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リトル・ニモ — 100年の眠りと幻想 [本]

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Little Nemo in Slumberland

柴田元幸の編集による『MONKEY』という雑誌があって、大量に平積みになっていたので買ってみた。第1号は、雑誌なのにすでに3刷になっている。

柴田元幸はトマス・ピンチョンの『メイスン&ディクスン』の翻訳で、私の中で俄然クローズアップされた人で (私の中だけに限らないかもしれないが)、いきなりピンチョンの全小説という企画にも驚かされたが、それはともかくとして、たとえば『V.』には国書刊行会で出された先行翻訳があって、それと今回の新潮社版とを較べてみようということをすぐに考えてしまった。そう思いながらまだ実行してはいないのだけれど。
柴田の『翻訳教室』というのは文庫が出ていて、これは東大文学部翻訳演習とあるように翻訳テクニックの授業の記録である。学生の訳した文章をベースに討論し検討・添削して最終形にするというプロセスの様子が描かれている。面白いのだけれどかなり専門的で、最近の翻訳作業における緻密度がよくわかる。私は、書いてあることに納得はするのだけれど、読んでいるうちに眠くなってしまうような情けない読者でしかない。

それでその『MONKEY』1号は、ポール・オースターの草稿と断片 1967−1970 という特集になっていて、もう半世紀近く前の文章でありながら、う〜ん、こういうのはどう言えばいいんだろう……硬質な手触りというか、ばらばらな無愛想というべきか、この時代はきっとこうした書き方がひとつのスタイルを形成していたのではないかという気もする。カッコイイんだけど何ものかが最初から喪われている感覚のような……。抽象的な書き方きりできないのが私の限界なのだけれど。
ただ、オースターという作家の未完成作品をこのように提示できるという柴田元幸の確信の強さにうたれる。

そこでなるべく些末なことだけに注目して書いてみると、オースターについてのAからZまでの項目を立てた小辞典という記事があり、その 「T」 の記事 Typewriter によれば、オースターはいまだに昔ながらのリボンのタイプライターを使っているように書いてある。それは私の以前のブログに書いたパーカー・フィッツジェラルドのフィルムカメラへのこだわりと似ている (パーカー・フィッツジェラルドについては→2014年01月24日ブログ参照)。オースターにはサム・メッサーの絵との合作による『わがタイプライターの物語』という作品がある。
私も古いオリベッティのコンパクトなタイプライターを持っているが、もう使うことはないのに捨てられないのはそのメカニックな美しさによるところが大きい。

もう1冊の『MONKEY』2号にはリトル・ニモの1ページがはさまれていて (四六/4裁くらいの大きさ)、私がこの2冊を買った動機はこの付録のためだというのがきっと本音である。
リトル・ニモとはウィンザー・マッケイの『眠りの国のリトル・ニモ』Little Nemo in Slumberland のことで、1900年代初めのアメリカの新聞連載マンガでありながら、そのイメージの斬新さと画の特異さで有名である。幻想というよりは遠近法を意識させる一種の様式美であり、動きの一瞬一瞬が高速度のシャッターで撮ったように切り取られて沈黙している。
SFマガジンで古くから小野耕世により紹介され、1976年にPARCO出版局から単行本としても出版されているのだが、もちろんすでに絶版であり、私は実物を見たことさえない。

『MONKEY』の記事は見開き2ページ (きたむらさとしと柴田元幸の対談) で、簡単なこの作品の紹介に過ぎないが、Slumberland はルイス・キャロルの Alice in Wonderland に拠るというのはわかるのだけれど、ニモというネーミングはジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』のネモ船長 (Le capitaine Nemo) からだというのは今まで全然気づかなかった。
現在、リトル・ニモは創元社から出版されている柴田監訳の『初期アメリカ新聞コミック傑作選』の中に入っているとのことである。新聞連載と同様の原寸大で作品を収録するという大変凝った本なのだが、簡単に手の出る価格ではないのが残念だ。

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同じく2号の「華氏四五一度質問」という記事は、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』にちなんだ設問で、ブラッドベリの描いた本の禁じられた世界では、それに抗う人々が各自1冊の本を記憶するという設定なのだが、もしあなたがそうした抵抗運動に加わるならどんな本を記憶するのか、という問いかけとなっていて、それに対する14名の著名人の回答がまとめられている。でも、どれもが考え過ぎていて、おおっ、というような名答は見つからなかった。こうしたQ&Aを面白くするのは意外にむずかしい。
『華氏451度』を引き合いに出すのは書籍へのこだわりであり、それは機械式タイプライターへのこだわりや、銀塩カメラへのこだわりと通底することはいうまでもない。そしてまた『華氏451度』の本の排斥される世界と、ディッシュの『歌の翼に』に描かれている音楽の排斥される世界も、ある意味似ている (華氏451度に関しては→2012年04月11日ブログ参照。『歌の翼に』は→2014年02月01日ブログ参照)。

そんなことを考えながら1号のポール・オースターを見ていたら、草稿と断片・2の中に『モンターグ歴史的百科事典』という名称が出てきて、そういえば『華氏451度』の主人公もモンターグだったことに、ふと気づいた。


MONKEY Vol.1 (スイッチパブリッシング)
MONKEY Vol.1 ◆ 青春のポール・オースター(柴田元幸責任編集)




MONKEY Vol.2 (スイッチパブリッシング)
MONKEY Vol.2 ◆ 猿の一ダース(柴田元幸責任編集)




柴田元幸/翻訳教室 (朝日新聞出版)
翻訳教室 (朝日文庫)




[原寸版]初期アメリカ新聞コミック傑作選1903−1944 (創元社)
[原寸版]初期アメリカ新聞コミック傑作選1903-1944(全4巻+別冊)




The Comic Strip Library
http://www.comicstriplibrary.org/browse/results?title=2
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Enrique

機械式タイプライターは使用経験あります。
慣れないと打ちムラが出たものですが,それがまた味があって良いかなと思います。電気式になったIBMのタイプボール式のものの均等な美しい印字は目を見張るものがありましたが,直ぐにワープロのギザギザ印字に劣化(レーザープリンターが出るまでは)してしまいました。
機能を磨き上げた道具の持つ美しさは捨てがたい魅力があります。
by Enrique (2014-03-31 08:31) 

lequiche

>> Enrique 様

Aがなぜ左手小指のポジションなのかというと、
あまり力が入らない指だからかえっていいのだ、
という説を聞いたことがあります。
人差し指だったらAばかり強くなり過ぎるからとのことです。
本当かどうかはわかりませんが。

IBMのボール式のも仕事で使っていたことがあります。
あれは機械式タイプライターとしては芸術品ですね。
素晴らしい技術だと思います。
印字の美しさは、現在のレーザープリンターよりも上です。
by lequiche (2014-04-02 01:20) 

miel-et-citron

『MONKEY』の表紙がかわいいので
手に取ってみたくなりますね(o^∀^)
by miel-et-citron (2014-04-05 16:17) 

lequiche

>> miel-et-citron 様

表紙のイラストは谷口智則という絵本作家の作品です。
なかなか味がありますね。

柴田元幸は自分のことを 「猿」 と自称しているので、
それでMonkeyという誌名になったようです。
豊臣秀吉とはたぶん関係ありません。(笑)
by lequiche (2014-04-08 00:07) 

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