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ありふれた夜がやって来る —〈駅〉を聴く [音楽]

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星屑スキャットの歌う〈駅〉はその歌唱も美しいが、MVの美しさに心うたれる。
そこで描かれる駅は、うらさびれたあまり人のいないような駅でなく、都会におけるよく見慣れた風景としての、雑踏の中に存在している駅である。まさに 「ラッシュの人波にのまれて」 しまうような駅である。
人々は残像のようにして行き交い、星屑スキャットの3人だけがその風景の中に佇んでいる。人々が多ければ多いほど孤独は深まる。

〈駅〉という曲については、そのオリジナルである中森明菜の歌唱についていろいろ言われてきた。正確にいえばいろいろと言ったのはひとりだけであって、それが震源となって喧しくなっただけで、歌唱そのものの価値はそんなことで動くはずがない。
曲は作曲者の手から離れたら単なる素材でしかなくて、それをどのように解釈しようが自由であるはずだ。スローな曲をアップテンポにしようが、急速調の曲をバラードにしようが自由であるし、レゲエにしたりワルツにしたり、リズムを変えたりしても構わない。その結果をリスナーが受け入れるかどうかがその表現への評価に過ぎない。

中森明菜の〈駅〉は《CRIMSON》(1986) というアルバムに収められているが、私が〈駅〉という曲を知ったのはもっとずっと後で、しかもその歌唱は巷に流布されているイメージとは著しく異なっていることを知って、その喧しさの理由を理解した。
そもそもクリムゾンというアルバム・タイトルについても、私は相川七瀬のしか知らなくて、だが彼女のアルバム・タイトルを反芻すると《Red》《crimson》《FOXTROT》という連鎖があり (レッドはキング・クリムゾン、フォックス・トロットはジェネシスのアルバム・タイトル)、これは単に織田哲郎の趣味だと悟ることになった。

そして中森明菜の〈駅〉のベストな歌唱はおそらく1997年のライヴで歌われたものであって、「夜のヒットスタジオ」 で歌われた頃の表現よりさらに深化しているように思える。その解釈は一貫していて揺るぎない。中森明菜の歌唱は〈難破船〉もそうだが、〈駅〉の悲哀はその極北に存在している。
星屑スキャットの歌唱も中森明菜の歌唱もどちらも正当であるし、正当でない歌唱というものは存在しない。歌とはそういうものだ。


星屑スキャット/駅
https://www.youtube.com/watch?v=GoWBQ27Shto

中森明菜/駅 (1997年ライヴ)
https://www.youtube.com/watch?v=MUO7inz827o

中森明菜/駅 (夜のヒットスタジオ)
https://www.youtube.com/watch?v=cOYIlBt-L3Q
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