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ヴィヴィアン・ウエストウッドを悼む [ファッション]

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ヴィヴィアン・ウエストウッド
(2022年03月05日/AFPBBNews 2022.12.30より)

年末に入ってきた悲報は衝撃だった。彼女は魔女だから800年くらい生きると思っていたから。
追悼記事の中では、ele-kingのサイトで元日に公開された三田格の文章が心に残った。ロンドンでの忌野清志郎の撮影の話。パンクからニューロマンティクスへとそのデザインを変化させていったが、その思想性は終始パンクから離れることはなかったこと。マルコム・マクラーレンのこと、そしてアンドレアス・クロンターラーのこと。
最後に三田格は次のように書く。

 ヴィヴィアン・ウエストウッドの真骨頂はやはり力が漲るデザイン力で
 あり、無為自然という意味でのアナーキズムではなく、大胆に布をカッ
 トするように制度として立ちはだかる壁を突破しようとする実行力に直
 結させたことだと思うから。

六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーにおける展覧会で、彼女の特異な、しかし魅力的な作品を見ることができたのは幸運だった。パンクは彼女の初期情動であり、ニューロマンティクスは過去への回帰のようにみえて実は大いなるパロディでもある。
今回、幾つかの記事を読んでいて、ゴールドレーベルは実質的にクロンターラーのアイデアであることを知った。だが、古風なラインを見せていながら常にエキセントリックで、ひと目でヴィヴィアンのものとわかる派手さ・斬新さはヴィヴィアンから生まれたものに違いない。

すでに衰退してしまった某巨大SNSがまだ健在だった頃、そのヴィヴィアン・ウエストウッドのコミュニティでの話題がアクセサリーばかりだったのを揶揄したことがある。アクセサリーはあくまで付属品なのだから、服そのものを語るのが本筋のはずだが、原因のひとつとしてあまりに服が高価なこと、そしてサイズがむずかしいことがきっとあったのだろうと今では思う。アクセサリーなら、とりあえずサイズの心配はあまり存在しないから。
しかも服は、たとえプレタポルテのレッドレーベルであっても、ライセンス製品は所詮ライセンスでしかなかったように思う。ライセンスの縫製は平面的で本国版のような立体感とはほど遠い。むしろ、過去作品の再生産であったアングロマニアのほうが、ときとして面白いものが出ていたようだったと振り返ってみる。
だが、こうしたこともすでに過去の記憶で、曖昧で不確かな彼方の思い出に過ぎない。

ヴィヴィアンのあるショップで、非常に詳しい店員さんがいた。着ている服はもちろんヴィヴィアンだがそのコーデが尋常ではなく、あぁこうやって合わせるんだと感心するくらい優れていた。なによりその言葉が、まるで本家ヴィヴィアンを代弁しているような示唆に満ちたお勧めをするのだった。そうした店員さんはヴィヴィアンに限らずどこのショップでも滅多にいないが、全くいないわけではない。そのような巡り合わせもまたファッションの醍醐味である。だから、常套句的な必殺のオススメワードとしての 「最後の1点です」 には 「その勧め方は0点です」 と切り返すのが正しい。

ニューロマンティクスとは作り上げられた偽のウエストラインであり、奇矯なデザインでその肉体の本質を隠そうとするための、一種のブラフである。それゆえにヴィヴィアンは、着る人自体の思考の姿勢を変えてしまう。それは服に絡め取られてしまいかねない危険であり、人は強い意志で服に対抗しなければならない。ファッションとはそうした危険を内在するパワーを持ったものであり、だからそうした力を持たないファッションデザインをファッションとは呼ばない。

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Andreas Kronthaler for Vivienne Westwood
(2022SS/Fashion Pressより)

R.I.P. Vivienne Westwood/三田格
https://www.ele-king.net/news/rip/009026/


ヴィヴィアン・ウエストウッド、イアン・ケリー/
ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝 (DU BOOKS)
VIVIENNE WESTWOOD ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝

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