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肯定と否定 [雑記]

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筑摩書房の宣伝誌に『ちくま』というのがあって、その今月号に載っている刈谷政則 「本好きの友への手紙」 というのを読んだ。それは丸谷才一の書評を集めた文庫本について書いてある文章で、それによれば丸谷は 「ぼくは、うんと気に入った本に出合った時は、読者を本屋さんに走らせなければいけないという覚悟で書評を書いています」 と発言していたとのことである。
よくあるパブリシティ的記事なのかもしれないし、私はその丸谷才一の本を読んでいないのではっきりしたことが言えないのだが、とても良い 「覚悟」 だし、そういう書評ならいいなと思うのである。

つい先日、書店で高名なロック雑誌系の某音楽評論家のレコード評 (CD評) を集めた増刊号のような雑誌が平積みされていたので、中身をぱらぱらと眺めてみたのである。この人の名前は知っているが意識して読んだことはまだなかったので、勉強のために買ってみようかと思ったからだ。
ところがその幾つかの評を読んでみたのだが、どれもこれも否定的な内容ばかり。私が読んだ個所がたまたまそうだっただけなのかもしれないが、これはちょっと無いんじゃないの? と感じて、購入するのはやめてしまった。

何だあれか! とカンのいい人ならすぐにわかる有名評論家のアンソロジーである。ワールドミュージックなどにも造詣が深くて、そういう点でも内容に興味があったのだけれど、そういう文章を見てみたらがっかりしてしまったことは確かである。
かつて淀川長治という映画評論家がいて、あの人はやたらに映画を褒めるだけという批判もあったそうだが、淀川長治本人はとても映画が好きで好きでたまらないので、つまらない映画でもどこか良いところを探して褒める、それも無いような映画だったら最初から取り上げない、と言っていたとのこと。
無理して褒めろとは言わないが、あれもダメこれもダメというのだったら、そんなジャンルの音楽をなぜ聴いているのだろうか? という素朴な疑問がどうしても起こってしまう。評論家なのだから仕方がないという言葉で片付く問題なのだろうか。また、それが 「芸風」 だったのだと言われればそれまでだが、いつも否定的なことを言っているとそれは顔に出るし、そういう顔は見ていてあまり気持ちのいいものではないし、本人だって面白くないのではないかと想像するのである。それに私は舞台に立つ職業でもない人に 「芸風」 なる言葉を使うセンスがあまり好きではない。

楽天的で全て絶賛のタイコ持ち的御用批評というのも困るけれど、基本的にはそれがいいと思う予感をもって私たちは本を読むのであり音楽CDを聴くのである。少なくとも私はそうである。
とりあえず 「いい」 と思う比率が 「わるい」 と思う比率より高いものを選択基準にしているはずだ。もしそれで失敗してしまったら途中で読んだり聴いたりするのをやめてしまえばいいのだろうし、それについてわざわざ語ることもないから忘れてしまおうとするのではないだろうか。

恨みとか悪意があるわけではないのだろうけれど、そう思われてしまってもしかたがないほどに彼の文章には棘があった。そういうのが面白いと感じる人もいるのだろうが、私は棘だらけの果実は避けて通りたいほうである。
よいと思った音楽や本をこっそりと自分のものだけにして独占しておきたい、と思うことだってあるけれど、やはり誰かに聴いてもらって共感を得たいということのほうが優先するし自然だと思う。これはすごくダメという否定的な批評は、たとえばすごく不味いレストランの批評などだったらありがたい情報だと思うけれど。

うまく言葉を飾る評論よりも、真実をありのまま直截に言ってしまったほうがいいのだ、という擁護もあるのかもしれない。でも問題は言い方だと思うのだ。わざと相手を不快にさせるような表現は自分自身にはね返ってきて自分も不快になると思うのである。

人間というものはいつも何かしら不満を持っているもので、それが完全に解消されることはないし、解消されると不思議なことに新たな不満とか不安が必ず起こってくる。
つい否定的なことを言ってしまうことは私にもあるので、他人のことをとやかく言うことはできないのかもしれない。でもある程度、世の中に広まる雑誌等に書く場合は、たとえその対象物が箸にも棒にもかからないものだとしても、あまり自分の感情をむき出しにしてしまうのはよくないような気がする。これは自分で文章を書く場合でも心しなければいけないことだと思うので。
いかにしてすんなりと自分の言いたいことを文章の中に織り込むか、というのはそういうことから考えるとかなりむずかしいことなのかもしれない。

天才的なひらめきのある人なら何を書いてもいいのかもしれない。でもそういう人は自分自身の創作を考え、批評なんかしないような気がする。批評とはオーディナリー・ピープルの代弁者なのだ。だからそこで、ひらめきがあると自認している人は、つい 「うさ」 を晴らしてしまうのかもしれないが、でも 「うさ晴らし」 した分だけクォリティは落ちると思うのである。
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