破るところから作品が始まっていることは周知である。そもそもノックスの十戒は、現代音楽におけるセリーのように可能性が限定され、雁字搦めとなる原因でしかない。もっともミステリ創生期の頃には、ミステリとして成立しない拙劣な作品が存在していたようで、そうしたものに対する防御の意見としてのしばりをノックスが設定したのだと思われる。
だが今は、すでにノックスやヴァン・ダインの時代ではない。したがってミステリ風味だからといってノックスなど持ち出すのは (そういう意見が散見されるが) すでに時代錯誤であることを知らなければならない。

だから幾つもある矛盾点や無理めな設定や伏線となる映像がタネ明かしのときは違うとかいう指摘、は厳密ではあるけれど重要ではない。脚本家 (脚本:黒岩勉) はそんなことはわかっていて、いや全部を明確に認識し検証してはいないのかもしれないが、というかわざと少しルーズなスキを見せているように見せかけて、結果として視聴者を欺いたのである。この汚い方法論がかえって素晴らしいと思えてしまうのだ (ホメ過ぎ)。

ファミリーという言葉は幾つもの意味を持っている。夫—妻—子ども、さらには親をも含めた文字通りの家族という意味と、鳴沢温人 (二宮和也)、東堂樹生 (濱田岳)、三輪碧 (賀来賢人) の友達としての絆という意味でのファミリー、さらには会社 (ハルカナ・オンライン) という一種の有機体を構成する社員もファミリーとして認識される。
なぜタイトルが 「マイファミリー」 なのか、というのが最も重要なのだ。結果として崩壊に近かったファミリーを再構築することに成功する家族もいれば、全くアンハッピーな結末を迎える家族もいる。その対比はシビアである。そのアンハッピーさは 「してはいけないことをしてしまったのだから仕方がない」 といった因果応報的な表現で語られるのとはやや違うように思う。

東堂、三輪、阿久津晃 (松本幸四郎)、さらには立脇香菜子 (高橋メアリージュン) が犯人かもしれないというふうに誘導されてそれが違ってしまう、という猜疑のパターンはミステリのセオリーで、実はこの中に見逃していた伏線があって……というのだったらミステリの王道なのだが、そうはならず、ではその次に怪しいのは警察関係者という展開になると、警察内の腐敗を描くのが得意なドラマ《相棒》が思い浮かんでしまうが、それともちょっと違う、ごくプライヴェートな理由に収斂して行く。
ただ、葛城圭史 (玉木宏) と日下部七彦 (迫田孝也) が対立しているように見えて、では日下部が犯人かと思わされそうなパターンは吉乃栄太郎 (富澤たけし) をカムフラージュするための常套手段なので、逆にここで視聴者が真犯人を特定できてしまうという箇所がやや残念であった。

ではこのドラマが描いたことは何だったかというと、YAHOO!ニュースで読んだ6月15日付け堀井憲一郎のコラムが最も的確なように思える。少し長いけれど引用すると、

 主人公を見舞う事態は「理不尽な誘拐事件」である。
 それは、主人公の鳴沢温人(二宮和也)が家族ときちんと向き合ってい
 ないから、起こった。
 そこから主人公は生き方をあらため、仕事だけではなく(ときには仕事
 以上に)、家族も大切にしないといけないと考えるようになった。
 そして妻の未知留(多部未華子)との信頼を取りもどし、夫婦で強力な
 タッグを組む。
 それを力として、理不尽な事態に立ち向かい、解決までその歩みをゆる
 めなかった。
 主人公の最終目標は(つまり視聴者が願うことでもある)「自分が間違
 っていないことを世界に示すこと」であった。
 そのためには「真犯人が彼でないことを証明すること」が大事になる。
 真犯人を突き止めることは手段でしかない
 ここがポイントだ。

ドラマのなかで禍々しい印象を与えるのは非通知設定でかかってくる犯人からの電話の機械音声なのだが (実際は声優である一龍斎貞弥が演じていた)、この使い方が秀逸であったと思う。
https://clip.narinari.com/2022/06/13/13803/

そして最終回で 「決めるのは私です」 というフレーズが心春の言葉だったと明かされたシーンには、やるなぁと感心。
さらに番組末尾に抽選で20名にドラマのブルーレイBOXを、という告知がこの機械音声の声だったので大爆笑でした。それならいっそのこと、「このブルーレイBOXを買わない人は殺します」 くらい言えばよかったのに (それはヤリ過ぎかぁ)。

ともかく楽しませてもらいましたが、今、マイファミリー・ロスです。
プジョーRCZに乗るニノもカッコよかったし、Uruの主題歌もいままでのUruの曲のなかでベストなように思えます。
個人的には藤間爽子さん、なかなかよかったです。


Uru/それを愛と呼ぶなら (映像はマイファミリー)
https://www.youtube.com/watch?v=y2Q6y59flNg

藤間爽子《マイファミリー》最終回記念インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=GlHcYYx9cUM
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末尾ルコ(アルベール)

ノックスやヴァン・ダインの「戒律」…子どもの頃は(すげえ~~!)とわたしも信奉しておりました。久々にチェックしてみましたが、なかなかに厳しい戒律ですね。しかし今でもこの戒律を持ち出して批判する人たちもいるんですね。ある意味おもしろいというか、このようなことを必死で非難するような方々とは知り合いになりたくないですね。
『マイファミリー』は終盤(玉木宏が犯人かな~)と根拠なく想像したりでしたが、サンドイッチマンでしたね。あまり演技するような姿見たことなかったので、初回にでた時は違和感ありましたが、このような結末になったんですね。
禍々しいいと言えば、「ファミリー」という
言葉、最初は単に二宮和也の家庭を意味するのかと思っていたら、徐々に別の意味を持つことが分かってくるあたりもそうした雰囲気を感じました。ミステリにしてもスリラー、あるいはホラー、はたまた人間性を抉るような作品にしても、「禍々しさの醸成」って、大きなポイントだと思ってます。タナトスとも隣接しているし、深い意味で「ワクワク」と密着しています。


・・・

芥川賞候補の5人すべてが女性となりましたね。しかも直木賞も5人中4人が女性。
こうした状況に対して賞そのものの宣伝的な意図を感じる向きもあるでしょうが、わたしは現在の日本の状況をしっかり反映していると感じます。
わたし自身男性の割には女性作家の小説を読む比率が高いのですが、確かに女性作家の内容に興味を惹かれる作品が多い気がします。
しかしそれ以前に、一般の日本人男性と日本女性を比較した場合、こと文化芸術に関して言えば、女性の方が圧倒的に強く関心を持ち、感覚的にも鋭いのではないか。わたしは男性ファッション雑誌をほとんど読まず、女性ファッション誌ばかり読んでますが、その理由はシンプル、女性ファッション誌の方がずっとおもしろいからです。
それと今回の候補者でメディア的に話題になっている鈴木涼美という人、父親がバレエ批評家の鈴木晶で、わたし『ダンスマガジン』で毎月この方の文章を読んでました。それだけの話ですが(笑)、意外なところで繋がっているものだなあと。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2022-06-22 19:20) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ご存知かと思いますがアガサ・クリスティに
『そして誰もいなくなった』という作品があります。
孤島に10人が集められて全員が死んでしまう。
でもその中に犯人がいるのですが、
怪しいと思われていると必ず殺されてしまうので、
この人は犯人ではなかった、この人も違ったとなって、
でもそのようにして次々に殺されてしまい
最後には誰もいなくなってしまうのですが、
このパターンと少し似ています。
東堂が怪しい、三輪が怪しい、阿久津が怪しい、
いや立脇なのではないか、もしかすると未知留?……
でも皆、違うのですが、このような主要登場人物の中に
犯人を設定できたらクリスティに比肩できるのですけれど
さすがにそれは無理でした。

この『そして誰もいなくなった』に出てくる詩 (歌詞) は
Ten Little Indiansの変形といえるのでしょうが、
ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』は
Who Killed Cock Robinが通奏低音となっていて
マザーグースがミステリのアイデアの元として
使われているのがわかります。
ちなみに『そして誰もいなくなった』の探偵役は
10人でなくて11人目の殺人者がいるのではないか
と推理するのですが、
この 「11人いる」 とか 「コック・ロビン」 は
萩尾望都が作品を作るときのヒントになったように思います。

そしてノックスの十戒をメチャクチャ破ったのが
クリスティの『アクロイド殺し』であることも有名です。
つまりノックスやヴァン・ダインの禁則は
ずっと変更されないで残っている古い法律みたいなもので
すでに過去のものといって差し支えないのだと思います。
たとえば 「男女七歳にして席を同じうせず」 みたいな
古い言い回しなどと同じです。
それにヴァン・ダインの諸作はともかく
ノックスは『陸橋殺人事件』しか読んでいませんが
そんなにすぐれているとは思えませんでした。
もっともこれはあくまで私の印象に過ぎませんが。

芥川賞・直木賞の候補というのを見ましたが
芥川賞候補の作家さんはどなたも存じ上げません。
直木賞候補では窪美澄と深緑野分は読みました。
深緑野分はまさに直木賞的な小説を書きますが
候補作の本のカバー絵はちょっと……う〜ん、ですね。(笑)
by lequiche (2022-06-24 04:01)